08.相対
「アカリ様、カエデ様がおいでになられました」
本人から返事はなく、中で待機していたらしい侍女が扉を開く。
「久しぶりね」
「お久しぶりです。お元気そうで何よりですね」
「荷物持ってきた?」
「お待ちしました」
アカリは満足そうな笑みを浮かべると、侍女達を部屋の外へと追い出した。出るのを促したのではなく、追い出したと表現をしたくなるような言葉遣いに、内心苛立ちを覚える。
そもそもろくな知り合いでもないのに、どうして彼女はここまで気安く尊大な態度を取るのか、カエデには理解出来なかった。
「出して、全部」
「これで全てです」
手に持っていた荷物を机の上に置けば、アカリはカエデに許可を得ることなくその荷物を漁りだした。
「(この子、常識ないのかな?)」
噂の真相はともかく、侍女達の愚痴に同意したくなる態度だ。
「(チヤホヤされてるから、有頂天なのかな)」
それに加えて聖女には権力もある。彼女が言えば恐らくは大抵の願いが叶えられるだろう。だからこそ、誰も注意する事が出来ないのだろう。それを証明するかのように、手伝いで運んだ書類の殆どが聖女関連の書類であった。
勿論、私も同じだ。理不尽なこの世界で、私はあまりにも無力だ。そんな中で権力者である聖女に逆らう馬鹿はいない。
「(エントヴァ様がいなければ、私はどうなっていたか分からないもの・・)」
溜息が出そうになるのを堪えて、荷物を漁るアカリを見つめる。
「(来客に席さえ勧めないなんて・・)」
「ねえ、本当にこれだけ?!」
唐突に話し掛けてきたアカリは、興奮した様子で声を荒げる。
「何か問題でもございましたか?」
「化粧道具は?殆どないじゃん!」
「元々持ち歩く事をしていませんでしたので」
「アイプチも持ってないの?!」
「使わない物ですので・・」
「最悪・・使えるのこの口紅くらいじゃん」
手に持っているのは、発色の良さからこちらでも使っている口紅3本だ。え、まさか3つとも貰うつもりなの?
「その口紅は発色が良くて、今も使っているんですよ。宜しければおひとつ差し上げましょうか?」
「え、ひとつ?」
「私も使っておりますので・・」
「・・・このピンク貰うわ」
一応遠慮というものは覚えていたらしい。それでも1番よく使っている色を持っていった。
「(お気に入りだけど仕方が無いか・・)」
「付け睫毛もないの?」
「はい、マスカラを時々つけるくらいでしたので・・」
「今は何使ってんの?」
「今はこちらの方が用意して下さったおしろいと、アイシャドーを使っております」
「・・それだけ?!」
「そうですね、他は使っておりません」
「・・・」
最初に会った時よりも、少し落ち着いた雰囲気になっている気がする。雰囲気というか、見た目だろうか。少し派手さがなくなっている。
「(遠目だったからかな、前見た時は気付かなかったな)」
「あ、このバンソーコ頂戴」
「はい、どうぞ」
コンドームを抜いていて正解だった。こんなに不躾に漁られるとは思ってもいなかった。
一通り漁って満足したのか、アカリはカエデにカバンを返す。
「もういいよ」
アカリは悪びれる様子もなく、綿棒やナプキン等の消耗品を自分のものにした。
「(使ってないから残ってるんだし良いんだけど、せめて一言事断ってからにしてくんないかな・・)」
これが日本で、本来の他人という関係で女子高生と社会人という立場であったら、ハッキリと物申せただろう。というよりもそもそも関わる事もなかった筈だ。
「じゃあね、バイバイ。」
もう用はないとばかりに興味なさげに侍女を呼ぶ。
「お呼びでしょうか」
「もういいから帰ってもらって」
「・・畏まりました。カエデ様、お見送り致します」
一瞬言い淀んだ事実が侍女の心情を表している。まさかとは思うが、彼女は誰にでもこんな態度を取っているのだろうか。
「(いえ、いくら何でもそれはないわね)」
有り得ない態度に嫌気が差しているから、どうしても優しい目で見る事が出来ない。
「本日はお忙しい中ご足労頂きまして、誠にありがとうございました」
「こちらこそ、あまりお役には立てなかったみたいで・・」
謝罪の言葉は口にしなかった。必要はないという判断でもあったし、言いたくなかった。
「(私も別に、そこまでお人好しな大人じゃないもの)」
私を巻き込まないのであれば、堕落しようが破滅しようがどうでも良い。優しさは有限なのだ。
「(それにしても、聖女だからってそこまで許されるものなのかしら。普通は権力があるからこそ、ある程度の品位が求められるもんでしょ?)」
それは元の世界の皇族、王族の行動からも伺える。彼らは多くの権利を持つ代わりに多くの義務を果たしている。
「(聖女の義務ってなんだろ)」
最初に説明された魔の浄化。それは基本的な義務だろう。しかし今のところそれが成されたという話は聞いていない。知らないだけかもしれないが、聖女が希望なのだとすれば大々的に告知するだろうから噂くらいは嫌でも耳に入るはずだ。聖女関連の愚痴を聞いているのだから、入らなければおかしい。多分。
それがされていない理由は恐らく礼儀作法がなっていないからだろう。失敗が懸念されているから未だにお披露目らしいお披露目がされていないのだろう。本人は気付いてすらいない様子だった。それが駄目だとさえ気付いていないのだろう。
ただ彼女は自分自身に素直に生活しているだけなのだ。
「(義務を果たさないままの権利の行使は長くは続かないはず、平和な時代でもない限り、ね)」
聖女の地位は砂上の楼閣だ。その地位に巨大な権力はあってもそれは単体の権力であって、土台が崩れてしまえば呆気なく終わる。代々続く王侯貴族や財閥であれば、一部が義務を果たさずとも土台が崩れる事はなく、その権力は盤石だ。
「(・・浄化は、秘密裏にされてるのかしら?)」
そもそも魔というのもイマイチ良く分からない。浄化と言うからには悪しきものであって、決して良いものではないのだろう。しかしそれに形があるのか、それとも感覚のものなのかも私はまだ知らない。
「(もしくはただの宗教的な?)」
昔は精神病の類いが悪魔憑きやら何やらと言われていた。それと同じで、聖女の力とは案外迷信的なものかもしれない。
「(異世界だしカラフルだし無意識に魔法があるとか思ってたけど、思えばそれらしい物って見たことないわよね)」
精々最初の召喚くらいだ。あれだけ見れば確かにこの世界に魔法はあるのだとは考えられる。だけどもしかしてマンガで見るようなバリエーションはないのではないだろうか。
「(だから何って感じではあるけど、何だか怪しさ万点で・・感謝はしてるんだけど、流されないように自分で考えなくちゃなのよね)」
人の親切を疑いたくはない。けれどここは国どころか世界まで違うのだし、無防備にはなれない。多分。
気楽だった元の世界が懐かしい。
「(ダメね、最近そればっかり)」
余計な事は考えたくないのに、考えなくてはならない事ばかりが増えていく。これが元の世界であれば知りたいことはインターネットで簡単に調べる事ができたし、そもそもそう深く考えなくてもある程度の自由と権利は無償で保障されていた。
「(本当に、優しい世界で暮らしてたのね)」
現状はその頃とは比べものにならない位に雁字搦めだ。表面上は自由と権利があるように見えるものの、実質はエントヴァ様の裁可次第で直ぐに消えてしまう程度のものだ。だから私はエントヴァ様に逆らえないし、逆らおうとも思えない。
「(ああ、でも、本当に厭ね。面倒だわ)」
異世界なんて、たまの妄想で思いを馳せる程度で良かった。
「(聖女が愚かである事自体は恐らくそう大きな問題ではないはずよね、マンガの見過ぎかもしれないけど、権力者が愚かであれば傀儡として官僚が歓迎するはず。あの子単純そうだし、目先の利益に飛び付きそうだから泥を被る役さえいればかなり扱い易いわよね・・)」
そう考えて嫌な予感が頭を過ぎる。
「(もしかして私、泥除けにされそう?)」
直ぐに仕事が見つからないのは立場上致し方ないと考えていたが、改めなくてはならないかもしれない。流されて我が儘な子供のお守り役となるのはごめんだ。確かに生活を保障してくれた事には感謝しているが、打算があって助けたというのなら話は別だ。そもそも原因は相手にあるのだ。
「(ああもう、面倒臭いな!!)」
考えたくない。それでも考えなくてはいつか取り返しの付かない事になりそうで怖い。
そうだ。ここは日本じゃない。面倒だからと物事と向き合わずに逃げ続ければ、自由も居場所もあっという間に無くなってしまうだろう。
「(まず何をすれば良い?情報収集は現状以上はまだ難しい。このまま少しずつ馴染んで行くしかない。それと人の顔と名前を覚えなきゃ・・苦手とか言ってらんない。こっちの人は髪とかカラフルだから何となく印象に残ってるけど、最近は慣れてきちゃったから覚え難くなったのよね)」
一部の者は書類を届ける際に名前と顔を何度も確認出来たから認識出来てはいるが、ハッキリ言って色が変わっただけで見分けが出来なくなる自信がある。
「(何だかんだでどうにかはなるだろうけど・・)」
実際に今までもそうだった。色々な土地に住んだけど、持ち前の適応力でそれ程困った事態になった事はない。環境というか文明に助けられた部分は大きいけれど、それはこの世界に来たからこそ実感できただけであって、自覚していたものではなかった。
「(ヨーロッパに1年住むって決めた時もどうにかなったし、まあ、多分大丈夫)」
ヨーロッパでは同じ日本人が手続きを手伝ってくれたりと助けてくれたが、ここでは言葉の壁もないから親しくなりさえすれば多少の助言を貰えば面倒くさがったりさえしなければ大凡は解決できる。
「(まあ、1番重要なのは私が飽きない事ね)」
元の世界では根無し草のように気ままに何処かしこへとキャリーケース1つで旅立っていた。深い関係は求めていない事もあって、旅先で過ごすのは短くて1ヶ月、長くて1年程だった。
「(今はいつか始める習い事リストに入ってた社交ダンスとか礼儀作法のお勉強だから楽しく思えてるのよね)」
恐らくそれも日常になってしまえば飽きが来る。
「(命が掛かってるとか思えば飽きずに研鑚できるかも・・でもそんなに緊張感とか続くかな・・)」
自分の性格を大まかであれ把握しているからこその考察。それに気まぐれが含まれるものだから、自分自身でも内面までも細かくコントロールする事は出来ない。勿論表面上のコントロールは完璧だ。外面だけは良いのだ。
「(問題は外面が長くは続けられないってとこね)」
今現在、完全に一人になれる場所というものは殆どない。というよりも全くないに等しい。
「(・・まさかこんな形で自分の大雑把な性格と向き合う事になるとは思わなかったな)」
小さく溜息を吐いてハタと気付く。
「(ここどの辺だろ?)」
苛ついていた上に考え事をしながら進んでいた所為で、何処かで戻る道を間違っていた事に気付かなかったらしい。そもそも城内は見慣れたとは言え、聖女のいるこちらの区画には初めて足を踏み入れたのだ。案内無しには迷っても仕方が無い。
「(来る時は迎えが来たから良かったけど、送りはないんだな。まあ、広い城内とはいえ迷うとは思わないか)」
とは言え侵入者への対抗手段として、城内は多少入り組んだ造りになっている。方向音痴のカエデが迷うのは必然だと言えた。
「(いつもは衛兵さんに聞くんだけど・・)」
残念ながら直ぐ近くにはいないらしい。
「(まあ何処かにはいるでしょ・・取りあえず、間違ったとこまで戻るべきよね)」
それは覚えているなら正しい対処ではあるが、覚えていないのであれば更に方向さえも見失う選択である。カエデは道を見失う度に、正しい道を引き返していたつもりだった。
「ヤバイ・・マジでここどこよ」
さまよい続けて小一時間。直ぐに人ともすれ違うだろうという思惑は外れ、カエデは一人彷徨っていた。
「申し訳ありません!何方かいらっしゃいませんか?」
淑女の仮面を少しばかり外して、こうして大きめの声を出して呼び掛けても反応する人はいない。あまりの静けさにいつの間にかそういう空間に入り込んでしまったのではないかと心配になる。
「ああもう、どうしよう・・」
人がいなければ、助けを求める事さえ出来ない。
こんなにまで人の気配のしない場所は初めてだった。
「使用人さえ見当たらないなんて・・」
またしばらく進むと何処からか水音が聞こえた。自然の流れの水音ではなく、バシャバシャと水浴びか洗い物をしているような音。要約人に会えるかもと、カエデは音の方へと進む。進むにつれ生臭いような酸っぱいような苦いような、兎に角悪臭という言葉がピッタリの臭いが仄かに漂う。
「ゴミ捨て場が近いのかしら・・」
近付くのを躊躇いたくなるような臭い。キツくなるようなら引き返そうと思いながらも音の方へと更に進む。進んだ先に中途半端に開かれたドアが見え、中を覗けば地下へと続く階段があった。階段を照らすのは等間隔に設置された燭台の灯りだけだ。
どうやら音も臭いもこの先にあるらしい。
「ちょっと寒いかも・・」
階段を下りる程に気温が少しずつ下がっている。もしかしたらこの先は氷室なのかもしれない。不規則な水音は人の気配を感じさせ、違和感を覚えつつもカエデは足を進めた。
辿り着いた先に見えたのは、仄暗い部屋の中で一人水浴びをする幼い子供だった。
パソコンが壊れました。
バックアップとってない私のばか!orz
新品だとずっと先になるし、秋葉行ってみようかな…