プロローグのプロローグ
1
「そうだ、バスケしよう!」
八上璃々(やがみりり)がそういったのは、中学も卒業間近という冬の終わりのことだった――
∞
そもそも璃々に何が好きかと尋ねたら、『バスケットボール』、その全てが好きだと答えが返ってくる。
物心がつく前から、衛星放送でやってるNBAだったり、JBAのBリーグだったりをかじりつくように見ていた。学生の試合も一人フラフラと見に行ったことだって何度もある。お家の棚にはバスケの試合が録画されたDVDがずらりと並んでいて、それが擦り切れるほど見てきたし、バスケ雑誌は家中のアチラコチラに散らばっている。
とはいえ、今まで自分でやったことはなかった。生まれてこの方、部活動など参加したことのない名誉帰宅部で、コートの外から興奮と感動を味わってきただけだ。
趣味はバスケ観賞で、人生とはバスケを観ることと解く。
璃々は「バスケを観るがためなら、バスケをしている暇はない(?)」、という謎の真理の持ち主だったのだ。
そんな彼女が、唐突にバスケをしようと思ったきっかけは、ほんの些細なことだ。
自宅そばの公園をお散歩していたところ、誰かの忘れ物のバスケットボールを発見した。桜の木の根っこに寄り添うように落ちていたそれは、白とオレンジのコントラストの六号球。女子バスケの公式球だ。
璃々は「ふむ」と頷き、何の気なしにボールを拾った。
この公園にはバスケのゴールがこれ見よがしに設置されていて、ふいとそちらを見てみれば、「ヘイカモン!」と、ゴールに呼ばれている気がした。
璃々は呼びかけに応じてゴールのもとに向かうと、テインテインとボールを弾ませた。
せっかくだからシュートをしてみよう。そう考えるのも自然の摂理。
近いところからシュートをしてもつまらないから、フリースローラインに璃々は立つ。フリースローラインからゴールまでの距離は、だいたい4メートルぐらいだったか。
――あら、思ったよりずいぶんと遠いわね。届くかしら?
そして、璃々は記憶にある女子選手の見よう見まねで、両手でポイっとシュートを放った。
寒空の下、高々と舞ったボール。
弧を描いて飛んで行く。
するとボールはゴールの後ろの金網に「ガシャン!」と派手な音を立ててぶつかった。
「おお……」
届く以前の問題だった。どうしてゴールを狙っていたのに、そこに当たるのか。
璃々の憧れのバスケットプレイヤーたちは、これを簡単にやっているというのに、実際にやってみるとずいぶん難しいものだ。
とりあえず、一本入るまではやろう。そう決めて、璃々は何本も何本もうち続けた。
でも、やっぱり入らない。どうすれば入るのだろうか。
――狙う場所を変えるといいのかしら。うつ前に膝をもっと曲げてみよう。
あ、いい感じ。よしよし、この調子で後は――
そうして、どれくらいの時間が経ったか。
ようやく、ガゴンガゴンと音を響かせ、ボールがリングを通ってくれた。
鼓動は高く鳴り響き、汗が髪を伝ってぽたりと落ちて、ハァハァと上がった吐息は白いもやとなり、空へ吸い込まれていく。
「やった……」
バスケットボールの感触は熱を持ち、小さな手のひらにじんわりと残っていた。
璃々はギュッとその手を握りしめ、ニコリと微笑む。
自分の手でボールの重さと、その目でゴールの高さを知った――その時、璃々の中で、バスケは『観るもの』ではなく、『やるもの』に変わったのだ。
∞
さてさて、バスケをやるともなると、必要な物がある。
バスケットシューズ。いわゆるバッシュだ。
買おう――可愛くて、オシャレで、安いやつ。
思いたったが猛ダッシュ。向かったのは近所の小さなスポーツ用品店。
辿り着くなりウィンドウに並んだ一つのバッシュに一目惚れした。
白地に桜色の刺繍糸とエナメルのラインのアクセントが可愛い。これだ、これしかない。
〈ゲル・ブロッサム〉――日本国内で最大のシェアを誇るスポーツ用品メーカーから出されたバスケットシューズの新製品。最新の技術の粋を集めて作られたクッション性とグリップ性、最新素材による軽量化と形状技術によって、足と靴を一体化させる――らしいけど、気に入ったのは見た目だから他の要素はどうでもいい。
「16200円……かっこぜいこみかっことじ……」
お財布の中身は3000円と870円。
買えないじゃないか。北風が冷たい。なんだか無性に泣きたい気分。
でも、仕方がない。そのうち買おう。バスケットボール選手とは、バッシュを履いてこそサマになる。
そして、これを履いて、次はバスケットコートの上で――
「璃々だって、スラムダンクがしてみたい!」
できるかどうかはさておいて、大事なのは心意気。
兎にも角にも頑張ろう。
観客ではない、バスケットマン璃々の長く険しい旅路はここから始まるのだ。
――つづく、