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巻き込まれただけですから!  作者: とある世界の日常を
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07.荷物

「ご予定をお伺いに参りましたの」


 ご機嫌なラピスティアとは打って変わって、私の気は重い。

 日程と時間を合わせてしまえば、胃の中に石ころを入れられたような重さを感じる。


「アカリ様からの言付けで、異世界からお持ちになったものを全てお持ちいただきたいとの事でした。問題ないでしょうか」

「持ち物?」

「ええ、その、必ず持ってきて頂きたいそうで・・」


 言い淀んでいる割に少し必死さが垣間見える。恐らくお願いではなく、強制なのだろう。何か欲しいものでもあるのだろうか。


「分かりました。必ずお持ち致します」


 こちらに来る時に持っていたカバンには大層なものは入っていない。

 元々多くのものを持ち歩かない質だからというのもあるし、そんなに大きなカバンを使っていなかったからというのもある。


「(何を入れてたか、一応確認しておかなきゃね)」


 こちらでも日常的に使っているものも幾つかある。

 リボン風になっているバレッタやハンカチに鏡、ペンとメモ帳などは持っていたもを使っている。念のためと入れていたサンプルで貰った基礎化粧品類は最初の数日で使い切ってゴミも捨ててしまった。さすがにそれは良いだろう。使う小物はポシェットに、使わないものはカバンに入れてそのまま保管している。


「(消耗品類は結構使ったと思うのよね。基礎化粧品類はこの国で使われている物をすぐ手配してくださったし、無駄に添加物とか入っていない分使い心地も気に入ってるのよね。口紅だけは発色の良さが気に入ってるから持ってきてたの使ってるけど)」


 スマホとタブレットは充電する事も出来なければ電波もないので電源を落としてカバンの中でただの板になっている。同じく充電コードも携帯充電器もカバンの中にある。財布の中にはこちらでは意味のないものばかりが入っている。


「(こっちは紙幣はないみたいだから、このタイプのお財布だとちょっと使いづらいのよね)」


 向こうでは役に立っていたものでも、こちらだと使い道のないものは案外多い。

 カバンはお気に入りのデザインではあるが、ドレスに合わせるようなものではないので今のところ使う機会はない。綺麗に赤く染められた革が気に入って買った定期入れも使い道がなくてそのままだ。


「(気に入ってたのになぁ)」


 スケジュール帳も暦がこちらとは違うので使えない。寧ろ混乱する。仕事用の名刺はそもそも肩書が変わってしまったので使えない。こっちには携帯電話もないし、住所も違う。そもそも名刺の概念もない。


「(ポシェットにはあんまり物、入れてないんだよね)」


 ポシェットには向こうから持ってきた口紅が色違いで3本。絆創膏にフリクションを含むペンが数本入っているだけだ。


「(カバンは最近全く使ってなかったからな、何入ってたかな・・)」


 基本的には入れっぱなしだった物も多かった。こちらでは使い道もないような物だったから、何を持ってきていたのかろくに確認もしていない。


「(財布とスマホ、タブレット、携帯充電器にコード、ワイヤレスイヤホン・・あ、もう一個ボールペンあった)」


 大きなカバンではないので確認はすぐ終わる。

 ただそれらは元の世界の持ち物で、確認は簡単でも、考えないようにしていた事を浮き彫りにする。

 キーケースには部屋の鍵も付いている。


「(・・鍵はともかく、通帳、置いていきたかったな)」


 通帳記入するときに楽だからと、いつもカバンの中に入れっぱなしにしていた。定期貯金もあるから残金は100万くらいはある。こちらでは全く意味をなさないものだ。


「(向こうでは行方不明扱いになってるのかなぁ・・)」


 正社員で働いている訳でも、固定の仕事をしている訳でもなかった。行方不明だとわかるまで結構な時間が掛かったかもしれない。決まっていた仕事も幾つかあったのに、無断欠勤してしまった。前日に確認の連絡が取れない事で恐らくは別の人材を探す時間はあったと思うが、人が見つかったとしても迷惑をかけた事には変わりない。


「(もう関わる事はないだろうけど・・)」


 緊急連絡先として両親の連絡先は教えてあった。場所も遠いので一度の無断欠勤で連絡は行かないかもしれないが、先の仕事の件でも連絡が取れないとなると緊急連絡先にコンタクトをとるかもしれない。そこから早めに行方不明だと判断されていれば有難いけど、どうなっているのか確認する事も出来ない。


「(行方不明で生命保険って払われるのかな・・ちゃんと見てないや)」


 行方不明ですぐ払われないのは確実だろう。見つからなければ何年か後に遺族が希望すれば一応は故人として役所に死亡届を申請する事が出来るとかだった気がする。


「(生命保険はわかんないけど、通帳あれば暗証番号は教えてたからこっちは残せたのになぁ・・。残念ながら銀行のカードも財布にあるわ・・)」


 別々に暮らしてからは随分と長い年月が経っている。両親の知らない口座も作っているし、どの口座にいくら入っていてとかいうメモも残していない。


「(行方不明者の遺産ってどんな扱いになるんだろ)」


 何かそれらを関連付ける事が出来る情報を政府が持っていたりするのだろうか。あるとすれば一時期普及を頑張っていた個人番号であるが、通帳を作るときにそれを出した記憶がない。


「(遺族も把握してない口座って、そのままずっと放置されるのかな・・)」


 こんな状況でもなければ、考えもしなかった事だ。

 どうせ結婚するつもりもなかったのだ。早めに遺書も用意していればよかった。


「(通帳4つも・・どうしよう・・)」


 郵便局の銀行だけは家族カードを作っているので家族でも使えるが、他は開設している事も知らないであろう口座だ。しかも給与は殆どそっちに振り込まれる。郵便局の銀行は殆ど引き落としメインだ。


「(や、今考えても仕方ないよね・・)」


 通帳を机の上に重ねて置いたら次に出てきたのはコンドームだ。


「(・・・そういや入れてたなぁ)」


 持ち物は全部持ってくるように言われたが、さすがにこれを持っていくのは憚られる。こちらの避妊がどうなっているのかは知らないが、あまり発達はしていない気がする。形状から用途は想像しにくいし、もし何に使うのかを聞かれたら気まずい。


「(これは除外しても良さそう・・)」


 聖女の情操教育にも悪そうだ。


「(ああ、でも今どきの子供ってませてるからこういうの普通に持ってそうだなぁ・・いや、でも普通は男が用意するよね。うん、やっぱ普通は持ってないよ。多分)」


 もしかしてこれが欲しいから全部と言ったのだろうかという考えが頭をよぎる。

 どうやら思っている以上に噂に思考が影響されているらしい。


「(でも悪いけど、これは持って行かない)」


 そんな意図がないにしても、ゴムがあるという安心感が貞操の危機を招くかもしれない。

 元々私と聖女の間には信頼関係なのないのだし、慎重である事は悪い事ではない。


「(だからと言って、これ・・どこに仕舞おう・・)」


 基本的にこの部屋には人の手が入る。枕の下はベッドメイキングの時に見つかるだろうし、元々この部屋は客室なので収納スペースも少ない。そして普段どこをどう掃除しているのかなんて知らないので、見つからない場所というのが分からないのだ。

 結局布に包んで、机の上に置いた。ちゃんとレイシーに私物を入れているから触らない様にとお願いもした。


「(あとはナプキンとタンポンが数個だけね。本当に私って荷物少ないのね)」


 化粧直しは必要が無かったから、化粧道具は殆ど持ち歩いていなかった。たまにパウダーを持ち歩くくらいだ。


「(持ち歩かないからこそ、早々にこっちのを使ったのよね)」


 歯ブラシ、ブレスケア、個包装の綿棒と細々としたものがポケットから出てくる。


「(やだな、パスポートまで入ってる)」


 向こうでの自由だった時間が、楽しかった思い出が堰を切ったように溢れ出す。


「(やだ、30過ぎて涙もろくなったなぁ・・)」


 帰りたい。自分で自分の道を選べていたあの世界に。

 

「(今まで色んな所に行ったけど、ホームシックなんかなった事なかったのに・・・)」


 そんな思いに更ける暇さえないほどに、あの世界は自由だった。


「(無くして、初めてその大切さに気付く・・か)」


 世界の大切さなんて、考えたこともなかった。失うとも考えもしなかった。自然災害が増えても規律のあるあの国は、何だかんだで大丈夫だと思っていた。テロや暴動はどこか遠い国での出来事で、便利で平和で面白いあの国でずっと暮らしていけるのだと思っていた。


「(帰りたい、な)」


 それが叶わない願いだとは分かっていた。

 この国に同等の価値観や生活レベルを求めるのも無理がある。それでも心は望んでしまう。あの国がどんなに自由で愉しい場所なのかを知っているから。


「(鼻が・・ティッシュが欲しいなぁ)」


 こう言った細かい所でも、あったものが無くなれば不便を感じてしまう。


「(泣いてた事、バレちゃうな・・)」


 鼻水と涙で重くなったハンカチが指先を冷やす。


「(多分、理由は聞かれないだろうけど・・気を遣わせちゃうかも・・ああ、もう、泣くにも気を遣わなきゃいけないなんて・・)」


 一度泣き出すと、次から次に思いが溢れて来て涙が止まらなくなる。


「(ヤバ・・気付かれちゃうよ)」


 レイシー達には部屋から出て貰っているものの、呼ばれてすぐ対応出来るように1人は部屋の前で待機している。そしてお嬢様方が声を出しても聞こえる程度にはこの部屋の防音はしっかりとはしていない。


「(音出さないように鼻噛まなきゃ・・)」


 泣いていた事を後々知られるとしても、泣いている所は見られたくない。


「(思い切り泣いて、スッキリしよう)」


 どんなに後悔してもままならないことはある。思い返す事は大事だけれど、何時までも引き摺っている訳にはいかない。それで既に出た結果が変わるわけではないからだ。そうしてクヨクヨしている位だったら、泣いてスッキリして、前を見たい。


「(お母さんごめんね、あんまり親孝行出来なくて)」


 最後は私が面倒を見る予定だったのに、もう出来なくなってしまった。姉がまだ実家に住んではいるが、母と姉は相性が悪い。妹はもう結婚しているし、何だかんだで母に甘えているので面倒を見るとなると難しいだろう。


「(せめて生命保険が支払われる事を祈るばかりね)」


 こちらで本当に死ぬかもしれないし、そもそももう帰れないのだ。死んだと扱われて困る事はない。


「(どうせなら、向こうでは存在しなかった事になってれば良いのに・・)」


 母は依存心が強かったが、お人好し過ぎるくらいに優しかった。娘が行方不明となると、心配で夜も眠れなくなるタイプだ。しかも長く引き摺るのでたちが悪い。そのストレスで認知症が発症する可能性だってない訳じゃない。


「(実家に帰りたい訳じゃないんだよね、日本には帰りたいけど)」


 日本には、したいと思えば自力で叶えられるだけの環境があった。特に東京や大阪などの都心部ではそれが顕著だった。例えば習い事がしたいと検索すれば、礼儀作法から武道、技術、勉学、遊戯と何でも迷うほどに選択肢が出て来た。

 そしてそれらを選ばずとも暇をしない程の娯楽もあった。その娯楽も多岐に渡り、飽きて次に行っても尽きないほどの種類がある。それほどまでに恵まれていたのだ。


「(欲しいと思えば、手に入る。それって当たり前だったけど、本当に凄い事だったんだよね)」


 安価で美味しい食べ物は旬を問わずにスーパーで手に入る。レンジで温めるだけの料理だって豊富にあった。夜中に小腹が空けば何時だってコンビニに買いに行けた。旅先で忘れ物があっても必要な物は必要な量で簡単に手に入れる事が出来ていた。


「(ジャンクフードが食べたい・・)」


 コンビニのオツマミも美味しくて好きだった。映画だってまだ観たいものがあった。愛読していたマンガもまだ完結していない。幾つかの店の会員カードには最近現金をチャージしたばかりだ。


「(麺類食べたい)」


 最近は減っていたけど、ユッケや馬刺し、鳥刺しにお寿司も衛生的にもこちらでは食べること自体難しいだろう。


「(元々時々しか食べなかったけど、食べられないと思うと食べたくなるわね)」


 ここでの食事が不味い訳ではない。自分自身、料理が得意ではなかったから作るものと言えば煮込みか炒めもので、大雑把に味を調えれば良いものだかりだった。忙しい時なんかは冷凍のカット野菜とウインナーを鍋に入れて炒めるだけという料理とも言えないものばかり作っていた。


「(アレに比べれば、こっちの料理の方が質は良いかも)」


 結局はない物ねだりなのだ。


「(ヨーグルトも食べたいなぁ)」


 プレーンヨーグルトに缶詰のフルーツを入れてはよく食べていた。こっちでヨーグルトは出たことがない。チーズがあるくらいだから、探せば何処かにあるのだろう。


「(今度誰かに聞いてみよう)」


 そんな事を考えていたら、漸く涙が引いたようだ。

 もう心は落ち着いていて、持ってきた物を見ていても涙で視界が歪んだりはしない。


「(あとは、服ね。レイシーが管理しているはずだから、持ってきて貰わなきゃ・・)」


 泣いても目が腫れるタイプではない事はこういう時に役に立つ。涙を拭い少し落ち着けば、先程まで泣いていた事を気付かれたりはしないだろう。

 顔にいつもの笑みを浮かべ、カエデはレイシーを室内に招き入れた。

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