新生、日新学園女子バスケットボール部
↓初登場↓
松井佳奈――新入部員。常識人。
竹下綾乃――新入部員。おっとり優しい。
梅津聡子――新入部員。お喋り大好き元気っ子。
1
熱戦の翌日。昼休み。杏樹はやはり一般生徒の校舎に脚を運び、中庭で昼食を摂っていた。
今日も友達と一緒。でも、そのメンバーが少し違う。
双子――愛羅と勇羅が加わっているのだ。
「この唐揚げ美味しい。どうしてリリーのマミーがチンすると美味しいんだろ?」
「コロッケもいいね。さすがリリーのマミーは冷凍食品の達人だ」
「どうして璃々のお弁当を当たり前のように食べてんの!?」
愛羅と勇羅は、さも当然のように璃々のお弁当を横から摘んでいた。
「マミーが……朝から騒音まがいのチンして、用意してくれたのに……――」
残ったおかずはブロッコリーだけである。璃々は「だから、嫌なのよぅ」と、目をウルウルとうるませて唇を噛み締めていた。涙をこらえている。可愛い。
――あ、ところでその冷凍食品だらけのお弁当、璃々ちゃんのお母さんが作ってるんだね。
地味な事実に気がついた杏樹だが、残念ながらツッコミスキルはないので、タイミングを逃したのだった。
「昨日の敗けはリリーの応援が足りなかったから、これはその罰だよ」「応援要員が仕事してないんだから当然よねー」
「璃々、応援要員じゃないもん!」
「本当にー?」「白玉、どう思う?」
話をふられた玉子はちょっと困ったように眉根を下げて、こう答える。
「え、うん? そうね。応援は、私か璃々ちゃんの役目になりそうだよね」
「ちょっと、たまちゃん、負けないで! そこは強気に!」
「あ、ごめん。そうだね、応援は璃々ちゃんの役目だね」
「そうじゃないよ、たまちゃん!?」
昨日の2対2終了後、双子はしっかりと慎ましく入部届を提出し、無事バスケ部員となった。
これでバスケ部はめでたく6人になった。ただ、璃々は納得がいっていなかったようだ。
昨夜、璃々はいった。
(あいつらは敵よ! 璃々は絶対に認めない!)
双子は璃々の天敵らしい。できることならば奴らの生涯に大量の悔いを残させて天に滅したい。でも未だかつて喧嘩でも勉強でも、スタイルでもラブレターの数でも料理の腕でも、じゃんけんでもボウリングでもポケモンでも勝った試しがないのだという。なんか聞いてるだけで泣けてくる。
つまり『人質』でもなかったことに、杏樹はひっそりと衝撃を受けていた。
春休みの間、暇さえあれば璃々と会っていた杏樹だけれど、双子とは一度も遭遇したことがなかったのは、璃々が彼女たちから逃げ回っていたからなのだろう。
しかし璃々がどう思おうと、これで仲間が増えた。喜ばしいことだ。
杏樹が黙々と璃々と双子を観察していると、ふと、愛羅と目が合う。すると彼女はニコリと笑った。
「ねえ、お姫様? これからは一緒にリリーを鍛えてあげようね」
「ビシバシと! ついでに白玉も鍛えてあげよう!」と、勇羅も続く。
それを璃々がふんと笑い飛ばした。
「杏樹ちゃんだけで十分だから、あなた達なんていらないわ! ね! たまちゃん?」
「私……ついでだから……」
すると玉子はどんよりと肩を落としていて――
「ちょっと勇羅! あんたが変なコトいうから、たまちゃんが落ち込んじゃったじゃない!」
「ああ! ごめんよ白玉! ついでなのはリリーだよ!」
勇羅が慌てて訂正すると、玉子はケロリと笑った。
「うん、それならいいよっ!」
「たまちゃん!? 強気の方向性をこっちに向けないで!」
そんな騒がしくも楽しい、昼休みだった。
∞
ところ変わって職員室。
入口近くのピカピカのデスクに座るは、新米女教師――神崎零奈である。
零奈は先月に大学を卒業したばかりの新社会人。22歳、独身だ。
ついこの間、現代文の教師として今年度の新入生と一緒にこの学校に赴任した。新米ということもあり、まだ2年生の一部クラスにしか教鞭をとっていなかったり、2年A組の副担任という名の雑用係をやらされるなど、生徒たち同様に多くの課題をこなす日々。
先生になってから1週間が経ってお疲れ気味なのか、その背中がくたびれている。忙しすぎてお化粧だって適当だし、自慢の髪の毛を手入れする暇もない。
髪型はストレートなのだが左右非対称の独特なカットをしていて、『赤み』がかかっている。「聖職者たるものが、そんな派手な色に髪を染めるとは何事だ」なんて頭の硬い年寄りに怒られたりもするが、これは正真正銘、地毛である。もちろん生粋の日本人だ。
2年生の間に『赤い髪の妖精』がいるなどと噂されているらしいが、その正体は零奈だった。
赤い髪はともかく、零奈が『妖精』と呼ばれる所以はその背丈がちっこいからだ。ヒールの高いパンプスでも誤魔化せない、自称141センチという背丈。これでもまだ自称である。そのために頻繁に人の視界から外れて見失われる。「あ、いたの?」――その言葉は聞き飽きた。
さらに上げ底のパンプスに慣れていないものだから、頻繁にすっ転んでいる姿が見られる。かつかつとヒールを鳴らして格好つけて歩いても、廊下を行って帰って来る間に3度はすっ転ぶほどだ。お膝が痛いのは日常茶飯事である。
そんな情けない姿を晒しているせいか、すでに生徒たちに舐め腐った態度を取られる。頭を撫でられるわ、飴ちゃんを貰うわ、抱っこされるわ――何より、誰も『先生』って呼んでくれない。悔しい。すごい悔しい。許されるのなら1人残らず木刀でぶん殴ってやりたい。
どうして人は背が低いというだけで、その中身まで幼いと決め付けるのか。未だかつて零奈を初対面で「お姉さん」と呼んでくれた子はたった1人しかいない。
先生になってからというもの、ストレスがじっくりコトコト煮込まれている。
「ああ、あの子に会いたい。ちゃんとバスケ部で上手くやれてるかな?」
お姉さんと呼んでくれた唯一の女の子――ひと月前に女バスの練習試合を一緒に見た、日新学園史上初の女子バスケ部特待生。彼女の事を今でもしっかり覚えている。
だがまあ、心配せずとも、もうすぐ会うことになる。
何故ならば零奈は、
――今年度から再編される女子バスケ部の顧問に任命されたのだ。
つまり彼女こそ、日新学園女子バスケットボール部の『指導者』となる人だった。
零奈が女子バスケ部の顧問に任命された理由は、彼女がこの学園の卒業生ということが大いに関わっているだろう。
かつて、零奈は『強豪』と謳われる日新学園の男子バスケットボール部のマネージャーだった。だから、その経歴を見込まれて顧問を任されたのだ。
それはいい。しかしめんどくさいのはその後である。
「女子バスケットボール部……活動計画書……」
先日、女子バスケ部の活動計画を立てろと、教頭先生にいわれた。
顧問の先生というのは、子供たちの部活動をただ見守るだけが仕事ではない。部活動というのもまた教育課程である。そこにどんな目標を持つか、どんな活動をしていくのか、顧問の先生が計画を立てないといけないのだ。特に学校が本格的に力を入れる部活動とあらば、重大な責任が伴うだろう。だから上司たちは、零奈がそれをちゃんと出来るか確認するために、書類を提出しろといってきたのだ。
「はぁ、そうですか」と、その時は適当に答えていたのだが、
いざ考えてみると、その内容がさっぱりわからないのである。
強化するなら練習を増やせばいいじゃない――そう思って『練習、いっぱいします』と書いて提出したら怒られた。「そんな当たり前のことは聞いとらん!」だって。
それ以外に何があるっていうんだ。強くなるには地道な練習を積み上げないといけないんだよ。一に練習、二に練習。それ以外にないんだ。
わかった。言葉が悪かったんだ。まがいなりにも国語の先生だし、確かにそんな文章じゃあ、頭のお固い連中に通じないことも頷ける。だから、もうちょいこねくり回した文体(三千字ぐらい)とそれっぽいグラフとかパワーポイントとかを使って同じ意味のものを提出したけど、「だから! 練習するのは当たり前だろ!」といわれた。教頭先生はなかなかやるやつだった。そういえば教頭先生ももとは国語の先生だった。いつの間にか出世しやがって。
それを幾度か繰り返していくと、教頭先生はうんざりと頭を振ってこういった。
「細かい練習方法などはいらないから、練習をして、何を得るのか。そこまで書いてくれないか?」
「勝つために練習するんだから、わざわざ書かなくたってわかるでしょうに……」
「わざわざ書くのが計画書なんだ!」
そういうわけで目の前で書いてやった。
「『いっぱい練習して、勝ちます』? ――だめ。ボツ。次」
「くっ……未だにバスケのルールも覚えられないくせに、偉そうに……――」
「む!? 私だって『30秒ルール』ぐらい知っとるわ!」
「いつの時代だよ……」
「ともかく! しっかり書きなさい!」
どうしろっていうんだ。
半ば心が折れかけているのだが、今更になってイヤイヤと首を振ってももう遅い。
学校一の権力者である理事長先生に肩を叩かれて、
「引き受けてくれてありがとう。期待してますよ」
なんて笑顔を向けられた時には、首筋にナイフを当てられている気分だった。
ちくしょう、毎日毎日だらしがない顔で娘の手作り弁当をつついてるおっさんのくせに!
「ぐぬぬ……」
零奈は唸り声を上げると、グシャグシャとレポート用紙を丸めてポイ、っと投げた。
それは綺麗にゴミ箱に入って、「おお、ナイッシュー」と同僚たちにいわれるのだった。
――くっ……また資源をひとつ無駄にしてしまった。
ちなみに今のが50枚目である。無駄にした用紙の代金は零奈の給料から天引きされる。
∞
そんな新米教師の姿を見て、ため息をつくのはやはり教頭先生だ。
「新しく猛々しい風を起こすには彼女こそ適任だ」と、理事長先生がいったのは先日のことなのだが、教頭先生としてはかなり不安だ。風が起きるのはいいけれど火の粉が混じっていたら大災害に繋がる。あの髪、見るからに炎上しそうだし。
理事長先生が零奈に女子バスケ部の顧問を任せるといい出した時、教頭先生は最後まで反対した。学生時代の零奈のことをよく知っているからこそ、やめたほうがいいと何度も訴えた。
何せ、今でこそ零奈は丸くなっている(たぶん)ようだが、学生時代は手がつけられない『不良』だったのだ。
しかも時代遅れのスケバン風の!
ド派手な化粧に靴が隠れるほどの長いスカート(隠れた靴はシークレットブーツ)。いつも木刀を片手に持ち、振り回してはそれで高いところのものを取っていた。木刀はダメ! といって取り上げた時には、窓を開けようとしたら鍵に手が届かない。それに腹を立てて窓を割るような生徒だった。
(だって暑かったんだもん! 風通しを良くしただけだもん!)
アホかと。
――いや、素行が悪かったことは、どうでもいいのだ。
問題は、彼女が再びこの学園のバスケ部に関わってしまうということだ。
当時、男バスのマネージャーをやっていた零奈ではあるが、そのマネージメントは飲み物を用意したり、荷物を運んだり、選手のケアをしたりする程度のものではなかった。試合中の戦略知略は当たり前、偵察から練習方法の提案まで、自分より遥かに背の高い野郎どものお尻を蹴っ飛ばして、実質の指導者になっていたのである。
その結果の男子バスケットボール部のインターハイ『三連覇』という偉業。日新学園の男バスが『強豪』と呼ばれる土台を作ったのは、間違いなく零奈なのだ。
しかし、彼女の指導についていけなかった部員も当然居て、部員総数が最盛期の半分以下に減ってしまったという事実がある。
教頭先生は顧問として、当時の男バスの地獄のような練習風景を間近で見てきたからよく知っている。
神崎零奈は鬼である。悪魔である。妖精さんである。
そのことから、せっかく女バスが生まれ変わるというのに、部員が辞めてしまう可能性を教頭先生は危惧していた。
今までは弱小故に部員が集まらなかった。今度は今度で練習がきつすぎて部員が辞めただなんてことになったら、経営者たちは大憤慨することだろう。そして教頭先生は任命責任と監督責任の追求にあって――
ああ、不安だ。胃がキリキリする。この子は全く何をどう間違って教員免許を取得したんだ。ていうかあの頭(色ではなく中身)でどうやって採用試験を通ったんだ? 替え玉か? 替え玉なのか? あんなチビの替え玉ができる人間がいるのか? じゃあ賄賂だ!
零奈がこの学校に赴任してきてからというもの、教頭先生は胃薬が手放せない。
「頼みますよ……神崎くん……」
ほんとに、ほんとに、お願いだから――
するとその呟きが零奈に聞こえたのだろう。彼女はキッと教頭先生を睨みつけて、
「……うるせえハゲ」ボソッといった。
「聞こえてるぞ!」
――嗚呼、先が思いやられる。
∞
放課後の第3体育館には今日も今日とて少女たちが集まっている。
「皆の衆! 喜び給え! ニューカマーを連れてきたわよー!」
練習を始める前に、咲が新入部員を連れてきた。
ちょこんと並んで立つのは3人組。並んで立つと、ちょうど凹の字になるような背丈をしていた。
「ま、松井佳奈です!」
「竹下綾乃です」
「梅津聡子!」
小学校から高校までずっと一緒だという仲良し3人組だそうだ。
すでに入部届を提出しており、正式な部員となっている。
そこで、
「バスケ経験はー?」
と、愛羅が質問を投げると、代表して答えるのは3人組の中で一番背の高い(165センチだそうだ)、松井佳奈だった。
なぜか佳奈は愛羅と目を合わせると顔を真赤にして、直立不動で、
「わ、私たちっ。ミニバスをちょろっとやっただけで、しょ、初心者同然でっ……」
「ちょっとちょっと、カナー? なんでそんなに緊張してるのさ。相手は同い年なんだよー」
と、ケラケラ笑うのは一番かしましい梅津聡子だった。
「だ、だって――」と、佳奈はもじもじと恥ずかしそうにしていた。
要領が得られない佳奈に変わって、おっとりしとやかな声でいうのは一番小柄な竹下綾乃だ。
「私たち、ミニバスをやってたんですけど、6年生のときに1年間、ちょっとやったぐらいだから、基本的な動きとルールを知ってるだけでほとんど初心者なんです」
そしてそれを聞いて大歓喜するのは、ここのところ影の薄かった璃々である。
初心者仲間ができた!
なんだか周りが上手な人(玉子除く)ばかりになってしまって、肩身の狭い思いをしていたらしい。
「それで私たち――」
「3人はどうしてバスケ始めようと思ったの!?」
璃々はキラキラと瞳を輝かし、食い気味に問いかける。
セリフをぶった切ってきた璃々に対して、綾乃は気分を害することもなくニッコリ笑って答えてくれる。
「私たちのお姉ちゃん、3人とも同い年でこのバスケ部のOGでね――」
「日新学園に合格してから毎日毎日、バスケ部に入れっていわれててさぁ」と、聡子が続く。
「あら、そうなの?」と、3人の姉が卒業生だったということは咲も初耳だったようである。
「何年前の?」
「えーと、7つ上だから……5年前に卒業ですかね」
「ああ、全然かぶってないのね。それじゃあ、ちょっと知らないわねぇ」
「お姉ちゃんも今のバスケ部のことは全く知らないみたいです。でも本当に毎日『楽しいから入れ』っていわれてて。私たちも他にやることなかったし――」
そして綾乃は璃々に再び視線を向けて、
「だからもともと入るつもりだったの。でも一応、他の部活も見学しようと思っていろいろ回ってたんだけど、昨日、ここに見学に来て芹沢さんたちの2対2を見てね。そしたら佳奈が『私も芹沢さんたちみたいになりたい!』っていい出して急遽、即決することに」
「ちょ、ちょっといわないで!」
佳奈が顔を燃え上がらさんばかりに赤くして、綾乃の小柄な身体を羽交い絞めにしていた。
3人組以外の一同は、
――あー、昨日、途中で見学に来た人たちかー。
と、思い返しているようだが、途端に璃々の表情だけは何故か般若のように変わっていた。
そして璃々は叫ぶようにいうのだ。
「ダメよ! 3人とも! 早まらないで!」
「え、な、なにを?」
「考え直して! 特に佳奈ちゃん!」
璃々は佳奈に詰め寄り、その肩に手を置く。璃々は必死な形相である。それはもう自殺を図ろうとする人を止めんばかりの勢いで、
「バスケを始める理由なんて人それぞれだわ。かのバスケの神様も、『好きな女の子を振り向かせたい』っていう下心丸出しの理由で始めたくらいだもの。でもね、いい? 『アレ』とか『ソレ』に憧れてバスケをやるなんてのだけは絶対ダメ! 正気に戻りましょう! バスケ部に入るのは、『ただやりたかった』! それだけでいいの!」
「おい、アレって誰のことだ、リリー?」
アレが額に青筋を立てていた。
「見てこの悪人面! こんな奴らに憧れたら、いい人そうなあなた達だって、きっと暗黒面に落ちてしまうわ! 日新学園が悪名高い『バッドガールズ』って呼ばれるようになっちゃうかも! でも今ならまだ大丈夫! 初心者同士、一緒に璃々と――」
「リリー、話が進まないからあっち行ってようねぇ?」
そこで、ソレが璃々のアンテナを掴んでポイっと投げる。それを玉子がキャッチした。
輪の外に放り出された璃々はアンテナとはいえ髪の毛を引っ張られた激痛に悶えていた。
――ハゲた、絶対ハゲた!
――大丈夫、ちゃんと少し残ってるよ。
――少ししか残ってないの!?
「リリー、まじで少し黙れ」
そして、コホンとアレ――愛羅は咳払い。
殺気にビビった璃々が大人しくなったところで、愛羅と勇羅は静かな声で、3人に向けていうのだ。
「知ってる? ミニバスと公式バスケってぜんぜん違うよ。コートも広くなるしリングも高い。ボールだって大きいし、選手の当たりだってきつくなる」
「練習もつまんないよ? キツイよ? それでもちゃんと続けられる?」
「私たちが目指すのは――」「――日本一だよ?」
愛羅と勇羅ははっきりといい切った。そこにはふざけた空気も、冗談も、一切がない。全てが本気。彼女たちのプレーを見てバスケ部に入ろうと決めたらしい3人組は、そこに偽りがないということを十分理解していただろう。だから、突如襲い来る緊張感に、ゴクリと息を呑んでいた。
やがて、佳奈が大きく深呼吸をして、愛羅の視線をしっかり受け止め、逆に問いかけた。
「ねえ、愛羅さん? 昨日のプレー、カッコ良かったわ。どうすればあんなことが出来るの?」
「私はあの程度でかっこいいっていわれるのは不本意だけど……少なくとも、私は今日も明日も明後日も、延々と練習し続けるだろうね。その結果だよ」
「それじゃあ頑張るよ。私も、ずっとずっと練習する。あなたみたいになりたいもの」
ニコリと微笑む佳奈。それに続いて綾乃と聡子も頷いた。
すると愛羅はポリポリと頬を掻いて、
「あそ」
「照れたー?」と、勇羅の呑気な声。間髪いれずにスパンと頭をひっぱたかれていた。
少しだけ頬を朱にした愛羅は、それからむっつり顔で口を閉じていたのだが、
「あ、ていうか――」
ふと、気づいた。気づいてしまった。
この3人組は昨日、2対2の途中で見学にやってきた連中である。彼女たちがやってきたことにより、愛羅と勇羅の集中が一時的に途切れた。それはつまり、
「よく考えたら『松竹梅』が水差さなきゃ私たちが勝ってたじゃないの!」
「あ! そうだ! 許さないからな! 『松竹梅』のせいで負けたんだぞ!」
さすがにそんなことをいわれたら、佳奈たちは驚きである。しかも頭文字で名前がセットにまとめられている。
「謝れ!」「反省しろ!」
「「「理不尽!?」」」
そんなこんなで新たな仲間が加わったことにより、姦しさが大幅にパワーアップしたようだ。
それを眺めていた咲はしみじみというのだ。
「本当に、変な子ばっかり後輩になるわねぇ……」
「うわぁん。咲せんぱぁい! 新たな仲間たちが暗黒面に落ちたああああ!」
泣きついてきた璃々を、咲はよしよしとなだめてやると、どこか自嘲気味に、そして楽しげに、クスリと微笑む。
――まあ、これはこれで楽しいから、問題ない。
ただ、それに加えて咲は思う。
「これでコーチがやる気なかったら、笑い話にもならないけどね……」
2
「へっくち!」
職員室。小さなくしゃみがこだました。
日が落ち、夜になっても「うーむ」と悩みながらデスクに向かうのは新米教師、零奈だ。チーンと鼻をかむ。風邪引いたかしら、なんて。
すでに職員室に残る教員は疎らであり、ポツリポツリとデスクの明かりが灯っているだけである。そんな中、零奈は女子バスケットボール部の活動計画書の内容を考えるために残業中である。
ああ、めんどい。そう思いながらもしっかり仕事はこなす。零奈は伊達で先生になったわけではない。その根っこは結構、真面目。昔から何かをやるからにはしっかりやらないと背中がムズムズする性格なのである。
「ああっ! わからん!」
それでもわからないものはわからない。
さて、どうするか。こういうものは椅子の上で考えたところで答えが出ないものである。何かヒントが必要だ。きっかけになるようなもの。それが欲しい。
「あ、そうだ」
ふと、思い至って零奈は席を立った。「ふわぁ」と欠伸をしてから、職員室を出る。
そして向かうは資料室。
ここには歴代の卒業生の名簿だったり、各部活動の過去の活動実績がまとめられた書類や、ガラスケースに飾るにも古すぎるトロフィーや賞状などが保管されている。
零奈はここで女子バスケ部がどんな活動をしていたかを調べようと考えたのだが――
それが全くの無駄だった。
「役に立たねぇなぁ、こんちくしょう」
それもそのはず、女子バスケ部には実績なんてありやしない。記録するほどの活動なんてそもそもない。
一応女子バスケットボール部と付箋のついたファイルは見つけたが、他の部活は分厚い歴史書のようになっているのに、女子バスケ部のそれはバスケの公式ルールブックより薄い。普通、こういうのは『何月何日、何大会、敗退』とか書いてあってもいいのに、文字の一つすらない。
零奈は深い深いため息をついた。
ただ、一応少ないページ一枚一枚に、年代が添えられた写真が貼られていた。実績がない代わりに、年代ごとの『物好きたち』の記録を残しているのだろう。もはやフォトアルバムだ。製作者は教頭先生らしい。律儀なおっさんである。
最新のものは零奈が昨年度の終わりに見た練習試合に出ていた4人組だった。ちょうどあの試合で写真を撮ったのだろう。1人が花束を持って、皆が涙を流しながらも笑顔を見せている。
零奈はそれを見て、口元をほころばせていた。
それからペラペラとページをめくっていき、ふと手を止める。
――ああ、そうそうこいつらだ。
零奈は自分と同年代の女子バスケ部員の写真を見て、学生時代を思い出す。
その時の女バスにはたった『3人』しかいなかった。今日までよくもまあ、廃部にならなかったと感心してしまう。一応、卒業と入れ替わりに数人の部員が入ったらしい。
当時は人数が極端に少ないせいで、試合どころか、まともな練習すら出来やしない。弱小とか以前の問題だった。
そんな環境でも彼女たちはバスケ部として活動していた。
当時の女バスの練習は、もっぱら男バスに混じって行うことが多かったからよく覚えている。零奈はこの3人を『三バカ』と呼んで誂ってはいたが、決して嫌いではなかった。3人で男どもに混じって練習して、楽しそうにボールを弾ませる姿はどこまでも真剣で、その姿は好意に値する連中だった。
でも所詮は3人。どんなに練習をしようとも、その成果をどこかで見せることはできない。すべて無駄な努力だったと言ってもいい。それなのに彼女たちはどうしてバスケ部として、練習に励んでいたのか――
ある日、零奈は彼女たちに嫌味たっぷりに問いかけたことがある。
(あんた達、何が楽しくてバスケ部に入ってるのよ?)
そして返ってきた答えは――、
(あはは! 何いってんのチビ奈? そんなんバスケが好きだからに決まってんでしょ?)
(バスケが好きならなおさら日新のバスケ部に入る必要ないんじゃない? そこらの市民体育館に行ったほうが、よっぽど人いるわよ?)
(バカだなーチビ奈は。それじゃあ、インターハイ出られないじゃない)
(いやいや。あんたたち、それ以前の問題でしょうよ)
(まあ、そうなんだけどねぇ。でも試合ができなくったってさ、高校でバスケをやってるってことは、インターハイに出るために戦っているってことでしょ。人数足んないから、大会に出る前に負けてるようなものだけど。それでも私たちは、ここでバスケをやる限り――)
「間違いなく、戦った上で負けてるの――か」
予選で敗退することも、インターハイ決勝で負けることも、そもそも大会に参加できなくたって、結局は皆、頂きを目指して敗れることに変わりない。日新学園のバスケ部がどんなに弱小だろうと、バスケ部に入っていなければその戦いにすら参加できていないのだ。
だから、ここでやる。
大会の出場条件を満たしていない連中がそれを語るなど、屁理屈にも劣る妄言だ。しかし、あの三バカに限らず、歴代の女子バスケ部員に同じ問いかけをしても、やはり同じ答えが返ってきたのだろう。彼女たちはただ、日新学園に進学し、ここにバスケ部があったから、ここで頑張ってきただけなのだ。
日新学園の女バスは馬鹿ばかりが集まる。上手い下手など関係ない。人数だってどうでもいい。バスケが好きだからこそ、来る日も来る日も辛い練習を繰り返し、あの『輪っか』にいかにかっこ良く仲間たちとともにシュートを決めるかを考え夢見る馬鹿ばかりなのだ。
そして、どんなに実力が足りなくとも、結果が残らなくともバスケを心から楽しみ、先輩から後輩へ、その夢のバトンを渡してきたのだ。
いつか、『目指していたもの』を手に入れられる日が来ると信じて――
それはなんとも滑稽で――美しくあろうか。
その努力は確かに無駄だった。何一つ掴めやしなかった。舞台に立つことすらできなかった。それでも――、
「それでも、描いたその『夢』は誇るべきものだ」
零奈は資料を丁寧に書棚へと戻すと、カツン、とヒールを鳴らして資料室を後にする。
職員室に戻ってきた零奈は、デスクの引き出しから習字セットを取り出した。
床に習字道具一式を広げて置くと、パンプスを脱ぎ捨て、スカートを乱雑にまくり上げ、膝をつく。そして半紙に一筆したためた。力強く、猛々しく、筆を揮う。
〈女子籠球部活動計画書〉
そして続けて半紙に書かれた文字はたった4文字――
【全 国 制 覇】
かつての女子バスケ部の夢の灯火はまだ消えていない。だから、バスケ部が生まれ変わろうとも目指す答えは、これしかない。
――見てろ。あんたたちの夢のバトン、しっかりてっぺんまで運んでやるよ。
職員室の電光に当てられて、零奈の瞳と髪が燃えるように赤く輝いていた。
∞
突如として理事長室の扉を蹴破り、机に書類を叩きつけて去っていった新米教師に、理事長とたまたまそこにいた教頭先生は言葉を失っていた。
我に返った理事長がその書類――いや、書類というか半紙を見てニコリと微笑む。
「ほらね、彼女に任せて正解でしょう?」
全国制覇――なんともシンプルで誇り高い活動方針だろうか。理事長は新米教師の満点の回答に満足気に頷いた。
「教頭先生。何も心配はいらないさ」
楽しげに表情をほころばせる理事長の言葉に、教頭先生はなんとも言えない表情を浮かべて、
「違うんです……私が心配しているのは、やり過ぎないかなんです……あと、さすがに計画書がそれだけだと、理事会でどう説明すればいいか――」
そんな教頭先生の言葉は理事長先生には届いていなかったようだ。
――つづく。