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sandglassto (何度でも繰り返す時間)  作者: 池端 竜之介
10/17

対峙

 金曜日、会社が終わってから自宅へと車を走らせた。

 4時間の運転時間の中、山田は裕子とどう話せばよいか、考えあぐねていた。

 いつもは、リミッターカットまで速度を上げた走りをするのに、今日に限って、前を走るトラックを抜くこともなく、80km/hで走り続けけた。

 いつもより、時間がかかったが、11時を過ぎてから自宅に着いた。

 山田が帰ってくるのが分かっていたのか、玄関アプローチの電灯が付いていた。

 駐車場には裕子が乗っているステーションワゴンが止まっていた。

 リビングの電気は付いていた。

 山田は、駐車場に車を止めると、玄関まで歩き出したが、その道のりが異常に遠く感じられて玄関の前で足を止めた。


 あと、数歩なのに進めなかった。

 玄関のドアを開けるのが、怖かった。

 暫くその儀に立ちつくしていると、玄関のドアが開いて、裕子が顔をだした。


「あなた、どうしたの」


 と声をかけ来たので


「たばこを吸っていた」


 とごまかした。裕子は怪訝な顔をして


「中に入ったら」


 と言われたので、言われた通り家の中に入った。


「なにか飲む、コーヒー入れようか」


「ああ、たのむ」


 と山田が返事をすると、コーヒーメーカーに水を入れて、冷蔵庫から缶入りのコーヒー豆の粉を紙フィルターに放り込んだ。


「仕事忙しいの?」


 と裕子がいつもの口調で聞いてきたので


「いや、変わらない。すこし海外投資でもめていたけれども何とかなるだろう」


「そう、それならいいけれども。先週、なんだか疲れている様子だったし心配になって」


 という裕子の言葉と態度に嘘はないことは見て取れた。

 余計に山田は、どう話せばいいか迷っていた。


 コーヒーが入り、部屋に香ばしいコーヒーの香りが流れた。


 座ったリビングのテープルにコーヒーカップがおかれた。

 山田は、カップを口に運んだ。

 ぜったいに缶コーヒーには出せない味だ。

 コーヒーはこだわって入れているわけではないが、特別に焙煎時間を短めにして、自宅で焙煎機にかけているので味が深かった。

 それは、山田の好みだった。


「相変わらずうまいね、うちのコーヒーは」


「もう、何年入れていると思っているの」


「そうだね、20年以上は入れてもらっている」


 山田は、わざと年数を入れて返答した。


「そうね、結婚したてのころからだからそれくらいなるわよね。」


 山田はコーヒーを飲み干すと、裕子に向かって


「話があるんだ」


「どうしたの、改まって」


 と裕子はすこしうろたえたような顔で山田を見た。


「この前、アルバム見て気づいたことがあったんだ。裕子さ、あんまり笑ってなかった」


 裕子は山田の横のテーブルチェアに腰掛けて下を向いていた。


 山田はバックから書類をだして中から、数枚の写真をテーブルに置いた。


 それを見た、裕子の顔が真っ青になり手が震えていた。


「ごめんな、今まで辛かったろ、俺は裕子にこんな笑顔をさせてやれなくて」


 と山田は嫌味ではなく、本心からそう思い、頭を下げた。

 裕子は大声で泣き崩れ、フローリングの床に倒れこんだ。


 山田も椅子から降りて、震えて泣く裕子の背中に手を置いた。


「自分責めることはないよ。裕子だけが辛かった訳じゃないと思う。相手もつらかったと思う。相手も、いや梨香の本当の父親もつらかったと思うから」


 山田の言葉を聞いた裕子は顔を上げた。

 その表情には驚愕と恐れが刻まれていた。


「許して」


 と裕子が絞り出すような声で言った。


「許すも許さないもないよ、これが現実なんだろう。本当ならば、俺は怒らなればならないのにそんな気持ちが湧いてこない。不思議な感情なんだ。こっこそ、はやく気づいてあげれば、お互いにもっと別の道が歩けたかもしれないのに」


 山田は自分の言葉が何の意味も持ちないと知ってはいたが泣きじゃくる裕子をみながらそう言わなければならないと感じていた。

 ずっと、隠してきたことに対して、裕子の心の痛みがどれほどものなのか、到底理解できるはずもなかった。


 裕子は弁解も言い訳もせずに、ただ床に伏せて泣いていた。


 不意に、リビングのドアが開いて、娘の梨香が、母親の裕子の姿と山田の姿をみてパニックになっていた。


「お母さん どうしたの、なにがあったの。お父さん、お母さんに何かしたの。どうなってるの」


 と梨香は母親の傍に寄り添って、母親と父親を交互に見ていた。

 山田は、テーブルの写真をバックに投げ込むと


「梨香、すこしお母さんの様子を見ててもらえないか」


 と山田が言うと、理解できない目で


「どにいくというの、こんな状態のお母さんを残して」


 と梨香がいったが、それを遮るように裕子が、山田の足元に土下座をした。


「おかあさん、いったいどうしたの、お父さん、何か言ってよ」


 と梨香が叫んでいたが、山田はすばやくリビングを出て、玄関から外に出て車を素早く発進させた。


 10分ほど運転すると、あのマンションの前に車を止めた。

 さっきから、携帯がなっていたが無視した。

 ロビー入口で、訪問先の部屋番号を押した。

 男の声で返事があった。


「夜分、遅くすみませんが、山田と申します。すこしお話があるのですが」


「すみせんが、どちらの山田さまですか」


 夜中に突然訪問されて面食らっているのは分かっていた。山田は一呼吸置いて


「裕子の夫の山田です」


 と言うと、玄関ドアが静かに開いた。

 山田はエントランスに入り、エレべーターに乗り目的の階のボタンを押した。


 山田は目的の部屋のチャイムを押した。


 初老の品の良い男性が山田を出迎えた。

 男は、恐怖でひきつったような表情をしていた。

 男は無言のまま、山田を部屋に入れた。


「夜分遅く、本当にすみません。山田と申します」


 といって山田は名刺を差し出した。


「森 大輔さんでよろしいですよね。星野病院の内科医師の」


 と山田は切り出した、森と呼ばれた男に素直に頷いた。


「事情は、分かっております。先ほど、妻には話をしました。単刀直入にいいます。いますぐに裕子の所に行ってもらえますか」


 男はうなったが、言葉は出でこなかった。


「森さん、すべてわかっています。梨香が私の子供でないことも、確証はありませんが、森さんの娘でしょう。」


 山田の発言に森は目を伏せた。


「今の裕子には、あなたの支えが必要だ。私ではもう支えきれない。」


 森はそれでも、言葉を発しなかった。何かに耐えるように下を向いていたが、急に山田の前に土下座した


「山田さん。申し訳がない」


 といって頭を床に何度も何度もこすりつけた。


 山田は膝を折ると


「謝罪は今は、いらない。今 裕子を支えられるのはあなただけだ。」


 森は顔を上げなかった。


「こら いい加減にしろ。てめえ自分の女ひとり守れねえのか」


 と山田は森の胸倉をつかんだ。


「てめえの女がいま泣いてるんだ、どうして傍にいてやれねえ、そんな覚悟で、裕子に自分の子供産ませたのか。俺は許さないぞ。そんな覚悟で、おれの家族を壊した奴を」


「許してください。」


 と森は力なく言った。山田は胸倉から手を放して


「森さん、いま裕子は罪の意識で一杯だ。私がいればそれは倍増していつか、裕子自身を壊してしまうと思う。それに、俺の前でこんな顔を見せたことはない」


 といって、森と寄り添って歩く、笑顔の裕子の写真を森の目の前に差し出した。


「森さんのことは調べさせてもらった。あなたがアメリカに留学するまえに裕子と付き合っていたこと、おそらく梨香はあなたの娘であること。そして、あなたがこの年まで独身を通していること。」


 森は観念したようだった。


「山田さん、大変申し訳ないことをしました。」


 と森が頭を下げた


「謝罪はいいです。とにかく裕子の傍にいてあげてください。そして、梨香があなたの本当の娘ならば家族を守るのはあなたの義務です。」


 山田は、そういって森に背を向けた。


「こまごましたことは、後で話し合いましょう。今はすぐに、裕子にそばついていてください。もしそれができないようであれば、私はあなたを一生許さない。どんなことをしても償わせますよ。私の残りの人生をかけてでも」


 といって、山田は森の部屋を出て、マンションの前に止めてある車に乗り込んだ。

 携帯のイルミネーションが光っていた。

 ディスプレイには。梨香の名前が表示されていた。

 電話に出るとパニックを起こした声で


「お父さん。お母さんどうしたの泣いてばかりでよくわかんない。」


 山田は大きく息をすって吐いた。


「梨香、すこしお母さんと行き違いがあって、お母さんはパニックになっているんだ、今 お母さんが勤めている病院の先生にお願いしたから、その先生とお母さんを見てくれ、頼む」


「お父さんは帰ってこないの」


「今は帰れない。たぶんその先生は、梨香も知っている森先生だから大丈夫」


 梨香は母親の態度と父親の態度からただならぬ背景を感じとったのかそれ以上は追及しなかった。


「落ち着いたら、連絡を入れてくれ」


 といって、電話を切った。


 一台のタクシーが先ほど山田が出てきたマンションの前に止まり、それに乗り込む森の姿を確認すると

 山田は車を発進させた。

 元来た道を同じように運転して帰った。来た時とは逆にリミッターカットまで飛ばした。


 アパートには、戻らずにアパートの前の公園のブランコに腰掛けていた。

 午前5時を過ぎて、空がやや明るくなってきていた。

 悲しくはないのに、涙がとめどなく流れた。


 裕子の力にもなれない。


 娘の本当の父親でもない自分が情けなかった。


 いままで、人に弱みを見せることが嫌いだから泣いたりはしなかった。

 泣いたら負けだと思っていたのに、今は泣けて泣けて仕方なかった。


 朝のひんやりとした空気の中、山田を後ろから暖かい2本の腕が抱きしめた。


「メールも電話も通じないから、駄目だと思ったけれども来ちゃった」


 と優しい声が背後から吐息とともに山田の耳に届いた。

 山田は何も言い返せなかった。

 声の主は美香子だった。

 美香子はそのまま、山田の目の前まで来て、何も言わずに両手を広げて山田の頭を自分の胸に掻き抱いた。


「昔、付き合ってた男が言ってた。男がほんと泣けるのは女の胸の中だけだって、我慢しなくて泣いてもいいよ」


 と美香子はいったが、山田は美香子の腕をやさしく外して


「ありがとう。でもこの涙は、俺が情けない証だから、お前の胸では泣けない。」


「意地っ張りだな」


「男はそんなもの、娘と同じ年の胸の中で泣くなんてありえない」


「それでも今は、私がそうしたい、そうしてほしい」


 といって美香子は山田を抱きしめた。


 山田は、美香子の鼓動を聞きながら不思議な感覚を覚えていた。

 異性として感覚ではなく、どちらかといえば肉親、姉弟の感覚に似ていた。

 その心地よさに、山田は美香子のするままになっていた。


 朝日が、二人を照らした。


 山田には美香子の姿が神々しく見えた。


 美香子は慈しむように山田を抱きしめていた。


 

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