桜舞い散る中で
バイクのエンジンを切ってスタンドを立てると、そこにはガードレールに腰掛ける女の子がいた。
山田はヘルメットとグローブを女の子に渡して、メッセンジャーバックから受取書を渡した。
「ほんとうにすみません」
と女の子は頭を深く下げた。
「いや いいんだ。気にしなくて、それより怪我はどう」
といって山田は、女の子の足元に視線を落とした。
血は止まっているようだった。打撲もなかったようで歩けるようだった。
「でも、バイクは乗れないな、店までは俺が持っていくよ。場所はどこ?」
女の子は答えずに下を向いていた。
「気にすんな、バイクは走れないほどダメージはないよ、クラッチレバーの交換とカウルの修理くらいですむから」
女の子がほっとしたのか口を開いた。
「本当ですか、助かりました。でも自分で運転していきます、これ以上のご迷惑はかけられません」
といったが、山田は返したヘルメットとグローブを取り返すと
「いや、かえって危ないし、店の場所は」
と女の子に聞いた。女の子はやはり運転に自信がなかったのか、店の名前と住所を言った。
山田は頭の中にだいたいの場所と道順が浮かんだので、財布から5千円札を出すと女の子に手渡し
「タクシーで付いておいで」
といって、唖然としている女の子をそのままにして素早くヘルメットとグローブをつけて、エンジンをかけて走り出した。
20分ほど走ると、目的地の店の前についた。
エンジン音を聞きつけて、店の中から人が出できた。
まだ、30代の若い男だった。
「あんた、そのバイクは」
といぶかしそうに見ていた時に、丁度タクシーが止まり女の子が出できた。
女の子は、その男になにやら話をしていた。
男の顔が急に優しくなり、山田に近づいてきて頭を下げた。
「大変もご迷惑をおかけした上に、助けていただいたようで、ありがとうございます」
山田、照れながら
「大したことじゃありませんし、従業員の方もケガも軽くてよかったですね」
といった。
「ここではなんですので、店の中でお茶でもどうぞ」
と誘われたので、特にことわる理由もないので、誘われるままに店の中に入った。
狭い店の中に置かれた応接用の椅子と座ると、女の子がコーヒーをいれたカップを持ってきた。
「あの、これ」
といって、5千円札を返してきたので
「足りたの」
「はい 十分に」
と照れた笑いを見せた。
山田はそれを受け取って財布にしまった。
「バイクにはも詳しいようで」
とさっきの男が、山田の応急処置を見て言った。
「若いころに乗ってましたから」
「そうですか」
と親近感のある顔をした。
男は店のオーナーで、緒方と名乗った。
女の子は、アルバイトで中野という名前だった。
「駆動系と油圧系には問題ないんで、クラッチレバーの交換だけでいいみたいですよ」
「VTは強いんですよ、少々の転倒でもこれませんしね」
「そうですね、30年近く前の規格なのにまだ走っているし、V型のエンジンはすごいっすね」
「あの頃の時代のバイクは、レプリカが多くて、本格的なツアラー型のバイクはこいつからでしょう」
「そうですね、このあとゼビルも出ましたしね。2Stと変わんなくなって乗りやすかったですもんね」
「ええ、そうですね。あの頃は、いろんなバイクがでましたね。もっとも私が免許を取る時にはビッグ スクター全盛ですから」
バイク乗りは不思議な生き物だ、すくに打ち解けていく、自動車と違って単騎で乗るものだからかもしれない。基本的には人恋しがり屋で目立ちたがり屋だ。
「あのバイクの修理は、どうするんですか。」
と山田がたずねると緒方は
「T2というところに出します」
「T2ですか、私もよく行きますよ、あそこの大将は偏屈だから客を選ぶでしょう」
「ええ、まあ しかし、あそこの整備だからまだVTが動いています」
「そうですね、私も 初期型 bariosに乗っていますが、あそこでいつもお世話になっていますよ」
と山田と緒方は顔を見合わせて笑った。
思いもがけず楽しい時間を過ごした山田は、そろそろと思いを席を立った。
「あの、よかったら名刺を頂けませんか」
と中野という女の子が言った。
山田は名刺入れから、名刺を取り出すと中野に渡した。
「ありがとうございます、後でお礼にお伺いします」
といったが、山田は
「いいよ、それよりバイクに乗るときはタンクをしっかりと挟み込むことが大切だから、それさえすれば、のってるバイクの性能がいいから滑ってもタイヤのグリップが戻るから、ブレキーよりハンドルで操作するんだよ」
といって山田は、中野に笑いかけた。
「はい、そうします」
と中野は笑顔で返事した。
店を出た後の、山田の足取りは、朝と違って軽かった。
ふと、このまま家に帰ってみようと思った。
本当にふと帰ってみよう思った。
電車の乗り、単身赴任先のアパートに戻った。
背広から私服に着替えると、アパートの前に止めてある軽自動車に乗った。
車齢18年を超え、25万キロ以上走っている軽自動車だ。
しかし、ノントラブルだ。もっとも、デイラーのメカニックの厳しい整備のおかげだ。
なんでも、初めて25万キロ越えのを見たそうだ。
さすがに、戦時中にゼロ戦を作っていた会社の車だ。
独立懸架式(インディペンデント式)と4輪ディスクブレーキなんぞ、今の規格ではありえない。
スーパーチャージャー、4気筒だインタークーラーだとなると希少価値が出てくる。
山田は、愛着があるのかこの軽自動車に8年以上も乗り続けていた。
CVTは滑りもなく、ゆっくりと動き出した。
一般道から、高速に入り巡航速度で快調に走っていた。
夕方の渋滞に巻き込まれることなく、自宅の駐車場についた。
普段使っている普通車はなかった。
妻の裕子が通勤に使っていたので特に気にしなかった。
鍵を開けて、家に入ると、バラの匂いがした。
裕子が好きなアロマオイルの香りだ。
リビングは、整然と片づけられてあり、完璧主義の裕子らしかった。
ソファーに腰掛けると、食卓テーブルの上に見開きのハガキがあった。
何気なく手に取ってみると、献血したあとの送ってくる血液検査結果のハガキだった。
"ABO式でA"と書かれていた。
宛名を見ると、娘の梨香宛だった。
なんてことはないのに、この時だけは、妙な違和感を覚えた。
違和感は、確信に変わっていたが、それを認めたくはなかった。
そのまま、ぼーとしたままでソファーに座っていた。
あたりはすっかり日がくれてしまい、部屋は暗かった。
山田は、ソファーに寝転んで天井をじっと眺めていた。
どれくらい時間がたったのか、駐車場に車が止まる音が聞こえ玄関のドアが開いて
「あなた 帰ってきてるの」
という声がして、裕子がリビングに入ってきて、電気をつけて驚いて声をあげた
「あなた、帰ってきてたの、どうしたの電気もつけないで」
山田はうつろな目で、
「ちょっとね用事あって帰ってきてた、今日は仕事だったの」
裕子は、すこし目をそらして
「ええ、すこし残業だったの」
時計は10時を過ぎていた。
「仕事大変だね、あまり無理しないで」
と山田は他人に言うように言った。
「帰ってくるなら電話してくれればいいのに」
と裕子はいってスプリングコートを脱いだ。
「お茶入れるわね」
「うん、梨香はどうした」
キッチンに立った裕子は、ケトルに水を入れながら
「今日は友達と映画だって、遅くなるらしいわよ」
「そう」
といって、山田はリビングのテレビボートの横にある棚からアルバムを取り出して眺めだした。
「どうしたの、アルバムなんか見て、梨香の小さい頃のしかないでしょう、後はビデオばかりだし」
「ああ、わかってる」
といって、山田は食卓の椅子に座ってアルバムを眺めていた。
裕子は、山田の前にお茶を出すと
「べたついてるから、先にシャワーを浴びてくるわ」
といってバスルームに入っていった。
アルバムには、幼い梨香と山田自身が、笑顔で収まっていた。
どこにでもある家族の写真だ。
でも、今はそれさえも冷静に見ることができた。
そして、わかっのは妻の裕子が笑っている写真がないことだった。