愛と勇気とお姫様 その1
↓初登場↓
白井玉子 ――璃々のお友達第2号。バスケ部に入る。
1
ここは間違いなく日新学園の第3体育館――
「あれぇ?」
学校指定のジャージと体育館履きを身につけて、意気揚々と体育館にやってきた璃々は、思いっきり首を傾げた。
入学式を無事に終えてからかれこれ5日が経っていて、今日ようやくバスケ部に入部することができた璃々なのだが、それがなかなかどうして、おかしなことが起きていた。
だって、
バスケ部に部員が、いないんだもの。
∞
まず、入学式から5日という日にちが経っているにも関わらず、今日まで璃々が部活に入れなかったことに別に深い理由はない。
学校のオリエンテーションの都合である。
高校生になってからのこの数日は、割り振られた1年D組で学校内施設見学をしたり、委員会決めをしたり、健康診断をしたりと、諸手続きばかりが続く日々で、新入生たちはまだまだ部活などに参加する自由は与えられていなかったのだ。
しかし、今日からは違う。
金曜日。待ちに待った部活動解禁日! ――のはずだった。
さっきまでは、
「たまちゃん! 一緒にバスケ部行こう!」
「う、うん」
「今日から頑張ろうね!」
「あ……璃々ちゃん、待ってよぅ! 一緒に行こうっていったのに先行かないで!」
なんて、璃々はクラスで仲良くなった白井玉子という少女とともに、さっそくバスケ部に入部したはずだった。
璃々のお友達第2号となる玉子は、ボブカットの似合う大人しい少女だ。
彼女は小学生の頃からバスケをやっていたそうで、ごく自然な成り行きで、高校でもバスケ部に入るつもりでいた。
璃々は同じ志を持つ仲間をクラスに見つけて有頂天。人見知りがちだという玉子と初日から手をつないで歩くぐらい、友情を育んでいた。
これで杏樹に引き続き2人目のお友達。もう誰にもボッチだなんていわせない!
今、そんな玉子も体育館の様子に「あらぁ?」と不思議そう。
体育館のその設備は立派なものだ。視界いっぱいに広がるのは照明の白い光を跳ね返すピカピカの板張りのフロア。1歩歩く度にキュッキュッと響くバッシュ(璃々のは体育館履きだけど)の音色が心地よい。
ゴールは新品。透き通ったアクリルボード。オレンジ色に輝くリングには当然サビ一つ無い。
さすが日新学園が総力を上げてバスケ部を強化すると公言しただけはある贅沢さなのだが、驚くべきところはそこではない。
広いにしたって広すぎる。いや、物理的な広さではなく、精神的に広い。だってこの体育館、今は璃々と、玉子、そして特待生である杏樹の3人しかいないんだもの。終電後の駅のホームのような寂しさと哀愁がある。
「仕方ない」と、杏樹は淡々といった。
春休み中からすでに部活動に参加していた彼女は、バスケ部の現状について詳しく知っていた。
「転校したハッチ先輩を除くと、3年生は3人いた。でも、そのうち2人がオーバーワークで故障してたみたい。治療が長くなるから、もう夏の大会にも間に合わないし、明後日の関東大会予選は不戦敗が確定。だから3年生たちはハッチ先輩の転校に合わせて、一緒に引退した。残ってる上級生は2年生の『咲先輩』が1人だけ。部員は私と咲先輩、今来た璃々ちゃん達の4人」
「せ、せっかくこんなに綺麗な体育館なのに……部員が4人!?」
先日の練習試合で、ハッチ先輩とやらが辞めてしまうことは知っていた璃々だけれど、残りの先輩たちまで辞めてしまったことは予想外だった。
もともと少人数の部活であることは知っていたが、これでは試合にも出られないではないか。
バスケ部は強化されるという話はどこへ行ってしまったの? まさか、噂に聞く『日新学園の女バスは少人数』というふざけた伝統とは、呪い的な何かが関わっているのかもしれない。
――お祓いしなきゃ!
でも璃々はお祓いの方法がわからなくて、ぐすんと鼻を鳴らすのである。
そんなところに、
「やっほー! 新入部員諸君!」
やってきたのは2年生の安城咲である。パーマをかけた栗色の髪に、猫のようなつり目が印象的な少女だ。杏樹より背がちょっと低いけど、璃々からすると大きい。その口調や雰囲気からどこか頼りがいがあって、取っ付き易いタイプの先輩だった。
璃々は入部届を出すときに、咲とはすでに一度顔を合わせていた。
咲は璃々と玉子に「ようこそ」と、笑顔を見せて、
「今のところは少人数だけど、しっかり練習しましょうねー」
そう言ってくれた。
しかし、
「ま、まずお祓いした方がいいです!」
そう訴えるのは璃々である。泣きべそまでかいて、結構本気でそれをいっていた。
もちろん、唐突にそんなことをいってしまう璃々の思考回路を理解できるものなど、そうそうおらず、咲が小首をかしげるのも当然のことだろう。
「お祓い?」
「日新学園は、部員が少なくなっちゃう呪いがかかってるんです! だからお祓いを――」
「ああ、それ、私も考えたことがあるわ」
あるんだ。
「でも、今のところはまだ心配しなくて平気よ」
「なんで!?」と、璃々は必死。
咲はクスクスと笑うだけだ。
「あなた、璃々だっけ?」
「……はい」ぐすん。
咲は璃々の提出した入部届とプロフィールシートを持っていた。プロフィールシートは入部届を出すときに「書いてー」と頼まれたものだ。身長体重から始まり、出身中学だったり、バスケ歴だったり、趣味だったり――その他もろもろの個人的な情報が記載されている。
咲はそれを見ると「初心者なのねー」と、ふむふむと頷いた。
「もしかして璃々は、バスケ部どころか、部活に入るのも初めて?」
「はい」
「そっかそっか」
そして咲は璃々の頭を撫でて、
「お祓いはまだしなくて平気よ。今日の今日に入部受付は始まったんだから、バスケ部に入ろうと決めてる子だって、まずは他の部活動の見学をすることだって普通にあるの。むしろ即決して部活に入るやる気満々の子のほうが珍しいわ。これはバスケ部に限った話じゃないの」
「そうなの?」
杏樹と玉子が「そうだよ」と声を揃えて返事をくれた。
璃々はホッと胸を撫で下ろす。現状だけを見て、ついうっかり早とちりしてしまった。
「まあ、1週間後もこの状態だったらヤバいけどね。その時はガチで祓おう」
咲は不吉な一言を付け加え、ニシシと笑った。
「顧問の先生が来るのもある程度人が集まる頃だってさ。だからそれまでは自主練習! そういうわけで活動開始!」
エイエイオー、と拳を上げる咲につられて、すでに気分が一新されていた璃々も「おー!」と声を上げた。
「お? ノリのいい子は大好きよっ!」
璃々は咲にギュッと抱きしめられて、ちょっとだけ照れるのだった。
ボッチだったゆえ、人とのふれあいは、慣れていないもので――
∞
金曜、土曜、日曜、と週末に璃々がやったことは、それほど大したことではない。
璃々は広い広い体育館で、ひたすら咲と杏樹と玉子らと共に練習に励んだのだ。
公園の芝生の上を走るのと違って、コートの上だとキュッキュッと『体育館履き』の摩擦音が鳴るのが楽しい。グリップ力も倍増だ。いつもより足が速くなった気分になって、それが嬉しいものだから、アチラコチラを走り回っているとあっという間にへばってしまったりもした。
あと、
「璃々、バッシュはまだ持ってないの?」と、咲に聞かれた。
「半年待ってください」
「半年?」
「月々のお小遣いが2000円だから、16200円まであと半年なのです」
ああ、バッシュって高いものねぇ、と咲はしみじみといっていた。
でも最近の体育館履き(税込み2000円)だってバカにできない。ちゃんとした有名ドコロのメーカー製であり、クッション性はバッシュほどではないけどグリップ力はあるのだ。それでも定期的に躓いて転がるのは璃々の仕様である。
「あと、シャツとバスパンも用意なさい。無いなら私のお古をあげるから。体育着って、授業でも使うから油断するとすぐカビるわ」
そういってくれた咲の体育着は、きっとカビているのだろう。ごま塩のようなポツポツがいっぱい浮き出ているのだ。
ちゃんとお洗濯すればいいのに――って璃々は思うけれど、あえて黙した。
そういうわけで、日曜日に約束通り咲からバスケウェアの数セットを貰った。
カビてない。ただサイズがちょっとだけ大きい。
咲は身長170センチ。璃々との差は10センチ。
もらったバスパンをさっそく履いてみると、ハーフパンツのはずなのに脛まで隠れた。こうなるともう『ちんちくりん』である。でもちんちくりんなのはウェアのせいではない。璃々の仕様である。
衣装も整ったところで、様々な練習に取り組んでいると、バスケットボール選手になったのだという感動がじわじわと胸の中に湧いてきて、璃々は無性に泣きたくなった。
玉子とペアを組み、パス、ドリブルと練習を続け、その後は見よう見真似で『ツーハンドシュート』をうちまくる。
でも、1本も入らなかった。そもそもまっすぐ飛ばない。
それでもめげずにボールをあっちへこっちへ放り投げていたら、
「璃々ちゃん、ふざけないで! 遊んでるなら邪魔だよ!」
唐突に杏樹に怒られた。彼女はコートの上に立つと厳しい口調になるらしい。
璃々は反射的に「ごめんなさい!」と、ぺこりと平謝り。すると杏樹はふんすと鼻を鳴らして頷くのだ。許してくれたらしい。
しかし、その後も璃々は超下手くそなシュート練習を続けるのだった。
だってふざけてるわけでもなければ、もちろん遊んでいるわけではないんだもの。ちゃんと狙ってうってるのに、どうしてかあっちこっちにボールが飛んでいってしまうのだ。
咲がいちおうアドバイスをくれた。
「まだ筋力がないから体のバランスが悪いのねぇ。運動未経験だったんだから、仕方ないことだわ。とりあえずボールの重さに慣れるために、そのまま続けなさい」
「璃々、頑張る! 試合で華麗なシュートを決めるの!」
意気込みとともに放り投げたシュートは、玉子の頭に直撃するのだった。
2
五月女杏樹という少女は、表情豊かとはいえない娘で物静かに見られることがままあるが、これでいて好奇心旺盛で、いつだって面白そうなものを探している。そして、その好奇心がいつものように迷子になる原因になっているのだが、学ぼうとしないお茶目さんでもある。
高校生になってからというもの、もっぱらのマイブームは校内探索であり、時間を見つけては1人フラフラと広い広い日新学園の敷地をさまよい歩く。
そして迷って帰れなくなり、璃々に電話して助けてもらうまでが一連の流れであった。
とはいえ、杏樹は他人に迷惑をかけることを軽んじているわけではない。璃々にはそれはもう申し訳ない気持ちでいっぱいである。
しかし、璃々は満面の笑みでこういうのだ。
「いいのよ、杏樹ちゃん。璃々、友達のためならたとえ火の中水の中、どこへでも行くわ!」
それを聞いた杏樹は思うのだ。
――嗚呼、素敵な友達ができた。
高校生になって一番嬉しかったことは、璃々と出会えたことらしい。
杏樹は知らない。そんな素敵なお友達である璃々が中学までボッチで、『お友達』というものにやたらと執着しているなんてことを。
まあ、知ったところで杏樹はこう思うことだろう。
――私と一緒だ。
そう、杏樹もまたボッチだったのである。
嫌われていたわけではないけれど、敬遠されていた。その理由をはっきりいってしまうと、杏樹の本性が『超キツい』性格だからである。
普段は物静かだが、部活動となったらそれが豹変する。
それはもうガンガンとキツイ言葉をチームメイトに叩きつける。
上手いとか下手とかはどうでもいい。練習をサボっている奴が許せない。声を出さない奴が許せない。不真面目な奴が許せない。だからそれを注意する。
バスケはチーム競技だから、誰か1人でも気が緩んだら上手くなれない。目指す場所は『てっぺん』なのだ。生半可な気持ちは許されない。そんな確固たる信念があったから、自分にも周囲にもとてもとても厳しかった(その結果、全国大会に出場しているのだから、彼女は間違ってはいなかったのだろう)。
そうして中学生の時は、練習中に『怒鳴り声』をまき散らしていて、チームメイトからは『鬼』と呼ばれていたそうだ。
理不尽な怒り方はしないから、チームメイトから嫌われはしていなかったものの、『触らぬ神に祟りなし』といった感じで、近寄ってくる人がいなかった。
杏樹は馬鹿ではないから、皆が近寄ってこない理由をしっかり理解していた。しかし、同時に自分は間違っていないという考えもあったから、自ら歩み寄る気なんてサラサラなかった。
つまり、五月女杏樹という少女もまた、バスケにドはまりしすぎたせいで、別の角度からボッチになった『バスケ馬鹿』だったのである。
とはいえ、
そんな杏樹も高校生になって少し丸くなったようで、自身の信念を曲げないまま、他人に、物事に歩み寄るということを覚えたらしい。
その結果の好奇心。
しかし方向音痴なものだから、歩み寄っては迷ってしまい、時には誤解を受けたり、ガチで街中で迷子になったりと、苦労している――
なかなかどうして、不器用な娘である。
∞
週末が過ぎ、やってきた月曜日。
早朝。特待生クラスに登校してきた杏樹は、クラスメイトから面白い話を聞いた。
何やら2年生の校舎に『赤い髪の妖精』がいるらしい。
妖精さん……見てみたい――そう思った杏樹は、始業時間の前にさっそくそれをひと目見てみようと、2年生の校舎に向かった。
可愛い可愛い妖精さん、待っててね。今、会いに行くから――表情からはあまり察することはできないが、どうやら杏樹的はごきげんな様子だ。
しかし、杏樹には誤算があった。
2年生の校舎に行くということは、そこには2年生がうようよいるということだ(当たり前だ)。
杏樹がそれに気づいたのは愚かにも、2年生校舎の中央廊下にやってきてからだった。
基本的には人に話しかけるという行為が苦手である。それに上級生ともなると、もっと怖い。立ちすくむ杏樹に数多の視線が突き刺さる。
――来なきゃよかった。冷静に考えたら、妖精なんているわけがないじゃないか。
なんて。
登校時間ゆえに、次から次へと2年生がやってくる。コートの外ではか弱き乙女、オロオロと行き場を失った杏樹はいよいよ泣いた。
そんなところに現れたのは、
「何やってんの、杏樹?」
咲だった。モジャモジャ髪のバスケ部唯一の先輩。
その姿を見た瞬間、杏樹は飼い主を見つけた子犬のように、咲に飛びついた。
「おおう!? どした!?」
杏樹は説明した。妖精さんを見たかったのだと。
すると、咲はいう。
「ああ、神崎先生ね。うちのクラスの副担任よ」
「ええっ!?」
杏樹、驚愕。
妖精が先生をする時代になったのか。世の中には不思議なことが一杯だ――
先ほどまで感じていた恐怖を忘れ、そんなことを思う杏樹だった。
ちなみに特待生クラスへ帰るときは、咲に送ってもらった。
そんな馬鹿なことをしていた日の昼休みのことだ。
杏樹がお弁当を持って向かうは、学食に隣接する中庭。
今日は清々しい日和である。太陽がさんさんと輝いていて、風には桜の花弁とともに、青葉の香りが混ざり始めている。「こんないい天気の日には、皆でお外でご飯を食べるものだわ!」と、いったのは璃々だ。午前の授業の終わりに、そんな旨のメールが届き、杏樹はここにやってきた。
設置されたテーブルの一つを我が城のように陣取って、璃々が「杏樹ちゃーん!」といってブンブンと手を振ってくれている。玉子も一緒に待っててくれているようだ。
テーブルにたどり着き、下宿先のおばさんが用意してくれたお弁当を広げるなり、
「杏樹ちゃんのお昼は豪勢だねぇ」と、璃々が目をキラキラと輝かせていた。
何の変哲もないお弁当だし、杏樹が自分で作ったわけではないけれど、褒められると少し嬉しい。
対して璃々のお弁当は冷凍食品だけで構成されるものだった。おかずどころかご飯まで冷凍食品らしい。デザートももちろん冷凍食品。徹底した冷凍食品へのこだわりが凄い。忙しい主婦の味方である冷凍食品なのだが、これを用意するのは逆に手間が掛かりそうである。
――いや、待て。確か璃々のお家には電子レンジが4台あったはず。
なるほど。
次は玉子のお弁当の視察。
杏樹と璃々に比べて玉子のそれは端から端まで手作りの立派なお弁当だ。このお弁当こそ豪勢という言葉がふさわしい。
しかも、どうやら玉子はこのお弁当を早起きして自分で作るという。
「いつもお父さんの分を作るから、そのついでに余りを詰め込んでるんだ」
玉子は照れくさそうにいっていたが、余りものにしてはずいぶんと手が込んだものである。
女子力高い。璃々と杏樹は玉子に対してそんなことを感じ取っていたそうな。
二人の視線を玉子は恥ずかしく思ったのか、
「ご、ごめんなさい!」と、なぜか謝った。
そんな玉子はそれなりにバスケ経験が長い。
ただ、「私、そんなに上手くないの……ごめんなさい」と自信なさげにいうことがある。身長もそれほど高いというわけでもなく165センチとはいっているが、実際は璃々と大して変わらない。どうやら玉子は微妙な見栄っ張りらしい。しかし実力は芳しくなくとも、玉子は責任感の強い子で、初心者の璃々の手本になってやらないといけないし、杏樹という手練の足を引っ張るわけにはいかないという板挟みになっているものだから、ちょっとばかり自分の立場にプレッシャーを感じている様子。
「杏樹ちゃん。私、上手くなれるかな?」
「なれるよ。まだ高校生になったばかりだもの。今日もしっかり練習しよ?」
「うん。ごめんね、杏樹ちゃん」
昨日、一昨日から、こんな会話を幾度も繰り返している。
玉子は謝るけれど、杏樹はそれを心の底から問題ないことだと思っている。技術なんてこれから練習して、身につけていけばいいのだ。大事なのは姿勢だ。
そこで璃々がランランといった。
「今日は新入部員くるかな!?」
今のところバスケ部に入部が確定しているのは杏樹と咲、そして璃々と玉子の4人だけである。
週も明けたことだし、そろそろ新たな仲間たちができることだろう。
璃々はそれが楽しみで仕方がないらしい。
「璃々、早く華麗な技を試合でお披露目したいわ!」なんて。
昨日今日、バスケを始めたばかりの初心者が、すでに試合に臨む心意気のようである。素晴らしいやる気と謎の自信である。華麗な技とはなんだろうか。転がることだろうか。
プクーっと頬を膨らませる璃々を見て、杏樹は黙々と思うのである。
――璃々ちゃんは試合出る前に、まずシュート覚えないとね? わかってるかしら?
とはいえ、璃々がシュートを覚えても披露できる場所がなかったら可愛そうだ。それに今のままでは練習が捗らない。だから、杏樹も新入部員が待ち遠しい。
「交代も含めてあと最低『2人』は来てほしいね」
「2人……?」
そこで璃々は突然、浮かべていた笑顔を凍りつかせていた。
「どうしたの、璃々ちゃん?」
「いや……何かを忘れてる気がするけど、思い出しちゃいけない気がする」
なぜか冷や汗をかいている璃々を見て、杏樹と玉子は揃って不思議そうに小首を傾げるのだった。
∞
たくさんお喋りをして(杏樹は璃々の独演を聞いてるだけだったけど)楽しく過ごせたお昼休みももう終わる。
惜しい気持ちを押し殺し、杏樹は璃々と玉子と別れた。
特待生の教室は一般生徒とは別棟にあるために、少々早めに戻らないと遅刻してしまう可能性があるのだ。
大丈夫。自分のクラスへの道はもう入学式の日に璃々に案内してもらって覚えている。
昼休みを満喫する学生で騒がしい廊下を抜け、各校舎をつなぐ渡り廊下を歩く。この先は特待生のみの小さな校舎なので、ここまで来ると学生の姿は少なくなる。
そんな静かな場所で、廊下の向こう側から2つの人影がやってくることに杏樹は気づいた。
女子である。背の高い2人組だ。今までバスケに励んできた杏樹にとって大きい相手は見慣れたもので、そこには大した驚きはない。
――へー、あんなに大きい人もいるんだなー。
なんて、杏樹は考えながらトコトコ、と歩いて行く。
距離が近づくに連れ、2人組の顔立ちもはっきり見えてくる。
――おー、美人さんだー。しかもおんなじ顔だー。シャッフルしたらわからないだろうなー。
ちなみに杏樹は無口の向こうでいつもこんなことを考えている。
あの2人は、おそらくは双子なのだろう。耳にはいくつもピアスがついていて、それがちょっとだけ怖かった。我が物顔で廊下のど真ん中を歩く2人組を避けるように、杏樹は隅っこによって壁際を行く。
しかし、その怖いという感覚は、むしろ危機感だったのかもしれない。
なぜなら2人組とすれ違うその瞬間、
ドン! 壁をぶっ叩くように腕が伸びてきて、杏樹の行く手が阻まれたのだ。
「探したよー?」
「どこいってたのさー?」
突然のことに杏樹は、ノーリアクション――かと思いきや、時間差を置いてから、ビクッと驚いていた。
「へいへい、特待生さんよー?」
「ちょっと私たちとお話しないー?」
その口ぶりから、この2人は杏樹のことを知っているようだ。
杏樹は瞬時に確信していた。
――この人達は不良だ。怖い人だ。私、からまれてる。
しかし杏樹には、不良にからまれる心当りなんてない。生まれてこの方、バスケが恋人で、今日までバスケしかやってこなかったから、不良様様なんかと関わったことなど一度もない。
背後には壁、正面にはでっかい女の子。そしてそこから伸びる腕によって身動きできない。
これが噂に聞く、壁ドン。
杏樹は初めてのことに胸がドキドキするけれど、それはトキメキではなく、恐怖からくるものであることがちょっと悲しかった。
「大丈夫、痛いことはしないから」
「ちょっと耳を貸しておくれー」
双子の片割れが、ニヤニヤと笑みを浮かべてゆっくりと顔を近づけてくる。これが少女漫画の壁ドンだったら、ここでチュッとするのかもしれないけれど、杏樹はただただ顔を青ざめて、退くべもないのに、顔を背けていた。
どんどん顔が近づいてくる。ああ、いよいよ唇がすぐそこである。
女同士なのにいいの? ていうか初対面、いや問題はそれじゃなくて――
杏樹はギュッと目を瞑る。しかし、待てども待てどもソレはやってくることはなく、ふっと耳元に息が吹きかけられた。
「ひゃん!?」気がつけば、双子の片割れの顔が真横にあった。
そして、
「――――」
ポツリと、彼女は杏樹の耳に囁いた。
「んじゃ、そういうことでよろしくー」
「またねー」
杏樹が放心していると、双子はそそくさとどこかへ去っていく。話があるだけ、といっていたのは嘘ではなかったようだ。
杏樹はしばしの間、廊下の壁に寄りかかりながら双子にいわれた言葉を反芻していた。
――放課後、私達と勝負だ。
「どうしよう……」
勝負って何? 殴り合い?
考え悩んでいたら、気がつけば昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り、結局、遅刻してしまった。
∞
放課後になると、璃々は玉子を連れて体育館へ向かおうと教室を飛び出るのだが、そこで不意に足を引っ掛けられて転んでしまった。
「きゃん!?」
高校生になって日常生活における記念すべき第1号ローリングだ。
なんとも華麗な前回り受け身だろうか。ビターンと床に手をついて勢いを殺す技術は、もはや柔道の達人のそれである。
「璃々ちゃん大丈夫!?」と、駆け寄ってくれた玉子の手を借り、起き上がる。
そして璃々はその身に染み付いた経験から、背後に向けて悪態をつく。
「ちょっとあなた達! 学校に来てまで変なことしない……で……あ……」
――ああ、やっぱりいいいいいいい!
直後に璃々は頭を抱えてうずくまった。忙しい子である。
玉子が再び「大丈夫?」と声をかけてくれるが、今度は全く大丈夫ではなかった。
璃々は恐る恐る、自分の足を引っ掛けてくれた相手を足元からゆっくりと見上げていく。もしかしたら、たまたま全く無関係の誰かが偶然足を出したところに、引っかかってしまっただけかもしれないなんていう、淡い希望を抱きながら。
璃々が視線を向ける先には足が4本あった。つまり『2人組』だ。この時点でもうだめなヤツだ。
それでも冗談であってください、と神様に祈る。
ただ、残念なことに、基本的に神様は璃々の願いを聞かない方針だ。
璃々は徐々に視線を上げていき、そこにある顔をしかと見た。そこにいたのは、
「「ハロー、リリー、元気ー?」」
璃々と同じ日新学園の制服を身に纏う、忌々しき愛と勇気の正義の双子――
愛羅と勇羅。
廊下を行き交う1年生たちが、彼女たちのどでかい姿に目を丸くしたり、無駄に可憐な容姿に見惚れたり――しかし璃々だけはその中で、絶望にくれている。
やがて、ファーストインパクトから立ち直った璃々はいうのだ。
「……そうだ、転校しよう」
璃々は窓際に向かい、身を乗り出す。その先に自由の園は待っている。
「ダメよ、璃々ちゃん! 窓から飛び降りても転校できないよ! ちゃんと手続きしよ!」
玉子が必死に璃々の身体を抑えてくれるのだが、璃々は思うのだ。
――転校も止めてよ。ぐすん。
その後、
「はーなーしーてー!」
璃々は双子に両脇から抱えられ、どこかへと攫われそうになっている。
必死の抵抗を試みるが、体格も腕力も敵わないためにズルズルと引きずられていく。いつものことだ。
「やめてってば! 璃々、もう遊んでる暇ないの! 部活入ったんだから!」
「うるさいなぁ」「だから、今から行くんでしょ?」
「行くってどこに!?」
そして愛羅と勇羅が声を揃えていう。
「「第3体育館」」
そうだった。2人もバスケ部に入るんですよね、ちくしょう。
終わった。璃々の楽しいバスケライフは今日終わった。でも――でも、認めちゃいけないのだ! 璃々の自由のために!
今まではここで泣くだけに終わっていた璃々であるが、もう高校生、ちょっと大人になった璃々は一味違う。最後の最後まで抵抗する。それはさながら幕末志士がごとく奮起であった。
「そもそも! あなた達がバスケ部入ったって意味ないんだから!」
「あらあら、なんでー?」
愛羅が耳をほじくりながら、問い返してくる。その声はずいぶんと適当である。
「とーっても、うまい人いるんだから! あなた達なんてベンチ要員にもならないの!」
すると双子はケラケラと笑った。
「いやいや、リリー? 今、4人しかいないんでしょ?」
「私たちが入って6人。そんでその中に初心者が1人――」
「「果たして誰がベンチになるのかなー?」」
その答えは、残念ながら明白である。璃々の抵抗は一瞬にして鎮圧されたのだった。
うるさいうるさい! バーカバーカ!
「さあ、行こう。リリー」
愛羅がブレザーから二枚の紙を取り出した。それは『入部届』である。大人顔負けの似合わなすぎる達筆で、彼女たちの名前と要項がしっかりと記入されている。
「もともと自主練期間が終わってから入るつもりだったんだけど、気が変わったわ」
「いい機会だもの、五月女杏樹に練習に付き合ってもらおうじゃない」
――なんでそこで杏樹の名前が出てくるのだろうか。
なんだか面倒くさいことが起きる予感。
璃々はやっぱりぐすんと泣くのであった。
――つづく。