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女子だって、スラムダンクをしてみたい!  作者:
第五章 決戦のウィークエンド
31/34

クライマックス・ビート

 


         1



 翠華がコートに戻ってくるなり、璃々も再び玉子と交代した。

「璃々ちゃん、ファイト!」

「璃々、頑張る!」


 残り時間、3分23秒。

 試合は日新学園ボールから再開される。ボールポジションは咲がファールをされた位置の近くのコートの外。ハーフラインの少し手前だ。

 そこから咲が審判からボールを受け取り――、


 始まる。


 中央実践のディフェンスがゾーンに戻っていた。

 しかし序盤のそれとは全く違う。同じ【1‐3‐1】でありながら、選手の動く範囲が大きく広がっている。

 トップでボールを持った杏樹に対し、プレッシャーを掛けるのは翠華だ。まるで自身のファール数など忘れているかのようにバシバシとボールをチェックしてくる。

 いや、このディフェンスのキツさは杏樹だけが感じているのではない。中央実践商業の選手全員の動きが、まるで今試合が始まったかのように、激しくなっている。試合終盤にさしかかっていながら、なんという運動量だろうか。


 これが強豪。

 これがエース。

 八強という字名に嘘偽りはない。


 そんなプレッシャーの中でも、杏樹はしっかりとコートの状況を把握している。

 把握しているからこそ、歯噛みする。

 中央実践が仕掛けてきたこの広範囲で隙間だらけのゾーン。一見すれば簡単に突破できるようにも見えるのだが、

 ――嫌な予感がする。

 それでも当然、攻めなければいけないのだ。

 相手のゾーンが広範囲になったということは、インサイドは手薄――杏樹は瞬時に判断すると、台形の中でポジションを取った愛羅にパスをした。

 

 その時、会場中が驚愕の声を上げた。


 ――1人に対して3人のマーク!?


 そう、愛羅が『3人』に取り囲まれていた。

 ゾーンの中心地に近い位置にいた4番とインサイドの5番と6番だ。

 バスケは5人でやるスポーツ。その内の3人が1人の選手につくことは、残りの4人を2人でマークしなければいけないということになる。

 だが、良策だ、と杏樹は思う。

 璃々には申し訳ないが、日新学園にはオフェンス時に彼女が穴になる。だから、中央実践が実質的にマークするのは3人で済む。十分に勝ち目のある賭けに出てきたのだ。

 それだけ愛羅のインサイドが脅威と認められた証。そして同時に、残りの僅かな時間、もう愛羅に仕事はさせないという宣告でもあった。

 どんなに実力があろうとも、3人を相手では攻められない。 

 咲が大声を飛ばす。

「愛羅、戻せ! 3秒取られる!」

「こんちくしょう!」と、愛羅は苦し紛れに咲にパス。


 咲の前にはもう翠華がすっ飛んできている。恐ろしいほどの反応とクイックネスだ。


「お帰りなさい。ファール、怖くない?」

「そんなもん、しなくたって止められる」


 咲はフェイントを入れた。目の前にいる翠華以外、誰も気づけないほどの『重心を動かす』というだけの小さな小さなフェイント。


 次の瞬間、咲は翠華を抜いていた。


 だが相手はゾーンディフェンス。1対1で1人を躱したところでゴール下には別のディフェンスが待ち構えている。愛羅を取り囲んでいた3人のディフェンスも、すでに定位置に戻っていて、そこには鉄壁の布陣が敷かれている。


 だから咲はストップ。シュートモーションに入る。攻撃時間を考えるとパスをしている暇はない。外れても最悪、愛羅と勇羅がなんとかしてくれる。

 ――そして、ここにも日新学園の誤算が潜んでいた。


「――っ!?」


 その時、咲は自身の足がピキンと悲鳴を上げる音を聞いた。

 ――うわ……このタイミングでつる!?

 積み上げてきた疲労という負債が、咲を襲う。その僅かな隙に翠華が前に回ってきた。それでも咲は強引にシュートを放つ。

 しかし、翠華が高く飛び上がり、咲のシュートはたたき落とされた。


「あらあら、もうお疲れ? 足が動いてないわよ?」

「ちくしょう……定期的にベンチに引っ込んで休んでるやつが偉そうに」


 翠華1人が入っただけで、中央実践の実力がガラリと変わる。まさにエースとはかくあるべしと、その姿で存分に語る。

 ルーズボールは中央実践の4番が拾い、そのまま速攻。


【日新 63 ‐ 59 実践商】


 残り時間、2分53秒。

 勝負の行方はまだまだ、わからない。



          ∞



 その後も激しい攻防が続く――

 杏樹が決める。

【日新 65 ‐ 59 実践商】

 璃々が翠華を止めるも、パスが繋がり8番に決められる。

【日新 65 ‐ 61 実践商】

 

 そして――


 残り1分42秒。

 いい加減に中央実践の広範囲のゾーンディフェンスに慣れてきた日新学園の選手たち。それを切り崩さんと、すでに体力の限界を超えるエースが動き出す。


 咲だ。情けないブロックをされたままでは終われない。


 咲が翠華を抜き去り、カットインをしかける。それも『ストロングサイド』と呼ばれる大回りのコースを選んで。ストロングサイドとはディフェンスが多くいるコースだ。当然、咲は多くのディフェンスに行く手を阻まれるのだが、巧みなステップとドリブル技術でそれをスルリスルリと躱していく。抜かれたディフェンスは咲を後ろから追いかける。

 咲は勇羅がいたローポストを経由し、ゴール下へ。

 しかし侵攻はそこまで、いよいよ密度の高くなったゾーンディフェンスに阻まれ、取り囲まれる。

 それすら咲は想定済み、すぐさま準備していたコースにパスを出す。わざわざストロングサイドを選んだのは意味がある。

 背後、今まさに経由してきた勇羅に向けてパス。

 咲がディフェンスを引きつけ、おまけにわざと勇羅のいた場所を通り、そこにディフェンスの1人をあえて誘導した。

 咲は自身のドリブルのコースによって、ディフェンスの位置を変えたのだ。

 その置いてきたディフェンスは――翠華だ。


 勇羅対翠華。身長差25センチという特大のミスマッチの完成だ。


 中央実践がこちらの『穴』をついてくるのであれば、それをやり返してやればいい。

 バスケとは背の高い選手が圧倒的に優位なスポーツ。咲が、日新学園がとった作戦は、まさに定石とも言えるものだった。


 体格差という暴力でもって、勇羅は攻める。力強いドリブル。背中でガツンと押し込もうと、踏み込む。

 

 しかし、まだまだわかっていなかった。試合終盤に差し掛かりながら、その頂がどれだけ高いものなのか――

 

 ――ガシッ!


 激突の音を立て勇羅の進撃は――止められた。

 歯を食いしばり、腰を深く深く落とし、小兵が巨人に力比べで競り勝っていた。


「――っ!? なんなんだよ、このチビ!?」

「チビがっ、でかいの相手に戦う術を、とことん練習すんのは……当たり前だっ!」


 完全に止められたわけではないが、十分過ぎる時間稼ぎだった。翠華が作った猶予で中央実践の選手たちは咲に崩されたゾーンを立て直し、勇羅に襲いかかる。


「くそっ――」

 バシバシとボールのチェックを受け、勇羅はボールのコントロールを失う。ボールは奪われ、5番から4番へ、4番から6番へ――パスがめまぐるしく回って、そして攻撃に素早く転じていた翠華へ。


 翠華がボールを持った位置は、ハーフラインを少し超えたところだった。


 璃々がすでにディフェンスに戻っている。

 実は、璃々本人は気づいていないのだが、出場してからというもの、翠華を『完封』していた。翠華のプレーは璃々にとって、全て知っている範囲のものだったのだ。

 だから――

 翠華がハーフラインというゴールから遥かに離れた場所で、シュートを狙ってくることも、璃々には予測できていた。

 翠華がシュートを構えるのと、璃々がシュートチェックに動くのはほぼ、同時だった。

「これもダメなの!? こいつこそなんなんだ!?」

 翠華が憎々しく口の端を上げ、すぐさまドリブルに切り替える。

 だが。璃々はそれすら知っている。この状況から続く相手のプレーは一つしかない。

 璃々は叫ぶ。

 

「ステッチ!」

「『スイッチ』ね!」と、咲の声がすぐに返ってくる。


 翠華についていこうとする璃々に対し、いつの間にか現れた4番が、進行方向を塞ぐようにして待ち構えていた。

 これはスクリーンプレーと呼ばれるものだ。

 バスケは接触が基本的には禁止されている。だから璃々の進行を邪魔するように壁になる4番を、力づくでどかすとファールになるから、璃々は迂回するしかない。

 しかしそんなことをしていると翠華と距離ができ、最も危険な選手をノーマークにしてしまう。

 だから璃々は対抗策で『スイッチ』――マークする相手の切り替えを行った。4番をマークしていた咲が翠華に、璃々は自身の邪魔だてをしてきた4番につく。そうすれば、翠華も4番もノーマークになることなく、安全にプレーが続けられる。


 璃々の好判断――のはずだった。

 直後に「あっ」と、璃々は自分の判断に足りないものがあったことに気づく。

 

 相手方の4番と翠華の狙いは、璃々を抜くことではない。翠華から璃々をほんの僅かでも離すことだ。


 その狙いは、やはり――シュートしかない。


 璃々と咲のディフェンスの切り替えで起きる僅かな隙に、翠華はすぐにドリブルを止め、その場から再度、シュートを放った。

「嘘でしょ!?」と、咲が高々と舞ったボールを仰ぎ見て、声を上げた。

 だって、そこはハーフライン。ゴールまでは通常のスリーポイントシュートの倍以上の距離があるのだ。

 それなのに、翠華は威風堂々たる姿で、いうのだ。


「嘘じゃねえよ。今日まで何万本、練習してきたと思ってやがる」


 そして、

 ボールは天より大地を割らんと降り注ぐ隕石が如く、ズドンとリングのど真ん中を射抜いた。


 残り1分24秒。

【日新 65 ‐ 64 実践商】

 1点差――

 これでもうどちらに試合が転ぶかわからない。


「どうだ見たか、ガキンチョどもめ」


 日新学園の少女たちは、翠華のその口の悪さに、もう苛立ちは感じない。その姿を、ただただ、恐れた。

 同時に、ようやく思い知った。あまりに高い山の頂は、霞がかって見えないものだ。その実力を理解しようなど、『ガキンチョ』ばかりの日新学園の選手たちにできようはずもなく。

 山下翠華――

 積み上げてきた練習があるからこそ辿り着く境地。正真正銘の『トッププレイヤー』だった。



          ∞



 璃々は立ち尽くし、翠華の姿をジッと見つめて考えていた。

 ――今、璃々にできることはなんだろう。

 愛羅も勇羅も体力の限界を超えながら、奮闘している。

 杏樹が誰よりも苦しいのに、仲間たちを支えてくれている。

 咲は足を攣っていながら、誰よりも前にいる。

 玉子も、佳奈も、綾乃も、聡子も、皆、仲間のために、


 勝つために。


 零奈の言葉が耳の奥底で繰り返される。

 ――お前がうちに勝利を運んでくれると信じてるよ。


「璃々だって……」


 璃々の胸の中。響く鼓動は最高潮に――



          ∞



 残り1分10秒。


 日新学園の攻撃。

 杏樹がフロントコートにボールを運ぶと、翠華が襲い掛かってくる。

 杏樹は翠華のプレッシャーに負けじと押し返し、1つのパスコースを見出した。少しずつゴールへと近づいたために、ゾーンディフェンスの片翼が挟み込みに来ている。そうなれば、スリーポイントラインのトップはがら空きだ。そこには、勇羅がいる。

 杏樹はドリブルを止め、パスを構える。『右方向』へのパス。


 その時、勇羅の声が飛んだ。


「あ、それダメだ!」と、勇羅が何を慌てているのかはわからなかった。もうパスモーションに入っている。右方向へ、押し出すように――、

 瞬間、

「遅い!」

 バコンッ! と音を立て、杏樹の手からボールが翠華によって叩き落とされた。


 杏樹は利き腕である右手1本でパスを繰り出す癖があるから、右方向へパスを出す時、右腕を外側に開くことになり、身体からボールが離れて無防備な状態にしてしまう。その隙を、翠華が逃すわけがなかった。

 ボールを奪うなり、翠華はワンマン速攻に駆け出さんとしている。その速さにはもう、杏樹では追いつけない。いち早く反応していた勇羅も抜き去られる。


 ――このままではマズい。


 残り1分2秒。

 ここで逆転されようとも、まだまだ攻撃機会は残っている。次を確実に決めれば、再び日新学園のリードになるにはなるが、それはただの皮算用。状況は芳しくない。

 咲の足はつっている。愛羅と勇羅はもう体力の底をついている。

 この手札で追加点を上げるのは、今まで以上に至難である。


 杏樹はタイマーを確認、そしてベンチへ視線を送る。頼れるコーチは、杏樹のミスに憤るわけでもなく、凛とした眼差しを自分たちに向けてくれている。

 この窮地、慌てること無く堂々と在る指導者の姿に、杏樹は平常心を取り戻すことができる。

 しかし、それにしたって零奈のその姿は――


「……え?」


 ここで相手にリードを譲ることが危険なことを、零奈がわからないわけがない。ところが彼女は、場違いなまでに楽しそうに笑っていた。

 その時、杏樹は確かに見た。

 零奈はその口元を微かに動かした。

 読唇術なんてものができるわけではない。しかし杏樹は、その時ばかりは零奈の呟いた言葉を、読み取れた。


「行け……お前なら、止められる――?」


 ハッと我に返り、バックコートに視線を戻す。直後、杏樹はその目を大きく見開いた。


 ――桜が舞った。


 視線の先に白地に桜の舞うユニフォームの姿があった。

 翠華は完全なフリーと思われていた。しかし、それは違ったのだ。

 誰よりも早く、自陣に戻っている味方が、翠華の行く手を阻まんとしていた。


「――……ちゃん?」


 杏樹はその名を叫ぶ。珍しく、喉を割くように声を張り上げて、


「璃々ちゃん! 止めて!」



           ∞



 ドクン……ドクン……――

 心臓はどこまでも静かに鼓動する。

 視線の先から、恐ろしいスピードで翠華が迫ってくる。璃々はそれをバックコートで淡々と待ち構えていた。 


 璃々が誰よりも早くここに戻ってこれたのは杏樹の弱点を知っていたことと、敵である翠華に対する、ある種の信頼があったからだ。

 翠華は誰もが『やるわけがない』、『できるわけがない』と思うことをやってのける選手だ。杏樹の癖を見抜いたところで、それは翠華の余計なドリブルと同じく、ポイントガードとしての一種の技術であり、本来なら安易に止められるものではない。勇羅を止めたことも、超長距離スリーポイントシュートだってそう。日新学園からすれば嫌なことを、中央実践としては絶対に欲しい物を、翠華は確実にやる選手なのだ。

 だからボールを奪われるビジョンが見えた時にはもう、璃々は自陣に引き返していた。

 そして、やはり翠華がやってきた。


 ――嗚呼、かっこいい。凄い。そのドリブルも、姿勢も何もかも。璃々だって、いつかこういうふうになりたい。


 璃々が子供の頃から見て、憧れてきたバスケットボール選手たちに匹敵するその実力。きっと、『ここ』に立っていなければ、璃々は目をキラキラと輝かせて、翠華に憧憬を抱いていただろう。ずっとずっと見ていたいと思っていたことだろう。

 でも、あいにくと、璃々はもう観客ではない。歓声もエールも、翠華に送ることはない。

 見るためにここにいるのではない。絶対に勝つために、ここにいる。だから、今の璃々にとって、山下翠華のような選手は――

 ただの壁だ。そこにあるのは、自分の行く手を遮る大きく高い壁。璃々の望むものはこの先にあるというのに、この壁のせいでそこに辿り着くどころか、それを見ることすらできない。


 ――どうして、あなたはいつまでも『ここ』にいるんだ。何度追いやろうとも『ここ』に戻ってきて、そのたびに余計なことばかりして、本当に鬱陶しいわ。あなたが『ここ』にいる限り、璃々たちは前に進めないんだ。だから、そろそろ、いい加減に――


 そして璃々は『観客』だったら決して口にしない言葉をいうのだ。


「……邪魔だ」

 璃々の目が鋭く細くなる。ギリっと歯を食いしばり、そして、腹の底から力を込めて――


 同時に翠華が叫ぶ。示し合わせたかのように、奇しくも璃々と同じ言葉を。


「「――そこを、どけ!」」


『頂点』と、『底辺』が、激突する――



           ∞



 璃々はしっかりとクロスステップで翠華の進行を塞ぐ。速いけれど、別に問題はない。向かう先はゴールで、これはワンマン速攻だからパスはない。余計なことは考えず、ただ翠華だけの動きを注視して、追いすがればいいのだ。

 翠華の小さな身体から迸る圧力は、確かに尋常なものではない。速いし、上手いし、強い。それでも、あの雨の日に戦った璃々の最大の敵に比べたら、なんとも軽いものだろう。

 璃々はもう知っている。バスケっていうのは勝とうとすればするほど、とんでもなく、しんどいのだ。

 スリーポイントラインを超え、いよいよゴールが射程圏内だ。いつシュートをうたれてもおかしくない。

 翠華はドリブルの突き出しのリズムを変えて、璃々を翻弄してくる。右へ左へ、時にチェンジを繰り返し、時に急に姿勢を低くして――

 翠華がフリースローラインを超えたところで急ストップ。ワンテンポ遅れて止まった璃々との距離が開く。翠華はそこで首を少しだけ上げ、ゴールを見た。


「……まだだ」


 璃々はそれがフェイントであることを見抜いていた。


 ――同じだ。


 第2Q終了時、咲がやった『ストップ&ゴー』。あの時と状況もプレーも全く同じだ。

 すでに、どんなに璃々が翠華の動きを予測できようとも、身体能力でついていけないことは証明されている。それでも、完璧に動きを知っているのなら、もう転ぶことなんて無い。それ以上に、『準備』することだってできる。

 もしここまで試合をしっかり見ていなかったら、璃々は予測もできなかったし、反応もできなかった。また無様にすっ転んでいたことだろう。

 でも、しっかり見ていた以上、

 できる。

 これを止め、さらには翠華をここから追い出すことだって――


 やはり、翠華がドライブを再開した。その動きが璃々にはコマ送りのように見えていた。

 翠華が繰りだす神速のドライブ。璃々は、それに対抗するために準備しておいた動きを再現する。


 足を下げ、横にスライド。たったそれだけ――


 たったそれだけの動きをするために、今日まで何度も転がってきた。


 酸素の供給が減り、鼓動が一連なりに早鐘を打つ。身体は思い通りに動き、自分の頭のなかにあるバスケットボール選手の動きを再現する。

 世界がゆっくりと流れ行く。迫り来る翠華の視線の動き、ユニフォームの乱れ、つま先の行き先、髪の毛の1本1本が、しっかり見て取れる。

 極限の集中状態。一瞬が永遠に引き伸ばされる。


 そこで璃々の脳裏にふと、自分が観客だった時に、いつも胸に抱いていた疑問が湧き上がる。


(この状況で、この選手はどこを見ているんだろう?)


 数多のスーパースターたち。彼らは華麗なプレーをする中で、一体何を見てきたのだろう。

 璃々の行く手を阻む『敵』の見ていたものは――


(タイマー?)

 

 そして――

 璃々と翠華の距離がゼロになる。


 ドン!


 翠華に激突された璃々は、コートの上に背中から倒れる。


 ピイイイイ! 響き渡るは審判の笛。


 璃々は仰向けでコートの上を少し滑り、やがて止まると、大の字になって天井を見上げた。

 照明が妙に眩しかった。

 各ベンチ、そして観客席から上がる悲鳴と歓声。

 このファールの在処が試合を決定づけるポイントであると、誰もが理解しているのだ。

 

 審判の口がゆっくりと開かれる、その直前、 

 

 璃々の目から、一筋の涙がスッとこぼれ落ちた。

 その涙は感傷か、感動か、それとも――





 ――つづく。

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