表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

第二十二章 覇者 其の二

変更履歴

2018/02/02 誤植修正 20人 → 二十人


私は見通す事の出来ない完全なる暗闇を落ち続けている。

やがて闇は薄らぎ、雷鳴轟く灰色の濃霧へと変化する。

だが濃霧は長くは続かず、曇天の暗い空へ飛び出した瞬間、閃光と轟音に打たれ意識を失った……




全身の痺れる様な感覚と、多くの人間達の喧騒を耳にして意識を取り戻すと、そこは周囲一帯が高い壁に囲まれたかなりの大きさがある広場だった。

無数の声の正体は、壁の奥にある階段状の観客席にいる褐色の肌をした者達の声で、人々の発している言葉は、驚愕、激昂、慟哭、歓喜と実に様々であり、その声からでは何が起こっているのか皆目検討もつかない。

だがこれで早速判ったのは、今回の器は人間の言葉を理解出来ると言う事と、この場所は円形闘技場の中央にある競技場らしいと言う事だ。

現在私が置かれている状況はいまいち飲み込めないが、まあ何をするにしても情報は多いに越した事は無く、言葉が判るのなら無難に対処出来るかも知れないと期待する。

視界には敵らしき姿は見当たらないものの、これから剣闘士や虜囚として戦わされているのであるなら、体勢を整えるべく一旦は退避した方が良さそうだが、果たして何処に逃れたら良いものか。

すぐ傍に聳える壁は5mはあり登っての離脱は難しいとすると、とにかく距離を取るべく離れるしかないか。

とりあえず倒れていた身体を起こそうと両手を地面に着くと、左手が何かに触れた。

それは金属製の金色をした杖らしき棒で、まだ四肢の痺れが抜けていなかったのもあり、杖代わりになるかと判断し手に取って立ち上がったのだが、その時視界に入った自分の手や足が、凡そ人間らしからぬ色合いなのに気づいた。

先程拾った杖と同じく金色をしているのだ。

そこで改めて自身を確認すると、金色なのは手足だけではなく見える範囲の肉体全てであり、身に着けている衣服や腰に佩いた剣や背から足元まで覆う外套までも、全てが同じ黄金色をしていた。

そして身体を動かす度に鍍金だったらしいそれは、ひび割れて剥がれ落ちていく。

私がそれに気づいて呆然と立ち尽くしていると、いつの間にか騒々しかった筈の観客席からの喧騒が全く聞こえなくなっていた。

立ち上がったのと同時に時が止まるか鼓膜が破れたのかと疑いたくなる程に、あれだけ騒がしかった観客席が水を打った様に静まり返っている。

だが私が動く際に起こる衣擦れや佩いた剣が体に当たって立てる音は、小さいながらも確かに聞こえた事から、やはり時は動いているし鼓膜も無事だ。

観客席を眺めると、観客達はこちらを向いたまま凍り付いた様になっている。

となると、この沈黙の原因は私にあるのだろうか。

それが何かを考えようと倒れていた際の足元を見ると、かなりの大きさの瓦礫が転がっているのを見つけた。

直径にして1m程度の円柱だったらしきその石柱の瓦礫は真直ぐ壁の方へと続いていて、瓦礫の延長上の壁の先には観客席ではなく区切られた一角となっていた。

そこには小さな神殿らしき建物が建っており、その神殿の屋根部分にも石柱の一部が転がっている。

競技場の壁や神殿の屋根にも、丁度柱と同じ幅の破損箇所がある点からして、どうやら瓦礫と化した石柱は私の元へと倒壊してきたらしい。

だとすると今の状況は、石柱の下敷きになったにも関わらず奇跡的に生存していた、見世物の実施中だった全身金色に塗った曲芸師か何かなのか。

曲芸師ならばここでおどけた態度と共に、気の利いた台詞のひとつでも言うべきかと思い口を開いたが、まるで喉に何かを詰め込まれているかの様に発声そのものが出来ない。

その色以外は通常の人間と大差なかった事から、恐らく発声も可能だろうと踏んでいたのだが、こうなると唖の曲芸師と考えるべきなのか。

しかしその程度の存在だとしたら、ここまで大観衆を絶句させるとはどうしても思えず、己の正体の考察と次に取るべき行動が定まらない。

糧に関しても一応は器へと供給されているものの、ほぼ真下から湧き上がっており発生源である生贄は地下にあるのか対象物も見当たらず、そこから行動を選択する事も困難だ。

そんな困窮の最中、静寂を破って背後から声が響いた。

「そこの者よ、余の声が聞こえるのなら、中央まで移動して待つがいい」

それはこれだけ広い場所でありながら非常に良く響く声であり、その指示も明確に聞き取れた。

ここに来て初めて自分に対しての明示的言動に、この相手が召喚者なのかと期待しつつ私は振り返った。

そこは石柱が倒壊した神殿の向かいに当たる場所で、その区画も神殿部分と同様に観客席から区切られた構造になっており、豪華な装飾に余裕のある屋根付きの席からして要人や貴賓用の特別席なのは間違いない。

私へと呼び掛けたのはその特別席の中央に座る人物らしく、その対応に周りの取り巻き達が慌てふためいているが、当本人は立ち上がった姿勢のまま微動だにしていない。

周囲の人間と比べてもその男は首ひとつ背が高く、体躯もひと回り大きく見える。

ここからだと距離があってはっきりとは判らないが、現状から見てどうやらあの男がこの場所で最も高い地位と権力を有する存在の様だ。

それならばとその指示に従うべくそちら側へと向かい始めると、向こうも席から離れて奥へと姿を消し、その後を取り巻き達が慌てて追い掛けて行く。

この後の展開がまだ読めないが、あの男が何かを示唆する事に期待して歩みを進めた。




身体や衣装に塗布された金粉や装飾品に鍍金されていた金の破片を周囲に撒き散らしつつ中央へと向かうと、この場所の形状を再確認する事が出来た。

当初は円形かと思われたこの闘技場だが正確には楕円形であり、殆んど傷の無い壁の状況からしてまだ建設されて間もない様だ。

先程目にした神殿や特別席のあった箇所は楕円の長軸側の中心に位置しているのが判り、改めて神殿や特別席の重要性を再認識する。

それにしてもこの闘技場は広く、歩幅から換算すると短径は200mを越しているし、観客席も50m以上の高さがありそうだ。

高い壁にある出入り口は意外と多く、幅2mくらいの隔壁が上下する形状の出入り口が一定の間隔で設置され、それ以外にも方角的に東西南北と一致しているかは不明だが、長軸と短軸が接する四方には片側だけで2mの幅はある両開きの大きな扉がある。

その四つの中でも最も大きな特別席側の扉がゆっくりと開き、そこから隊列を組んだ兵士の一団が現れた。

兵士達は観客と同じ人種らしく、皆褐色の肌と黒に近い暗褐色の目をしている。

手にしているのは身長の倍近くある長槍で、場内に入るとすぐに左右へと展開しながら、こちらへと先端を向けつつ迫る。

その後ろから現れたのは短弓を装備した一隊で、長槍兵の背後に陣取る様に左右へと散開していく。

短弓兵が終わると今度は大きな盾と長剣を構えた重装備の兵士の一団が現れて、場内に入ると短弓兵の後方に一列に並んで停止した。

そして最後に少数の騎兵と共に馬に乗って現れたのがあの男で、騎兵達に囲まれた隊列を維持したまま重歩兵の背後で止まった。

男は誰よりも豪奢な身形で、頭には黄金の王冠を被り、腰には白銀の剣を佩き、足元まである白い外套を羽織り、左手に王笏を持つその姿はまるで古代の王だ。

その姿を見てまさかと思い、金色の両手で身体を確認すると、自身もまた同じ格好をしているのに気づいた。

馬から降り立った王は兵士達に指示を出すと、黙ったままこちらを凝視する。

その視線は私と同じ高さであり、衣装や身に付けた他の装飾品のみならず身長までほぼ同じらしい。

こうなると、私の存在が王を真似た単なる曲芸師の猿芝居等ではなく、もっと重大な状況を起こしているのは間違いないが、果たして何なのか。

兵士達が仕掛けて来る様ならこちらも応戦すべきだと考え、この器がどれだけ戦えるのかは未知数だが、黄金の剣をいつでも抜ける様に右手の位置をずらす。

だがその前に王が口を開いた。

「余の黄金像より現れた者よ、お前は何者だ、名を名乗るがいい」

王笏を突きつけながらそう告げるその姿は、権力者の持つ絶対的な自信に満ちている。

だがその言葉の内容からは、この男が召喚者ではない事を現わしており、私の期待は裏切られた。

名乗るべき名すら判らない状況なので、その返答はしようがない。

それを知らせてくれると期待した相手からの問いに無言でいる私を見て、半ば呆れた様に肩を竦めながら王は再び語り出した。

「天に聳える余を模した純金の黄金像へと雷を落として大地に倒すとは、これは警告の心算か?

この世界に於ける古き神々を全て排除し、大陸全土統一を達成した覇者として諸王の王となった余こそが、唯一無二の新たな神であると宣言した、その冒涜に対する神罰か?

余に滅ぼされた異国の者共は、様々な己が信ずる神の名を叫びながら呪詛を吐いていたが、余の覇業を阻む事が出来た神は一柱とていない。

この大陸全土を制覇した余がこうして世界に君臨している事こそが、その確たる証拠なのだ。

そんな象徴的で無力な存在などではなく、この世に於いて確固たる力を行使する事が出来る余こそが、神として最も相応しいではないか。

そうは思わぬか? 余の像に憑いた者よ」

かなり大仰に揺るぎない自信と確信に満ちた声でそう言い放った王は、王笏を持った左手を掲げた。

それと同時に周囲の騎兵が号令が発せられ、周囲を取り囲んだ長槍兵や短弓兵が身構える。

これで私は王の前に現れた敵らしいのが、否応無く判った。

この逃れられない状況は無事では済みそうもなく、器の持つ力が判らない現状では、何らかの能力が自然に発動する事を期待せざるを得ない。

覚悟を決めたところで王の語りが佳境に入った。

「だからこそ、余こそがこの世に於ける神であると全土へ知らしめようと言うのに、その晴れの日にこの様な凶兆じみた妨害を受けるとは。

それも選りに選って余の黄金像に乗り移ると言う浅ましい小細工までしおって、これこそ正に悪魔の所業と言う他ない。

余に化けた卑しき愚かな魔物よ、せめてこの戴冠式の前座として、無様な死で以ってその愚行を償え」

そう告げ終えると王笏を振り下ろした王に呼応して、騎兵から突撃の号令が発せられ、長槍が一斉に私目掛けて突きつけられる。

長槍兵と短弓兵はどちらも二十人おり、その数からして凌ぎ切れるかが判らなかったものの、慎重に半円状の包囲から後退しつつ、次々と突き出される穂先を薙ぎ払うべく抜刀して意識を集中する。

すると糧の消耗が増大し始め、高音の耳鳴りが頭に響き渡るのと入れ替わりに周囲の音が聞こえなくなった。

それと同時に、兵士達の輪郭や色彩だけが周囲よりも鮮明となり、更にその動きが遅くなる。

まるで低速度で再生される映像の様に緩慢な動作と化した攻撃は実に容易に見切れ、それに対して鈍化した敵兵に対して反撃を行なうと通常の速度であり、結果的に私は通常の人間の数倍の速度で次々と往なしていく。

ものの数秒で全ての長槍の穂先を切り落として意識の集中を解くと、再び視野と聴覚が元に戻ると同時に糧の消耗も軽減するのを感じ、これがこの器の力らしいと理解する。

僅か数秒で長槍が無力化させられたのが予想外の展開だったのだろう、騎兵は焦って上擦った声で次の号令を出す。

それは一斉掃射の命令で、後ずさる長槍兵の間から私に狙いを定めた短弓兵達が、ほぼ同時に矢を放った。

止む無くその瞬間私は再び集中して力を使い、羽虫の飛来程度にまで速度低下した弓矢を半ばかわし半ば叩き落として行く。

こうしてどうにか全ての矢を回避して周囲の状況を見ると、放ち終えた短弓兵が下がるのと入れ替わりに、長槍兵達が役立たずになった長槍を捨てて抜刀し構えていたが、掛かって来る気配は見られない。

どの兵士達の顔にも、先程まではなかった明らかな恐怖の表情が浮かび、あまりの動揺で手足が震えているその狼狽振りは、敵ながら憐れみを覚える。

どうあっても勝ち目のない相手に対峙している絶望的な恐怖は、私も良く知っているからだ。

この光景は観客席にいる観客達も目にしており、会場の空気もこれまでの戸惑いから純然たる恐怖へと変わり始めていた。

「もう良い、兵を下がらせよ」

ここで王から後退の許可が発せられ、即座に後退の号令を騎兵が発すると、兵達は速やかに後方へと下がって行く。

その代わりに前に出てきたのはその許可を出した王自身で、驚くべき事に護衛の騎兵にも待機を命じると、単身徒歩で私の元へと歩み始めた。

王には私の能力が想定出来ていたのか全く動じた様子はなく、剣も抜かず単なる装飾具でしかない王笏だけを手にした王は、不遜とも思える余裕の笑みを浮かべつつ迫る。

私はそれを待ち受けながら、次の展開に備えて糧の流入状態を確認すると、その流入量は明らかに減少し続けているのが判った。

これは恐らくかなり前に生贄が捧げられたか、或いは物理的に遠い距離に生贄があるのではないか。

いずれにしても良い状況とは言えない。

そこまで把握出来た頃に、迫り来る王の歩みが止まった。





私の立つ場所から3m程の距離で立ち止まった王は、左手の王笏を高々と掲げると、この闘技場全体に朗々と響く大声で言い放った。

「我が臣民よ、どうやら余の認識は間違っていた様だ。

余の前に立つ余の偽者は陳腐な悪霊などではなく、神にならんとする余を試す為に古き神々から齎された、神の化身であった。

人として生まれた余が、新たな神へと昇華する為に乗り越えるべき存在として、古き神々は余の偶像を選んだのだ。

これは意味するところはつまり、常勝にして不敗なる余に相応しき最後の敵は、他ならぬ余自身と言う事である。

しかし余は如何なる者にも敗れはしない、過去もそうであったし、これからも変わらずそうあり続ける。

余は必ずやこの決闘に打ち勝ち、その勝利で以って力無き古き神々を退け、この世に君臨する唯一絶対の神とならん。

勝利こそが神たる証、勝者こそが真の神である! 敗北は弱者たる証、敗者には永劫の死を与えよう!」

意気消沈していた観衆は王の演説に因って立ち直り再び大歓声を挙げ始め、そしてその後に湧き起こったのは王の言葉の大唱和だった。

「勝者こそが神! 敗者には死を!」

「勝者こそが神! 敗者には死を!」

「勝者こそが神! 敗者には死を!」

自分達の元首を文字通り崇拝しているのだろう、勝利を信じて止まない群衆はその言葉を繰り返し唱和し続ける。

この頃には鍍金や塗布されていたらしき金はほぼ全て剥がれ、対峙する王と全く同じ姿へと変わり果てており、これではっきりしたのは私の器がこの王であったと言う事だ。

それにしても、これまで獣等の生物への召喚は多々あったものの、現存する人間そのものとして、それも後世ではなく存命中の当人の前に現れるとは前代未聞だ。

それが殆んど起こり得ないのは、生きている人間が神に等しい存在と認知される事が皆無に等しいからで、逆に言えば今目の前にいる王はそれを成し得た生ける偉人と言う事になる。

国民からすれば素晴らしき王なのかも知れないが、超自然的存在である私からすると、既存の信仰を全て否定し自ら神を標榜する、途轍もなく無礼で傲慢な無神論者としか見えない。

その様な人間から挑戦的な宣戦布告を受け、私の中に憤怒の感情が湧き上がり、思わず反論しようとしたが、又しても声が出ない。

身体は普通に動かせていたのに何故喋る事が出来ないのかと躊躇している間に、いつの間にか私も剣を構えていた。

だがこれは、私自身が冷静さを欠いて取った短絡的行動ではなく、あくまで無意識に因るものだ。

それが何なのかが掴み切れず、自らの器でありながら所々制御出来ない事態の発生に狼狽する。

恐らくはそれこそが召喚者と存在意義に繋がる重要な要素なのだろうが、それを悠長に思考している余裕を王は与えてくれず、私が構えるや否や間髪入れずに抜刀して襲い掛かり、遂に王との決闘が開始された。

王の動きはこれまでの兵士達とは比べ物にならない程に俊敏で無駄が無く、流れる様な剣捌きで刃を繰り出してくる。

戦闘となると意識しなくても殆んど反射的に対応するこの器は王とほぼ互角の実力らしく、こちらも我ながら見事な太刀筋で対抗するが、取るべき行動に対する躊躇の所為で反撃の機会を悉く逸し、一切の迷いの無い王へと攻撃の機会を与えてしまう。

だがそれも例の能力を使ってしまえば凌駕出来る程度なので、戦況を変えるのは容易いが、問題はそれが行なうべき行動なのかどうかだ。

未だに従うべき召喚者は見当たらず、何を求められてここに現れたのかが不明な為、悪戯に状況を変化させたくない。

となるとここは同等の力で応戦して戦いを拮抗させつつ、新たな展開を待つべきなのだろうが、糧の事を考えるとそれほどの余裕はなさそうだ。

一進一退の剣戟に観客達の歓声も一層高まる中、刻一刻と迫る糧の枯渇と目まぐるしく変わる展開に翻弄されつつ、いよいよ行動の決断を強いられる。

何処にあるのかも判らず底を尽き掛けている糧に固執するのはもう無意味であろうし、糧の尽きるのが時間の問題となると、何の情報も無い金貨探索もほぼ絶望的だと言える。

限られた残り時間で私が出来る事は、器本来の目的を達成すべく行動する事くらいか。

王の演説に因れば、この器は神殿に立っていた石柱に飾られていた王を模した黄金の像から現れた存在で、それも落雷で倒壊した後に動き出したらしい。

戦闘が始まると半ば自動的に対処すべく動く体や、窮地の際に発動する危機回避の能力等、戦いに特化した力を有しているのは間違いない。

それらの点を加味して考えると、やはり上空に存在する超自然的存在を想像せざるを得ず、現人神となる事を渇望する王の力を試すべく降臨した審判者か、或いは逆に王の野望を阻む為に降臨した刺客かの何れかに思える。

この決闘の結果がこの世界の安寧に貢献するのか、それとも暗黒時代の始まりと化すのか、それは今の私がいくら考えたところで正しい答えは見出せない。

であるのなら、この器の意思に従ってその力を極限まで発揮し、今の私の全力で以って王と戦ったその結果こそが、この世界の進むべき正史となる筈だ。

そう結論づけた私は思考を切り替えて、新たな行動へと転じた。




これまで抑止していた器の衝動的な殺意を解放し、器の望むままに剣を振るい始めると、一気に劣勢を挽回し王と互角の状態まで押し返す。

優勢の状況を覆された王は、一瞬動揺した拍子に体勢を崩してよろめき、それと同時に観客席からの悲鳴や叫声が湧き上がる。

ここぞとばかりに振り下ろす私の剣は寸前のところで避けられ、素早く後方へ遠のき体勢を整えた王は、一層盛り上がった観衆の大声援に乗じる様に一気に間合いを詰めて来る。

その勢いは声援を受けた心理的効果なのか、これまでよりも更に速度が増しており動揺するが、こちらもそれを上回る速度で王の突撃を受け流すと、それと同時に糧の消耗量が明らかに増加したのを感じた。

今はっきりしたのは、こちらが意図しない何らかの要素で器の能力が上がり、それに伴って糧の消費量も増えていくと言う事だ。

どうも例の能力を使う以外にもこの器には何か力がある様だが、今はもうそれを悠長に検証している余裕は無い。

生贄からの糧の充填の方も途切れるのは時間の問題であり、このまま器に任せた戦い方をしていては、王の体力よりもこちらの糧の方が先に尽きかねず、こうなれば例の能力で一気に決着をつけるしかない。

そう決断した私は、優勢の状況に畳み掛ける様に突撃すると共に、あの力を呼び覚ますべく意識を集中する。

すると再び周囲の音は全て消え、耳障りな高音の耳鳴りだけになり、そして視界は王以外の全てがぼやけて霞む。

だがそれだけではなく、明らかに兵士達に対して使った時よりも速度低下の度合いが強く、それを裏づける様に夥しい量の糧が消耗し始める。

どうやら器の基本能力に比例してこの力は発動しているらしく、王と連動する様に上がった通常時の速度を落とす手段も不明な現状では為す術が無く、今の糧の消費ではもう十秒と持たない。

こうなれば後はもう王を斬ると言う目的を果たす事だけを考えて、その首を討つべく最期の一閃を放ち、そして王の首は宙を舞った―――

……筈だったのだが、そうはいかなかった。

王は私の渾身の一閃をかわしたのだ。

とは言っても私と同様の速度で動けはせず、首を庇おうとして掲げた王笏の先端に刃が辛うじて当てられた程度で、切っ先は王の頬を掠め、忽ち浅黒い精悍な顔の半分が鮮血に染まる。

それでも只の人間に出来る芸当ではない筈であり、回避したと言うその事実に驚かされた所為で、大きく薙いで崩れた体勢からの立て直しが間に合わず、剣を降り抜いた方向によろける。

王も今の一撃に臆する事なく、剣を倒れる私目掛けて振り下ろして来る。

その時王は私に向かって何かを叫んでいたが、聴覚を封じられている私には聞き取れない。

ゆっくりと迫り来るその刃を避ける余裕すら無いと悟った私は、迫る王の剣に構わず剣を王に向けて突き出す。

その瞬間に糧の枯渇に因って、時を制御する能力が切れた。

視野と聴覚が元に戻ると同時に体感したのは、不自然な程に回転する妙な風景とこれまでで最も大きな歓声だった。

回る視界には何故か飛び交う煌めく光と共に地面や空が代わる代わる映り、天地が逆転した競技場の中には黄金色の光が湧き出す首無しの黄金像や、裂けた喉からの鮮血を噴き上げる仰向けに倒れた王が見えた。

歓声の大半は絶叫と号泣であり、信奉していた王の予期せぬ最期を目の前にし、我を失って泣き叫ぶ観衆の声で私は王の死を確信した。

切断された首としての私が意識を保てたのはそこまでで、刎ね飛ばされた首が地面に到達する頃には元の黄金の塊へと戻り、落下の衝撃と共に私の意識は消失した。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ