寝顔
田代が事務所に顔を出したのは、夜の9時を過ぎたころだった。
山田はまだ、書類づくりに頭を抱えていた。
「だから言ったろうが、やめとけと」
田代は山田の前に缶コーヒーを置きながらにやりと笑いながら言った。
「しかし、国内の売り上げ減少と、前に中国への投資回収の不調で、利益減少が見えている中で、大手ほどの体力がないわが社が生き残るための手段だ。責めてばかりいらいれない」
山田はモニータのグラフの数字を見ながらいった。
「あのソニーでさえ、工場閉鎖にストを打たれて解決金まで分捕られたんだぞ、大手もかなりの予測をしてそうなる。海外にでの展開はそれなりのリスクを伴う。だから南米にしとけと言ったんだ。南米は実績もあるし、政府も力を入れている。」
「わかってはいたが、穀物部門が強いうちだから、やれると思ったんだ。仕方ない実際、俺もこの件はうまくいけば3年で投資額の回収はできて、10年以上は利益が期待できるし思っている。」
「ばくち打ちか、お前は。他人の金を使ってするもんじゃない。90年代ならいざ知らず、内需拡大で見区内に目を向けている中国なんぞに投資したあげく、人件費高騰でどうにもならなっているの挽回で、別の海外とうしなんざ、馬鹿げている。」
田代は、山田の横の椅子に腰かけると、モニターの数字を見て言った。
「内の規模からみれば、一発逆転ホームランを狙ったのさ」
「で、この始末か。いくら投資ているんだ」
「出資比率は、20%程度で、40憶だ既に4億ドル建て゛払い込んでいる。現在ドル高なので為替損はない。円高に振れると為替損が出る。そのシュミレーションをやっているが、どうも良くない」
「現地の合弁相手は信頼できるのか」
「政府高官の私企業で、信頼はできると思う。ただし、リベートは高めだ。」
「リベートが高いということは、内情を読んでいるのかもしれない。現地の腕の立つ弁護士に頼んで違約金でもなんでも払って即時撤退だ」
「わかってはいるが、投資回収がゼロでは融資先の銀行に不信を与える」
と山田は言ってもとバンカーらしい田代がどうこたえるか期待した。
「現在の借入額は」
と尋ねられたので、山田は素直に
「150億程度かな、短期返済はほとんどないので長期となっている」
「借入限界点は超えていないな、何とか持つかもしれないけれども、低利の貸し付けは難しいと思うぞ、短期の貸し付けの利率が高いやつがメインとなるぞ。つまり決算書の損益計算書の税引後当期利益と減価償却費の合計額で1年間の長期借入金の元金返済額ができるかどうかを見るから、損失を一括で上げると利益が吹っ飛んでやばいぞ」
さすがに、田代の見立ては鋭かった。資金繰りが厳しくなることは予想された。
ある程度の資産の売却により、損失の補てんを図るしかないようだ。
「とにかく、早急に撤退を測るように進言するよ」
田代は立ち上がると
「そろそろ、仕事も止めろよ、飲みに行くぞ」
と山田の肩を叩いた。
ある程度のめぼしはついたいたことと、田代のおかげて大きな危機を脱することが出来たので付き合うことにした。
田代は山田があまり騒がしいところは嫌いなので、路地の中にある鉄板焼きに誘ってくれた。
田代は馴染みなのか、黙っていてもビール瓶とコップが出で来て、目の前の鉄板ではステーキが
焼かれだした。
「田代、今回は助かったよ。」
「いいよ、お前とは気が合うし、同級生だしな、それに出世がきらいな変人だし。」
と笑ってお互いコップをカチンと合わせてピールを飲み干した。
「この前の件、頼んどいた」
田代は煙草に火をつけながら煙を吐きだと当時に言った。
「ああ、世話をかける」
「今日、さっそく連絡があった」
山田は手酌でビールをつぐと一気に飲んだ。
「黒だったよ」
「そうか」
「確定するには決定的証拠がいるらしいが」
と田代は口ごもった
「それは無理だろ、盛りついているわけでもない。相手のマンションだろ」
「そうだな、俺の時を思い出してな」
田代は手元のコップビールを飲み干すと
「おばちゃん、泡盛の50度のやつ」
と言って注がれたグラスを泡盛を一気飲みした。
「おいおい、無理すんな、俺たち自分が思うほど若くはないぞ」
「わかっている、でも、お前まで女房があれとはな」
といって田代は下を向いた。
「俺の前の女房も浮気していた、それも俺の上司とだ、笑えねえな、そんでもって、"あなたに未来はないから"といって離婚してそいつと一緒なるとぬかしやがった。頭にきて、そいつに慰謝料8桁の慰謝料吹っ掛けたらあっさりと払いやがった。俺は、もうどうでもよくなって銀行を辞めて、いまはこのとおりだ。おかしいだろう」
山田は何も言わなかった。
ピール瓶を空にして、田代と同じ泡盛を頼んだ。
「山田、もう調べるのやめたらどうだ。あいつらプロだから見たくもないものや聞きたくもないものまで揃えるぞ」
「それでもいい、田代の事情は分からないけれども、男と女の間でどちらか一方だけ悪いことはないと思う。俺にも悪いところはあると思う。ただ、あいつが騙されていなければそれでいい」
田代は2杯目の泡盛を飲みながら
「お人よしだな、相手の有責でいけると思うぞ」
といったが山田は、
「どうこうしようとは、思っていない。あいつがどう思っているのかだけが知りたい。」
静かに答えた。
「どろどろしたものしかないと思うぞ。お前の言う通り、相手だけが悪いんじゃなくお前も悪いとしても。」
田代は吐き捨てるように言った。
よほどの田代は、自分の前妻のことで傷ついたのだろうと山田は思った。
「お前は自分の子供でもない娘を20年以上育てたんだぞ、それでは黙って納得できるのか」
と田代は、情けなさそうに言った。
「田代、実は梨香が自分の娘ではない気がずっとしていたんだ。この前梨香のアルバムを見て分かったよ、裕子が笑っている写真がないんだ。どこか冷めた目で写真に写ってるんだ。俺はいままで気づかないふりをしていた。自分の存在価値が崩れそうで怖かった。高卒で中小企業のサラリーマンの俺が守れるものなんてたかが知れている。それでも、守りたかったんだ。ただそれだけだ。」
田代は、山田の肩を叩いて、
「かっこいいなー、まあ飲めよ。お互い寂しいものどおし所詮マイナーな存在だし、それでも俺たちの世代は頑張るしかなかった学歴社会に、バブル、バブル崩壊、リーマンショックとくればジェットコースターみたいなもんだ。」
それから、山田も田代もぐでんぐでんになるまで飲んだ。
別れ際のタクシー乗り場で
「山田」
と田代がろれつの回らい口調で叫んだ。
「なんだ酔っ払い」
「所詮、人は一人で生まれて一人で死ぬってことだ」
「説教すんな、はやくタクシーのれ」
と山田も叫んだ。
タクシーでアパートに帰り着くと、何故かアパートの電気が付いていた。
山田は酔いのまわった頭で考えて、朝出るときに消し忘れたのだと思って鍵を開けると
「お帰り」
と元気のいい声が響いた。
あっけに取られていると
「お酒臭いな」
と言われ声の主を見ると、美香子だった。
「お前 何してるんだ」
「ちょっとね」
といって、頭を掻いていた。
山田は以前の会話を思い出し理由を見つけ出した。
靴を脱いで、玄関に上がり冷蔵庫からミネラルウオターのペットボトルを出してコップに注いで飲み干すと
「いつ来たんだ」
「さっき」
「そうかっ、俺明日早いし、もう寝るから」
と山田は言ってベッドに倒れこんだ。
さすがに50度の泡盛は効いた。
山田はすぐにいびきをかいて眠った。
美香子はそんな山田を見て毛布を掛けると
「今日はすこし甘えてもいいかな」
といって、山田の横に自分も寝転んだ。
「・・・さん」
と小さく美香子がいった。
山田が寝返りを打って、美香子を抱きしめるような格好になった。
美香子は、山田の胸に顔を近づけて、やがて一緒に眠ってしまった。
無防備に山田の横で幼子のように体をくっつけて眠る美香子はとても安らか寝顔だった。