02.齟齬
翌朝、エントヴァ付きの使用人が部屋まで迎えに来た。朝食のお招きだそうだ。
使用人同士で打ち合わせはされていたのだろう。スムーズに事は運ばれ、昨晩と同じ場所へと誘われた。
そこにはエントヴァの他に初老の淑女たらん女性がいた。
「おはようございます。突然の招待、申し訳ありません」
「おはようございます。お気持ちとても嬉しく思っております。お招き下さりありがとうございます」
「君に彼女を紹介したかったのです」
その言葉とともに女性が少し前に出る。
「彼女はエヴァンシュ、今後カエデに礼儀作法等を教える先生となります」
「エヴァンシュと申します」
「私はカエデと申します」
「エヴァンシュは昔、私の先生だったんですよ」
「そうなのですね、エントヴァ様にはとても良くして頂いております」
「カエデ様の事はエントヴァ様からお話を伺っておりますよ」
席を勧められて座れば、エントヴァが満足げに頷く。
「エヴァンシュ、カエデを頼む」
「エントヴァ様にご満足頂ける、立派な淑女に育て上げましょう」
「宜しくお願い致します」
食事のマナーをチェックされるかと思っていたが、特に見られている様には感じはない。
「それからカエデ、明日からは勤務時間を減らし、エヴァンシュから礼儀作法を学んでください」
「ですが・・それでは申し訳なくて・・」
「礼儀作法を学ぶ事もカエデの仕事の内ですよ」
「そうですよ、カエデ様。王城に勤めるからには、最低限の礼儀作法は身に付けておくべきです」
「カエデの所作は洗練されています。ここの作法を覚えるだけでも随分と印象が変わるでしょう」
何れ王城を出る身ではあるが、ここで礼儀作法を覚えておけば王城を出た時の仕事の幅も広がるかもしれない。
「・・分かりました。エヴァンシュ様、改めてどうぞお力添えを宜しくお願い致します」
「ええ、どうぞ私にお任せ下さい。それと私の事は先生とお呼びください」
「はい、エヴァンシュ先生」
「宜しいでしょう」
エヴァンシュはエントヴァの先生をしていただけあって、教える事に慣れていた。きっと他にも教え子は多いのだろう。
「カエデ様は物覚えが宜しゅうございますね」
「エヴァンシュ先生の教え方が良いのです」
「社交性にも問題ありませんし、明日からはランクを上げてお教えしましょう」
「宜しくお願い致します」
午前中にエヴァンシュ先生の授業を受け、午後から出勤しエントヴァの仕事を手伝うという流れだ。
国どころか、世界まで違うのだから常識に差異があるのは当たり前だ。1日、2日と経つ毎にその差異が埋まっていく。
ここでの生活は確実に今後の生き方の幅を広げてくれる。あと数日間ではあるが、2人には感謝してもしきれない恩が出来た。
「カエデの就労先を纏めるのにまだ日数が掛かります。もう暫く王城に滞在して頂けますか?」
そう言われたのは、此方に来て丁度1週間が経つ日だった。
「私は勤め先をご紹介頂いている身です。就労先が未定の間、滞在させて頂けるのはとても有難いと思っております」
「そうですか、ではまた暫くは私の仕事をお手伝い下さい」
「はい、宜しくお願い致します」
そのやり取りを見ていたエヴァンシュが、嬉しそうににっこりと笑みを浮かべた。
「そうですか、滞在が延びるのでしたら次の段階へと移りましょうか」
「次、ですか?」
「もう直ぐ聖女様のお披露目がございます。その時ダンスの一つも踊れないのであれば後見となっているエントヴァ様の恥となります」
エヴァンシュは既にカエデの扱い方を心得ていた。こういえば多少の疑問は感じつつも、此方の常識を知らないカエデは提案を受け入れる。
「もう直ぐというのは、どれ位先でございましょうか」
「一月程でしょう」
「流石に、一月も滞在が延びるとは思えないのですが・・」
「備えあれば患いなし、何事にも備えておくのが淑女というものです」
カエデもまた、最終的には納得せざる終えない理由を並べられ提案を受け入れる結果になるであろうことを理解していた。
「畏まりました。どうぞご指導ご鞭撻、宜しくお願い致します」
「カエデ様は優秀な生徒でございますから、教え甲斐がございます」
それに新しい事を覚えるのは嫌いではない。というよりも寧ろ好きな方だ。エヴァンシュが教えるのが上手いという事もあり、元の世界にいた時よりも毎日を楽しいと感じている。
それから数日経ったある日の午後、カエデはいつもの様に頼まれた書類をそれぞれの届け先へと配達していた。
「ミシェラン様、書類をお届けに参りました」
「ああ、カエデ様、いつもありがとうございます」
ほぼ毎日何かしらの書類を届けているのだが、今日のミシェランは特に疲れている様に見える。
「・・何だかとても、お疲れの様ですね」
「ええ、そうですの・・少し、お時間頂いても宜しいかしら」
「少しでしたら、いかがなさいました?」
「その・・カエデ様とアカリ様は同郷でいらっしゃいますよね?」
「ええ、そうです」
「その・・アカリ様はとても殿方に積極的でいらっしゃるのですが、あまりお勉強がお好きではない様に見受けられるのです」
相談の内容というのは、巫女として参加しなくてはならない式典の挨拶や祝詞を覚えなくてはならないのだが、未だに殆ど手を付けられていないという事だった。
「ダンスの練習も殿方が相手の時しかなさいませんし、密着しすぎだとご注意促しても全く聞き入れては下さいません・・終いには終わった後に煩いとわたくしに仰られて・・・」
途中からオブラートに包むのを忘れてしまう程に苛立っているのを感じた。
「・・アカリ様はまだお若いですし、恋がしたいお年頃というのもあるかもしれません。この世界に慣れようと思ってはいても、不安なのでしょう。だからこそ、誰かに支えて貰いたいと無意識に思っているのかもしれません」
「ですが、いくら何でも・・」
「アカリ様は元の世界ではまだ両親の庇護下にいる年頃なのです。いくら気丈に振舞われても、やはり不安な部分は多いかと思います」
「・・・」
「殿方に気を許されているのでしたら、その方と一緒にお勉強して頂いたらいかがでしょうか」
「・・それでお勉強をなさいますでしょうか?」
「アカリ様は元の世界では学生でいらっしゃいました。お勉強には慣れていらっしゃるでしょうし、机には向かわれるでしょう」
「そうですか・・リドガル様に頼んでみなくては・・」
「お勉強にはご褒美を用意すると効率的ですよ。ここまで覚えればリドガル様と一緒に庭園を散歩などの提案をされてみてはいかがでしょう」
「参考に致します」
「同郷の意見が少しでもお役に立てたのであれば幸いです」
突然この世界に呼ばれて祀り上げられ、その上受け入れる間もなく次々に状況が進められて、それがちょっと上手くいかない位で苛立たれるのはちょっと可哀想だ。
確かに彼女はこちらに来たことを喜んでいた様に見えたけど、それで全てが片付く訳じゃない。
高校生と言ったら勉強もだけど、遊びも仕事の様なものだ。それにあの世代だったらスマホが本気で手放せない年頃だろうし、娯楽の少ないこの世界はちょっと退屈でもあるんじゃないかな。
一人で勉強をさせられるよりかは、好みの男性が一緒に勉強するというシチュエーションの方が遥かに捗るだろうと思っての提案だった。
そういえばこれまでも結構城内を動き回っているけど、アカリにはまだあった事が無い。生活圏が違うのだろうか。聖女と言っていたし、一般人どころか選ばれた者しか入れない場所にいるのかもしれない。
途中でお使いを頼まれたりしながら職場に戻ると、また別の届け物を頼まれる。それを繰り返していたらあっという間に夕方になった。
「カエデ、それではまた後程」
「はい」
食事は常にエントヴァやエヴァンシュと一緒だ。最近はもうそれに慣れてしまった。マナー自体は元々そう悪いものではなかったので、ちょっと特殊な手順で食べる食材が出されたりといつもお勉強を兼ねた食事になっている。
「今日はミシェランに助言をしたそうですね」
「助言というほどのものではありません」
「ですがミシェランは感謝していましたよ。早速明日から試すそうですよ」
「上手くいくと良いのですが・・」
第一印象で恋愛体質だと判断しての意見ではあったが、今考えるとそれもまた失礼な発想である。もしかしたらホームシックに掛かっている可能性だってあるのだ。ただイケメンを宛がえばいいという安易な考えは、少なからずアカリという少女を馬鹿にした思考だとも言える。
「(私はアカリさんの事何も知らないんだもの、本当に失礼な話よね。ごめんなさい、アカリさん)」
心の中で謝りつつ、今回の対策でも変化がなかった場合の対策を考える。
カエデに何が出来るという訳ではないが、同郷と話す事によって少しはホームシックの気が紛れるかもしれない。本当は関わるつもりもなかったカエデはほんの少しだけではあるが、心境を変化させた。
その後は書類を届けに行ったりしたものの、ミシェランは不在で会う事もなく数日が過ぎた。初めはピリピリしている様に感じた空気も、日が経つにつれ落ち着いたように感じる。もしかしたらアカリさん関係で問題が解決したか緩和したのかもしれない。
「書類を届けに参りました」
「カエデ様!お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
案内された先は客室らしき部屋で、促されて座れば茶とお菓子が直ぐに用意された。
「今ミシェラン様に使いを出しておりますので、今しばらくお待ちください」
「はい」
今日は事前にエントヴァより急ぎの仕事もなく忙しくもないからと、頼まれごとやお茶の誘いは積極的に受けるように言われていた。頼まれごとはともかくお茶に誘われる事はないと思っていたが、もしかしたらエントヴァはこうなる事を知っていたのかもしれない。
「カエデ様のお陰で聖女様は精力的に課題を熟して下さいますのよ。一時はどうなる事かと思いましたが、これで一安心ですわ」
「良い気分転換にもなったのでしょう。ところで、貴方のお名前をお伺いしても?」
「あら、私ったら・・失礼致しました。私はキャシーと申しますわ」
「キャシーさんですね、ご存じかと思いますがカエデと申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ、今後ともよろしくお願い致しますわ」
キャシーは明るく人懐っこい笑顔を浮かべそのまま話しを続ける。
「アカリ様は課題に取り組むようにはなりましたけれど、何が気に入らないのか侍女に直ぐお暇を出そうとなされるのです。聖女の侍女になるくらいですから、皆様それなりに地位もあり品のある方ばかりですのに、何をお考えなのか全く分からないのです」
「・・あまりお世話をされる事に慣れていないのかもしれません。向こうの世界とは勝手が違いますから、落ち着かないのでしょう」
「それにリドガル様がいらっしゃると、直ぐに二人きりになろうとするのです!男女が二人きりになるなんてはしたない事だとお教えしても全く聞こうとして下さらないのです」
「・・向こうの世界では男女が二人きりになる事は比較的普通の事でしたから・・」
「それだけではないのですよ!淑女としての距離感等もお教えしておりますのに、直ぐに腕を組もうとなされたりと・・アカリ様の貞操観念はどうなっていらっしゃるのでしょう」
「それも・・向こうでは比較的普通の事なのです。特にアカリ様はお若いですから・・」
「若いと言ってもこちらではもう成人している年齢ですのよ!それに若いからこそ節度を持って行動しなくてはならないではありませんか」
常識の違いを受け入れるにも、それなりに年を重ねていれば仕方がないと受け入れられるかもしれないが、遊び盛りの若い子供にはかなり厳しいものがあるだろう。
「私たちの世界ではアカリ様はまだ本当に子供なのです。子供に常識を解いても理解するだけでも時間が掛かりますし、ましてやそれを受け入れるとなると大きなストレスにもなり得るのです。課題には取り組むようになったのですし、これから少しずつ受け入れる事も出来るようになるのではないですか?」
「・・・カエデ様が聖女でしたら宜しかったのに・・」
「私は聖女になり得ません」
「ですが・・ッ」
「キャシー、声が外に漏れていますよ」
「ミシェラン様!」
「カエデ様、お待たせして申し訳ございません」
「いえ、キャシーさんが話し相手になって下さいましたから」
書類の受け渡しと送り事項の確認が終わると、ミシェランは姿勢を改めてカエデに礼を述べる。
「こちらとあちらでは随分と常識というものが違うように見受けられましたので、私は思った事を口にしただけです。感謝されるようなものではございません」
「それでも、カエデ様のお言葉があったからこそ改善したのです」
「お役に立てたようで何よりです」
この仕事をしていくうちに感じたのだが、この国では成人年齢というものがとても早い。元の世界でも昔はかなり早かったが、今では大体どの国でも18か20歳が成人だった。おそらくこの国の成人年齢は14,5歳くらいだろう。理由は簡単。おそらく引退が早いか、寿命が短いのだ。城内には驚くほどにご年配の方が少ない。
子供は大人が思う以上に成長が早い。そして敏感に環境に反応するものだ。
この世界の人間にとって、アカリはかなり幼稚に感じる事だろう。
「(常識の違いによる食い違いはこれからも増えるだろうな)」
元の世界に帰れない以上、この世界の常識を受け入れるしかない。
平和で利便性の高い日本に、まだ守られる立場で住んでいた子供には酷な環境だろう。積極的に関わらないと決めたものの、少しばかり可哀相にも思えてしまう。