真実
朝、油のはじける音で目が覚めた。
キッチンのほうを見ると、昨日の中野という女の子がキッチンに立っていた。
酒瓶と空き缶とカップ麺の容器があったテーブルはかたずいていた。
ほとんど使うことがなかった、炊飯器が湯気をだしていた。
みそ汁の匂いがしてきた。
たしか、みそはなかったと記憶していたが、
「あっ 起こしてしまいました」
テーブルに、皿を運びながら中野が、山田に言った。
山田は、すこし目をこすりながら、
「いやもう、年寄りだから、これくらいには目が覚めているよ」
「冷蔵庫の中と、戸棚の中勝手にさがしました、ごめんなさい」
テーブルに、目玉焼きを置きながら、照れたように中野は微笑した。
「なんにもなかったろ、ここしばらくは買い物もしていないし」
「ええ、近くの24時間営業のスーパーから買ってきました。山田さんは、和食それとも洋食のどちらですか?」
「どっちでも、いいよ。朝はわりかし簡単にすませるから、洋食派かな」
「はあ、勝手にご飯とみそ汁かなと思ってしまいました」
「もともとは、田舎の出だから、ご飯とみそ汁が一番いいよ」
「よかったです。」
山田は、テーブルに着くと、はしを取った。
温かいご飯とみそ汁なんて、久しく食べていないことに気づいた。
目玉焼きとベーコンが添えられて皿と、ご飯に豆腐の味噌汁がすこし懐かしかった。
ふと、昨日の朝の裕子が用意した朝食が思いたせされた。
今考えれば、出来合いのものを皿に移したような味だった。
でも、今 目の前にある朝食には、そんな味がひとかけらもなかった。
「ご飯、固くない?」
「いいや」
「みそ汁は、辛くない」
「いいや」
「目玉焼きは、半熟がよかった」
「いいや、どうでもいいから、君も食べたらどうだい、自分で味見してみたら」
と矢継ぎ早に、質問してくる中野に苦笑しながらいった。
それもそうだというふうに、中野もテーブルについてご飯を食べだした。
二人でご飯を食べ終えると、中野がコーヒーを入れてくれた。
山田は、すこし落ち着いて、中野と話しをしようと思った。
「君は歳はいくつだ」
「18歳」
「高校生?」
「1年の一学期に辞めた」
「どうして」
「いろいろあって」
といった中野顔が少し暗くなった。
山田は、質問をやめた。
空気が重くなったので
「バイク便はいつからやってんの」
「店長に誘われて、最初は自転車だったけど、今年免許とってから本格的にやってる」
「ふーん、中型いや普通二輪いま難しいんだろ」
「店長が教えてくれたから、試験場で3回目に合格した。」
「試験場か、すごいね」
試験場の試験は、落とすのが基本だから教則本どおりに運転しないと落とされる。
横着に乗ってからスタンドを払ったり、タンクから膝が離れると減点となる。
レバーも4本指で握らなければならない。
山田は、思い出してバックから紙袋を取り出した。
「これ、この前こけてグローブ破けてただろう」
といって、昨日買ったバイク用のグローブ中野目の前に差し出した。
「え、でも・・・」
といって、中野は受け取るをためらっていた。
「アラミドで、プロテクターもあるから今度こけても、破れやしないよ。俺が免停を食らったときに講習会で、白バイのオヤジが "おめら絶対にグローブつけて走れよ、こけて指なくすぞ" ていわれたからな、グローブはきちんとつけておくことが大切」
といって、無理やり手に取らせた。
「ありがとうございます」
と中野はいって、紙袋を開けた。
プルーを基調とした、ショートグローブで、さっそくはめてみた中野の手にぴったりだった。
「ところで、君の名前はなんていうの?」
「美香子です」
「かわいい名前だね」
「自分では、今時 "子"がついてるなんて恥ずかしいです」
「いや、"子"というのは、昔 皇族しか使えなかったから、位の高い名前なんだよ。だから今でも皇族の女児には、"子"が必ず付くんだよ」
「へえ、そうなんですか。結構 私の名前 いいんですね」
と美香子はびっくりしていた。
昨晩の雨はやんで、朝の陽ざしがまぶしかった。
山田は、田代の用事があるので、美香子といっしにアパートを出た。
玄関ドアの鍵を閉めていると
「あの、山田さん。また遊びに来てもいいですか」
と美香子が遠慮がちにいった。
山田は、その言葉にある別の理由を思い出していた。
「これ、アパートの鍵」
といって、美香子にキーチェーンから鍵を引き抜いて渡した。
えっと顔で、美香子は山田の顔を見ていた。
「深夜徘徊されて、よからぬことに巻き込まれて困るし、いつでもいいよ、来て」
と美香子に言った。
美香子も言葉の意味を察したのか、深く頭を下げた。
自分の娘だったもの(・・・・・・・・・)と大して変わらない美香子をみて山田は、父親のような感覚を覚えていた。
美香子と別れて、山田はプレオに乗り込むと、田代の事務所に向かって車を走らせた。
コインパーキングに車を止めると、目の前の雑居ビルにの中に入っていった。
田代の事務所は看板を上げているわけではなく、主として企業情報を専門に扱う調査事務所だった。
元バンカーという噂もあるが、調査内容は正確で、田代が調べた情報で何度も山田は救われていた。
田代いわく、つぶれる会社は一発でわかるそうだ。
試しに、理由を聞くと。
"緑が消える"
といった。内容は、レンタルなどの観葉植物がなくなるそうだ、つぶれる予兆の会社は。
切れるところから切っていくことで、資金繰りが厳しいと判断されると観葉植物のレンタルから切られるらしい。
次に、従業員が減る。この段階では、ほぼ間違いなし。
止めは、社長や重役などの幹部クラスがいつも社内にいない。
この時点で末期だそうだ、ほぼ半年いないに倒産する。
つぶれない会社は、清潔に掃除されてあり従業員の士気も高い。
また、5年以上勤めている女性社員がいるところや、産休を取れる会社は安全だそうだ。
いつもながら、べつの角度から企業の信用を調査することには頭がさがる。
事務所に入ると、受付の女性が笑顔で迎えてくれて応接室に通された。
田代はすこしグロッキーな顔でコーヒーカップに口をつけていた。
「昨日は夜遅くすまなかったな」
「ああ、お姉ちゃんたちと盛り上がってたのに、ほんと」
と田代が軽口をたたいた。
田代はたしか、バツイチでいまは独身だからどうってことはないが、山田はそうもいかないのでその手の遊びには付き合ったことはなかった。
「で、話ってのなんだ」
田代は真顔になって山田をソファーに座らせてたずねた。
「畑違いだと思うが、素行調査をお願いできないか」
「誰のだ」
山田はすこし返答に詰まりながら
「俺の妻だ」
田代は険しを顔をした。
「疑う証拠はあるのか」
山田はすこし、呼吸を整えてから
「ある」
田代は、たばこに火をつけた。
「覚悟はあるのか、知らなければ幸せだということも、墓場まで持っていく真実もある」
山田は、うなづいた。
「わかった調査しよう」
「助かる」
「いつから始める」
「準備出来しだい」
「期間は」
「2週間でいい」
「わかった」
と田代は大きく煙を吐きだした。
「結婚生活は何年だ」
「24年だ」
「・・・・・長いな。ほんとに疑う余地があるのか」
山田は、スマホから妻の裕子の画像と梨香の献血通知。病院のホームページからのデータを見せた。
「俺の血液型はB型だ、裕子はO型だ。」
田代はすべてを悟ったようだった。
「そこまでわかってんのなら、調べる必要もないだろう」
「いや、泥沼になりたくない。状況証拠さえあれば、そこから先は冷静に話せる。いま冷静な話をする自信がない、感情にまかせてしまいそうで怖い」
田代は深いため息をついた。
「最終的にはどうしたい」
田代の問いに山田は即答できなかった。
まだ自分の考えがまとまってはいなかった。
「わからないというのが正直な答えだ」
「そうだうな、理屈じゃないもんな。托卵されてたとはいえ、自分の子供として育ててきたのだからな、単身赴任までして」
と田代はしみじみといった。
托卵という言葉は適格だなと山田は思った。
カッコウのように、ほかの鳥巣に自分の卵を産み付けて育てさせる。羽化したカッコウのひな鳥はもともとあった卵を巣から落とす。
それを知らずに、親鳥は他人の子供を育てる。
馬鹿げたはなしなのかそうでもないのか理解にくるしんだ。
「俺んとこで知り合いがいるから調査してもらうけれども結構かかるぞ」
「覚悟はしている」
「弁護士はどうする」
「いい、自分で片をつける」
「わかった、さっそく手配するが、本当にいいのか」
「事実を確かめないと、前に進めないやつもいる。それが俺だから」
と山田は言って席を立った。
「きょうは、飲みたい気分か」
と田代がたずねたが、山田は首をふった。
「そうか、気が変わったら電話してくれ開けておくから」
山田はうなづくと事務所を後にした。
昨日の雨で、桜の花びらが地面に落ちて、道路の両端を桜色に染めていた。
その風景が山田には吹き溜まり寄せられた残骸のような気がして、寂しく感じた。