愛と勇気とお姫様 その3
1
インサイドのポジションの選手が距離の離れた場所からのシュートが苦手だ――というのは、バスケットボールを少し知っている人ならば聞いたことがある話だろう。
しかし、それは誤解であるということも、多くの人が知っている。
そもそもそういうふうにいわれるようになったのは、鈍重な力強さを求められるインサイドの選手は試合中にゴールの近くに陣取ることが多く、外からのシュートを打つ機会がほとんどないためだ。
そのために練習内容も効率を考えてゴール下のシュート練習が多くなり、自然とインサイドの選手は『練習不足』でアウトサイドシュートが苦手になる。
練習不足が原因ともなれば、それはもはやポジションがどこだろうと関係なく、当然苦手といわれることになる。だからインサイドポジションの選手に限って、アウトサイドシュートが苦手というのは間違っている話だ。
だから、
もし『鈍重な力強さ』と『俊敏性』を兼ね備え、インサイドとアウトサイドの両方の練習に励み、身につけた選手がいたら――
その選手は『サイキョー』と呼ばれるのかもしれない。
∞
勇羅はゴール下に陣取り、愛羅からパスを貰うと、すぐさまロールターンを仕掛けた。
ロールターンとはドリブルの基本的な技術である。
特にロールターンドリブルが活かされる場面は、インサイドの選手に多くある。インサイドでパスを受けるときは、ほとんどがゴールとディフェンスに背中を向けているため、そこから攻めに転じる際、必ず身体を回転させなければいけないからだ。
その状況でロールターンを行うと、回転とドリブルからのドライブを一過程で行うことができ、素早い攻めに繋げられる。
とはいえ、相手は杏樹。それだけでは容易に抜けない。ロールを予測していた杏樹は一歩さがって距離をとり、勇羅のドライブにしっかりついてきた。
勇羅にとって、それは想定内である。基本ということは誰でも身につけているものであり、全国を経験している杏樹ならば、もはや当たり前すぎて驚きもしないプレーなのだ。
わかっていれば問題ない。勇羅には勝算がある。
杏樹もまた女子にしては高い背丈ではあるが、愛羅と勇羅は別格だ。ゴールに近づいてしまえば、あとは身長でゴリ押しできる。
勇羅はドリブルで侵攻する。
そうして、たどり着いたゴール下。そこで勇羅はドリブルをやめ、両手でボールをガッシリとキープ。腰を少し落としてシュートの気配を見せた。
杏樹はそれに反応し、シュートをうたせまいとして、腰が伸び上がる。
その隙を逃さず、勇羅は大きくピボットを踏み、杏樹から身体を離す。
ゴールが見えた――
勇羅は跳躍、そして、
――バコン!
直後に勇羅の手からボールが綺麗に叩き落とされた。
「へ?」
ボールは足元で大きく弾み、『懐にいた』杏樹の手元に落ちていく。
着地した勇羅に、杏樹はいった。
「ゴール下でボールは下げちゃダメ。基本だよ?」
淡々とした口調で、当然のことをいってくる杏樹に、勇羅は呆然とした。
そして、やがて我に返り、勇羅はいった。
「こいつ……うぜぇ」
だが、そんな妹ちゃんに対して、お姉ちゃんがボソッというのだ。
「勇羅、ダッサ。基本だろうが」
「だって――ちくしょう」
妹ちゃんは泣いた。
∞
熱戦。
始まる前のおちゃらけた雰囲気はどこへやら。すでにコート上の選手たちは皆が皆、一様に真剣な表情で戦っていた。
入部届のことなどもはやどうでもいい。今はただ目の前の『強敵』に打ち勝ちたい。その集中力は、本物の試合のそれと変わらない。
2対2が始まってかれこれ10分は経過している。
この10分という時間、どちらも幾度も攻防を繰り返している。
それでも、スコアは【1‐0】のまま点数(本数)の変動はない。
咲と杏樹がここまで追加点がないのは、やはり双子の規格外のサイズに手をこまねいていたからだ。高さもパワーも、あまりに圧倒的な差があった。
それでも咲と杏樹のほうが、バスケの技術面での実力は上だといえるだろう。咲と杏樹は、伊達で今日まで練習してきたわけじゃない。双子の力強いプレーに押し負けず、身長差を埋める運動量と技術で攻撃を凌いできた。
ここから咲と杏樹が追加点を決め、試合に勝利するのは時間の問題だろうと思われた。それはコート脇で見学中の璃々と玉子も感じていることだろう。
それはなぜかというと――
双子のプレーは確かに力強く、速さもある。しかし、はっきりといってしまえば、上手いとはいえない。先程の勇羅のミスだけでなく、愛羅もまた、ほぼ基本的な技術面でのミスが多く見られた。だから双子の実力は、身長の高さに物を言わせるだけで、バスケの技術は並以下の選手といわざるをえない。
バスケにはこういった選手が多くいる。それはバスケというスポーツ自体の特性が『背が高い方が有利』というものがあるために、背が高い者は何をせずとも相手を負かすことができるから、基礎練習を蔑ろにすることが多いからだ。平均身長が低い女子バスケともなると、なおさらである(もちろん、その中で地道な練習を積み上げる選手はいるし、そういった選手たちは一流と呼ばれている)。
バスケに限らず、スポーツとはその競技における技術を磨いてこそ、評価されるものなのだ。どんなに背が高くたって、バスケの技術が身についていなかったら、最終的には他の選手に劣るのは明白だ。
だから、今日まで鍛錬を積んできた咲と杏樹に負ける要素は無い。
しかし、それはここまでのプレーのみを見て、判断するならば、だ。
この場にいる誰一人として知らないだろう。
――愛羅と勇羅だって、たとえ試合に出してもらえなくとも、誰に認められなくとも、決して途中で投げ出すこと無く、今日までしっかり練習してきたことを。
ここまでの拮抗した展開、それは10分を過ぎたところで、双子が尋常じゃない汗をかきながら「「ちくしょう」」と呟いてから変化する。
「このままじゃダメだ」
「これじゃあ意味が無い」
そして、ポジションが変わった。
変化の始まりは、たったそれだけだった。
それまでは最初にボールを受け渡すのは愛羅だったのだが、勇羅が頂点に立ったのだ。つまり勇羅がアウトサイドのポジションについたということだ。
そのディフェンスについたのは咲だ。
ボールを持った勇羅は、それまでのインサイドプレーで見せていた覚束なさとは打って変わって落ち着いている。まるでアウトサイドの選手のように重心の高い構えを見せる。
この時点で違和感を覚えた咲は油断せずに、しっかりと腰を落とした。
勇羅が目線だけをトン、と左に向ける。
――フェイクだ。
咲の思う通り、やはり勇羅がすぐさま逆方向へとドリブルをつき、咲を抜きにかかる。
「おっ――?」
速い――
咲は驚愕する。フェイクを確かに読んでいたはずなのに、たった一つのドリブルで横に並ばれてしまったのだ。
それでも咲は簡単に抜かれることはない。体幹とフットワークでしっかりと追いすがる――が、
勇羅はトップスピードを一瞬にしてゼロにする急ストップ。なんという脚力とボディコントロールの上手さだろうか。
反応が遅れた咲の隙をつき、勇羅はそこからゴール下、ローポスト(※コートに描かれる台形のゴール近辺)でポジションをとった愛羅にパスを入れた。
ボールを受け取った愛羅の背後でマークにつく杏樹は、インサイドの力強いプレーに押し負けないように腰をいつも以上に低く落として構えていた。
ポストまでボールが渡ればゴールはすぐそこ。
ディフェンスにとって抜かれれば即失点。オフェンスにとって抜けば確実に得点。バスケにおける勝負どころの一つである。
愛羅がドリブルをつき、背中で杏樹を押し込んだ。
瞬間、
杏樹は戦慄する。
重い――
勇羅のときも確かに強力ではあったが、押し負けることがなかった。それなのに、相手が愛羅になった途端、重くなった。
――なにこれ!?
初めて経験する圧力。まるで大岩がのしかかってくるかのようだ。
杏樹はゴリゴリと徐々にゴール下に押し込まれていく。
しかし、ドリブルが高い。それを狙って咲が愛羅にダブルチーム(※一人に対し二人でディフェンスすること)を仕掛けようとした。当然、そうなれば勇羅がノーマークになってしまうが、咲は勇羅への警戒も怠っていない。このまま勇羅がゴール下に飛び込んでも、簡単にはパスをさせないようにポジションを調整している。
(取った!)
咲がそう思ったその瞬間――愛羅の手元にあったボールが消えた。
「これは!?」
咲はすぐさまボールの行末を目で追った――
∞
消えたボールは勇羅のもとにまっすぐと飛んでいた。
しかし、もちろんこれは消えたように見えただけで、実際にボールが急にワープをしたというわけではない。
愛羅が目にも留まらぬ早業で、パスをしたのである。
それは『スナップパス』。パスの基本である『チェストパス』の変則的なものだ。ボールが消えたように見えたのは、一切の無駄な動きをすること無く、片手の手首だけの力で、愛羅がそれを放ったからだ。
愛羅の狙いは自分にディフェンスを引きつけ、勇羅をフリーにし、そこにパスを通すことだった。単純かつ定石のプレーだが、そのパスのモーションの速さによって、極限までディフェンスを引きつけることを可能としている。
おそらくは、並大抵の選手では、反応は愚か、未だに愛羅がボールを持っていると錯覚してしまうかもしれないほどに、磨き上げられた技術だった。
自分の実力を披露し、それが通用し、相手を出し抜く瞬間ほど楽しいことはない。愛羅は疲労の中、内心でほくそ笑んでいた。
しかし、
愛羅は直後に「あ?」と不快な声を上げることになる。
完全に不意をついたはず。それなのに自分にダブルチームに来ていた咲が、ボールの行き先、勇羅の元へ恐ろしいほどの速さで向かっている。
咲が、愛羅のパスに反応したのである。
――なんだあいつ?
最初の高速のドライブに驚かされはしたものの、愛羅はここまで、咲のことなど眼中になかった。もっといえば、杏樹と戦うためのおまけ程度にしか思っていなかった。いや、今もそう思っている。
クイックネスがあることは確かだが、咲はずっと杏樹を引き立てるような、言い換えれば、杏樹に頼りっきりのプレーしか見せていないのだ。そんなもの、取るに足らない相手である。
だから今さら、愛羅が繰り出したパスに反応したところで、『偶然』としか思えない。
弱小校の選手だ。集中力にかけてよそ見をしていたら、たまたま愛羅のパスが目に入ったのかもしれない。下手くそ特有の『勘』とやらに頼ったのかもしれない。
だが、そんなもの、実力ではない。
「安城咲――だっけ?」
脚が速いのは認めてやろう。でもバスケはそれでは勝てないんだ。
本物の選手とは、練習によって形作られるもの。今日まで死に物狂いで練習してきた『サイキョー』の『私達』を、その程度で止められると思うなよ――
∞
咲はゴール付近のスペースをしっかりとカバーしていたから、そこにパスが入ったところで問題はないはずだった。目にも留まらぬクイックパスが出たところで止められると判断していた。
ところが、パスが放たれてからすぐ行動をしたものの、勇羅の姿がゴール下にないではないか。
ボールの行き先は――逆サイドだった。
ゴールに対して零度のスリーポイントライン上。そこに勇羅がいた。勇羅はここまで見せていたのはインサイドプレーばかりだったはず。それなのに、今彼女は『イン』ではなく、『アウト』にポジションを取っているのだ。
さらに咲の視線の先で、パスを受け取った勇羅がシュートモーションに入った。
今までインサイド一辺倒で、外からのシュートをうたなかった勇羅が、その場所でうとうとしているのだ。それはフェイクでもなければ、当然ふざけているわけでもない。
勇羅は間違いなく、決めようとしている。
しかも、
「レフティの『ワンハンド』っ――!?」
女子バスケットボールプレイヤーのシュートフォームは両手で放る『ツーハンド』が主流だ。それは女子の手が平均的に小さかったり、男子と筋肉量が違うせいで男子のように片手でシュートを放る力がなかったりと、人体の造り的にツーハンドが最善であるからだ。しかし、中には例外がいて、男子のそれと見劣りしない美しいワンハンドシュートを放つものもいる。
勇羅がまさに、その例外だった。
ワンハンドの利点はボールコントロールが両手よりも安定することと、打点の高さとモーションの速さにある。それをただでさえ高身長、おまけに左利きの勇羅が行うとあらば、チェックの難しさは尋常ではない。
咲がシュートチェックに手を伸ばすその先で、勇羅の左手、ワンハンドで構えられたボールが放たれる。
なんとも綺麗なフォームだろうか。シュートを放った後のフォロースルーも惚れ惚れするほど美しい。今日までどれだけの研鑽を積んだかが見えてくるようだ。
そのボールにはブレ一つない回転がかかり、美しい弧を描き、ゴールへ向かって飛んで行く。
そして――
音一つ無かった。
ネットすら僅かにしか揺れなかった。
それは最初は『エアボール』なのではないかと疑った。
しかし、杏樹がポツリと「……入った」といったため、それが見事に決まったのだとわかった。
途端、
「はい、どうてーん!」
「次、ぎゃくてーん!」
咲と杏樹が見上げるほどの場所でハイタッチを交わす双子は、『してやった』とばかりに笑みを浮かべていた。
「スリーでも1点。ルールに助けられて良かったねー?」
「私たちの優しさに感謝しろよー?」
滝のように流れる汗、乱れる呼吸。明らかに疲弊しているはずなのに、双子からは「今までのはお遊びだ」と、十分に思えるほどの余裕が見て取れた。
杏樹が困ったように眉根を下げて、咲のもとに歩み寄る。
「咲先輩」
「いやぁ、やられたわね」
「重かった」
「こっちは速かった――急にポジションを変えたからどうしたのかと思えば、そういうことか」
咲は理解した。
「もともと愛羅の方がゴリゴリのセンターで、勇羅の方はアウト気味のパワーフォワードだったのね?」
「せいかーい」「ぴんぽーん」
今まではあえて逆の『苦手なプレー』をやってきた。だが、ここからは違う。
愛情の『愛』。愛羅が『剛』のセンター。
勇気の『勇』。勇羅が『柔』のパワーフォワード。
それこそが双子の真髄であった。
咲は嘆息した。
「こりゃまた、とんでもない連中だわ」
――背丈という天賦の才。そして、地道な努力に寄って培った技術。
なるほど『サイキョー』とは、よくいったものだ。
しかし、勘違いしてはいけない。もし、これが実戦形式の5対5だったら、あんなに簡単に勇羅がスリーポイントシュートをうつことはできなかっただろう。これはあくまで2対2という戦いだから、その息のあった連携と、身長差というアドバンテージが存分に活かされているのだ。
1対1なら、速さで勝る咲が優位だろう。
2対2なら、双子。
ならば、杏樹は――
愛羅がいった。
「とはいえ、まだ安心はできない」
そして勇羅が続く、
「そうでしょ、お姫様?」
双子の視線の先にいる杏樹は、あいも変わらずポーカーフェイスで、黙々と次のプレーの準備を始めていた。
2
杏樹は一度、屈伸運動をしてから気合を入れなおす。
結構本気で困っていた。このまま行けば、双子の勝利に終わるだろう。それではいけない。璃々と玉子を助けることができなくなってしまう。
それに、
――どんな戦いだろうと、負けるのだけは、絶対に嫌だ。
だから、何とかしよう。
杏樹はとことこと咲の元へと向かうと淡々とした口調でいった。
「咲先輩、私、トップ」
「ん、どうぞ」
杏樹は咲とポジションを変わる。
このことで再びディフェンスのマークは初期のものに戻った。勇羅が杏樹、愛羅が咲をマークする形だ。しかし、その上と下が入れ替わっている。
リスタート地点で杏樹は勇羅にボールを渡す。
「無理して変なプレーしたら恥かくだけよ?」
勇羅から意地の悪い言葉とともにボールが返ってくると、杏樹は変わらぬ表情のまま『シュートモーション』に入った。ツーハンドのありふれた構えだ。スリーポイントラインから2メートル後方。ゴールからは距離がある。
杏樹はポツリと呟いた。
「変なプレーなんてしないよ。私はできることをするだけ」
直後、異変が起きた。
杏樹を眼前にとらえている勇羅は、肌身に突き刺さるプレッシャーに違和感を覚える。
妙に静かだ。この体育館には今、6人の人間しかいない。コート脇で練習していた璃々と玉子はフットワークを中断して見学をしているから、勇羅たちの動く音しか聞こえない。だからもともと静かであるといえばそうなのだが、さらに静けさを感じるというおかしな現象。
その原因は『杏樹が静かだから』だと、勇羅は感じた。
リズムが狂う。勇羅のリズムが、全て杏樹に合わせるように書き換えられてしまっているような感覚。呼吸も、視線も、心臓の鼓動すらも、全て杏樹に合わせるように動いている。
杏樹がシュートをうとうとしている。
勇羅には見えている。
杏樹のゆったりとしたシュートモーションが確かに見えている。このまま放っておいたら楽々とシュートをうたれてしまう。それなのに一歩も動けない。
そして、
杏樹が繰り出す教科書通りのツーハンドシュートを、勇羅はしっかり見ていながらも、何もせずに見送った。
放たれたシュートはパシュッと微かな白い音を立て、ゴールフープを通り抜ける。
あまりにもあっさりと、恐ろしいほど静かに、追加点。
「これで【2‐1】、リーチだね」
ニコリと微笑む杏樹を前に、誰一人として動けない。
そんな杏樹に対し、
愛羅と勇羅は二人揃って「『これ』か――」と呟いた。
∞
双子が杏樹に挑みかかった理由は、玩具(璃々)を奪われたことに腹を立てたということもあるけれど、発端をたどるならもっと昔、中学生の時、東京で開催された全中を2人で見に行ったことがきっかけだろう。
まさに、杏樹が出場していた大会である。
様々な手練が集まるその大会。その中でたった1人、杏樹だけが双子の興味を引いた。
他の多くのチームは恵まれた指導者と、恵まれたチームメイトで手を取り合って全国の舞台に立っているというのに、杏樹のいた学校はとてもとても上位に上がれるようなメンバーは揃っていなかった。誰がどう見ても杏樹のワンマンチーム。本来であれば全国大会で通用しないようなチームなのに、どうして勝ち進めるのか不思議でならなかった。
その要因は杏樹の持つ『技術』にあることだけは、愛羅と勇羅は理解していた。
杏樹が実力不足のチームメイトを手足のように動かして、全国の舞台で戦わせる。司令塔にしたって、その領域を超えている。まるで魔法のようだった。機会があるのなら、そこにどんなタネがあるのか教えて欲しいとずっと思っていた。
そんなところに天啓は舞い降りた。杏樹が同じ高校に進学して、こうして相対しているのだ。
そして今、双子が気になって止まないその『技術』が、いよいよ牙を向いたのである。
今の杏樹のプレーの正体は、当然、魔法だのなんだのといった超常的なものではない。
全ての選手が『動けなかった』のではない。その逆。杏樹は周りが『動かない』ことを知っていたのである。
「『支配力』……っていうんだっけ?」
愛羅は苦虫を噛み潰したかのように、渋い顔するとこう続ける。
「『追いつかれた状況で、安易なシュートを打つわけがない』、『ポジションを変わったばかりだから様子見をしよう』、それと『私たちのほうがお姫様より上手い』、その他諸々の心理の隙をついてきたってところかな?」
ポイントガードの選手は、誰よりもコート上の状況を察知し、選手の心理を読み、それをもとに試合をコントロールする術を持っていなければならない。
それが『支配力』と呼ばれる『技術』の正体である。
勇羅は理解が追いつかないようで、愛羅に問いかける。
「それって……どういうこと?」
「私達の性格が丸裸にされたってこと」
「……いやん」
「冗談じゃないのよ。そもそもお姫様は5対5でそれをやってるんだから、2対2のこの状況なんて、余裕でしょうよ。もしかしたらこっちの実力の『底』も、お姫様には見えてるのかもね」
そう。それは、杏樹が他者の実力をよく理解していなければできないことでもある。
杏樹はひょうひょうとしたポーカーフェイスでいうのだ。
「貴方達、考えていることがすぐに顔に出る」
足の速さ、ジャンプ力、リバウンド能力、どの程度の強さのパスを取れるか、どの距離まで手が伸びるか、性格、プレーにおける癖や好み――そういった他者の実力を、杏樹は昔から図ることが妙に上手かった。
――だから、もう杏樹にはわかっている。
「でも、あなた達は本当に上手」
嘘偽りない、純粋な賞賛。出会いは最悪の形だったけど、今はもうそんなことどうでもいい。
双子の実力を知った。その技術は今日まで死に物狂いで練習してこないと手に入れられないものだということもわかった。それは好意に値するものだ。
もう杏樹の心のなかに双子に対する恐怖も嫌悪もない。今あるはその対極の思い。
「これが終わったら、私はあなた達と同じ方向を見てバスケをしたいな」
――でも、ここで勝つのは私。
お姫様――いや、支配者である女王の言葉に、双子は息を飲むのであった。
3
杏樹が本領を発揮したはいいが、2対2という形式では、やはり双子のほうがアドバンテージがある。
コート上の情報を卑怯なまでに利用し支配する杏樹のバスケに、双子は屈することのない『身体能力』があるのだ。
得意なポジションを解禁したことにより、あとは油断をしない。外のシュートは打たせない、抜かれても追いすがる。そうすれば身長差でゴリ押しもできる。
そうして、点数が再び並んだのは五分後であった。
「ゼェ……ゼェ……これで……ハァ……同、点」
「ハァ……ハァ……これで……どっちも……ゼェ……リー、チ」
この頃になると双子はプレーが途切れる度に膝に手をつき、息絶え絶えにコートの上に立っていた。その巨体と身体能力は諸刃の剣となって、体力をガリガリと削っていくのだろう。それでもプレーの力強さは色あせることはなかった。
あと1本、どちらかがゴールを奪えば勝負が決まる。
決着も手前、双子の物静かな瞳は何を思うのか。
しかし、そこで――、
「すみませーん。見学をさせてもらいたいのですがー」
不意にそんな声――見れば、体育館の入口に数名の新入生の姿があった。
ふと、緊張感が霧散した。
「ああ、ごめんね! ちょっと待ってて!」
咲が新入生たちのもとに歩み寄り、あれこれと指示をしている。
そのインターバルがいけなかった。
「もう……ダメ……」「参り……ました……」
突如、双子たちはパタリと倒れるのであった。どうやら底をついた体力の代わりに身体を支えていた集中力が切れてしまったようだ。
なんともあっけない、幕切れである。
∞
新入生の対応を終えて戻ってきた咲は、勇羅がこぼして転がったボールを拾い上げた。
「てか、あんた達さ。最初から本来のポジションでやってれば良かったんじゃない?」
咲のいうことはもっともである。体力が全快の状況で、愛羅と勇羅が得意なプレーで臨んでいたら、もっと優位にゲームが進んだはずだ。
しかし、それをしなかったのは2人のバスケに対する信念がゆえ――
愛羅と勇羅はゴロンと仰向けになると、咲を見る。
「だって、得意なプレーばかりやってても上達しないでしょー?」
「苦手なプレーを克服しないと戦う意味が無いでしょー?」
「「それに、その上で勝ってこそ、『サイキョー』ってもんよー」」
そんな2人の姿を見て、咲は笑う。
双子の姿は惨めなものだ。
脚は痙攣し、シャツが透けるほどに汗をかき、可愛らしく編みこまれていた髪の毛は見る影もなくボサボサになっている。白い玉肌には、プレー中にいつの間にかついてしまう赤くミミズ腫れした『バスケ傷』がところどころに見て取れる。それはここまで全力で戦った証だ。
なんて面白い連中だろう。態度は間違いなく悪いのだが、バスケに対する想いは本物だ。
咲は認めた。いや、再確認した。この2人は間違いなくバスケットボール選手だ。もし、彼女たちが杏樹のいうように同じ方向を見る仲間となったら、どれだけ楽しいのだろうか。
咲は胸に湧き上がるその思いを抑えきれなくて、ますます笑う。
だから――
もっとだ。
――もっとこの『練習』を続けようじゃないか。
咲はひとしきり笑ったかと思えば、一転、厳しい眼差しを双子に向けてこういうのだ。
「立ちなさい。まだ終わってないわ」
その言葉の意味を理解できない双子は呆けて、咲の姿を見上げている。
確かに試合は終わっていない。双子自らが決めたルール、3本先取という条件をどちらも満たしていない。それでもバスケの実力で劣っているとわかった今、これ以上続ける意味があるのか。
勝敗はもう決しているではないか。
双子は負けたのだ。バスケットボールの実力とは何も技術だけをいうのではない。体力だってそれに含まれる。だからここで息を切らした双子は、完全に敗北しているのだ。
しかしそれは、この試合の目的が『勝敗』にあったらの話しだ。
名目上は『入部届の提出方法を賭けた戦い』。だが本当は違う。咲はわかっていたのだ。ガキンチョの考えなんて、最初から――
「付き合ってあげるっていってるのよ。貴方達の『練習』に最後まで――」
そして咲は声を張り上げ、こう続けた。
「さあ! 上手くなりたいなら立ちなさい! ここで音を上げるなら、あんたたちは一生、その程度。お遊びのバスケがお似合いの、あまちゃんだわ!」
咲の言葉を耳にして、双子の眉根がぴくりと跳ね上がる。
「……遊び、だって?」
「そうよ。お遊び――知ってる? バスケっていうのは、ちゃんと終りがあるの。それは最後のブザー。それが鳴る前に辞めるのはね、遊び以外にないわ――そもそも貴方たち、最後までやったことある?」
愛羅と勇羅は何も答えられなかった。
それもそうだろう。
思えば、双子は最後まで試合をやり遂げたことがない。それ以前に、ベンチ要員だったのだ。そんな彼女たちが今、初めて誰かに挑みかかり試合をしているというのに、ここで投げ出していいのだろうか。
最後のブザーがなる前に、辞めていいのだろうか。
――いいわけがないだろう。
遊びでやっているわけじゃない。今も昔も、ずっと、誰にも認められなくても、本気でやって来たのだ。
――てっぺんに、立つために。
だから双子はどちらともなく、震える脚に鞭打ちながら立ち上がる。
「雑魚のくせに偉そうなこと、いうな!」
「いわれ、なくてもっ。立つ!」
「私たちが、」「サイキョーだ!」
立ち上がった双子を見て、咲は優しく微笑む。
「そう、それでこそバスケットマンだわ」
愛羅と勇羅はバスケットマン。練習に練習を重ねて、頂点を目指して技術を磨いていく。
これからもこうして、多くの壁を乗り越えていくのだろう。これはきっと、そのスタートライン。
だから、
まずはあの日、魅了された五月女杏樹に、勝って証明してやるのだ。
――自分たちのバスケを。
ただ、愛羅と勇羅はまだ気づいていないのだろう。
今ここで立ちはだかる本当の壁は――
「さ、再開しましょうか」
咲がニコリと微笑み、そういった時、愛羅と勇羅は空気がからりと乾くようなプレッシャーを感じた。
∞
勇羅がボールをこぼして、咲がそれを拾った――つまり『カット』したということで、試合は咲と杏樹チームのオフェンスから再開された。
杏樹がトップでボールを持つと、すぐさま外に開いた咲にパスを出す。咲はボールを受けた直後にシュートモーションに入るのだが、それを愛羅が簡単には打たせない。
しかし、咲のそれはフェイク。愛羅の体勢が伸び上がった隙に、咲は愛羅を抜き去る。
咲を止めるためにカバーに入った勇羅。疲労を気合いで補い、咲の高速の進行を防ぐ。
疲労を見せていようとも、その身体的優位を存分に使うことによって咲がどんなに速くても止められる。勇羅のディフェンスの技術はたしかにハイレベルであった。
強引に侵攻をしようとする咲の背後から愛羅も挟みに行こうとする。ビッグマンのダブルチーム。これで間違いなく封殺できる。
そして二人で完全に取り囲み、確かに咲を止めた。
――止めたのだ。
それなのに、
二人が咲を止めた時には、咲のその手にボールはなかった。
「「えっ!?」」
愛羅と勇羅は共に驚愕の声を上げる。咲が何をしたのか、全く見えなかったのだ。
咲が行ったこと、それもまたパスだった。
ノーモーションのクイックパス。先程、愛羅がやったプレーのお返しとばかりの同じプレー。いや、それ以上の洗練された『技』だった。あの低い姿勢のドリブルをしながら、いったいどのタイミングでパスをしたというのか――
ボールはノーマークとなった杏樹へと渡っていた。それも、愛羅と勇羅が今から全力で走っていってもカバーできないような完璧なまでのフリースペースだ。今の速い動きの中で、針の穴を通すようなキラーパス。愛羅にも勇羅にも、杏樹ですら到底真似できない御業である。
しかし、どうしてだろうか、
「おお!? 本当に取りよった!?」
そのパスが通ったことに誰よりも驚いているのは、パスを出した咲だった。
「先輩たちのいうとおりだ」
咲は過去を思い返し、深々と頷いていた――
∞
確かあれは去年の秋ごろだったか。咲は先輩たちとこんな感じで2対2の練習をしていた。
そこで咲は今と同じパスを放ったのだが、先輩の1人がそれに反応できなくて、その顔面に直撃したのだ。
申し訳ない、ごめんなさい――と、謝る咲に、
先輩は鼻血を垂らしながらいうのだ。
(咲ちゃん、今のパスすごい! それ、しっかり練習しよう! 私たちがダメでも、いつか絶対に受け取ってくれる人がいるから! ほら、来年の特待生の子が取ってくれるわ! だからその時のためにしっかり練習するの! 私たちだって2年後ぐらいには取るから!)
(2年後って先輩たち、卒業してる……――)
あいにくと、先輩たちは最後まで取れなかったけど、
先輩たちにいわれて練習を続けてきてよかったと思う。
(さあ、咲ちゃん。遠慮しないで、バシバシ本気できなさい! 下手くそだって手を抜かれたら嫌なんだから。咲ちゃんにだって思うところがあるのかもしれないけれど、いつだって本気でやることこそが、相手に対する最大の敬意よ。でも顔は狙わないで! お願い! これでもお嫁に行きたいの!)
そして今、その言葉が蘇る。
「敬意……――ふむ……そうですね、先輩――」
咲は手のひらを見つめ、それをぐっと握り締めた。
∞
状況は動いていく。
杏樹の洞察は正しかった。咲の実力ならば、必ずここにパスをしてくれると思っていた。
「うたせない!」
シュートモーションに入る杏樹を止めるために、愛羅が全速力で駆け寄る。
しかし、間に合うはずもない。杏樹はそれが出来ない場所にポジションを取り、咲がその場所にピンポイントでパスを放ったのだから。
愛羅は手を、体を大きく伸ばす。
それでも届かない。シュートが放たれる。
「あ!?」
直後、愛羅の脚がもつれ、ストップが出来ずにそのままの勢いで杏樹に激突した。
「――っ!?」
コートの上に杏樹は叩きつけられ、更にその上から愛羅がのしかかる。
しばらくどちらとも動かなかったのだが、やがて杏樹がもぞもぞと身じろぎすると、愛羅をポイッとどかして立ち上がった。
そしてポツリと、
「シュート……外しちゃった……」
杏樹の視線はゴールに向けられていた。外れたボールを勇羅が拾っている。
そんな杏樹の横顔を眺めていた愛羅は、ぺたりとコートに座ったまま、「うぬぬぬ……」と、しばしの間葛藤と戦い、やがてペコリと頭を下げた。
「……ごめんよー」
「ん? 何が?」
しかし杏樹はコテンと首を傾げるだけだった。
「ぶつかったー。わざとじゃないよー?」
「わかってるよ?」
コートに立つと口が悪くなる杏樹ではあるが、そんなことでは怒らない。そもそも愛羅の今のプレーはシュートを止めに来た結果、足を滑らせただけ。怒る要素は何一つない。ちゃんとプレーをしているからこそ、わかってる。
いえるとしても「次は気をつけよう」ぐらいである。
「そんなことより、ほら、立って。コートの上では座ったらダメ。咲先輩に怒られる」
そんな杏樹に対し、愛羅は一瞬、ポカンと呆けるが、すぐさまふらふらと立ち上がる。そして決まりの悪そうな表情をして、
「何このイイコ……昼休みにお姫様を脅かしたことに急に罪悪感が湧いてきたよ、勇羅……」
「謝ればー?」と、勇羅から適当な声が返ってきた。お前もだよ。
そういうわけで愛羅はもう一度ペコリ、
「昼休みは、その……脅かしてごめんよー」
「ん、それは許さないよ?」
それはバスケ関係ないし。
「ぐぬぬ……」
それから杏樹はポジションへと戻る際に、こういった。
「でも、ファールは許してあげるよ。今のだけじゃなくて、これから、好きなだけやればいい」
「……はぇ? どゆこと?」
すると杏樹は何の事はないと、肩をすくめてこう続けるのだ。
「あなた達はもう、疲れて動けないからファールをしないと止められないんでしょ? ――それならやれば? 勝負にならないし」
杏樹は特に悪意があっていったわけではない。この現状を鑑みてわかった事実をそのままいっただけ。しかしそれは挑発に他ならず、愛羅の頭に血を上らせるのには充分なものだった。
「こんにゃろー。人が素直に謝ってんのに……後悔すんなよ?」
「そうしないと後悔するのはそっち。あなた達じゃ、敵わない」
「敵わない? 客観的に見ても、私たちとお姫様の実力はどっこいどっこいだと思うけど?」
「違う」
杏樹は静かに首を振る。
「私じゃなくて、咲先輩。普通にやってたら勝負にならない」
「はぁ? それだって、たった今、いい勝負してるところじゃん」
今のパスにはビビったけれど――と、愛羅は小さな声で付け加える。
しかし、それですら杏樹は首を振る。
「今のパスだけじゃないよ。気づいてないの? 最初から咲先輩はずっと手を抜いてる。でも、気にしないで。たぶん日本中を探したって、本気で勝負できる相手のほうが少ないと思う」
その瞬間、愛羅の脳裏に思い浮かぶのは、自らのスナップパスに反応した咲の後ろ姿。
アレが偶然ではなく、杏樹のいうとおりだとするならば――
「……へえ。それならなおさらやる気が出るってもんだわ」
滝のように汗を流す愛羅と勇羅。2人は思う。
「やってやろうじゃない、ねえ、勇羅?」
「ええ、了解。愛羅。ボッコボコにしてやるわ」
愛羅と勇羅は思うのだ。
――どうせこのままやってたって何も得られやしない。まだまだ『足元にも及ばない』。自分たちから喧嘩を売ったくせに、このまま何一つ成果もなく終わるなんて格好が悪すぎる。
本気じゃないというのなら、出させてみせよう。無様でも、卑怯でも、どんな手を使っても。
全ては、もっと上手くなるために――
――つづく。