Each-way
「行ってきます」
と元気な声が響いた。土曜日の朝なのに、ほんとならゆっくりできるのに、美香子は元気よく出でいった。
山田は、朝食の跡片付けをしながら、ゆったりとした気持ちに包まれていた。
美香子と出会ってから、3年が過ぎた。
九州に転勤してから、すぐに美香子は、自分のやりたいこと、人に優しくなれる自分らしい目標を見つけたようだった。
ある日、美香子が改まって山田に、話があると言ってきた。
「学校に行きたいです。看護士になりたいです。」
突然の話に山田は、面食らったが、
「高校に行かないと、看護士の学校には入れないよ」
といったが、美香子はいくつかのパンフレットを出してきた。
「大検だっけ、受けるの。合格率は3割くらいだよ。相当難しいし、受験科目も多いよ。それでも頑張るの」
と尋ねる山田の問いに美香子は、大きくうなづいた。
「わかったよ、頑張ればいい」
と返事した。
「お金を貸してください。後で働いて返します。」
と美香子は、頭を下げた。
山田は、すこし考えて
「わかった。予備校にいって勉強しないといけないし、お金は出してあげる。」
「一生懸命勉強します」
と美香子はほっとした顔をして、そして笑った。
それから、1年間予備校に通って、山田が見ていても体を壊すんじゃないくらいに勉強をして、高等学校卒業程度認定試験に合格した。
さらに半年勉強して、看護学校を受験して見事に合格した。
公立の看護学校は、美香子の実力では無理だったので、私立にはなったが、それでも夢に向かって邁進していた。
学校が、今住んでいるところから遠かったので、学校の近くに一軒家を借りた。
会社までは遠くなったが、快速も走るので、そんなに苦でもなかった。
美香子も3年生になって、病院での実習が多くなり、レポートやらなんやらで忙しそうだった。
いつも、山田が帰ってくると夕食時には、いろんな話をしてくれた。
山田は、生き生きとしている美香子を見るのが、楽しみだった。
山田の仕事も順調で、淡々と仕事をこなしていた。
だだ、いつもの山田だった。言うべきことは、きっちりといった。
世辞もごますりもできない山田だったが、筋を通す仕事のやり方は、この地域の気質にあっていたのか、社外での山田の評判はよかった。
今度も、本社の栄転の話があったが、やんわりと初めての転勤を拒否した。
会社人生、これが何を意味するのかは、分かっていたが、自分の足で歩き出した美香子を守るのが、自分の役目であると思っていた。
出世がしたいわけじゃなかった。
現場で毎日変化のある仕事がしたいだけだった。
デスクに座って、部下の指示と部下の仕事を精査するような役職には付きたくなかった。
いくら、金をもらっても譲れないものもある。
転勤してから、3か月くらいして、娘の梨香が訪ねてきた。
最初、美香子のことについてはある程度の事情を話していたが、なんとなくぎこちない雰囲気があったが、女子会よろしく二人で色々話しているうちに、意気投合したらしかった。
もともと、山田とは二人とも血縁のない人間もの同士、打ち解けていった。
最近では、山田に話せない相談もしているらしい。
休みが取れると、梨香もよく遊びに聞いていた。
顔つきは、もちろん違うが、美香子は美人の梨香を自慢しているようだった。
梨香は素直で料理の美味い美香子を気に入っているようだった。
兄弟というより、友達のようにしていた。
山田という接点を通してつながっているようだった。
時間という、偉大な医者が、心の傷をいやしていく。
それでも、いやせないものもある。
山田は、裕子に対して手紙を書いた。
手紙の返事は、会って話すとのことだった。
3年ぶりに裕子に会うことになった。
駅前のホテルのラウンジで待ち合わせをした。
時間前に、山田は待ち合わせの場所についたが、既に裕子が待っていた。
山田を見つけると、立ち上がって深くを頭を下げた。
山田は、裕子の目の前に座ると
「元気だった」
と優しく声をかけた。
「ええ、あなたは」
「変わりなく」
と山田は笑顔で返した。
山田は、裕子を恨んではいなかった。
裕子も十分に苦しんだろうから。
山田と離婚するときに、裕子は家からも縁を切られた。
もちろん、山田の実家も烈火のごとく怒り、山田は、それを抑えるのにも苦労した。
それでも、かつては、愛した女性だ。
山田は、裕子を悪者にはしなかった。
罪の意識から、すべてを語った裕子を裕子の両親は、殴ったが、山田はそれを身をもってがぱった。
だれしも、自分怒りを何かに変えてやり過ごそうとするが、それは間違いだと山田は知っていた。
美しかった裕子は、すっかり老けてしまっていた。
「森さんとは、どうなの」
「一緒に住んでいる」
「そう、よかった。仕事はしてる」
山田の問いに裕子は首を横に振った。
「あのさ、たぶん梨香から話は聞いてると思うけれども、今、一緒に住んでる人がいるんだ。でも、男と女の関係はないから。そいつを、手紙にも書いた通り、養子にしようと思う。親になりたいと思う」
「梨香がいってた。元気な子だって。私は何も言う権利はないと思う。」
「遺産相続とかあるから、話だけはしとこうと思っていた。それと、その子、看護士になりたいから今学校に通ってるよ」
裕子は、驚いてうつむいていた顔を上げた。
「なぜ、看護士かわかる。裕子のこと知ったからだってさ。梨香が話を聞いたって。裕子も仕事頑張ればいいよ。少なくとも裕子のことを目標にしてる子がいるんだ。」
山田は梨香から話を聞いていた。唐突になぜ看護士だったのかは、わからなかったが、山田の妻の裕子が看護士だったから、自分も看護士で山田を支えたいと思ったらしいとのことだった。
そして、それを結びつけたのは、森だった。森は,小児がんのワクチンの研究をしているらしく、それをサポートしていたのが、裕子らしかった。
何かのテレビでそれを知った美香子は、梨香に尋ねたのだ。そして、看護士を目指すことになったらしい。
その話の時に、梨香はわざと
「おとうさん、意外と若い子にもてるのね。悪いことしちゃだめよ」
とふざけていたことを思い出した。
「人には、話せないような生き方をしていた子だ。その子が何かを目指して頑張っている。俺はそれを支えたいと思っている。裕子と憎くて別れたわけじゃない。それぞれ歩く道が違っただけだ。その道を再び繋ごうとしている人に巡り合えた。」
裕子は黙って聞いていた。
出会った頃の、物静かな眼差しだった。
「あなたは、いつもそう、傷ついた人を癒す、サナトリュウムみたいな人よ。あなたはいつも人の傷に敏感なの。だから一生懸命に守ってくれる。私は、それに甘えてしまった。ごめんなさい」
裕子は、瞳を潤ませた。
「俺も、弱った心につけ入るような真似をしたんだ。裕子の笑ってほしくてさ。馬鹿だよな、裕子くらいきれいな女性が俺なんかの嫁さんになってくれるなんてな」
と山田が頭を掻いて照れると、裕子もすこし笑っていた。
「再婚しろよ、森さんと、家は関係ない。それに、梨香の本当の父親だ。」
「でも、それではあなただけが、損しているみたいよ」
「損はしていない、裕子とは別れてしまったけれども、憎んでない。梨香は血がつながらなくても娘だ。そして、もう一人娘ができる。それだけでいいよ」
山田は、エントランスホールに入ってくる人影に手を挙げた。
人影が、駆けてきた。
「裕子、こいつが、娘の美香子だ」
と山田は言った。
「初めまして、野口 美香子といいます。」
と美香子は言って、頭を下げた。
裕子も立って頭を下げた。
「私、今看護大学の3年です。裕子さんみたいな看護士になりたくて、山田さんのお世話になっています。」
「なっ、裕子も頑張らないといけないよな」
裕子は、すこしハンカチで目元を拭いて
「美香子さん、ありがとう。主人の世話をしてくれて。」
「いいえ、お世話になっているのは私の方です。すごくよくしてもらっています。感謝しきれないくらいです」
美香子はすこし緊張しているのか、かみまくっていた。
山田は
「今日は、話があるんだ」
といって、山田の横に美香子を座らせた。
「美香子さえよければ、美香子を養子にしたい。」
と切り出した。
「えっ。そんなことをきゅうに言われてもすぐには決められないよ」
「ゆっくりでいい。考えてくれ。」
「裕子さんはいいんですか、こんな私が梨香さんと姉妹だなんて」
と遠慮がちに美香子は言った。
「このひとは、決めたら絶対に譲らない人よ。いいのよ。」
裕子はさばさばした表情でいった。
「これで、梨香と姉妹。ほらお父さんに、それいなお母さんも出来たぞ」
と山田は、おどけて見せた。
それから、3人で食事をして、気を効かせた美香子は、山田達を置いてさっさつと電車で帰ってしまった。
二人は、顔を見合わせたが、町をぶらつきながら歩いて、裕子の宿泊するホテルまで帰ることにした。
道路際の屋台の元気な話声と、ショーウインドーのディスプレイを眺めながら二人は歩いた。
歩き疲れて、橋の横の公園のベンチに並んで座った。
「私たち、やり直せない」
と裕子が突然言い出した。
山田は、ベンチから立つと、橋の欄干に背中を預けて、煙草に火をつけた。
「今日は一緒にいてくれない」
と裕子はすがるように言った。
よく見れば、裕子が普段きないような、妖艶な服装だった。
女は、なにか特別な決意の時には、服装と化粧がかわる。女の戦闘服なのだ。
「まだ、再婚はしていないわ。」
山田は、だまってたばこをふかした。
「あなたを愛していたことに気づいたの」
「stop!!」
と山田は、裕子の言葉を遮った。
「俺が、みじめだ思うかい。それとも罪の意識に耐えられないからか。それもいいかもしれない。俺はきっと、裕子とやり直したら幸せになる。でも裕子は、やり直したらお前自身が幸せになるのか。どうなんだ」
「それは、わからないわ」
と裕子はいった。それ相当の決意で、ここまで来たんだ。一時の迷いではないこともわかるそれでもも山田は、裕子の気持ちを受け入れる気にはなれなかった。
「俺たちの24年てなんだったんだ。苦しいことばかりだったかい。いいや、楽しいこともあった。」
裕子は、山田を見つめていた。
「裕子も俺も、それぞの道があっていいと思う。無理して、夫婦という形にこだわる必要もない。梨香も成人して働いている。借金もない。だったら、それぞれの道を行けばいい。裕子は、好きだから森さんのことを本当に好きだったから、梨香を生む決心をしたんだろう。その結末が今現在の状況だったとしても。俺は、むしろその決断を尊敬する。あの頃の俺だったら、生めとは言えなかったと思う。そうしたら、俺たち、夫婦はとっくに別れてしまっていただろう。でも、24年も夫婦でいられた。俺はいまされに感謝している。だから、やり直しなんてない。新しい道を探せばいい。」
裕子は、黙って頷いた。
良心の呵責に耐えられなかったんだと山田は思った。
「あなたは、やっぱり強いのね。誰にも媚びない。独りで何とかしてしまう。ほんとは、寂しがり屋で、甘えん坊なのにね」
「ああ、この世で、俺のことを一番わかっているのは、裕子だけだから。・・・・もう幸せになっていいよ。本当に好きな人と、心の底から笑顔を見せれる人との傍にいればいい。それが、俺の願い。」
「わかった。変なこと言ってごめんね。あなたには、いつも励まそれて、背中を押されてばかりね」
「それが、元旦那の役目。わかった!」
裕子は、頷いた。
裕子をホテルまで送り届けて、エントランスの前で裕子が
「仕事に戻るわ。あの人の研究を手伝う。それが私の生き方だから」
「がんばれ、俺たちに残っているのは、イチャイチャすることじゃない。相手を支えていきれるかだ。」
「うん。頑張るから、美香子ちゃんにも伝えて、研修にはうちの病院においでで」
「ああ、伝えておく」
帰ろうとする、山田の後ろに裕子が声をかけた。
「ちょっと待って」
と小走りに山田のかけてきて、山田の前に立った。
「頭になんかついてるから、しゃがんで」
と言ってきたので、しゃがむと、唇に暖かいものがさっと触れた。
裕子が、短くキスをしたのだ。
びっくりした山田を残して、裕子はホテルへ向かって歩き出した。
「恋人のキスよ」
と裕子は手を振っていた。
山田は照れて、後ろ手に手を振った。
それぞれの道を、それぞれが歩き始めた。
完結しました。後で、エピローグを投稿します。




