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女子だって、スラムダンクをしてみたい!  作者:
第五章 決戦のウィークエンド
30/34

鉄壁

審判のジャッジは手のひらをあげていたら、バイオレーション。

拳をあげていたらファールです。バスケの試合を見ている時に注意して見てみてください。



 


          1



 初めてディフェンスで翠華を止め、攻撃に転じる日新学園の選手たちはノッていた。

 高速のパス回しが息を吹き返し、中央実践を翻弄する。


 タン、タン、タン――と続けて、最後に愛羅にパスが渡る。


 第3Qで休みをもらった愛羅の力強いプレーは誰にも止められない。右、左と体を振ってディフェンスをぶっ飛ばしてゴール下に潜り込めば、もう確実。正確なシュートをまた決めた。


【日新 50 ‐ 55 実践商】


 あと5点。

 徐々に徐々に差を詰める。日新学園は流れを引き寄せていく。


 だが、それでも揺るがないのが『八強』、中央実践の強さだ。


 翠華が「落ち着こう。大丈夫だ」といえば、中央実践は落ち着きを取り戻してしまう。


 璃々は知っている。

 たくさんのバスケを見てきた中で、翠華のような選手がいるチームは例外なく強かった。

 山下翠華は果物みたいな名前をしているくせに(?)、その実力も、度胸も、リーダーシップも、何もかもが厄介な相手だった。

 ワンマンチームとはまた違う。中央実践は翠華がいなくとも絶対的に強い。それを翠華がジェットエンジンとなってさらに加速させているのだ。あと一歩で追いつこうにも追いつけないのは、それが原因なのだ。

 おまけにこのジェットエンジンはただ突っ走るだけでなく、その速度の微調整までしてくる。

 翠華がボールを運んできて、璃々を見るなり、すぐにシューターである4番にパスをすることなどがそれだ。


「うー……」

 璃々は不満である。何が不満かというと、この状況。

 翠華は挑戦的で口が悪いくせに、璃々に止められたことに腹を立てたり、ムキになって挑んでくることもなく、それは見事な判断力で『璃々を避ける』という選択をした。たった一度止めただけで、そこまでの警戒心を抱ける才覚と『勝利への嗅覚』には脱帽だ。

 やはり山下翠華もまた、璃々の知るバスケ選手の中で指折りの選手といえよう。

 凄い。本当に凄い。


 でも、納得がいかない!


 だって、ここは先程からの流れで、翠華と璃々がバチバチ火花を散らしながら死闘を繰り広げるシーンになるって誰だって思うはず。

 少なくとも璃々はそれを予期して覚悟を決めていた。


 ところが!


 中央実践がパスを回してゴールを狙い、仲間たちがそれを邪魔立てしようと動きまわる中、璃々は余り動かない翠華にボールを持たせないようにチョロチョロ動いて『ディナイ』(※マークマンにボールを持たせないように邪魔するディフェンス)をするだけ(実はそのディナイが翠華を四苦八苦させているのだけれど、璃々は気づいてない)。

 日新学園のオフェンス時には、仲間の邪魔にならないように、今度はボールから逃げまわるだけ(実はオフェンス時にはお荷物だということを、璃々は自覚している)。

 これでは――またいつも通り、蚊帳の外じゃないか。


 どうしていつもこうなの!?


 練習中はフレームアウトし、せっかく試合に出てもこれ。酷い。業が深すぎる。前世は路傍の石か雑草か、収穫が遅れた玉ねぎだったに違いない。

 璃々は自分の(立場的な意味の)ポジションを嘆く。

 果たすべき役割があり、勝利のためにそれをしっかりやらなければいけないこともわかっているけれど、もうちょっとぐらい、何かしたい。主人公だもの。せめて「ボール、もう一回ぐらい触りたい」ぐすん。

 璃々は他人には理解し難い悲しみに襲われ、やっぱり鼻をすすっていた。


 そんな璃々を見て、翠華が「変なやつ」と的確にいったかと思うと、その表情を険しく変え、ギリッと歯を食いしばっていた。



          ∞


 

 なんだこいつ。

 なんだこいつっ。


「なんなんだよ! こいつっ!?」


 翠華の困惑と怒りの混じった声は、騒がしい会場の声にかき消された。 

 観客たちが騒然とするのも当然だろう。

 今、コート上では、中央実践商業の強さを知る者達には信じられない光景が起きているのだから。

 あの、絶対的エースが、突如現れた『変なやつ』に手をこまねいているのだ。

 

 左手でドリブルをつき、姿勢を低くして突き出す。直後にそこから、急速に右手にチェンジ。小柄な身体を活かした低空かつ、超高速のドリブルチェンジは、大人ですら視認はできないはず。

 それなのに――

 この日新学園の15番はついてくる。


「急ストップからのパス――もしくは、再ドライブ――後退――……――」

 

 15番は激しい動きの中でブツブツと何かを呟いている。

 それを聞いて、翠華は背筋が凍る。

 その言葉はまさに、翠華が次の行動の選択肢として用意していたものだった。


 すべて、読まれている。

 ――いや、違う。

 こいつは、全てを知っているんだ。


(最近、私もあの子と対面していると、動くのが怖くなるのよ。何をしても止められちゃうんじゃないか、って気がしてね。『1万』の引き出しを前にしたら、生半可なプレーは全て『知られている』んだもの。本当に恐ろしい子よねぇ)

 

 先程、相手方のエースの言葉が脳裏をよぎる。


「このやろうっ……」


 その時、全てを理解した。


 ――この15番は間違いなく初心者だ。

 しかしこの初心者は、1万というバスケのプレーパターンを知り、翠華の動きを全てそこに当てはめて、行動を予測しているのだ。


 それならば、どうやってそれを出し抜けばいい。

 翠華だって今日まで血の滲むような努力をしてきた。自分の技術をただひたすらに向上させるために、延々と、延々と練習をしてきたのだ。

 だが、それは全て基本的なこと。当然、それらのプレーは15番の引き出しの中に入っていることだろう。

 相手を出し抜くようなトリックプレーだってできなくはないが――きっと、それすらも知られている。

 1万という数字は、桁違いなのだ。そうやすやすと超えられるようなものではない。それはきっと『技術』や『身体能力』とは別のカテゴリーに含まれる能力の一つ。

 この『変な奴』のその能力は間違いなく、『一流』と呼んで相応しい。

 認めざるをえない。 


 ――もはや、楽しいだなんて言っていられなかった。


 翠華がドリブルを切り返すと、やはり15番はついてくる。

 そこはスリーポイントラインの付近、ここからのプレーでこの『バスケ図書館』を出し抜くには――思いつく限りではありやしない。

 だが、別のカテゴリーでの能力での勝負なら話が別だ。

 ――『身体能力』。『バスケの技術』のゴリ押し。

 どんなにバスケを知っていようとも、相手は初心者、まだまだ『エース』についていける脚力はないはずだ。


 ――このクイックネスについてこれるか。


 翠華は一度、超高速のドライブを仕掛ける。15番にそれは読まれているのだろう。当然、体幹でガッツリと進行を邪魔立てしてくる。

 だが、それはこちらだって予測済み。

 翠華は突き出しの一歩目で急ブレーキをかけ、後方にワンステップ。

 もちろん、これも読まれている。

 ほら、15番はついてこようと動き出す。


 それでも、


 15番の脚がガクンと沈む。それは翠華の前後に振る動きに、身体能力的についてこれなかったからだろう。これが、身体能力の差。培ってきた練習の差。

 ようやく15番のマークを外し、翠華がたどり着いたスリーポイントライン上。 

 ノーマークになった翠華は悠々とスリーポイントシュートを放った。


 ――が、失念していた。


 同時、

 翠華を大きな影が覆う。


 ――そうだ。怖いのはこの初心者だけではない。


 躓いてすっ転ぶ初心者を飛び越えて、巨人が空を舞っていた。

 この初心者のせいで周囲を見る余裕が消えていた。だから、これだけ大きな選手が目に入っていなかった。

 もうすでにボールは手から離れている。


 ――ガキンチョだらけのこの『無名』の学校は、全員が一丸となって、勢い任せで全てを薙ぎ払う超高速ミサイルなのだ。


 バコンッッ!


 特大の音を響かせ、翠華のシュートは叩き落とされた。 

 日新学園のベンチから歓声が上がる。


「ナイス! 愛羅か勇羅!」

「いいぞ! 愛羅か勇羅!」

「よくやった! 愛羅か勇羅!」


「『or』はやめろ! 勇羅だい! 番号見りゃわかんだろ!?」


 外へと飛び出したボールは再度、中央実践ボール。

 アウトオブバウンズでタイマーが止まる。一時的なインターバルの中、翠華はブルッと体を震わせた。

 日新学園にどんなに策を講じられようとも、ここまでは負ける気がしなかった。


 しかし、今、初めて『それ』を垣間見せられた。


「翠華ちゃん」

 

 ワカメとのマッチアップに疲弊するキャプテンが、翠華の元にやってくる。

 そしてキャプテンは、初心者に視線を向けて言うのだ。


「――あの子、上手い?」

「ディフェンスは見ての通りだけど、他はど下手くそだよ」

「それならここからは『4対4』で戦おう。大丈夫。私達で何とかするわ。翠華ちゃんはボールを運ぶことだけに専念して」

「ま、それしかないね。ただ――」


 翠華はそこでふと思うのだ。

 4対4という試合の構図。それは『15番が初心者』であり、『翠華が15番を抜けない』から成り立つものだ。

 つまり、

 もし、あの初心者が自分と同年代で、同じだけの時間の練習をしてきていて、初心者ではなかったら――


「ただ――何?」

「いや、何でもないよ。さあ、早く再開しよう。バスケは5人で戦うスポーツだ」

「そうよ。どんな手を使ってきたって――」

「――勝つのは『私達』だ」



           ∞


 

 その後、時間でいうと1分足らずではあるが、やはり璃々は蚊帳の外。それでも翠華をしっかり止めているから、自分と翠華を除いた『4対4』という試合の形が固まっていく。


 次の中央実践の攻撃でも、やはり翠華はすぐに4番にパスをさばいた。

 パスを受け取った4番は咲からプレッシャーを受けて尻込みしていたが、ローポストに6番がポジションを取ると、そこにパスを入れた。

 ボールを持った6番は勇羅がマークしている。6番はここまで勇羅に打ち負けているから、勝負することなく、逆サイドに開いていた8番にパス。

 杏樹がマークする8番のポジションはスモールフォワードだ。実はこの8番が中央実践で最も点数を取っている。点取り屋だ。だからボールを受け取るなり、すぐにドライブを仕掛けた。杏樹はしっかりと足と体幹でついていき、簡単には抜かせない。

 そこに合わせるように動くのはここまで愛羅に完封されているセンター。

 5番をつける選手だ。直接的な勝負ならば愛羅に分があれど、流れのプレーではその限りではない。愛羅が5番を追いかけようとするが、別の場所から現れた6番に進行を邪魔され、出遅れてしまう。

 8番から5番へのパス。

 5番はボールを受け取るなりシュートフェイク。遅れて後ろから追いかけてきていた愛羅は見事に引っかかって飛び上がってしまう。その隙に、5番はドリブルで愛羅を抜き去った。

 そこに勇羅がカバーに入る。ともすると、先程、愛羅の進行の邪魔をした6番が完全なノーマークとなる。


 ボール所持者も非所持者も、全員が一丸となって攻めこむ。バスケの基本とはいえど、その完成度は日新学園とは千里の径庭にある。中央実践は翠華なくとも強い。それを証明せんばかりの連携だった。


 しかし、


 6番がパスを受け取り、シュートをうとうと胸にボールを構えたその瞬間である。

 瞬速でその懐に現れた咲が、シュートチェックをする。

 咲は今の中央実践のパスの経路を読み切っていたのである。

「なっ!?」

 6番はギリギリのところでシュートをやめてドリブルをつく――が、ボールが弾むことなく手のひらに返ってこなかった。

「へっ!?」


 そこには、璃々がしゃがんでボールをキャッチしている姿があった――


 璃々がボールを奪ったのだ。

「おお、ナイスカット!」と、ベンチの仲間たち。


 ところで、ボールを奪ったとはいえ、璃々がそこにいたともなれば、翠華が放ったらかしだ。中央実践の得点源である翠華のマークを外すなんて、敵味方問わずコートにいた選手たちは誰一人として思っていなかっただろう。

 でも、別に璃々は杏樹のように心理の逆手をとったわけではない。ボールに触りたいからここに来ただけである。もちろん、触りにこれたということは、咲と同じく中央実践のプレーを読んでいたということなのだが――、

「やった、触れた」

 と、ほくほく顔を見る限り、そこまで深く考えていないだろう。

「よし、良くとった!」

 咲も褒めてくれて嬉しい。

 

 しかし、ボールを持ったところで璃々は何もできない。すぐさま相手に取り囲まれる。

 やっと触れたボールを取られないように、璃々はボールを(愛でるように)お腹に抱え、叫ぶ。


「うわぁあん! 愛ぃ、どこお!?」

「こっち! はよ、よこせ! バカ!」

「バカは余計よ! アホぉっ!」


 愛羅の姿は見えないけれど、璃々は声が聞こえた方に向けて慌ただしくボールを放る。とりあえず取られないことを優先して高く投げただけだから、とてもとてもパスとはいえないものではあるが、愛羅はそれをしっかり受け取ってくれた。


 そこから始まる速攻。目にも留まらぬスピードで中央実践の選手たちを置き去りにした。

 ちなみに璃々も置き去りにされたけど、頑張って最後尾を走って、シュートが決まった頃にゴール下にたどり着いていた。


【日新 52 ‐ 55 実践商】


 3点差。いよいよ射程圏内である。



          ∞



 ゴールを通って点々と転がるボールを相手方の6番が拾う。


「ごめん、翠華……」

「いいよ。ありゃ相手が上手かった。次は落ち着いて決めよう」


 6番の選手がエンドラインから、翠華にパスを出そうとしているところである。


 さて、


 最後尾を走っていた璃々はまだゴール下に残っていた。翠華と6番のすぐそばだ。仲間たちはもう自陣に戻ってディフェンスの準備をしているというのに、のんびりしたやつである。

 璃々はアンテナをぴょこぴょこ揺らして、トテトテと自陣に戻る素振りを見せていた。

 その時、璃々の脳裏に浮かぶのは今まで見てきた数々の試合――


「……」


 エンドラインからのパス出しは、実は相手が一番油断する瞬間でもある。だからこそフルコートプレスを不意打ちでやられた時、日新学園はてんやわんやと慌ててしまった。

 そして今までたくさんのバスケを見てきた初心者は、それをよく知っていた。


 だから――その油断をついたこういう『せこいプレー』は、プロでも、強豪同士の試合でも、よく見られることである。


 璃々は翠華の横を通り過ぎる瞬間、キュッと体育館履きの靴底から甲高い音を響かせて、素早く振り返ると「えい!」って感じで翠華の正面に飛び込んだ。

 すると、

 同時に、6番が出したパスが璃々の手に当たった。

「馬鹿! 落ち着けっていったばかりなのに!!」と、翠華の怒声が飛ぶ。


 これこそ璃々の狙ったセコいプレー。やってみるものである。


 ボールは璃々の眼前でてんてんと弾む。それを拾ってしまえばすぐにシュートができる。

 しかし、そうはさせまいとすぐさま6番がゴール下に陣取り、翠華が背後で動き出す。

 翠華の動きは速い。すでに璃々の前に回り込もうとしている。翠華の呼吸を肩越しに感じる。怖い、超怖い。

 そこで、

「あ……」

 ふと、璃々は気づいた。興味本位で犯行セコいプレーに及んだはいいが、その先のことを考えていなかった。

 ――あれ? ディフェンスが二人もいるんだから、ボール拾ってもシュートなんてうてなくない? 璃々、初心者だよ? どうすんの? やっぱりボール触りたくない。ごめんなさい。身の程をわかっていませんでした!

 刹那の躊躇い。

 実に的を射た反省である。しかし「リリー早く拾え!」と、味方の中の敵の声が聞こえてくる。ああ、これ拾わないと後でボッコボコにされるやつだ。ぐすん。

 拾ってどうしろっていうのよ……どうせ愉快に転がるオチが見えてるじゃない。

 ボールを奪うなんて諸行、初心者がやっただなんてとても凄いことなのに、もはや璃々は悟りを開いてしまうぐらい、追い詰められていた。結局、拾う度胸がないのなら、何もしなければよかったとも思う。

 翠華の手がボールへと伸びる――

 でも、


 ――あ、そうだ。


 それは唐突な閃きだった。璃々はこういう場面で行われる『せこいプレー』をまだまだたくさん知っていた。

 だから、

「てい!」

 璃々は思い切って、ボールを拾った――と同時に、

「きゃん!?」

 前のめりにつんのめって、転がっていった。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴツン。ぐすん。


 静寂――会場がしんと静まり返り、寒々しい。あ、枯れ葉が飛んでいる。


 今さらのことだが、何事もなければ、ボールを持って転がるとトラベリングである。

 当然、ピピィッ! と、甲高い笛が鳴った。

 審判の『拳』が高々と上げられる。


 日新学園のベンチから、失笑と溜息が漏れていた。そばにいた中央実践の6番まで「大丈夫?」と心配しながら、少しだけ笑っている。


 しかし、誰しもが璃々のスーパーローリングを見て笑っているというのに、翠華だけは憎々しげに、璃々のことを睨みつけていた。

 さらにボールを抱えてフロアに倒れ、無様に会場中から笑われている璃々のその口元、


 ――そこにも確かに笑みが浮かんでいた。


 翠華と璃々だけは、わかっていた。審判が『拳』を振り上げている。冷静であれば、この時点で審判の判定がわかるのだ。

 そして、審判がコールする。トラベリングではなく、璃々の狙ったそれを――


「『青7番』、プッシング!」


 翠華のファール。

 会場が一瞬、静寂に包まれたあと、すぐさまどよめきが起きる。ため息をついていた日新学園のベンチの様子が一変する。


「……やられた」


 翠華はその判定に逆らう素振りも不満すらも見せず、素直に審判に従っていた。


『プッシング』。相手を過剰に押す反則。

 確かに、璃々がボールを拾おうとしたあの瞬間、翠華は、璃々をこっそり押していた。

 ほんの僅かだった。試合中なら頻繁に起きる笛すら鳴らない細やかなプレッシャー。もちろん、基本的に相手を押すことは反則であるが、こればかりはやられる側も、当然のことと割り切っているプレーなのだ。日新学園の選手たちだってやっている。

 それなのに、璃々は翠華にそれをやられた瞬間、派手にすっ転んだのだ。

 審判にアピールするために――

 誰しもが当たり前のようにやっている『せこいプレー』ではあっても、元を正せば反則だ。審判がそれを確認したら当然、ファールだ。

 それが伝わらなければトラベリングになっていたが、璃々としてはどっちでもいいと思っていた。そもそも、璃々があそこでボールを拾っても、シュートなんてできない。もし辛うじてシュートができたとしても、手練2人を相手にした状況では慌ててしまって見当違いの方向にボールが飛んで行くだけ。やっぱりオチは見えている。

 だから璃々は賭けに出た。たとえアピールが上手く行かなくて、トラベリングになったとしても、中央実践ボールでもう一度エンドラインからプレーが再開されるだけだから、別に何も損はしない。ちょっと笑われて涙が出るだけだ。


 結果、璃々は賭けに大勝利した。


 ――うむ。上手な審判さんだ。その調子ですよ!

 璃々は感心していた。偉そうに。


 ただし、こればかりは事実、璃々は偉いことをやってのけたのである。

 このファールは今までのものとは意味が違う。

 第4Qが始まってからまだ1分と少々。翠華、4つめの個人ファール。

 それは崖っぷちから敵のエースを突き落とす、璃々の最大級のファインプレーだった。


 ――だが。


 ブザーが鳴る。中央実践がタイムアウトを取るようだ。

 璃々は仲間たちの元へと向かおうと、トテトテと歩き出す。

 翠華の横を通り過ぎるその時、


「やってくれるじゃないか。ガキンチョ共」


 ――確かに聞こえた。


「でも、まだ終わらせねぇよ」


 山下翠華の声。

 璃々が崖っぷちから突き落としたはずの中央実践のエースは、されども決して怒りを露わにせず、その闘志をまとったままに静かに、静かにコートを去っていく。


 璃々は知っている。

 中央実践商業はインターハイでの優勝経験はない。それはつまり、何度も何度も敗北を経験してきたということだ。その経験値は、たかだか練習試合で一度負けた程度の日新学園とは比較にならない。

 そして山下翠華という底辺から成り上がった真のエースは、きっと、この程度の困難には日常茶飯事のレベルで直面してきたことだろう。

 この程度で心が折れるほど、やわではない。

 だから、審判の判定を素直に受け入れた。璃々の、日新学園のプレーを賞賛する。


 ――まだまだ終わらない。


 色めき立つ仲間に迎えられる璃々は、されども1人、ゴクリと息を呑むのだった。



           ∞



 タイムアウト。


「超ファインプレーだ、璃々! よくやった! お前はアホ面なんかじゃない!」


 バシバシ、ペチペチ、ゴツン(1発目)、ガツン(2発目)、バコン(3発目)。

 璃々はベンチに戻るなり、仲間たちに頭を叩かれまくった。

 手厚い歓迎は嬉しかったけど、グーパンチが3発混ざってたから、ちょっと泣いた。ていうか、2発はわかるけれど、あと1発は誰!? ……杏樹ちゃん、その握りしめた拳はどこに向けたの?

 そんな璃々は放っておこう。


「交代してきますかね?」


 咲が零奈に問いかけたのは、個人ファールが4つになった翠華のことだった。

 ファールが4つになった選手は退場を避けるために交代させて、一時的に引っ込めるのがセオリーだ。特に翠華のようなエースともなれば、退場となったら相手も困るだろう。


「残り時間はまだ8分半もある。点差からして退場まで出し続けて逃げきれるとは考えないだろうから、当然、交代だな。何よりも相手からしたら、璃々が得体の知れない脅威になっている。様子見も兼ねて私なら残り3分まではベンチに引っ込ませる。ほら――」


 零奈がそういうと、相手チームの交代が告げられた。

 第2Qにも出てきた控えの大型ポイントガード、9番だ。


「代わりに出てきたあの子も十分上手い。だが、メロンちゃんほどではない」

「翠華です、スイカ」

「こっちも璃々を交代。玉子」


 玉子がT.Oに交代を告げにいった。


「いいか? たとえ点数で上回っても、最後まで気を抜いちゃいけない。それぞれがそれぞれの役目をしっかり果たそう。そうすれば結果はついてくる」


 ――さあ、行け。

 タイムアウトが終わり、コートに戻る選手たち。

 零奈がベンチに座ろうとする璃々を捕まえた。その際にペリっとアホ面シールを剥がしてやる。それからグシャグシャと頭を撫で回した。


「気持ちを切らすなよ?」

「まだ出してくれるの?」

「当たり前だ。お前はうちの戦力だ。私はお前がうちに勝利を運んでくれると信じてるよ」


 普段の璃々ならそこで喜び勇むところだろう。

 だが、今の彼女の脳裏に浮かぶのは、先ほどの翠華の後ろ姿。

 ――もう一度、あの人と戦う。

 その時、ブルっと身体が震えた。

 怖いとはもちろん思う。だけど、嫌ではなかった。それなのに、身体が震えた。

 ――相手は全国屈指の選手。それと自分が戦う。

 ――戦える。

 ――もっとバスケが出来る。

 なぜだろう。

 それを楽しみに思ってしまった。

 するとますます身体が震える。


「頼むぞ、璃々?」

「はい!」


 結局、璃々はやはりペカペカと満面の笑みを浮かべる。

 それでも体の震えは止まらない。璃々は、もういいや、と開き直った。

 璃々はまだ知らない。

 その震えは、真の挑戦者だけが経験できる『武者震い』と呼ばれるものだ――



          ∞



 日新学園のその後の猛追は満天の星空を踊る流星群のようだった。

 翠華の交代で出てきた9番では咲を止めるには役者が足りず、杏樹のパスが冴え渡り、インサイドの2人が大暴れ。玉子もひっそりとスリーポイントを1本決めた。


 残り時間が3分に近づいた。

 その頃のスコアは、


【日新 63 ‐ 57 実践商】


 しかし、当然、このままでは終わらない。


 中央実践のベンチが動き出す。


 そしてボールを持っていた咲の手を9番がパチンと叩くと審判が笛を吹く。ファールとなって試合が止まるとT.Oが中央実践商業の2度目のタイムアウトを告げる。

 その意味は――


 再び最強の一、山下翠華がコートに戻ってくる。


「さあ、正念場だ」


 零奈の言葉に、日新学園の選手たちは力強く頷いた。






 ――つづく。

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