自称『愛と勇気の正義の双子』
↓初登場↓
八上璃々(やがみ・りり) ――主人公。
芹沢愛羅――主人公の幼馴染。双子のお姉ちゃん。
芹沢勇羅――主人公の幼馴染。双子の妹ちゃん。
1
そこは東京都国立市の学園通り。
この片側二車線の道路には、道に沿うように大きな桜の木がズラリと立ち並び、春ともなれば比喩でなく桜花のトンネルを作り上げる。とはいえ今は冬の終わりで、まだ寂しい枝々が編み物のように連なって、澄み渡るお空を覆っているだけである。
「うわああああん! 璃々が何したっていうのよおおお!」
そんな学園通りを全力疾走するのは、バスケ大好き少女、璃々だった。冬の寒さにお鼻の頭と頬を朱に染めて、目からは涙がはらりとこぼれ落ちていた。
璃々は数週間後に中学の卒業を控えた15歳。身長は160センチ、体重は46キロ。丸顔にプニプニほっぺが可愛らしいと自負しているが、外見的に特徴があるのはその髪型だろう。一歩進むたびに、頭頂部で結った髪の毛がヒョコヒョコ揺れる。この『芽の出た玉ねぎ』のような髪型は、本当は頭の後ろで結おうとしているのだけど、どうしてもできなくて、その結果に出来上がったものらしい。だからアホ毛ではない。自ら建設したアンテナである。
今、璃々はこのアンテナを猛烈に乱舞させながら、学園通りをダッシュしていた。
息は切れ切れ。帰宅部でふやけた体力は、そろそろ限界。それでも立ち止まる訳にはいかない。立ち止まったら捕まってしまう。
捕まったら――いじめられる。
璃々の背後からは巨人が迫っていた。でっかいシルエットが、背後から璃々を捕まえんと進撃してくるのだ。しかも、巨人のくせにやたらと軽快かつ俊敏な足取りで。
璃々と巨人の追いかけっこが始まってからかれこれ半刻は経とうか。
事のきっかけは、放課後を迎えた璃々が中学校を出たところで、歩いていた巨人と目が合ってしまったことだろう。それ以外に理由はない。理不尽なものだ。
「ほらほらリリー、ちゃんと走らないと捕まっちゃうよ? 頑張れ!」
「愛羅がそれをいうの!? そもそも追いかけてこないでよ!」
璃々は巨人に悪態をつくと、眼前に見えてきた曲がり角へと跳び込むようにして方向転換。
しかし突如、曲がり角の先にいた何者かに足を引っ掛けられた。
「ふぎゃん!?」
べターン! と、璃々は盛大に転がる。
すぐさま起き上がり、痛むお膝にフーフー息を吹きかける。すると不意に、璃々は影に覆われた。ふと見上げると、そこには新たな巨人がいた。
璃々は声を上ずらせて、いった。
「ゆ、勇羅もいたのね……」
「そりゃいるよー」
遅れて、「おーい」と、先程の巨人もやってくる。
2体に増えた巨人はずいぶんと楽しそうに笑いあいながらハイタッチを交わしていた。
人一人すっ転ばせて笑っている意地の悪さはともかく、異様に見えるのは、巨人のどこまでも同じその顔立ちだ。揃いも揃って小顔に、パッチリお目目、スッキリ小鼻。コピーしてペーストしたかのような顔がそこに並んでいる。
「作戦通りだったね、勇羅」
「ここまで見事にハマるとつまらなくもあるね、愛羅」
隣町の私立中学の制服を身にまとい、愛羅、勇羅と呼び合うこの巨人たち。
芹沢愛羅と芹沢勇羅は、自称『愛と勇気の正義の双子』である。
しかしその実態は、地元近隣で知られるたちの悪い『不良』である。中学生という身分で髪を派手な色に染め、耳にはイヤリング・ピアスがジャラジャラとぶら下がっている。
さらに、彼女たちは『巨人』である。女子であるのに『179センチ』という規格外の背丈は見るからにして、威圧感◎。
こんな連中に追いかけられたら、そりゃ怖い。
もう捕まってしまった以上、逃げ場はない。璃々が恐怖にプルプルと震えていると、巨人は揃ってニヤニヤ笑いながらいうのだ。
「「さあ、今日もたっぷり遊ぼうねー?」」
こんなデカブツを前にして、誰が逆らえようものか。
璃々は、ぐすん、と鼻を鳴らして泣くことしかできなかった。
愛羅と勇羅と関わるとろくな事にならないから、近寄ってはいけない――という世間の認識は、不良少女に対して抱く感情としてはもっともなことであるが、璃々にとってのそれは、赤ん坊の頃より培ってきた経験から出した答えであり、他の人とは重みが違う。
「リリー、今日は何して遊ぼうかー?」「今日も何して遊ぼうかー?」
「璃々、遊びたくないんだけど……まるでいつも遊んでるみたいな言い方やめてよ……」
すると愛羅と勇羅は、小馬鹿にするような笑みとともに肩をすくめて、こういうのだ。
「つれないなぁ、リリー」「昔から共に育ってきた仲じゃないかー」
璃々はそれに関しては言いたいことが山ほどあれど、否定することはできなかった。
実は、というほどの大したことのない話だが、璃々とこの双子は『幼馴染』だったりする。
自宅はかなりのご近所さん。おまけに璃々と双子は誕生日が1日違い(厳密にいうと日をまたいだ4時間違い)で、新生児室で璃々は何故か双子に挟み込まれていたらしい。
長い長い腐れ縁のおかげ様で、愛羅と勇羅のコピペ顔を、璃々は当たり前のようにどっちがどっちかすぐわかる。それは『おおよそ、先に口を開く方が愛羅だ』ということがわかっていれば、それなりに誰でもできるのだが、迫り来る足音だけで判別できるのは、世界広しといえども璃々だけだろう。
しかし璃々にとって、双子は幼馴染ではなく『天敵』といって相応しい。蛇に対する蛙だったり、猫に対するネズミだったり。つまり、出来る限り近寄りたくない相手なのだ。
今日まで璃々はこの2人にいつもいつも玩具のように遊ばれて、意地悪を受けてきた。背後からのグーパンチが挨拶代わり。今だって目があっただけで追いかけ回してきて、この有り様。これでもし学校が同じだったら、毎日のように上履きに画鋲を置かれたり、牛乳を注がれたり、コッペパンをつめ込まれ、ついでにレンジでチンされたりするのだ。ああ、イヤダイヤダ。
「璃々……お家、帰る……」
嘆く璃々の前で、愛羅はスマホを取り出して時間を確認すると、ニコリと微笑んだ。
「あ! おやつの時間だ!」「それじゃあ、ケーキ食べに行こう!」
そして愛羅と勇羅は璃々の両脇に腕を回すと、
「「さあ、レッツゴー!」」
声を揃えて意気揚々と歩き出す。
「璃々、帰りたい!」
「うん、そうね」「あとで一緒に帰ろうね」
璃々のささやかな抵抗など一瞬で鎮圧されて、ズルズルとどこかにさらわれる。
「いやああああ――!」
まあ、いつものことだ。
2
璃々が双子に連れて来られたのは学園通り沿いにある喫茶店だ。アンティークな調度類で整えられた落ち着くお店。
でも、璃々は目の前の二つのでかい置物が気になって落ち着かない。
おまけに璃々の座るテーブルがケーキで埋め尽くされているものだから、なおのこと。
それはショートにチョコレートにレアチーズ――この喫茶店にある全てのケーキだ。本来であれば飛びついて美味しく頂きたいところなのだが、璃々には素直に食べられない理由がある。
その理由とは単純明快、これらが全て双子が購入したものだからだ。それを食べるだなんて、双子に餌付けされているようなものではないか。
「ほらほら、リリーも遠慮せずに食べなよー?」「美味しいよー?」
うるせい。
それにしてもこれだけの数のケーキを購入できる財力には驚愕の一言である。支払いの時に璃々は愛羅のお財布をチラ見したのだけど、その姉妹共用のお財布の中には、およそ中学生に相応しくないお札の束が入っていた。双子の月々のお小遣いは璃々の20倍近くあるそうだ。
こいつら、こんなナリをしていて、お金持ちのお嬢様なのだ。バッシュの購入を悩む璃々からすると、双子のそういうところも腹立たしい。甘やかされおって、ちくしょう。
「リリーはショートケーキがお好みだよねー?」
「ほらほらー、お食べー」
なおも双子は璃々にケーキを薦めてくる。甘い香りが鼻を突き、やがてそれは璃々の精神を汚染してくる。正直にいうと、璃々は甘いもの大好きなものだから本当はめちゃくちゃ食べたいのである。結構我慢している。
でも、それもいい加減に限界で、
――食べても、いいじゃない。うん。ケーキに罪はないもの。
璃々はフンッと鼻を鳴らすと、ムスッとした表情で、飽くまで「仕方なく」という素振りで、愛羅からケーキの乗った小皿を受け取った。
食べ物は粗末にしてはダメ。仕方ないわ。これはこいつらの厚意に甘えるわけではない。嫌がらせの対価として受け取ってしかるべきものだ――などと、璃々はグダグダ考えながら、ケーキを一口パクリ。すると、
「むむ……!?」
甘すぎないホイップクリームの舌触りと、ふんわり柔らかなスポンジの織りなすハーモニー。これはなんとも、
「――美味しい!」
その瞬間、璃々は先ほどまでの茶番を、綺麗さっぱり頭の中からふっ飛ばした。
頬を緩ませ、アンテナを子犬の尻尾のようにパタパタ振り回して、ケーキを食べ進めていく。
あ、もうなくなっちゃった。
「もう一個食べていい!?」
「好きなだけどぞー」「思う存分どぞー」
「ありがとう!」
「いいのよ、たんとお食べ」「ほらー、口の周り汚れてるよー」
勇羅にお口をゴシゴシしてもらい、律儀にお礼をいって、もっともっとケーキを食べる。
「美味しいね!」
「そうだねー」「良かったねー」
いい子いい子と頭を撫でられて、璃々はニコニコ。あっという間に超ご機嫌になっていた。
璃々、完全敗北。しかし本人は気づいてないからいいのだ。
――お膝が痛い理由? なんだっけ。璃々、いつも転んでばかりいるから、忘れちゃった!
璃々が双子にどんなに酷いことをされても、なんだかんだで一緒にいてしまうのは、間違いなくその単純な性格によるものだろう。愛羅と勇羅は、それを完全に掌握しているのである。子供の頃からずっとずっと、璃々は双子の手のひらの上で転がってきたのだ。
でも、それは璃々にとって苦ではない。だってすぐに忘れるし。
それに、朝はベッドの上から転がり落ちて、学校では足を滑らせ階段から転がり落ちて、放課後には双子に足を引っ掛けられて転がって、どつかれて転がって、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロ――子供の頃からいつも転がってきたもので、
おかげさまで、転がることはもはや、璃々の大の特技となっていた。
∞
女の子とは恐ろしい。喫茶店に来てかれこれ一時間ほどで、あれだけのケーキを残り僅かというほどまでに減らしていた。
そろそろNBAの放送の時間だわ――と、璃々がチラチラと時計を気にしていると、
「あ、そういえば――」と、愛羅が何かを思い出したようである。
フォークを置いて口を拭き拭き。そして愛羅は身を乗り出して、
「聞いてよ、リリー! 私たち、クビになっちゃったんだよー」
「そうそう聞いて――あうっ!?」
しかし突然、愛羅が「勇!」と声を上げると、勇羅のその手をペシンと叩いた。
カランカランと甲高い音が鳴り、フォークが床を滑っていく。そのフォークは今まさに勇羅が璃々に向けようとしたものだった。
「フォークでモノを指すなんて、行儀悪い!!」
愛羅のつり目がさらにキッとつり上がり、勇羅を睨みつける。このお姉ちゃん、こんなナリをして礼儀やマナーには小うるさく、ちょっと気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起こす。今の話題もほっぽり出して、むっつりとした表情で再びパクパクとケーキを食べ続けた。
――いや、ちょっと待って、『モノ』って何?
璃々はツッコめなかった。
「違うもん、今置こうとしたんだもん……」
勇羅はというと、スカートの裾をギュッと握りしめ、グスッと鼻を鳴らしている。この妹ちゃん、大抵のことは気にしない図太いメンタルをしているくせに、愛羅に怒られると超へこむ。
こんな双子の姿も璃々は見慣れたもので、このまま放っておけば愛羅は延々と怒り続けるし、勇羅は許してもらえるまでずっと落ち込むことだろう。そしてなぜかその八つ当たりを璃々が受けるのだ。図体はどデカいくせに中身は完全なお子様だ。
めんどくさい奴らである。璃々はやれやれと溜息を付いて、落ちたフォークを拾って、
「クビって、何かやめさせられたのー? 教えてよー。愛羅が怒ってたら話聞けないよー」
愛羅の話に乗って空気を変えてやる。いっておくが興味はない。自己防衛だ。
すると愛羅はピクリと眉を跳ねさせ、璃々の言葉をしばし吟味して、
「ふむ……そうね。勇、次は気をつけなさいよ!」
「はいよー」
そして2人は一瞬で仲直り。なんとも単純。どっちもどっちである。
「でー? 何があったのー?」と、璃々が再び適当に問いかけると、愛羅と勇羅は、すっかりご機嫌な笑顔でこういった。
「部活をクビになったのよ!」「強制退部!」
双子はどうやら部活を強制的に退部させられたらしい。
「お、おお……さすが……」
笑いながらいうような話じゃないよ? ――とツッコミたい璃々だったが、そんなこと、今さら2人にいったところで暖簾に腕押しするようなもの。
それよりも双子が部活をやっていたなんて初耳で、そっちのほうが気になる。
なんの部活をやっていたのだろう。せっかくだから「なんの部活?」と、聞いてみた。
しかし双子は、すでに自分たちがいいたい事をいえて満足しており、ケーキをパクパク食べるのに忙しかったらしい。一応、こんな適当で短い答えが返ってきた。
「かご」「だま」
たぶんそれは璃々の質問に対する返答なのだろう。それにしたって、『かごだま』とは――
「何それ? 何をする部活なの?」
璃々が困惑していると、双子はケーキを同時に完食し、こういい直した。
「本当にリリーはお馬鹿だなぁ」「『籠球』だよ。『ろうきゅう』。漢字、知ってるでしょ?」
「ああ、なるほど。確かに『かごだま』だ。ふーん……え……――え!?」
璃々は素っ頓狂な声を上げたかと思うと、その顔が真っ青に染まっていく。
「何よ変な声だして?」
愛羅が訝しげな表情を浮かべるが、璃々が悲鳴を上げるのも無理もない。
『籠球』――双子がその言葉の意味を知って使っているのであれば、それは間違いなく、
「ふ、2人共……『バスケ』……やってたの?」
「「そだよー」」
唐突なカミングアウトに、璃々はゴクリと息を呑む。
お口いっぱいに広がっていたはずのケーキの甘さは、一瞬でカラカラに乾き、苦味に変わる。自分が昔から好きだったものが汚された。お気に入りのお洋服にお醤油を垂らしたときのそれと似た感情。
嗚呼、この2人は璃々をいじめるだけでなく、大好きなものまで奪っていくのね。
「もうイヤ……」
ヨヨヨと泣き崩れる璃々を支えてくれるものは、何もなかった。
∞
しかし衝撃から立ち直って、落ち着いて考えてみれば、双子がバスケをやっていようがいまいが、璃々にはあまり関係ないし、気にすることでもない。
そもそも学校が違うという、安全安心な前提があるのだ。もうすぐ高校生になるが、双子は小中高一貫の学校に通っていて、近所の高校に進学する璃々とは全く接点がない。
それに璃々は知っているのだ。双子が未だかつてまともに取り組んだものなど無いことを。
今はどういう気の迷いでバスケ部に入っているのか知らないけれど、どうせすぐ辞めると確信できる。
だって今日までこの2人は、ピアノもダンスもバレエも、その他たくさんのお稽古事を全て1日で辞めてきたのだ。もっと細かいところなら、パズルやプラモデルを買ってくれば、璃々に完成させて持って来いというし、夏休みの宿題だって璃々にやらせてきたし、部屋のお掃除も、庭のお手入れも――あれ、おかしいな。涙が出てきた。
ともかく、何一つとして集中して取り組めない2人なのだから、バスケもその例にもれないはずだ。
そもそも客観的に見て、中学生の時点で身長が180センチ近い選手がいる女子バスケのチームなんて、それだけで全国を制覇できるレベルである。それなのに幼馴染という最も親しい立場にいる璃々の耳に、今まで一切の情報が入ってこなかったという時点で、2人が適当にやっていた証明にもなる。
ほら、
「まあ、ベンチ要員だったんだけどね。髪染めてたから試合に出してもらえなかったのよ」
「ひどいよね。個性の弾圧だよ! 人権侵害だ!」
髪を染めてた以外にも、絶対何かしら問題を起こしていたのだろう。容易に想像できる。
さらに双子はいう。「「おまけにさー」」と、眉をハの字に変えて、
「「強制退部だよ? ひどいと思わない? 私たち、練習だってちゃんとやってきたのにさー」」
「ま、まあ……髪を染めたぐらいで強制退部は可愛そうだとは思うけど」
とはいえ、染髪だって校則違反なのだろう。文句がいえる立場ではない。
ところが、双子はいつも璃々の想像の斜め上を行く。
「退部にそれ関係ないよ?」「それだったら、もっと早く辞めさせられてるよー」
「ああ、そうね。それならどうして退部になったの?」
そして2人は肩をすくめると、口々にこういうのだ。
「先月に卒業前の3年生でやる地域の小さい大会があって」「そこで初めて試合出してもらって」
「相手にユニフォーム掴まれたから殴っただけ」「髪引っ張られたから蹴っ飛ばしただけ」
璃々はテーブルにゴツン! と突っ伏した。
「し、試合中に殴る蹴るって……やっぱり……自業自得じゃないの……」
「でもさあ、あっちが先に手を出してきたのよ?」「だから私たちは『お返し』しただけなのよ?」
「「先に被害受けたのはこっちだってのに、なんで私たちがお咎め受けるのー?」」
「やり返すにしても、限度とルール、方法を知りなさいよ……」
やられたからやり返した、という行為は、事によっては闘争心として捉えられるかもしれないけれど、暴力は駄目だ。そんな事をするのだから、その時まで試合に出してもらえないのも納得できる。彼女たちの学校の先生の判断は間違っていなかった。
しかしここまでの素行の悪さとなると、いくら天敵とはいえ、璃々は2人の将来が心配になってしまう。璃々も双子ももうすぐ高校生。今のまま進学したら、ひと月も経たないうちに問題を起こして、今度こそ部活ではなく学校を、さらに社会を『クビ』になるのが目に見える。さすがにそれは――
一言ぐらい釘をさしておいてやるか――なんて、考えてしまったのが失敗だった。
「2人共、もっと常識をわきまえて、高校はちゃんと行きなさ……あ――やべ」
中学卒業間際というこの時期、『高校』というワードが出れば、それまでの話題をほっぽり出して、そっちに話が逸れていってしまうのが常である。しかし璃々は、この2人を前にした時、高校の話題は今日まで絶対に出さないようにしていた。
だって、この話題になったら、絶対にこう聞かれるのだ。
「そういえば、リリーはどこの高校行くのー?」「今まで教えてくれなかったよねー」
そう、璃々は双子に高校進学に関する一切の情報を秘匿していた。もし教えたら、こいつらは高校生になってからも、学校に乗り込んできて意地悪をしてくる。その確信があったから、今日まで話題を逸らして逃げ回って、教えてこなかったというのに。とんだミステイク!
汗をダラダラと流して口を閉ざす璃々の心境など気づきもせずに、愛羅が呑気にいった。
「ちなみに、私達は今の学校の高等部じゃなくて、外部の高校にいくんだけど、」
「へえ、そうなの」と、璃々は適当な返事。お金持ちのやることなんて、どうでもいい。
しかし、いつもどおり勇羅が愛羅に続き、口を開いたその瞬間、
「私達は『日新学園』に行くんだよー」
「――っ!?」
璃々は、神様は本当に自分が大嫌いなのだと、確信した。
3
愛羅と勇羅は口々に語る。
「私立日新学園高等学校さんは来年度からバスケ部の強化するんだってさ」
「建設中だったバスケ専用の体育館の完成に合わせて、男バスだけじゃなくて女バスもインターハイ出場を目標に活動を活発にするとか云々カンヌン」
「あと、初めてバスケでの『特待生』も取ったんだってさ」
「初心者だろうが経験者だろうが、それまでの経歴なんて一切気にしなくていいから、バスケを本気でやりたいと思う人は、ぜひうちに来てくれって、学校説明会でいってたよー」
なるほど、今までベンチ要員で、挙句の果てに強制退部を受けた2人が、高校でもバスケをやるには、日新学園という学校はうってつけの場所のようだ。
璃々はポツリといった。
「知らなかった……」
「知らなかった?」
愛羅が璃々のつぶやきを耳聡く聞いていたようだ。
璃々は慌てて「なんでもない!」と、ブンブン首を振る。
「ふーん……で、リリーはどこの学校に行くのよ?」
愛羅の追求に、璃々は顔を真っ青に変え、辛うじてこう答える。
「き、近所の学校……」
「へー、近所ねー」「ふーん」
愛羅と勇羅はそれだけでうんうんと頷いた。基本的に璃々の扱いは雑だから、深くは聞いてこないのである。それだけは助かる思いの璃々だった。
しかし、いつも通り愛羅に続いて勇羅が口を開くと、
「でもリリー? ちゃんと説明会とか、見学とかして決めたのよね? まさか、近くなら電車乗らなくていいとか、適当な理由で決めたわけじゃないよね?」
「な、なぜそれを……!?」
璃々は恐れおののいた。璃々の進学する学校は、お家からだと徒歩20分で行ける距離にある。そこは通学の際に電車に乗ることを嫌がった璃々にとって絶好の学校だった。だから志望理由は『近いから』。
つまり勇羅のいうことは大正解! さすが幼馴染である。
そんな璃々を見て、愛羅が深々とため息をついていた。
「あのねぇ、リリー? どういう環境か理解して学校行かないと、また『ボッチ生活』だよー?」
愛羅にそんなことをいわれると、璃々は心臓にナイフが突き刺さったかのような苦悶に襲われた。なんなのだ、このコンボは。そこまでして璃々をイジメなくたっていいじゃないか。
ちなみに璃々は現状、中学校で見事に『ボッチ』なのだった。趣味にばかり時間を割いて、コミュニケーションを疎かにした結果である。
そんな璃々でも本当はお友達欲しい。いっぱい欲しい。友達100人でお弁当食べたい。それにバスケの熱狂と興奮を誰かと分かち合いたい――だから高校生になったらちゃんとお友達作るもん。ぐすん。
しかし、そんなことは今はどうでもいいのである。友達をつくるとかつくらないとかが些細に思える大問題が、璃々の中に生じていた。
璃々は痛いぐらいに早る動機を深呼吸で抑えこみ、何とか言葉をひねり出す。
「ね、ねえ! 日新学園のバスケ部ってどんなとこなの?」
唐突な質問に、愛羅と勇羅が訝しげに顔をしかめるのも、当然のことだった。
「そんなん、リリーなら知ってるでしょ? バスケの知識『だけ』なら、人一倍あるんだから。頭の中にある『バスケデータベース』の『高校生フォルダ』から引っ張ってくればいいじゃん」
「人をパソコンみたいに言わないで! ――まあ、いちおう、日新学園の男バスは知ってるよ。毎年インターハイ出場してるし、過去に三連覇してる!」
「そうそう」
「でも女バスは知らない」
「ほー。リリーでもバスケに関して知らないことがあったんだねー」と、勇羅が目を丸くするのだが、それに反して愛羅は何かを得心したかのように頷いていた。
「いや、そうね。日新の女バスは『超弱小』だから、リリーの耳に入らないのも仕方ないかも」
「超弱小?」と、璃々の耳がぴくりと跳ねる。
「そう。日新学園の女バスは、まともに練習もできないくらい部員が少ないのが伝統で、もはや、あってないようなものなの」
「そ、そんな伝統があっていいのかしら……学校側はどうしてそんな部活を放っておくの?」
「だから、来年から強化するんでしょ」
「はぁ……なるほどー」
それからも璃々は日新学園のバスケ部の細かな質問を繰り返した。
わかったことは日新学園の女子バスケ部は、『部員が少ない』、『コーチ? いるわけないじゃん』、『大会で入賞? まず出場しろ』というレベルの部活らしい。
「ま、何度もいうけど、それは今年度まで。私たちが入学したら『てっぺん』の称号がついてくるわ。最高で最強の学校に生まれ変わるのよ!」と、愛羅は締めた。
一通りの話を聞くと、璃々はなぜか深い悲しみに襲われていた。
「二人ともバスケ部に入る……日新学園のバスケ部に……」
そして璃々は、
「この世に璃々の救いはないの!?」と天に問いかけると、
これまた唐突に、「うわあああん!」と泣き叫び、喫茶店を出て行くのだった。
璃々の奇行には慣れたもので、双子は走り去る璃々の背中を窓からのんびり眺めていた。
愛羅はいった。
「ところで、」
「ところで?」
「リリーの家の近所といえば、うちの近所でもあるわけで。うちの近所の高校といえば、日新学園しかないんだけど、どう思う?」
「ふむ。私たちのことを追いかけてくるなんて、リリーはよほど私たちのことが好きと見える」
「……それはさすがにポジティブ過ぎると、お姉ちゃんは思うよ?」
まあいっか――と、愛羅が時計を確認する。もう18時を回っている。中学生はお家に帰る時間だ。
愛羅はいった。
「とりあえず、今日も『夜遊び』行こうかー」
「今日もがんばろー」
これだから、不良というものは――
∞
璃々はお家に帰るなり、進学先の入学案内パンフレットに初めて真面目に目を通した。
――本当だー。バスケ部強化するって書いてあるー。
そのパンフレットは『日新学園高等学校』のものである。もう確認する必要はないかもしれないが、璃々も双子と同じくして、そこに進学するのだ。近所だから。
何たる偶然、何たる不運。璃々は涙を流さずにはいられない。
璃々はリビングのソファの上で「あー」とか「うー」とか唸りながら、しばらく考えごとにふけっていた。バスケをやろうと決めたのは、合格発表が終わってからなので、バスケ部強化の話は願ってもいない僥倖ではあるが、双子がいることは大問題だ。どうすんべ。
そして、やがて一つの答えを導き出した。
――とりあえず、バスケ頑張ろう。うん。バスケのことだけ考えるんだ。
璃々はリビングの壁掛けカレンダーをジッと眺めて、力強く頷くのだった。
無論、ただ現実から目をそらしただけである。
――つづく、