第1章 新幹線で―悪しき東大生
新幹線は定刻通りに進んだ。私は感嘆と落胆を覚えたが、我が国の技術力を思えば前者に軍配が上がった。
私の座席は右側の窓際指定席である。良く晴れた外の景色を小さめの窓から覗いた。1時間半近く寝ていた私は、今どの辺りかを風景から推測した。もうすぐ名古屋だろうか。
ところで、富士はきれいに見えていたようである。私の一つ前のシートに座る学生らしき女性たちが、今もなお自ら撮った富士のベストショットを互いに見せ合いながらはしゃいでいる。
何がそれほど嬉しいのか。何を楽しんでいるのか。私にとって、富士は3776メートルの山でしかなかった。形の整った日本一高い山を見て、その迫り来る山裾と雲のかかる頂に思わず声を漏らす人もいるだろう。しかし富士は、厚さ1メートルの板を12回折り畳めば優に超えられる程度の高さなのである。
彼女たちは、富士やその写真の巧拙にはしゃぐのではない。はしゃぐ彼女たち自身にはしゃいでいるに過ぎない。彼女たちは、自分自身と世界の、主体と客体の境界を曖昧にしてしまっていた。
新幹線はまたもや定刻通りに名古屋駅に到着した。京都駅までは後40分ほどである。私は京都駅まで睡眠をとることにした。
私の旅の目的は、東大という環境に存在せず、学生生活において掴み損ねた何かを得ることである。表面的な充実感と決別することである。ここでエネルギーを浪費し神経をすり減らすわけにはいかない。
京都駅に降り立った。夏の京都は初めてではなかったが、私の脳が最初に察知したのは、うだるような暑さであった。語彙の豊かな私でさえも「暑い」の一言しか浮かばない。それほどである。
さて、私は、京都駅内の土産物には目もくれず、早速旅の拠点とした五条橋付近の格安ホテルへ向かった。土産の心配などは不要であった。なぜなら、京都の生八ツ橋など東京駅で売られているだろうから。
私は、改札をくぐり、京都駅のバスロータリーから市バスで五条へと向かった。
持つ吊革が引きちぎれそうなほど車内で激しく揺られながら―あまりの揺れの大きさに「死バス」と呼ばれる。もちろん口頭のやり取りでは伝わるまい―、私は思惟に耽った。
先ほど東京駅の生八ツ橋に言及したが、東京の大学に通う学生は、日本で最も交通網運送網などありとあらゆるネットワークの恩寵を受けていると言ってよい。これ自体は喜ばしいことである。
しかし、その弊害であろうか、恩恵を受け過ぎたためにどことなく鼻にかけたような、上流階級気取り学生が目につくのであった。
彼らは、数多の便益を無抵抗に享受し過ぎた―彼らは、自ら思考せずに済むよう、一見瀟洒であるが実質を伴わない教養を纏うことを覚えてしまった―鎧と呼ぶにはあまりに弱々しい、なよなよとしたものを身につけてしまった―
そしてこのスノビズムの代表格が、東大生であった。広辞苑で「スノビズム」の語を引くとよい。そこには「現代の東大生」の文字が記されているであろう。
私は、これまでの学生生活を送る中で、大学に漂う悪しきスノビズムを嗅ぎ取った。入学試験の日に私が見たあの伸びやかな学生たちは雲散霧消してしまった。今や知識や教養は、身に纏われ誇示されるだけの装飾に堕していた。
要するに、私は、東大で吸い込んだ空気を京都のそれと入れ替えるために、東大で着せられた衣を京都の川に流し去るために、やって来たのである。