01.助手
翌日、眩しい朝の光で目を覚ます。
レイシーがカーテンを開けてくれたようだ。
「おはようございます。洗面の準備が整っております」
「おはようございます」
ベッドから起き上がれば、机の上に温かい湯の入った桶とタオルが用意してある。
髪をタオルでまとめて濡れないようにして顔を洗う。この世界にはちゃんと基礎化粧品もあって、化粧水と乳液で肌を整える。化粧品も昨日の内に用意してくれていたものを使い、薄く化粧を施す。
「今何時ですか?」
「朝の7時でございます」
レイシーの指示で他の使用人たちも動いているようで、使い終わった桶を別の使用人が下げ、また別の使用人が朝食の準備をしている。
「それでは本日はこちらをお召ください」
「・・ドレスですか?」
「ええ、王宮で働くのですから、ドレスは当然です」
「それにしては少し立派過ぎる気がするのですけど・・」
「いいえ、王宮ですから地味なくらいですよ」
差し出されたドレスはバッスルが大きくレースがふんだんに使われたワインレッドの華やかなドレスだ。
コルセットを締めてドレスを着れば髪を整えられる。飾りまで付けられそうになり断れば、ドレス姿でアクセサリーがない方がおかしいと結局付ける事になった。
「・・仕事する姿にしては派手だと思うのですが」
「いいえ、本来であれば王宮ではもっと着飾って頂くべきなのです」
着飾る事が嫌いな訳ではない。こういったドレスを着る機会などないのだから、寧ろ嬉しいと思えるくらいだ。しかしこの扱いを楽観的に受け入れられるほどに能天気でもない。分不相応な対応を受ける私を面白く思わない人もいるだろうが、これを用意したのは必要だからなのだろう。駄目だと思っていても断る事は出来ないのだろう。一週間だけと思えば多少は気が楽になる。
朝食を済ませ、歯磨きが終われば丁度迎えが来た。
「おはようございます。エントヴァ様」
「おはようございます。カエデ、良くお似合いですよ」
「過分なご配慮ありがとうございます」
「では行きましょう」
エントヴァの執務室は客室のある棟とは違う場所にある。道を覚えようと思っていたが、何度か角を曲がったところで良く分からなくなった。所々に衛兵が立っているのが救いだ。話し掛けても良いそうなので、道に迷ったら彼らに聞けば目的地には辿り着けるだろう。
執務室の中は落ち着いた雰囲気の内装で整えられており、重厚な机の上には書類が積まれていた。
「カエデの仕事は昨日も言った通り主に書類を届ける事です。暫くはここで待機して下さい」
「はい」
カエデをソファに座らせるとエントヴァは執務机に向かい書類を片付け始めた。パラパラと書類の束を捲りながら書類を抜き出している。先に抜き出した書類から内容を確認し、判子を押していく。それでも書類を片付ける速度は速い。速読くらいは出来るのだろう。
「カエデ、これを財務のリュシエンに届けて下さい。こちらは軍部のリドガル、こちらは侍女長のミシェランにお願いします」
「はい、これが財務のリュシエン様、これが軍部のリドガル様、これが侍女長のミシェラン様ですね。受取の確認に必要な物はありますか?」
「本人に渡ればそれで大丈夫です」
「承りました」
書類の枚数と内容を確認してメモを取る。
渡された書類を手に部屋を出て直ぐ、衛兵に声を掛ける。
「すみません。財務のリュシエン様、軍部のリドガル様、侍女長のミシェラン様でしたら、ここから一番近い場所にいらっしゃるのはどなたか分かりますか?」
「軍部のリドガル様です、暫く前に謁見の間に入られましたからあそこで待っていればもう直ぐ出てくるかと思います」
「ありがとうございます」
謁見の間か、もう直ぐと言っても不確定だな。待っていた方が良いか、それとも後回しにした方が良いかな。取りあえず5分位は待ってみよう。そう思い部屋の前に行くと、数分もしない内に扉が開けられた。
「あの方がリドガル様です」
「教えて下さりありがとうございます」
紅い髪と目、いや目は茶色か。
同じ色合いの人が召喚された時に居たな。
「リドガル様、少々宜しいでしょうか」
「む、君はアカリ様と一緒に来た・・・」
「カエデと申します。本日よりエントヴァ様の仕事を少しお手伝いさせて頂いております」
「そうか、何か用か?」
「こちらエントヴァ様よりお預かりした書類です」
「む・・」
簡単に中身を確認してリドガルは書類を受け取る。
「確かに受け取った」
「お忙しい所お引き留めして申し訳ありません」
「構わん」
後の二人も同様に兵士に場所を確認して書類を渡す。
去り際にリュシエンは別の人への書類を頼まれたが、今回はお断りした。エントヴァへの書類であれば問題ないのだが、別の人となると探すのに時間が掛かってしまう。そうするとエントヴァの元に戻る時間が遅くなる。次の仕事があるかもしれないのに、上司に確認もせずに安易に請け負う訳には行かないのだ。
「只今戻りました」
「・・早いですね」
「リドガル様が丁度謁見の間からお出になられまして」
「そうなんですね」
「あの、今回はお断りしたんですが、書類をお渡しした際にエントヴァ様宛出ない別部署への書類を届けるよう頼まれたのですが、次回からはお受けした方が宜しいでしょうか?」
「誰に頼まれたんですか?」
「リュシエン様に、東棟の研究室への書類を」
「ああ、東棟は遠いから・・」
「次に頼まれた場合はいかが致しましょう?」
「他も忙しいだろうから、なるべく受けてあげて貰えますか?」
「畏まりました」
「じゃあ次はこれを宰相のルードヴィア、これを療術院の受付、これを神官のエリアスに届けて下さい」
届ける途中でリュシエンのいた財務室の近くを通ったので、財務室へ立ち寄る。
「リュシエン様、先程の書類ですがまだございましたらお届け出来ます」
「・・態々取りに来たのか?」
「いいえ、近くに参りましたので、まだ御用があればと立ち寄ったのです。エントヴァ様に他の方も忙しいだろうからなるべく受けるよう申し付けられまして、不要でしょうか?」
「いや、助かる。それではこれを東棟の研究室へ頼む」
「どなたにお渡ししても宜しいのですか?」
「ヴァ―ドルという者に渡してくれ」
「ヴァ―ドル様ですね」
「それとこれを軍部のリドガル、こっちはエントヴァに頼む」
「これがリドガル様、こちらはエントヴァ様ですね、承りました」
メモと確認を繰り返し、たまに書類の配達を頼まれながら仕事をこなしていく。が、内心仕事している気にならない。やっている事と言えばただひたすら書類を受け取って、聞いて、歩いて、届けているだけである。仕事と言うか、お使いだな。役に立ってるならいいけど。
それにしてもこっちの人は色合いや恰好が派手だから覚えやすいな。黒髪はいないようだ。もしかしたら異世界人のみが持つ色合いというオチだろうか。メモ帳にはその人の特徴等が書き込まれ、後で思い出せる様になっている。
それにしてもここまで王宮内を移動するとは思ってもいなかった。エントヴァがドレスを用意したのも納得できた。
スーツでも問題ないようには見えるが、スーツのないこの世界では悪目立ちするだろうし、余りにも質素な服装であると王宮で高位貴族の視界に入るのは不躾だろう。
出来ればこうやって人と関わる仕事ではなく、事務仕事のようなものをしたかったが文句は言えまい。元の世界でも事務の経験は殆どなく、営業やサービス業、接客中心の仕事をしていた。そんな状態で事務をさせて欲しいなんて言えない。それに事務だと国家機密とかの可能性も無きにしも非ず、そう易々と仕事が貰えるわけがない。
まあ期間限定だから、それまで楽しく過ごさせてもらおう。
お使いもずっと仕事がある訳ではないが、エントヴァの計らいで読書をする事になった。
文字も何となく意味を理解できるので、文字を覚える良い機会だと思ってお使いを頼まれるまでは読書に励んだ。書かなくては覚えないと思い、此方の世界に来た時に持ってきた鞄に入っていた私物のノートに文章を写した。
日が暮れる頃に、今日の仕事はここまでだと告げられる。
「ご苦労様、お陰で助かりましたよ」
「簡単な仕事しかできず申し訳なく思います」
「そんな事はありませんよ」
「ありがとうございます」
「いえ。ところでカエデ、夕食をご一緒しませんか」
「夕食ですか?」
「ええ、今日一日仕事をして分からない事もあったのではないですか?」
「その都度教えて頂けていますから、大丈夫かと思います」
リラックスできるであろう夕食時にまで、新人の相手をするのは大変だろう。
カエデは社交辞令として受け取り、断るつもりでそういった。
「一緒に食事をとれば使用人の数が少なくて済みますよ」
「・・ご迷惑ではありませんか?」
「ええ勿論、時間になりましたら迎えを寄こしますね」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
部屋に戻ろうとすれば、まだ部屋の場所を覚えていないだろうからと態々送り届けてくれた。
話しの振り方も上手くて、気まずくならない程度に会話を続けられる。恐らく人の反応に敏感なのだろう。距離も付かず離れずで圧迫感がなく落ち着く位置だ。慣れない人に触れられるのは正直好きじゃないのでとても有り難かった。
部屋に戻るとエントヴァはレイシーに何か指示を出してから帰った。
「それではカエデ様、夕食までにお時間がございますから入浴に致しましょう」
「分かりました」
この至れり尽くせりは一週間だけだし、観光気分で満喫しよう。
そう思って昨日と同様のサービスを受ける。王宮の使用人なだけあって腕は確かだ。手入れまで終われば、昼間とは違うドレスに着替えさせられる。
「夕食だけですし、飾る必要はないかと思うのですが・・」
「エントヴァ様とお食事をなさるのに、整えないのは失礼に当たります」
これは遠慮する方が失礼だという事だろうか。
結局されるがままに整えられた。昼間よりも華やかじゃないか。
それから少しして迎えと一緒にエントヴァの元へと向かう。
「本日はお招き下さりありがとうございます」
「そんなに畏まらないでください。さあどうぞ、座って」
「失礼します」
エントヴァには幾人かの使用人が付いていて、人を使う事に慣れている。総務でも支持を出す立場のようだし、地位のある人なのだろう。動きも洗練されていて、一緒に食事をするのは少し緊張する。食べ方が分からないので始終エントヴァを真似しているのが、少しばかり居心地の悪さを感じる。
「・・カエデは礼儀作法を学んだ事があるのですか?」
「礼儀作法、ですか?」
「ええ、カエデはとても礼儀正しく教養がある事が伺えます」
「・・エントヴァ様をお手本にさせて頂いております。お恥ずかしい事なのですが、此方の礼儀作法には疎いものですから・・エントヴァ様にそう言って頂けると安心できます」
お城、しかも只の城ではなく王城の中を動き回るのだ。礼儀作法無くしては動けないだろう。そう思ってなるべく上品な動作を心掛けて、優雅なエントヴァの動きを取り入れ、途中見かける上品な女性方の仕草を分析したのだ。しかしこれで大丈夫かなどと聞ける訳もなく、内心大丈夫なのかなと思いながら行動していたのだが、エントヴァから話題に出してくれるとは思ってもいなかった。
「・・教育係を付けましょう」
「いえ、そこまでして頂く訳には・・」
「まだ数日は城に滞在して頂く事になりますから、必要なのです」
日本人としては本音と建て前、という事でここで譲り合いの様なやり取りが続くのだろうが、ここは日本ではないから多少遠まわしであっても遠慮し続けるのは得策ではない。それにエントヴァが必要だと断言しているのだから、ここは受けるべきなのだろう。
「・・それでは有り難くご厚意に甘えさせて頂きます」
「ええ、明日の夕方にはご紹介出来るでしょう」