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女子だって、スラムダンクをしてみたい!  作者:
第五章 決戦のウィークエンド
32/34

勝敗



          1



 璃々は翠華を止めることができた。

 止められはしたけれど――


 審判の声が璃々の耳朶に虚しく響く。


 ――白15番! ブロッキング!


 璃々のファール。それは最良の結果とはいえなかった。

 ファールでも翠華のワンマン速攻を止めたことに、観客席から拍手が飛んでくる。あの瞬間、あのプレーはきっと、すべての人を虜にするほどの魅力があった。


 しかし、璃々はそんな賞賛など、いらなかった。


 璃々は天井を見上げたまま身動きせず、ぐすん、と鼻をすする。

 日新学園の行く手を遮る山下翠華という壁を、ここでぶち壊してやりたかった。試合から追い出してやりたかった。でも、結果は思い通りに行かなかった。

 知っていたのだ。山下翠華のスピードは咲と同等のものであると。だからいつかの練習で経験したことを活かして、いつも以上に足に力を込めて最後の一歩を踏み出した。

 そうしたら、山下翠華という『化け物』は――璃々の『1万の知識の上』を行った。

 山下翠華は、ここにきて更にそのスピードを上げたのだ――


 ――あんなに速い選手なんて、知らないよ。


「だいじょぶ?」

 と、翠華が手を差し伸べてくれる。

 璃々はその手を取って立ち上がる。そして翠華にペコリと頭を下げて、フラフラと歩き出そうとした瞬間、

 ――ブチッという何かが切れる音とともに、璃々はすてんと転がった。


「――っ!?」


 ベタンとコートに倒れるけれど、今回ばかりは泣きべそもかかず、すぐに黙々とムクリと起き上がって、足元を見る。

 体育館履きが脱げていた。その靴紐が切れ、おまけに靴底までベロンベロンに剥がれている。

 度重なるきつい練習で、その靴は傷みに傷み、いよいよ、その寿命を迎えたのだ。

 今日まで共に過ごしてきた相棒とも呼べるその靴は、最後の最後までともに戦ってくれた。もし、翠華との対決中に靴が壊れていたら、あっさりと璃々は抜き去られていたことだろう。

 この靴はギリギリまで、耐えてくれたのだ。

 だが、もし璃々がちゃんとしたバッシュを履いていたら――


 翠華がそれを拾ってくれる。


「私も、こうやってバッシュを履きつぶしてきたよ。お前より、もっとたくさんな」


 璃々は何も答えず再び立ち上がり、靴を受け取ると、背を向けた。

 璃々の背中に向けて、翠華が更にこういった。


「勘違いすんなよ? 私はお前が止めに来ることがわかっていたから、ぶつかりにいったんだ。だから、お前がちゃんとバッシュを履いてたって、今のプレーの結果は変わんなかったって断言してやるよ。どんな条件だろうと、私はお前より速く動く。そうやすやすと、1年のガキに負けてたまるか」


 翠華の『ストップ&ゴー』を璃々が読んでいたことを、翠華は更に読んでいたという。ここでムキになって5つ目のファールをして退場になるよりも、ファールをもらってセットオフェンスで堅実に逆転する。それが翠華の描いたシナリオ。彼女がタイマーを見ていたのは、それができるかをあの一瞬で計算していたのだ。

 そしてそれこそが、履きつぶしてきたバッシュの数の差――練習に費やした時間の差。


 璃々は唇を一度強く噛み締めて、答えた。


「わかってるよ」

「わかってるならいいよ」


 翠華はふん、と鼻を鳴らすと、こう続けた。


「あと、敬語使え」


 璃々はプイッとそっぽを向くと、そこで鳴り響くブザーに従って、ベンチに帰っていった。



          ∞



 日新学園の最後のタイムアウト。


「璃々っち! 私の使って!」


 聡子が名乗り上げ、そそくさとバッシュの紐を解き、それを脱ぐと、璃々に貸してくれた。聡子と璃々の足の大きさはほぼ一緒なのだ。

 璃々はいつも以上に固く紐を結ぶ。そして足を動かし、その感触を確かめた。


 初めて履いたバッシュはちょっとだけ生温かくて、とても重かった。


 不意にガシャンガシャン、と騒がしい音がした。見れば、ベンチに戻ってきた愛羅が蹴躓いて、パイプ椅子をなぎ倒し、ウォーターサーバに入った水をぶちまけたようだ。

「ゼェ……ハァ……ああ、ごめ」と、愛羅はか細い声で、後始末をしてくれている綾乃と佳奈に謝っている。

 ベンチの背後では、咲が寝そべって玉子に足のストレッチをしてもらっている。

 杏樹は黙々と水を口に含み、ジッとタイマーを睨みつけていた。

 勇羅は「ヒィ……フゥ……」と、息を上げている。誰が声をかけても反応できないようだ。


 ――璃々がもし、山下翠華をコートから追い出していれば、仲間たちの様子はもっと違っていただろう。ベンチのこの様子は、璃々のせいなんだ。


 声を上げるな。泣くな。まだ負けたわけじゃないんだ。それでも、溢れ出る涙はポロポロとユニフォームを濡らしていく。

 璃々がベンチに座るとタオルが飛んできて、バスンと顔を覆った。

 タオルの上から零奈がゴシゴシと顔を拭ってくる。


「お前は胸を張っていい。あそこでスイカちゃんが『ファールを貰う』という選択をするということは、口で言えばたやすいが、相当な賭けだったはずだ。それは翠華ちゃんが、お前に勝てないということを認めた何よりの証だよ。お前は初心者でありながら一流の選手に決して劣らなかったんだ」


 零奈は最後にポンポンと璃々の頭を撫でると、今度は全員に向けて、こう続ける。


「さて、残り58秒。勝っているとはいえ相手ボールだ。相手は24秒をフルに使って攻めてくるだろう。逆転されることは覚悟しておいた方がいい。そしてその後はプレスも仕掛けてくるだろう。それを何とか突破して、またリードを奪わないといけない――が、ここで大事なのは賢しい戦術じゃない。誰か、必要なものがわかるかな?」


 しかし誰一人として、返事ができるものはいなかった。

 璃々は他のメンバーと違って、体力はまだ十分ある。それでも、応えられなかった。

 璃々は頭のなかにあるたくさんのバスケの知識が仇となり、この状況がいかに難しいかを、仲間たちの誰よりもわかってしまっていた。机上の理論では、勝つ方法は十分に残されているのだが、仲間たちの疲弊した様子からして、もう――

 そこで突然、


 零奈が手を叩き、パンッ! と大きな音を立てた。


 反射的に少女たちの顔が上がり、視線がその小さな体に集まる。


「全員、顔を上げたな? よろしい。それじゃあ、今度はその目で前を見ろ」


 そして零奈は指さした。その先にあるものは、日新学園の応援席である。

 少女たちは、疲労困憊のなか、それを見て、ふと思う。


 ――あれ? ずいぶんとたくさん人がいるな。


 父兄が来ていることはわかっていたのだが、それだけではなく、いつの間にやら応援してくれている人の数が増えていた。今や椅子から溢れんばかりの応援団が出来上がっている。

 そこで、


「あ……ハッチ先輩……」と、ポツリと咲がいう。


 その応援団の一角にいたのは転校していったハッチ先輩を含む、先に引退した三年生達。


「咲ちゃん、みんなー! ファイトー!」「負けんなー!」「あと少し!」「イケるよ!」


 声を張り上げ、枯らしながら、咲に、後輩たちに、全身全霊を込めて応援をしてくれている。

 さらに、「お姉ちゃんたちがいる」と、いうのは佳奈である。


「あんたたち、だらしがないわよ!」「まだ試合終わってないんだぞ!」「チビ奈の指導がなってないのよ!」


 佳奈と綾乃と聡子の姉――零奈の同級生たちが野次を飛ばしてくる。

 それだけではない。現、日新学園のメンバーたちでは知り得ない、歴代の女子バスケ部OGたちが、必死になってエールを送ってくれている。

 その声援は大きく、熱く、想いを込めて――


「うるせぇな、あいつら……――ともかく、お前たちはあの連中のバトンを受け取ってここにいるんだ。だから、情けないツラを見せるな。恥を晒すな。そんなんじゃ、あいつらに笑われるぞ? お前らのほうが間違いなく上手いのに、練習もまともに出来なかった下手くそな連中に文句いわれるなんて、ムカつくだろ? 私はムカつく」

「せ、先輩たちになんて酷いことを……」と、いった咲は、しかしすぐにクスクスと笑った。


「だが、確かにお前たちの方が上手くても、バスケットボール選手としての『格』はあいつらのほうが上だ。それはどうしてかわかるかな?」


 咲に続けて愛羅と勇羅、杏樹が顔を見合わせてやれやれと小さく微笑み、三バカは元祖三バカに逆に野次を飛ばし始める。そんな様子を見て玉子が笑い、それにつられて璃々もまた笑う。


 皆、理解した。

 それは、日新学園の女子バスケ部の伝統。


 どんなに人数が少なくとも、どんなに環境が過酷であろうとも――

 たとえ試合の状況が芳しくなかろうとも――


「さあ、最後の作戦だ。ここで必要なことはただ一つ。日新学園のバスケ部員として、堂々と、かっこよく! 最後までバスケを――」

 零奈はニコリと微笑み、いった。


「楽しめっ!」


 その言葉に少女たちは力を振り絞り、

「はい!」と、大きな声を返し、再び立ち上がった。


 そして、零奈はこう付け加える。


「楽しむっていうのは、勝負を捨てた言葉じゃない。私は最後まで『勝ちに行く』。最後の最後まで、うちの最大戦力をぶつけてやる。だから、メンバーは『このまま』だ」



          ∞



 バスケを楽しむ。それは決してヘラヘラと笑いながらプレーをするようなことではない。

 体力の限界を迎えていても、全力で走る。気力が尽きていても、前に進む。蹴躓こうが、吹き飛ばされようが、どんなことがあろうとも、ボールを追いかける。

 きっとそれは、他者から見たら、苦痛にしか思えないことだろう。

 それでも彼女たちはそれをする。


 バスケが、好きだから―― 


 どんなに苦しかろうとも、バスケが出来るその一瞬を、彼女たちは確かに楽しんでいるのだ。



          ∞


 

 残り時間はあと58秒。


 中央実践商業は24秒の攻撃時間をフルに使ってシュートを決め、リードを奪うと、試合終盤を思わせぬ運動量によるフルコートプレスを仕掛けてきた。予測できていたことではあったが、すでに体力の限界を迎えていた日新学園の動きには精彩はなく、再びボールが奪われてしまう。

 それでも全力で食らい尽き、すぐさま取り返す。しかし、また――と、ボールのキープがあっちへこっちへと行き来する。

 日新学園の気勢は中央実践商業をとことん追い詰めていく。

 余裕の表情など一切ない。敵も味方も、だれ一人漏れること無く歯を食いしばり、一つのパスにも気の緩みなど許さない。

 会場はやがて静まり返り、少女たちの声と、ボールの弾む音だけが響いていた。

 されども、観客席からは間違いなく響く、声なき祈りに似たエール。


 ――お願い。

 ――あと少し。


 残り10秒。

 日新学園はようやくチャンスを掴みとり、フロントコートへとボールを運ぶことができた。しかし、中央実践の激烈なディフェンスを前に、容易にシュートをうつことができない。

 咲がなんとかディフェンスを切り崩し、ゴールへの道を切り開く。

 額から流れる汗が、頬をつたい、顎からポトリと落ちていく。「ゼェ……ゼェ……」響くは喘鳴。その眼は虚ろ。体力など遠の昔に底をついている。今の彼女を動かすのは、勝利に対する執念だった。

 そんな彼女を見て、ディフェンスにつく翠華は思うのだ。


 ――怖い。

 ――日新学園の連中は、これでまだ1年生と2年生だけだというのだ。

 ――本当に、本当に1年早く生まれてこれて良かった。こんな奴らとこれ以上、いや、もう二度と、戦いたくなんてない。


 咲が右側に身体を振った。翠華はそちら側に体を動かす。しかし――

 実際の咲の姿は、その逆側に動いていた。


「――っ!?」


 翠華の目には確かに、咲が右手側にカットインをする姿が見えていたのだ。それなのに、結果は逆。


 ――こいつこそっ、化け物だっ!


 観客席から静寂を切り裂く大歓声。若いチームが絶対王者を打ち倒す瞬間に沸き立っている。

 残り6秒。

 翠華を抜いたところで中央実践はゾーンディフェンス。咲の行く手を阻むものは多くいる。杏樹も愛羅も勇羅も、咲に合わせて動いてはいるのだが、それは相手にだって想定内で、パスコースは塞がれている。


 だが、もう考えている時間はないのだ。

 咲はほぼフリースローラインから跳躍し、高い弧を描くシュートを放つ。


 残り5秒。


 このシュートは決めるつもりはない。入れば万々歳。もとよりこれは『パス』である。

 インサイドは日新学園の方が強力なのだから、愛羅と勇羅のリバウンド能力に任せる。彼女たちだけじゃなく、杏樹もまた、リバウンドに参加している。

 高さでは完全に勝っているのだ。


 残り4秒。

 ボールがリングに当たり、垂直に跳ねる。

 落下予測地点はゴールの真下。敵が、味方が、一斉にポジション争いで激しくぶつかり合う。

 やはり優勢は日新学園。

 高く高く飛び上がった愛羅と勇羅。

 宙にあるボールを奪わんと、伸びる幾本もの手。

 されど奪い合った結果、ボールは大きく弾かれアウトサイドへと飛んで行く。


 そして、


 その行き先に璃々がいた。


 璃々は、パシッとしっかりとボールをキャッチした。場所は左サイドのスリーポイントラインの少しだけ内側。

 ほぼすべての選手がリバウンドに参加していたから、周囲に邪魔立てするものはいない。


「うて!」


 それが誰の声かはわからない。きっと、皆が皆、同じことをいっていたと思う。

 いわれなくたって、わかっている。大丈夫。慌てることなどない。そこにいるのは璃々、ただ一人。できることを、やるだけだ。勝つために、やることはわかっている。

 璃々はここでシュートをうつ。

 今日まで何千本と練習してきたシュート。

 

 ――できるんだ。


 膝を曲げ、跳躍。

 ボールを胸の前から頭の上に持って行き、

 高く美しく、

 ネットを揺らせと解き放つ。


 直後、一際長いブザーがこだました。


 ボールの行方は――

          

 

          ∞



 八上璃々というバスケットボール選手は、まだまだバスケを初めてから4ヶ月の初心者だ。別に天才的な身体能力を持っているわけでもない。サラブレッドの血筋でもない。ちょっとバスケの知識を持っているだけの普通の女の子であり、普通の選手だ。

 普通の選手ゆえに、自分の知らないことが起きれば、当然対応できないし、どんなに知識があったって、身体がついていけなければ何もできない。

 むしろ、そんな彼女がここまで上手くやれていたことのほうが奇跡的だ。

 それでも、璃々でなければ山下翠華をここまで追い詰めることはできなかった。璃々がいなければ中央実践にここまで追いすがることはできなかった。

 日新学園の仲間たちは全員、璃々のミスを織り込み済みで戦ってきたし、璃々は皆の期待以上の働きをここまでしてきたのだ。


 そんな彼女がいつか見た夢のように『ブザービーター』を決めようものなら、それは奇跡と呼べるだろう。

 しかし、勝利とはいつだって実力で掴み取るもの。

 奇跡とは、それを手にしてから、後付で語られるもの。


 だから、初心者で実力不足の璃々に、奇跡など、最初から起こせるわけもなく――


 放たれたボールは、

 

 リングを掠め、コートに虚しく落下した。



          ∞



 てんてんと弾むボール。その虚しい音を聞きながら、璃々は立ちすくむ。


 最後に触ったボールの重み。ゴールの遠さ。コートの広さ。天井から照らす白い光。

 その全てが滲んでいく。


 試合終盤の緊張感と、残り時間の少なさ、さらに体力を消耗した状態でシュートをしたのは初めてだった。だから、自分がいつも通りにやっていると思っていても、それは少しばかり、足りなかった。


「初得点は、もっと格好いい場面にとっておきましょうね」


 咲にグリグリと頭を撫で回された。

 顔を青白くした勇羅と、フラフラの愛羅が、無言でそれぞれ頭とお尻をペチンと叩いてくる。

 杏樹が、乱れた髪の毛を綺麗にしてくれた。


「整列。最後まで、堂々と行こう」


 そうして、

 璃々は初めて立ったコートに涙とともに礼をした。


 最終スコア、


【日新 65 ‐ 66 実践商】


 日新学園の選手たちはいわずもがな、中央実践の選手も試合終了と同時に、足をつるなり、酸欠を起こすなり、緊張感から解放されて泣き出すなり、スコアを見なければどちらが勝利者かわからない様子だった。


 そんなどちらとも死力を尽くしたビッグゲームに、観客席から送られた拍手喝采は、いつまでもいつまでも、鳴り止むことはなかった。


「あと1年あったら、この結果は逆だったかもな。お前らと同じ世代に生まれなくて良かったと心から思うよ。本当にいい試合だった。ありがとうな、ガキンチョども」

 整列の後に山下翠華がいったその言葉は、きっと最大限の賛辞だったのだろう。



           2



 試合終了後のロッカールームにて――、

 意気消沈するメンバーは、黙々とそれぞれ疲労回復に努めていた。

 八王寺学園との練習試合で敗北した時とは違う空気である。あの時は自分たちにできないものと足りないものが多すぎて、それが悔しくて悔しくてたまらなかった。

 しかし、今回の敗北はというと――


「例えば今日、運良く勝っていたとして――」

 咲がいった。

「明日の準決、決勝の連戦、戦えてたかしらね? その先にある決勝リーグも――うぎゃ!? 足がっ! 足があああっ!」


 咲は試合終了後から太ももやらふくらはぎを攣っていて、あっちを伸ばせばこっちが攣るという地獄のループに襲われているのだった。獅子奮迅の働きを見せていた咲が、今は可愛らしく痛みに悶える様はもうとっても面白い。


「明日も試合があったら、今の状況的に強がるのもバカらしくなるぐらい、無理だね」というのは床に倒れて、おでこに氷のうを乗っける愛羅だ。

「次も八強と試合だなんて死人が出るよ」と、愛羅のお腹を枕にして寝転ぶ勇羅も続く。


 すでに死亡しているのは玉子であり、さらに杏樹までぐったりと、ベンチを抱きしめるようにうつ伏せに寝ていた。佳奈は頭部の負傷で病院に連れて行かれたからここにはおらず、綾乃と聡子は寄り添いながらスースーと寝息を立てていた。


「そうよね。こんなんじゃあ、まだまだ全国までほど遠いわ」

 そして咲はロッカールームの隅っこに目をやった。そこにどんより沈み込む影を見つめて、

「だから璃々! いつまでもグズグズ落ち込んでんじゃな――アイタタタ!」

「おお、ワカメ先輩がお説教モードになった途端にダウンしよった!」

「なんという説得力。これでは勝ち目がないのもうなずける!」


 双子はケラケラ笑っていた。

 さて、璃々はというと、かれこれ試合終了後からずっと部屋の隅で丸まっているのである。泣くわけでもなく、泣き言をいうでもなく、ただただ黙してぼんやりと床を見つめている。


「……でも勝ちたかった」


 そして、璃々はポツリとそういった。


 もし、璃々がちゃんと山下翠華を試合から追い出せていたら――

 もし、最後のシュートを決められていたら――


 そればかり考えてしまう。

 そこで、


「もし、私が三人程度に劣らないぐらい上手かったら」と、愛羅がいえば、

「もし、私がクソチビに力負けしてなければ」と勇羅が続く。

 さらに咲も、

「私はめっちゃ情けないブロックされたわ。今もこんなザマだし」

「……あのワンマン速攻のきっかけは私」と、杏樹がムクリと起き上がっていった。

「私、スタメンなのに全試合で取った得点が3点……」と、玉子もどんよりという。


 きっと佳奈や聡子、綾乃だって思うことはあるだろう。

 そして各々が悔やまれる点を口にすると、璃々以外はそれを「ふん」と、鼻で笑うのだ。


「結局、私たちの今の実力じゃあ、この程度ってことだわ」

「全国にはあのチビみたいなやつがゴロゴロいるんだとしたら、今日運良く勝ったって『てっぺん』なんて取れやしないね」

「『てっぺん』まではまだまだ遠いね」

「わ、私……もっと頑張るよ……」

「もっともっと練習しよう。私達には次がある」


 杏樹が再びパタンと倒れる。


「聞こえたわね? 璃々――」

 咲はいう。

「これは誰か一人のせいで負けたわけじゃなくて、『チーム』で負けたの。全員が全員、出せる力を振り絞って、その上で届かなかったの。確かに勝てなかったことは悔しいけれど、この結果は嘆くものじゃない。チームで劣ってたんだったらどうしようもないじゃない。もう開き直って次の練習、いや、今日の夕飯のことを考えたほうがよっぽど有意義だわ」


 咲のいうとおり、今の実力では強豪という壁を乗り越えるに至らなかった。

 だから次だ。もう次を見るしかないのだ。

 璃々はぐすんと鼻を鳴らし、コクリと頷いた。


「私たちは1、2年の『若い』チームだから、まだチャンスはある! 『年増』の山下翠華は引退して老後を送っているだろうけど、来年は奴の後輩どもをこてんぱんにしてやろうじゃない。目に物見せてくれるわ! たっぷりトラッシュトークでガキ扱いして泣かしてやる!」

「ワカメ先輩……たぶん『ガキンチョども』っていわれたこと気にしてたんだね」

「ワカメ先輩って、実はあのチビと同じぐらい、年上であることにこだわりあるよね」

「うるさい、ガキンチョ! 私は先輩なの! ガキンチョじゃない!」

「「へいへい」」


 日新学園の少女たちの欲しいものは今日の勝利ではない。遥か彼方にある、王者の称号。今、それに届かないとするのなら、ここでもうグチグチと悔やむ意味は無いのである。

 咲は立ち上がり、力強く拳を振り上げ、


「だから! これから、もっと――っうにゃん!?」


 転がった。

 璃々の専売特許が奪われた。


「いったああああああい! かっこ良く締めたいのに!」


 そんな咲の姿を見て、璃々はいよいよクスっと微笑むのだった。

 続いて愛羅と勇羅がゲラゲラ笑い、死亡中の杏樹と玉子がプルプルと身を震わせて笑いをこらえていた。騒がしさに目を覚ました聡子と綾乃は何事かとキョロキョロと周囲を見回し、転げまわる咲を見て笑い出す。


「ちょっとあんた達! 大先輩が苦しんでんのに、笑ってんじゃ――うぎゃあ! 痛い! ああん、もう嫌! 神様ごめんなさい!」

「とうとうワカメ先輩が神様に謝罪し始めたよ」

「お腹が極限に痛い時のあれと一緒だね」



         ∞



 しばらくすると、ガツンと勢いよく扉が開き、


「よし、お前ら反省会は終わったか? 撤収するぞ!」


 零奈がやってきて、そう告げた。


 一同は荷物をまとめて、零奈の後に続く。自力で歩けない咲を、愛羅と勇羅が挟みこむようにして帯同し、璃々はいつも通り兵隊さんもびっくりな大量の荷物を抱えている。


「だから璃々っち、そういうのは皆でやるものだって……」と、聡子がいうけれど、

「もう癖になっちゃって……荷物を持ってないと落ち着かない」


 璃々はむっつりとした顔で額に汗していうのである。雑用根性が染み付いてしまったらしい。それに、聡子が本当は持ってくれない、というか、持ってくれるなんて一言もいっていないことに璃々は気づいている。


 外は夕暮れ。梅雨時だというのに珍しく快晴で、空は美しいオレンジに燃えていた。

 駅に向かう道中。それぞれが「お腹すいたねー」「帰りにどっかよるー?」と、特に悪意なく適当な雑談をしているそばで、零奈は少女たちの顔をチラチラと見ながら、お財布の中身を確認すると、璃々みたいに「ぐすん」と泣いた。


 ――すまぬ。すまぬ。私はまだ新社会人なんだ。かつかつなんだ。すまぬ。


 何やら察したらしい咲が、零奈の小さな肩をポンと叩いて、ニコリ、と微笑みかける。


「優勝した時は、頼みますよ? たっぷりと」

「お、おう……た、たっぷりな……」


 神崎零奈、もうすぐ23歳。自分より年下の女の子に生まれて初めて恐怖を感じた。


 ともかく、


「えーと、明日は練習は無し! しっかり疲れをとって、月曜日に元気な顔を見せること。ただし、来週からの練習は今まで以上の地獄を覚悟しろよ?」


 すると少女たちは不満を漏らすこと無く、

 望むところよ! と、快活に返事をするのだった。




 地元の駅まで帰ってきて、零奈は流れ解散を告げた。

 ミーティングなんてする必要はない。

 現時点での最高のパフォーマンスを、いや、それ以上のものを全員が発揮した上で、あと1点、届かなかったのだ。

 それはもう、反省をしたところで覆せるような結果ではない。どうあがいても、今の実力では負けていた。

 次の練習からその1点を埋めるべく、努力するしかないのだ。

 今日の敗北はただの実力不足。相手に全てが劣っていた。だから負けた。総括は以上だ。


 それでも、日新学園の選手は「もしかしたら――」という可能性を見せてくれた。『次』を期待させる素晴らしいプレーをしてくれた。

 たった2ヶ月の練習でこれなのだ。日新学園は間違いなく、てっぺんが見える場所にいる。

 今日の試合は、

 いや、

 ここまでの物語は、日新学園がてっぺんに辿り着くまでの、プロローグに過ぎない。本編はこれから始まるのだ。


 だから、


「これからもいっぱい練習して、今度こそ勝とう。そして、全国制覇だ」


 零奈の掲げる活動計画はいつだって同じ。今までもこれからも、それは決して変わらない。

 零奈は少女たちの姿が見えなくなるまで見送ったあと、雑踏の中に消えていく。


 6月半ばの空気はジメジメしているけれど、夏を先取りする清々しい風も吹いていた。





 日新学園の初めての挑戦は、ここで幕を閉じた。

 東京都大会Cブロック、準々決勝敗退。東京都でバスケに励む約340校の中、上位32校に入ったのである。

 かつて弱小と呼ばれた学校の初陣としてはもちろん上々の結果だ。しかも現関東王者をあと一歩まで追い詰めた。

 この健闘は後にバスケ雑誌に小さな記事となり、地元広報誌には大々的に取り上げられることになる快挙であった――






 ――次回、最終回。

ここまでのご読了、本当に感謝いたします。

残すところ、あと一話。

どうか、よろしくお願いします。

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