閑話2 バスケットマンの世間は狭い
↓登場人物↓
安城咲――1年生の時は、お人形さんみたいに可愛い直毛だった。
ハッチ先輩と他3名の先輩――優しかった。バスケは下手だった。
昨夏のことである。
咲はまだ高校1年生。髪型もお人形さんみたいに可愛い直毛だった。
先輩たちが東京体育館で行われている中学生の全国大会を見に行くというから、咲も彼女たちについていった。本当は練習をするつもりでいたから、バッシュやらテーピングやら、あれやこれやと練習装備を整えていて、それを詰め込んだエナメルバッグがなかなか重かったことをよくよく覚えている。
試合を見るというのもいい勉強だ。中学生の試合といえども、それが全国クラスともなればハイレベルなプレーが見られる。それに東京体育館というものは、バスケをしている者にとっては憧れの地である。咲は一度もそこに訪れたことがなかったから、行ってみたかった。
できれば選手としてここに来たいけど――まあ、そのうち来るさ。
その日は第3回戦の試合があり、目玉の試合は神奈川の市立中学と優勝候補の中学の試合だとハッチ先輩がいっていた。
特に神奈川のチームにすごい子がいるらしい。次年度から日新学園は特待生を取るということで、その子を目当てに日新学園の先生方も見に来ているとのことだった。
(ほら、見てみて! あの子! 凄い上手いの!)
興奮してハッチ先輩が指差すのは、ハーフタイムにコートに現れた神奈川代表の選手。
五月女杏樹という中学生にしては大きな子だった。
(凄いなぁ、中学生であんなに上手だったら、高校に入っても大活躍なんだろうなぁ)
(私たちもあの子の10分の1でも実力があればなぁ)
口々に先輩たちはボヤく。
咲は先輩たちのそんな卑下したところが、ちょっとだけ嫌だった。
先輩たちは上手い下手に関係なく、バスケットボール選手としては立派なのに――
それに、咲からすると、ハッチ先輩イチオシの選手がいまいちピンとこず、コメントしづらかった。正直にいってしまうと、なんだか動きがヒョコヒョコしてて、上手いと思えなかったのだ。
(まあ、咲ちゃんは目が肥えてますからなぁ)
(サラブレッドだものねぇ)
それからハーフタイム練習が終わったところで、咲はおトイレにいくことにした。先輩たちに「お菓子買ってきて」といわれたけれど、あいにくとそんなお小遣いはないのでベーッと舌を出して断った。
トイレにいく途中で、
(わーん! 愛と勇のバカヤロー! なんでこんなところまでついてくるのよー!)と、泣き叫びながら体育館を出て行く女の子とすれ違う。
涙の尾を引いて去っていく女の子。アンテナみたいな髪型が、ちょっとだけ面白かった。
なんだなんだと思って振り向くと、女の子の走ってきた方向にはケラケラ笑う2人組がいた。
うお、デカ!? と思った。まさかあれも中学生なのだろうか。
全国というものは広い(今思うと狭いのだけど)。
感心しながら、おトイレに行き――そして、
咲は杏樹に出会った。
トイレを出た所の選手控室へと続く人気のない廊下。そのベンチに、杏樹は腰掛けていた。
――あ、さっきハッチ先輩が大絶賛してた子だ。
とはいえ、相手はプロでもないし、ちょっとバスケが上手な中学生というだけだ。ミーハー根性なんて湧き出てきやせず、そのままスルーするつもりだった。
でも、無視はできなかったのである。
だって杏樹はその時も、
泣いていたから。
咲はお節介焼きな性格である。居ても立ってもいられなくなって、どうしたの? と、声をかけると杏樹はモゴモゴと、こんな感じのことをいった。
(足が痛い)
咲はどれどれと、杏樹の右足首を見てみる。すると、これがまたびっくりするぐらい腫れていた。こんな怪我、本来であれば出場を控えて病院に直行して安静にしなければいけないレベルであった。
――だからさっきの練習で動きが変だったのか。
いつ怪我したの?
(昨日の試合で)
先生にはいったの?
(私がいないと勝てないから――)
それは咲の質問の答えにはなっていなかったが、咲はその意味を十分に理解した。
きっと、杏樹も自分の怪我の容態をわかっているのだろう。それを先生にいってしまえば、きっと試合に出してもらえなくなる。中学生としての最後の大会。怪我をおしてでも出場したい。せっかく夢の舞台に立ったのだ。
いや、杏樹が怪我を我慢する理由はそれだけではなかったらしい。
杏樹はポツリポツリと、こう続けた。
(皆は今日までなんだかんだいいながら、私についてきてくれた。それなのに最後の最後で私が逃げるなんて、できない。皆のために出ないと。でも、痛い)
それはチームの中心人物の責任感ゆえ――
杏樹は自身の中にある葛藤と、痛みと戦っているのだろう。咲と話している間も、ずっと俯いたまま顔を上げてくることはなかった。もしかしたら自分自身にいい聞かせるように気持ちを吐露しているだけで、相手が咲であることなんてどうでもいいのかもしれない。
――この子も、馬鹿だわね。
咲はやれやれと首を振り、そして、杏樹にこう問いかけた。
――バスケはチーム競技だってこと、わかってる?
すると、杏樹はキョトンと小首を傾げ、こう答えた。
(バスケット選手なら知ってて、当たり前)
その答えを聞いた咲は深い溜息を一つつく。
――そういうと思った。
それから杏樹に、待ってなさい、とだけいって、咲は先輩たちのところへ戻っていった。
∞
(お帰りー。長かったねー? 大きい方?)
違います!
咲は自分の鞄を漁ってテーピングとアンダーラップを手に取ると、ちょっと用事があるといってもう一度お手洗いに向かった。
杏樹は律儀に待っていた。いや、動く気力もなかったのかもしれない。
――いい? これはほんの気休めだからね?
咲は杏樹をトイレの個室に連れ込み、そこで杏樹の足首にテーピングを施してやった。ガッチガチに固める形で。これで騙し騙しなら動けるはずだ。
――それと、ちゃんと先生にはいうこと。わかった?
(……はい。ありがとう。ございます)
そうして咲は杏樹の背中をポンポンと叩いて、ちゃっちゃとその場を立ち去ったから、その後の杏樹が何を思っていたかは知りもしない。
ただ、その後の試合を見る限り、杏樹が怪我をチームメイトに隠したままだったことは明白だった。
試合の結果は――惨敗である。
悲惨な試合。それが誰の責任であったかなんて、誰にでもわかることだった。
(あの子……なんだか咲ちゃんに似てるね。周りが足を引っ張ってるところが)
咲はそんな先輩たちの言葉を、二つ否定するためにぶんぶんと首を振る。
咲は先輩たちに足を引っ張られてると思ったことなんて一度もないと断言できた。それに、
――足を引っ張ってるのは、あの子ですよ。
(まあ、確かに、すんごい口悪いもんねぇ)
試合中に杏樹が叫んだ罵詈雑言。それを聞いていた会場中の大人たちは、これでもかと顔をしかめていた。きっと、杏樹がどんなにバスケが上手くても、全国の舞台であんな無様を晒したら、もう『まともな学校』は推薦してくれないかもしれない。
だが、咲は別にその暴言に関して足を引っ張ってるといったわけではない。むしろ杏樹は間違っていないじゃないかと、咲は思う。
走れよ。飛べよ。スクリーンアウトしろよ。突っ立ってんな。最後まで戦えよ。できないなら出るな!
――おそらく、口が悪いことについては、チームメイトは腹を立てはしてもそれ以上のことは思っていないだろう。杏樹は決して貶しているわけではなく、事実をいっているだけだから。そればっかりはやってない周りが悪い。
そもそも、チームメイトたちは杏樹にどんなに叱られようとも、今日までついてきてくれている。嫌なら辞めるという選択肢があるにも関わらず、ちゃんと続けているじゃないか。チームメイトたちは間違いなく、杏樹のことを友達としてはどうだか知らないけれど、選手としては信頼してくれていた。杏樹に怒られることを、自分に責任があるとわかってくれていた。そうでなければ全国なんて来れるわけがない。
それなのに、
杏樹がチームメイトを裏切ったらダメだろう。怪我を隠して戦うだなんて、実力不足を自覚していながらもついてきてくれた仲間たちに、真っ向から『お前らなんて信用していない』といっているようなものだ。
杏樹が仲間たちに怪我のことを告げて、その上で試合に臨んでいれば、試合の結果は同じでも、こんな惨めな思いはしなかったはずだ。
そして咲は、その試合をこう総括する。
――まだまだ、未熟だわ。
∞
そろそろ帰ろうか、という先輩にくっついて玄関ロビーにやってくると、日新学園の理事長先生に会った。特待生のスカウトのために、ここ最近は試合会場に足を運ぶことが多かったらしい。
いつもいつも、温和な笑みを浮かべた優しげなおじ様だ。年の頃は四十手前、咲の父親と同年代ぐらいで、若くして理事長になったデキる男である。
理事長先生はもともと熱狂的なバスケフリークで、それゆえか、バスケ部に顔を出すことも多く、咲は理事長先生に顔を覚えられていた。
適当な挨拶を交わす中、理事長先生はこんなことをいった。
(安城くんは、五月女杏樹さんを見て、どう思いましたか?)
理事長先生は偉い人。そんなことはだれでも知っているわけで、いくら顔を合わせる機会が多かったとはいえども、そんな気安く話しかけられるのも困るというものだ。
だから咲はモゴモゴと、言葉に詰まってしまった。
理事長先生はニッコリと微笑んで、ポンポン、と頭を撫でられた。咲がコロンの匂いに咳き込むと、
(来年は私の娘も入学してくるから、よろしくお願いしますね)
理事長先生はそういい残して、去っていく。
――なんなんだ、あのおぢ様は……。
精神的疲労がかさんで、咲はゲンナリうなだれていた。
おまけに、ふと気が付くと先輩たちがいなくて、置いて行かれたことに気がついて、咲は涙目になって後を追うのだった。
――なんで置いていくんですか!?
(理事長先生、苦手なのよねー)
(バスケのことを語りだすと、帰らせてくれないんだもの)
(娘さんが可哀想)
(咲ちゃんならいい餌になるしねー)
――餌って何!?
そんな夏の日だった。
∞
それから数ヶ月後。
日新学園が初めて取ったという女子バスケ部の特待生、それが五月女杏樹だと知った。
そして季節は流れて春。せっかくだから、咲は自慢の先輩たちの最後の勇姿を杏樹に見てもらった。
杏樹には、この先輩たちの凄さと素晴らしさ、伝わっただろうか。
チームとは、どうあるべきかわかっただろうか。
「ま、わかんないんでしょうね」
でも、そのうちわかってくれればいい。仲間というものの大切さを――
バスケとは5人で1つのチームとして、戦うスポーツなんだ。
ご読了、ありがとうございました。
次回から第三章『バスケって楽しい!』始まります。