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第二十八章 決闘 其の四

変更履歴

2022/07/13 誤植修正 『深淵なる叡智』 → 『深遠なる叡智』

目を開くとそこは意識を失う前と同じく“嘶くロバ”の独房だったが、以前とは異なり道化以外に駱駝の医者や猫のメイド等の使用人達の姿もあった。

扉の脇に移動させられた私の傍には三毛猫のメイドが治療に当たっており、頭部の包帯は巻き直され殴打された顔面の傷も殆ど治療が済んでいる状態だ。

その他の者達は皆部屋の中央に居る道化の治療に当たっていたらしく、持ち込まれた簡素な椅子に座った道化の周囲を取り囲んでいた。

道化はもうこれまで通りに応対している様子からすると中身はもう本人に戻っているらしく、その傍らには牛の家令や鹿の近衛兵も居りどうやら道化の承諾を得つつ家令の主導でこの場の後処理を行っている様だ。

その様子をぼんやりと眺めていると、私が目覚めた事に気付いた女中が家令へと声を掛け家令がそれを伝えたらしく、何時に無く神妙な面持ちの道化はこちらへと視線を向けた。

今回の召喚を評価すると、新たなロバを捕らえ損ねたばかりか捕らえていたロバを殺されると言う想定外の被害まで出した大失敗なのは間違いなく、その失態の責任は実行者である私に擦り付けられるだろう。

唯一の期待は道化の殺害と言う大逆を犯すべく強いられたがそれを私が拒んだ点であり、それを道化が把握していて評価されれば多少は減刑されるのではないか、そんな一縷の望みに懸け戦々恐々とした心境で宣告を待ち受ける。

だが当の道化は私の覚悟に反して対処を決めあぐねているのか無言のままであり、暫くこちらを向いた姿勢で何とも神妙な顔のまま身動ぎもせずに固まっている。

少なくとも私が知る限り、道化があんな表情をしているのも判断に迷う姿もこれまで一度も見た事も無く、これ程決断に窮しているとすればこれは期待出来るのではないか。

私のそんな切望を意識してはいないだろうが、かなり長い沈黙の後にタウルスから再度問われ漸く短く返答した後、道化は視線を外して顔を背けた。

その後直ぐに道化の指示を受けた家令が私の方へと近づくが立ち止まる事無く脇を通り過ぎて部屋を出て行き、そして暫くして三匹の狼の看守を連れて戻って来ると今度は私の前で立ち止まり語り始める。

「猊下、診察及び治療が完了し陛下の許可も下りましたので、これより部屋にお連れ致します」

タウルスの言葉には今回の計画失敗の件に関する言動は一切無く、只退室の指示のみ告げるとそのまま速やかに部屋を出て行き、私はルプス等に車椅子を押されその後を追う。

何時もの道化であれば直情的にこの場で何らかの叱責や断罪予告をして来そうなものだが、それが全く無いと言う事はこれは断罪を免れたのではないかと期待せずにはいられないものの、何も言われていないと言うのは裏を返せば計画の失敗を不問とする確証も得ていないとも言える。

若しかするとどんな罰を与えるか迷っているだけかも知れないし、こうやって淡い期待を持たせておいて後程断罪し失望させると言う様な、陰湿な罰を仕掛けているのかも知れない。

考えれば考える程想像が悪い方へと傾き暗澹たる気分に陥るが、そんな中でも何か光明はないものかと考える。

今回の件であの“嘶くロバ”が何を仕掛けたのか具体的には謎のままであり、是非とも銀木菟の見解を聞いてみたいと思っているが、事の真相を知るべく状況確認したいのは道化も同様だろう。

それならば、少なくともその媒体である“ロゴス”へ情報を送る前に真相を知る私を処刑する事は有り得ない、つまり今は銀木菟からの情報確認待ちと言う事かも知れない。

だとすれば道化はその情報を確認した上で私を処罰するであろうから、“ロゴス”の采配で上手く道化へと真相が伝われば私の正当性を立証出来る筈だ。

その後はもう道化がどう動くかだが、己の失態の生き証人とも言える様な者が間近に存在しているのを許容出来る程寛容では無い気がするものの、その一方で奴隷同然の相手に何をどう思われようと全く意に介さず平然としている印象もあり、こればかりは何とも言い難い。

つまり私の命運は今夜の“ロゴス”の上申に掛かっていると言う事になるが、あの猛禽の老人も現段階で私と言う唯一の手駒を失うのは計画遂行に不利益が生じるであろうから、無下に切り捨てる様な真似はしまいと期待するしか出来ないのはどうにも心許無いが、そこは己が無力を呪う他無い。

再考したものの結局そんな結論に至っている間に思いの外早く私の独房まで戻っており、私を収監し終えると看守達は車椅子と共に速やかに出て行き、遅れて家令が退室すべく扉へと向かう。

その時扉の前で不意に立ち止まりこちらへと振り向いたタウルスは、徐に語り出した。

「猊下の置かれた御立場では少々御理解頂き難いかも知れませんが、我々臣民にとってあの御方はこの世界の神と言うべき掛け替えの無い唯一無二の存在であり、その陛下の御言葉は絶対でそれに背くと言う選択肢は持ち合わせておりません、たとえ陛下が明らかに平常ではなかろうとも。

何も知らされていない我々には事の詳細は判り兼ねますが、この度の一件は我々では対処し難い重大な危機であったのは間違いなく、それを術後で身動きも儘ならない猊下が御救い頂いた事、ここにエデンの民を代表して御礼申し上げます」

そう語ったタウルスは、道化に対して行う様なこれまでに無い深々とした一礼をして出て行った。

こうして一人になった私は普段とは若干違った様子であった家令の最後の一言が気に掛かり、壁沿いの寝床に腰掛けるとその言葉の意味について考えようとした。

だが無事にここへと戻って来られた安堵感からこれまで張り詰めていた緊張の糸が切れた所為なのか、急激な疲労感に襲われ強い眠気に抗い切れず瞬く間に意識を失った。




ここ最近は若干騒々しいくらいの勢いで語り掛けて来るところから始まる銀木菟の夢が、今回は銀色の甲虫達が飛び回る羽音ばかりか前脚の爪で紙を引っ掻く微かな執筆音さえも聞こえて来る程に静まり返っており、あまりにも静か過ぎて“ロゴス”が不在なのかとさえ思う程だ。

だがそれは決して有り得ず、そんな何時に無い静寂に包まれた中で銀細工の置物の様に相貌を閉じ身動ぎもせず、椅子の背に銀木菟は止まっていた。

こうして私が表れても暫くそのまま動かずまさか眠っているのかと一瞬疑ったが、ここは現実世界ではなく“ロゴス”が私と交信する為に見せている夢に過ぎないのだから、そんな事は有り得ない筈だ。

だとするとやはりこの“ロゴス”と言えども絶句してしまう様な最悪の結果が齎される事を体現しているのか、それとも説明のつかない理解し難い事象があり言葉に窮しているのか。

あまりにも動かないので何らかの手違いでも起こっているのではと疑い始めた時、不意に瞼を開いた銀木菟は嘴を開き深い溜息を吐いてから何かを振り切る様に首を左右に数回振ると、改まった様子で私へと視線を合わせつつ嘴を開く。

「度重なる想定外の中こうして生き残って再会まで漕ぎ着けておる事を、今は素直に喜んでおこうか。

今や『事変の傍観者』の呪縛も消え失せておる以上ある程度は不測の事態も有り得るじゃろうとは思っておったが、あのペテン師にこれ程までにまんまと為て遣られるとはのう。

その結果新たなペテン師を捕らえるどころか逆に虜囚を失った訳じゃが、少なくとも今のところはその罪をお主に擦り付ける気は無い様じゃぞ。

これまでに無く早急に報告を求めておる点からしても、此度の結果には出し抜かれた事への怒り以上にこうなるに至った原因を究明しなければならんと考えておるのかも知れんな。

それだけに今回ばかりは流石にこの儂も少々侏儒めへの対応に難儀しそうじゃが、まあどうにか乗り切れるじゃろう、それよりも気掛かりな点もあるのじゃが……」

そこまで呟いたところで立ち消える様に言葉が途切れると共にこちらから視線を外し、嘴を噤んだ銀木菟は思案に暮れる様子で再び動きを止めていたが、暫くすると再びこちらに視線を戻して語り始める。

「まあそれに関しては今は置いておくとして、ひと先ずその他の事柄について語っておくとしよう。

先ずは今回の侏儒めの計画についてじゃが、こういった計画は今回が初めてではなくこれまでも何度か行われておる、勅使を囮や斥候とする事で己の労力を軽減し重要な局面に力を集中させ、目的達成の確率を高めるのが目的じゃ。

その際に侏儒めは己を“クラウン”と称しその姿や口調を変えておるのはお主も見たであろう、彼奴はこの世界の外で行動する時は必ずあの様な別人格を装っておる。

あれは外見や口調だけを変えた単なる仮装ではなく自身の力の配分に応じた装いを決めておって、活動する空間毎に使い分けておるらしい。

恐らく外の世界では先の手法で事前に状況を掌握した上で気を逃さず敵対者を速やかに倒すべく力を配分しておるのに対し、それとは逆に周到に準備し構築したこの世界では周囲に幾らでも力を行使する物があるので、その分を己の守護へ割り振っておるのであろう。

これに因りいずれの局面に於いても力が分散する事無く一方に集中させる事が可能となり、外部では強大な力で圧倒しいち早く敵を屈服させ、この世界に於いては不死に等しい存在として君臨する事で反意を萎えさせると言う訳じゃ。

この儂も未だ“ジェスター”と“クラウン”の二つの顔しか見た事は無いが、“クラウン”として初めてお主の前に現れた際に語った内容からすると、更に別の顔を持っているらしいのう。

異なる姿の使い分けからすると、彼奴は儂等の未だ知らぬ世界にも出入りしておるのかも知れんが、それを今考えても知り様が無いのでこれについては今後の課題じゃな。

今回の様に侏儒め自ら出向くのは昔から行われていたがそれは外敵への対応であったらしく、力が充足しこの世界が安定するに従いその頻度は減少していたのじゃが、近年になって再び増加し始めておる。

それはペテン師共の動きが目立ち始めた頃と符合しておる点を鑑みるに、その時期にあの者共が侏儒めにとって脅威となる何かを掴んでいると確信を得たに違いあるまい。

そしてそれ以降この侏儒めの遠征はペテン師討伐の常套手段として用いられ、今日に至る訳じゃ。

そうした幾度かの討伐の中でも最も大きな成果を上げたのがペテン師共の塒の襲撃で、この討伐の対象となっていたのがお主を含めた虜囚を管理していた者共じゃった。

あの際に複数のペテン師を捕らえる事に成功し、其奴等を幽閉し情報を得るべく拷問を繰り返した結果として大半が死に無数の骸へと成り果てた。

独房に転がっていたのはその際の残骸で、見せしめの意味合いを込めてわざとあの様な惨状のままに残しておったのじゃろうよ。

お主が撲殺するに至ったあの一体のみ悪魔として生かしていたのは使役させる為ではなく、人質として身柄を確保する事で他の個体を焙り出す囮として利用する為じゃ、虚言妄言を吐くだけの胸糞悪い悪魔なんぞに利用価値は無いからのう。

じゃから或る意味、今回の様な事態は侏儒めも想定しておった筈じゃがそれは救出目的だと思い込んでいたが故に、ここまで完全に虚を衝かれた挙句予想だにしない損害を被る結果となった訳じゃ。

あの自尊心の塊である侏儒めがこれ程の屈辱を受けて黙っておる筈が無い、今後新たな対策を講じた上で報復と言う意味で更なるペテン師討伐に力を注いでゆくであろう。

それはつまり、今回の一件で確実に反感を買ったお主も格好の囮として駆り出される訳じゃが、それに伴って侏儒めも不在となる頻度が増えればこちらにとっても何かと動き易くなるじゃろう。

お主としても、虜囚のペテン師の死に因って失われた己の情報を聞き出す機会が再び得られる可能性も生じるであろう事を考えれば、全てが不利益でしかない訳でもあるまいて。

次は此度の召喚に於ける準備での実施内容について説明するとしようか。

原則としてひとつの器にはひとつの意識しか入る事は出来ず、更に一度入ればその器の存続が維持不能となるまで離脱も出来んのじゃが、その制限を打破するべく作られたのがあの換魂器じゃ。

あれに付いている複数体の人間の脳を統合して疑似意識を作り出しそれを媒介する形で召喚に応じ、接続した者達の間でその疑似意識と同期する者を切り替える事に因り入れ替わりを実現しておる。

この準備作業を担うのがもうひとつの開頭器で、接続する者の頭蓋を外し脳への直接接続を円滑に行える様に開頭の施術を支援する物じゃ。

虜囚の勅使となった者達の器は基本的に人間の姿じゃが、対象者の本質的要素を取り込んだ際にそれが表出し各々で形状も個々に異なって来る、お主に於けるその珍妙な巨頭の様にな。

なので例の開頭器も各器に合わせた形状でその都度誂えておるが、形状が違ってもやる事は同じで脳に直接物理的な接続を行うべく、その器の脳を収めている頭に当たる部位を切断する。

こういった特殊な道具を用いてまで態々あんな面倒な施術をしておるのは、道化にしても我々に対して精神的な手段で手を加えるのが極めて困難で、寧ろ外科的処置の方が容易いからじゃ。

儂やお主の器も獣人共やこの生ける城同様に侏儒めが作り出した物に違いないが、使用人や館はあくまで生きた人間や獣を切り張りし変容させただけの単なる生物であるのに対し、我等は言うなれば力を封じる呪具に近く根本的な原理からすると別物と言える。

斯くも易々と捕らえられた事からそこは意外に思うかも知れんが、抑々強大且つ様々な能力を有しておる我々をこの様な矮小な器に押し込め、個々の能力も侏儒めの意図通りにしか発動せぬ様に細工するのは彼奴とて容易く実現出来る事ではない。

各々の特性を把握した上でその者の力を反作用で相殺すべく調整し制御しておるのじゃから至極当然じゃな、それ故にこの器は獣人共のそれとは比較にならぬ程に精密で取り扱いが難しいのであろう。

特に意識に関わる部分は呪縛にも影響を及ぼし兼ねず、下手をすると拘束が外れ兼ねんので定着後の再加工は極力避けておる。

それに比べて定着状態の肉体への細工に関してはそういった危険性も低く侏儒めの得意とするところと言うのもあり、多少の手間や問題が生じようが如何様にも対処出来るこちらの方法を用いておる訳じゃ。

物理的に接続された全ての施術者は、本来の器から離脱し換魂器の疑似意識が作り出す閉鎖空間に囚われる事となる、そこでは意識のみしか具現化されておらず肉体的感覚は一切無い。

じゃがこれは本来の転移ではなくお主が日々強いられ続けておる召喚と同じ仕組みなので元の器からも完全に切り離されてはおらず、換魂器と言う物理的には極めて脆弱な容器と開頭された無防備な肉体の双方に生命維持を委ねる形となる。

開頭こそされてはおらんが、無意識状態となるのは侏儒めも同様なので彼奴も又己の器が危険に晒されてしまう、これがこの技法を侏儒めが多用したがらん理由じゃ。

侏儒めやペテン師までもがこうした拘束を伴う召喚技術を用い始めているが、この技術は今正にお主が体験しておるこの『深遠なる叡智』こそが根源であって、ペテン師共が儂の知識を盗み作り出したのがお主の見知ったあの陳腐な暗闇の世界であり、それを更に模倣して侏儒めが作り出したのがあの換魂器なのじゃよ。

この疑似世界の本質を詳しく説明すると長くなるのでここで多くは語らんが、自身で空間を創出しその中の存在として振る舞うと言う意味では、至極端的に言い表すならば子供の飯事に似ておろうかのう。

重要なのはその世界が常に創造者の意識下にあると言う点で、創造者の意識が途絶えてしまえばその疑似世界は跡形も無く消え失せてしまう。

因みにそこに存在していた創造者以外の意識がどうなるのかについては、その世界に与えていた性質次第で意識に対して束縛を掛けていなければ消失と共に解放されるが、何かしらの拘束をしておった場合その制約が解けるのが先か世界諸共消失する方が先かは何とも言えん、まあ運次第と言ったところかのう。

そういう意味で侏儒めの場合は己も転移する都合上自身で構築した世界を維持出来なくなる為、あの様な醜悪な下手物を用意する必要があった訳じゃ。

続いてまんまと陥れられた罠の舞台となった今回の召喚先についてじゃが、召喚したのは森林地帯に生息する狩猟民族でこの者達が崇拝する神として顕現した。

その神とは狩猟を司る狩りの神で森に棲む動物の中でも、『神の目』たる梟や『神の足』たる狼や『神の腕』たる熊の姿で現れると云われておる事からこれらの獣を神の遣いとして敬っており、部族の者達はこれらの区分けに倣って役割を決め集団で狩猟を行う。

先ず小柄で身軽な探索者達が狩場に散開し獲物を見つけ出し、次に走力や持久力に優れた追跡者達がその獲物を所定の場所へと追い込み、最後にそこで待ち受けていた大柄で戦闘に秀でた捕獲者達が獲物を仕留めると言った様にな。

そんな者達が集まり行われていたのは降神術の一種で、その目的は主に部族間に生じた諍いを解決する為のものじゃ。

これは裁きの儀式と呼ばれるもので、円形に篝火を配置した決闘の場にて新月の日の日没より執り行われ、互いの部族の中からその部族で最も強い男を熊の毛皮を纏った代闘士として選出し、その者に梟の羽根で装飾した仮面を被った祈祷師が神を憑依させた後、狼の毛皮を被った両部族の戦士達が立ち合い裁きの歌と呼ばれる詠唱を唱える中、互いの代闘士が巨大な石剣のみを手にして部族の威信と名誉を懸けて決闘を行う。

お主も体験した通りこの戦闘がかなり独特で、その詠唱に合わせて一定の間隔で同時に剣を繰り出し斬り合う形式を取り、それを一方が力尽き倒れるか或いは儀式の時間切れとなる夜明けまで只管延々と繰り返すのじゃ。

何故普通に技巧を凝らして戦わずにこの様な格式張った単調な様式となっているのかは、戦闘とは言えあくまでこれは神の加護を比べ合う神事故に過度なまでに儀礼的なのであろう。

そういった理由に因り動き自体がかなり制限されておるので、通常の戦闘の様に自在に隙を突いたり奇を衒ったりするのはほぼ不可能となり、勝利する手段としては力で圧倒する他に無くその為により強い神の加護を得ている方が圧倒的に有利となる。

それ故に優勢であれば勝利を得るには単純に全力を注ぐだけで良いのじゃが、劣勢の側は無策でおれば時間の経過と共にその差が開き力負けし倒されるのを否が応にも悟る事になる訳じゃ、今回のお主の様にな。

で、劣勢で防戦に回った側は相手の攻撃を往なすべく繰り出された剣に合わせねばならず必ず受け身とならざるを得んのじゃが、降神で得た力と言うのは途中で増減する事は無く石剣が折れる等の予想外の事態でも発生せん限りその力量の差は変動する事も無いので、根本的には劣勢の側に勝機はほぼ無い。

まあこれは当然と言えば当然の事じゃな、何しろこの儀式自体が神の力の比べ合いなのじゃから、逆に言えば負けるべき劣勢の側が勝つ様な事態こそあってはならん事なのじゃからのう。

あの状況ではたとえ予定通りに侏儒めと入れ替わったとしても勝敗は引っ繰り返らんかったろうよ。

つまりお主は侏儒めに命じられていたのだからそうせざるを得なかったとは言え、勝てる見込みの無い召喚で万にひとつの奇跡に命運を懸け無駄な足掻きをしていたと言う事じゃな」

“ロゴス”はここで言葉を区切って一息つくと、姿勢を正すかの様に軽く翼を広げて畳み直してから再び語り始めた。




「この辺りで前置きは伝え終えたじゃろう、いよいよお待ちかねであろう此度のペテン師の企てについての儂の推論を語るとしよう。

前々から彼奴が金貨を収集していると言う情報をお主へわざと漏らしていたのはこの罠の仕掛けのひとつで、敢えて探し回らなくてもお主の召喚時に遭遇する確率が高いと判断させ、侏儒めに罠を仕掛けさせる様に仕向ける為の陽動じゃった。

この侏儒めの罠の詳細に関しては嘗てここに出入りしていた頃に見聞きし、それがどの様な原理で実現しているのかまで把握しておったのじゃろう、その上でこの仕組みの隙を突くべく準備していたに違いない。

その後ペテン師にとって都合の良い召喚を行っている金貨の絡んだ儀式を行う世界を見繕い、侏儒めに感づかれる様に敢えてそこに痕跡を残し、それに気付いた侏儒めが己が嵌められているとも知らずペテン師を捕らえるべく狙い通りの罠を仕掛けて来たと言う事じゃ。

実のところお主や侏儒めも踊らされたあの召喚では彼奴は誰とも戦ってはおらん、最初に対話したのは確かに彼奴当人であったがその後お主が剣を交えておったのは終始侏儒めじゃよ、つまりあのペテン師は決闘の儀式が開始されると共にお主と入れ替わる心算で乗り込んで来た侏儒めと入れ替わった訳じゃな。

そしてお主等が騙されているとも気付かず同士討ちをしている間に、ペテン師は蛻の殻となっている侏儒めの器に入り込み、第一の目的である同胞たる虜囚のペテン師を救出すべく独房へと向かった。

そこで速やかに目的を遂げる心算でいたが、予想外に強固な拘束で救出が叶わずそれならばと口封じを試みるもそれも又失敗し、己の手で出来ないのであればとお主を利用する手を思い付き呼び寄せてどうにか達成したものの、これに因りお主に疑念を抱かれ第二の目的である侏儒めの殺害が遂行出来ず、焦るあまり逆にお主が仕掛けた罠に嵌まりこちらは未遂に終わった。

確認出来た状況から推測すればまあこんなところじゃろうが、これだけでは彼奴の行動には説明がつかない不可解な点が残る。

全般的に見られるのは計画に於ける行動の不均衡さで、これまで忌々しい程狡猾に立ち回って来たペテン師共にしては、想定外の事態に急遽対応したからとしてもそのやり口や態度が普段とはあまりにも掛け離れ過ぎておる。

こちらに乗りこんで来るまでは完全に侏儒めを出し抜いており実に用意周到で完璧だったと言えるが、その一方その後は無計画と言っても過言ではない程に場当たり的且つ杜撰で全く以て稚拙と言う他無い。

計画に基づいた一連の行動でありながら、局面の違いでこれ程までに相反する結果を生じているのは不自然と言わざるを得ん、増してやこの儂すら謀って見せたあのペテン師共となれば尚更じゃ。

故にこの計画は未だ準備段階であったが何らかの問題が発生し、実施時期を前倒して急遽行わずを得なかったのではないかと考えられる。

その要因として考え得るのは『事変の傍観者』の逃亡に因る予期せぬ状況の変動で、虜囚のペテン師にも何かしらの影響が出ると危惧したか或いはそういった予兆を感知し、それが発動する前に阻止すべく虜囚を救出せんとしたが叶わず止む無く始末すべく動いたのではないかのう。

そしてその際に、不変性が失われた状態が自分達にとって危険であるならば侏儒め自身にとってもそれは同様ではないかと気付き、この期にあわよくば侏儒めも仕留めようと企んだ結果があれだったと捉える事も出来るが、それでも未だ仲間の歯を喰らうと言うあの行為の説明がつかん。

奥歯が弱点であったとしても単に殺すだけであるならば圧し折った段階で事は足りておろうが、態々あの様な奇行に及んでおるのはそれこそが目的であったからに違いない。

じゃが実体というものを持たぬ儂等にとって肉体とは単なる仮初の容器にしか過ぎず、器に肉体的欠陥を作り込んでいるとすれば作成者である侏儒めと言う事になるのじゃから、ああいった物理的な行為に本質的な意味があるとは到底考え難いにも関わらず、あれ程までに固執しておったのは大きな謎じゃな。

逆にそこを基点にして今回の一件を改めて考察し直すと全く異なる見解を見出す事が出来る、抑々今回の件は一貫したひとつの計画ではなく首謀者や目的も異なる二つの計画が重なって動いたのではないか、とな。

具体的には元来ペテン師共が同胞であるあの虜囚を救出すべく準備していたのを何者かが真逆の意図で利用したのではないか、それも何かしらの手段を講じて情報を知り得た仲間ではない者がじゃ。

じゃがお主にも以前に告げた様に、彼奴等は互いに記憶の共有が可能であるからそうした情報が外部に漏洩する様な扱い方をする事は皆無じゃ、故にこの様な重要性の高い計画ともなればペテン師共と同等の力を有する者でなければ事前に計画を知る事は叶わん。

そうなるとあのペテン師共の仲間の中に同調していない造反者がおるとする仮説が成り立ち、その対象者がここ最近幾度となく接触を繰り返していたあのペテン師じゃったと言う結論に至る。

此度の行動は以前にお主に猿芝居を交えてほざいておった妄言と符合する点もあり、確かにあれ自体は儂も知らぬ内容であったから盗用ではないのも又事実ではある。

じゃからと言って誰も創造出来ぬ程突飛な内容でもなく似通った伝承を流用し創作する事も容易いじゃろうし、それに何よりあのペテン師共の中でも異端者と思われる輩の言葉となれば、その言動の信憑性なんぞ微塵も無かろう。

但しこの点を逆説的に捉えるならば裏の裏は表となる様に、『詭弁を弄する者』と称されるペテン師共の中から出た異端者とはつまり嘘偽りを語らぬ者と言う事になり、それこそが全ての言動を正当化し得る証明とも言えなくもないが流石にこれは言葉遊びの域を出ん。

どちらの解釈が正しいのかは彼奴の記憶を直に解析しない限り無理じゃろうから、真相を突き止める為にも今後の彼奴等の動向には能々注視しておく必要があろう。

序でじゃから、ここで最後にお主の取った対処に対する評価もしておくとしようか。

焦燥に駆られるペテン師から侏儒めの殺害を執拗に迫られてもその誘いには乗らず、逆に彼奴を陥れて難を逃れた結果についてはあの様な窮地に於いて賢明な選択じゃったと言える。

あの時ペテン師から命じられるままに手を下しておった場合果たして殺害は達成出来たのかについてじゃが、先に語った通り“ジェスター”は守護に特化させておる器であるからして、恐らくお主の推測通りあの器に致命傷を与える事は出来なかったであろう。

仮にあの場で死に至らしめる事が出来たとしても、それは一時的な喪失にしかならず儂等が悲願としておる恒久的な侏儒めの打倒には至らんじゃろうな。

知っての通り儂等は実体と言うものを持たず、何かしらの器に入る事に因り具現化しそうして初めて行動が可能となる、これはこの世界に於いて至高にして唯一なる神を標榜する侏儒めも又同様じゃ。

様々な者達を閉じ込める器のみならず自身の器すら複数有する彼奴がその予備を用意しておく事なんぞ容易いであろうから、現存の容れ物ひとつを壊されたくらいで窮地に陥るとは到底思えんし、抑々侏儒めの本質はああいった対外的に用いられている人形の中には無いと儂は考えておる。

彼奴の本体はこの世界の最も安全な何処かに必ず隠されておる筈じゃ、これ程の力を奮うには遠隔では無理であろうし彼奴にとってはここ以上に盤石な場所なんぞありはせんからのう。

果たしてそれが何処なのかさえ判明すれば儂等の計画も大きく進展するのじゃが今のところは未だ見つかってはおらん、まあこの件はまた折を見て語るとして今はお主の話じゃったな。

あの時のお主の判断とそれに伴う行動がその後の展開に影響を及ぼし、出し抜かれた苛立ちの勢いで半人共に首を刎ねさせていても全く不思議ではなかった筈が、侏儒めはそうしなかった。

その理由はそれまでは単なる勅使であったお主が己すら良い様に騙されたペテン師共に懐柔されず、それどころか逆に謀って見せたその資質を評価したと言う事じゃろう。

それに今回の件に因ってペテン師共からしても、これまで単なる駒として良い様に利用して来た者が寝返り歯向かったとなれば必ずや目を付けて来るじゃろう、増してや今回直接謀られ計画を潰される形となったあの異端なペテン師なんぞは特にな。

まあこういった要素がお主にとって新たな災厄を齎すのは明白じゃが、どの様な形であれ処刑を免れたのは幸いじゃったと言えるし、過去を知る可能性のある相手がこちらから探さずとも向こうから近づいて来ると言うのも、これはこれで都合が良いと言えなくもなかろう。




さてここらでお主も最も気に掛かっておるであろう、あのペテン師について儂の見解を語ろう。

これまでに幾度となく対峙して来た儂やお主の知るこれまでのペテン師共は、その渾名に相応しくあくまで言葉に因って相手を欺き誘う事を常套手段としておって、自ら直接手を下すべく行動する事は殆ど無かった点からすると、今回はこれまでと違っていたと言うのは間違いなかろう。

じゃがそれは今回同族殺しをやってのけたあのペテン師の気質に因るからではなく、この計画が自ら出向かなければ実現出来ぬものであったが故に必然的にそうなったのではないかと考えておる。

ここで着目すべきは彼奴が自ら出向かなければ出来なかったのが何だったのかと言う点で、その目的達成の為の行動があの奇行であったのは言うまでもない。

問題はあの奇行の真意が何であるかじゃが、彼奴が以前に興じていた妄想じみた三文芝居がそれを示しておるのであろう事までは判るものの、あの様な抽象的な説明だけではどうにも要領を得んので実際に行った行動から考えるしかない。

彼奴は虜囚となっていた同胞の奥歯をお主に叩き折らせてそれを喰らっていたばかりか、それだけに留まらず床に転がる屍までも漁っていた痕跡が残っておった点を考えると、真の目的はやはり同胞の肉体から部位を回収する事であったのじゃろう。

抑々我々の本質は形而上の存在であり実体としての肉体を持ってはおらず、そのままでは形而下の事物とは完全に次元が異なっており、物理的干渉をしたくば陳腐な既存の存在に身を窶すか自らの偶像を作り出すかして何かしらの器に入る事でしか叶わん。

言わずもがなこの世界でもそれは同様で、この地で形成されておった肉体は侏儒めが捕らえ留める為に作り出したものに過ぎんのじゃが、その留め置いている仕組みで核となる本質を器の部位に具現化させる技巧が施されておって、それがあのペテン師の場合奥歯であったとするならば奇行の説明は付く。

若しそうであるならば、儂とて未だ完全には把握出来ずに対処し兼ねておる侏儒めの秘術の仕組みを、あのペテン師共が多少なりとも先んじて解明しておる事になる。

儂とてその程度の推測は立てておったが、これ程の重要な秘密をあの猜疑心の塊の様な侏儒めから直接聞き出すのは到底不可能であったし、己が自身の身で確認する術すら無いこの状況ではその確証を得る事が出来ずにおったのじゃ。

それを知る為には既に仕掛けを知る他の者から聞く以外には無く、現状で呪縛から逃れた実績のある者と言えばあの忌々しい『事変の傍観者』のみである点と、ごく最近侏儒めの頸木から逃れておる点も合わせて考えると、あの預言者気取りの傍観者が暗躍しておるのかも知れん。

それ以外の可能性となるとペテン師共が自力で解明した事になるが、その場合この侏儒めの秘術の仕掛けを暴いたのは恐らく侏儒めに囚われ殺された者であろう。

恐らく侏儒めも無力な器に閉じ込めた虜囚にそんな力が残っているとは思わず、あの独房で拷問と惨殺を繰り返した際にその今際の記憶が共有され、そこから呪縛の仕掛けを推測したのではないかのう。

己が器を破壊される今際でしか得られん情報であるとすれば、儂等の様に独立した存在では決して知り得ない情報であり、正にこれはペテン師共にしか出来ん芸当であったと言わざるを得ん。

彼奴等なんぞに後塵を拝しておるのは腹立たしい事この上ないが、これが有益な情報であるのは否めん事実でもある、非常に不本意ではあるが精々儂等の計画にも取り入れさせて貰うとしよう。

果たしてこの同胞殺害がペテン師共の思惑であったのかに関してじゃが、儂の推測では恐らく違ったのではないかと思っておる。

何故なら先程語った通り、これは儂等囚われておる者達からすれば脱出手段を見出す非常に有益な情報となるからで、そんな価値ある情報を侏儒めのみならず嘗ての手駒であったお主にまで漏洩させているからじゃ。

侏儒めやペテン師共の様な使役者はそれこそが己の目的遂行の為に必須となる力である為、その支配方法を頑なに秘匿しておるにも関わらず、あのペテン師はお主を利用すべく現場に呼び寄せそれを目撃させた挙句、最後は口封じすら仕損じて消えおった。

敢えてこの秘儀を他者にひけらかして得られるものなんぞ無く、寧ろこれまで培って来た支配体制を崩し兼ねんのじゃから、これに因り利益を享受して来た者自身がそんな不利益しか被らない愚行に走る筈が無い。

そうなれば必然的に、今回それを仕出かしたペテン師はこれまでの徒党を組んでいた者共とは異質の存在と言う事になる。

ペテン師共の中にも利害の食い違う派閥があるのかそれともあの個体だけが異端なのかは判らんが、彼奴等は全員が仲間で同調していると言う訳ではない様じゃな。

これはこちらにとって朗報じゃったと言えよう、使い勝手は決して良いとは言えないもののあの厄介な奴等に対する武器としてはこれ以上の物も無かろう、彼奴等の企みを知る上でもこれを利用しない手はあるまいて。




ふむ、未だもう少しだけ時間が残っておる様じゃから、最後に些末な件である半人共に関する儂の見解を少々語っておくとしようかのう。

先ず第一にあの者達は侏儒めが人間と獣を元に繋ぎ合わせて作り出した被造物であって、元より存在していた自然の摂理に則り異種交配で生み出された生物ではない。

彼奴等と既存生物との最も大きな違いは、生存状態を侏儒めの力に依存しているか否かにある。

つまりあの獣共もこの生ける城と同様に、侏儒めの力が失われればそれと同時に合成が剥離し生命維持出来なくなり死に至る、正にあの言葉通りの一蓮托生の存在と言う事じゃよ。

仮にそういった依存が無かったとしても、侏儒めが死に至れば彼奴がその力で大きく歪曲させたこの世界自体も状態を保てず崩壊してしまうので、どのみち生き延びるのは無理じゃろうがな。

ここで問題となるのはそういった裏の事情をあの半人共が知り得ているのかと言う点なのじゃが、これは少々推測し難いところじゃな。

前にも語ったがあれらは侏儒めが現れる前からこの世界に居た生物や人間を原料として、その脳に至っては知能水準を維持すべくそのまま流用し、合成後に洗脳と言うべき記憶の改竄を施した存在じゃ。

大半の者は殆どの記憶を失いそれと共に感情や意識までも鈍り、与えられた命令のみを行うだけの生ける人形と化しておるが、そんな中でも上級使用人達だけは専門的な知識を維持する必要があったが為に洗脳も弱くそうならずに済んでおり、それ故に他の格下の使用人とは異なり人間性が多少は残っておる訳じゃ。

侏儒めの目論見通り、その残存する人間性が高度な技術を要する職務の円滑な遂行を実現させておるのじゃが、その影響として上級使用人共には各々に個別の性質が生じておる。

じゃがそれらは、言わば行動や発言の際に過去の記憶に紐づいて垣間見える仕草や口癖程度の軽微な現象でしかなく、儂は意思決定やそれに伴う言動や行動にまでは影響していないと判断しておるが、お主は又してもそこに固執し異議を唱える訳じゃな。

まあお主の主張も全く判らん訳でもない、只の人形にあれ程自然な言動や行動が取れる筈は無く、それをあの偏屈な侏儒めが卒なく操っているとも考え難いとなればあれらは自己の意識の下で語り動いている事となり、それはつまり個人として確立されているからだと言いたいのじゃろう?

仮にその説に基づき嘗て人であった意識が残されているのならば、侏儒めに滅ぼされた記憶も完全に抹消出来ておらず何かの拍子に蘇る可能性も、洗脳が弱いといった点からすれば無い事も無いかも知れん。

じゃが果たして唯一の命を得て単一の形を与えられ生まれ、やがてそれらを失い死ぬしか能の無い定命で定形の人間如きが、世界の理に則って与えられた形状から逸脱した化け物へと変貌している事実を知って尚、平常心を保ちつつ生き続けられると思うか?

人間の精神なんぞそれを収める脳と同じくいとも容易く崩壊する程に脆く、恐らく大半の者は正気を失うであろう。

それが滅ぼした張本人の手に因って行われ、更にはその憎むべき相手に隷属させられており逃れる術は無いともなれば、尚更であろうよ。

なのでそうならぬ様に洗脳を施しておるとなれば、即ち嘗ての人間としての人格を形成する程自我は残っていない事になる。

それだとするとどうやって個性が表出しておるのかと言えば何の事は無い、既存の意識に新たな人格を上書きしておるのじゃよ、唯一神にして絶対の王たる侏儒めに全てを捧げて従属する事こそ信念とする獣頭の臣民であると言う、歪んだ記憶をな。

お主や儂等の様な器とは異なり、世界に属する只の人間の意識であれば改竄も容易かろうし、これならば元来保持しておる技能的な記憶を活かしつつ、強い洗脳で意識の崩壊を防ぐ事で人間としての自然な行動も可能となる。

つまりあれ等は人らしい振る舞いを見せたから人格が残っている可能性があるのではなく寧ろその逆で、人らしく振る舞えば振る舞う程にそれは完全な洗脳済みの人形である可能性が高く、これまでお主が目撃して来たのも全て侏儒めが用意周到に仕込んでいた演出じゃった事になる訳じゃ。

お主は過去の記憶が失われておるが故に往々にして斬新で奇抜な見解を示す様じゃが、それは我々が本来持っておる本質からは掛け離れた実に突飛な発想と言うべきものばかりじゃ。

じゃがそうであるが故にお主には状況を大きく覆す可能性があるのではと思わなくもない、偶然か否かあの『事変の傍観者』も動きを見せたしペテン師共の状況にも変化を生じ始めておるのも事実じゃからのう。

これからもその感覚を信条として動く事で切り開ける場合もあろうが、その逆に奇を衒う行動に因り自らを窮地に追い込む結果を齎し兼ねん危険性も認識しておくべきじゃろうな。

そろそろ時間切れの様じゃ、取り敢えず目下のところは内心焦り苛立っておるに違いないであろう侏儒めの逆麟に触れん様、言動と行動には重々気を付ける事じゃぞ。

然もなくば折角ここまで繋いだ命を、見す見す捨てる事になり兼ねんからのう、ホッホッホー」




独房の寝床に腰を下ろした姿勢のまま転寝から目覚めた私は、改めてこれまでの出来事や銀木菟の言葉について考えていた。

今回はこれまでに無く様々な事象が発生した召喚であったが、それらの多くが“ラプラス”の動向に影響を受けたものなのは間違いなく、他者に対しては侮蔑した様な言動で語るあの“ロゴス”が唯一特別視していたのも頷ける実力の持ち主である事を証明したとも言える。

だが“ラプラス”は道化の様に自身の力の拡大と言う様なある意味単純明解な欲望で動いているのではなく、彼自身のみが知り得る未来に準ずるべく行動しているらしいが、そうなるとその行動原理を推し量りこちらの不利益となる行動を防ぐ事は非常に困難なのではないだろうかと思える。

果たして運命論者である“ラプラス”が行動の信条とする未来とはどの様なものなのか、その概念や捉え方に関して僅かながら説明を受けたがあれを聞いてもその詳細は把握し兼ねる内容であり、恐らく元より他者にそれを伝える意思は無いのだとするとそんな“ラプラス”の信念には疑問を感じずにいられない。

その未来が正当なものであるのならば、そこに収束する事を目指すべく多くの者を諭し協力者を集めるべきであろうと思うのだが、そこまで頑なな意志は感じられず思わせ振りで不可解な言動を振り撒く以上はせず必要最低限の干渉に留めている。

そうした振る舞いはまるで人の運命を弄ぶ全知の神の如くであり、そんな小馬鹿にした態度が余計に関わった者達からの反感を買っているのだろうが、その影響力はそれらを凌駕して余りあるものと判断して折衝に臨んだ“ロゴス”は結局失敗に終わり、今では最も不愉快な存在と見做し敵愾心を燃やすばかりとなった様だ。

あの銀木菟が懐柔仕損なった相手に対して私が試みたところで結果は見えていると思うが、やはり“ラプラス”の決して無視出来ない影響力を考えれば対話の余地がある限り極力応じるべきではないか。

それで少しでもその思い描いている未来の姿を垣間見る事が出来れば、それがこちらに対して利益となるのならば追従する事で間接的にでも協力し、共に利益を享受出来る可能性も生じるに違いない。

そういう意味では本来ならば“嘶くロバ”達とも共闘すべきなのだろうが、“ロゴス”には知識を盗み取られたと言う過去がある上に私にも今回の一件で全員に対してとは言えないが反抗した事実が出来てしまっている以上、和解した上での協力は“ラプラス”よりも難しそうだ。

神と見紛う強大な力を有する彼等だが、その誰もが根本的な行動理念が非合理的で極めて感情的に見える対立や拒絶で定められている様に見えるのは、結局のところ神であろうと人であろうと器の優劣ではなくそこに宿る意志こそがその存在に対する最も大きな影響を及ぼす要素なのではないか。

だからこそ私にはこの道化の世界で生きている使用人や召喚先の人間達すらも自分と同等の存在に見えてしまうのだが、それに関して“嘶くロバ”は再三に渡り否定し寧ろその身勝手さを咎め罰する事を勧めていたし、“ロゴス”はそこまで辛辣な扱いをしている様子は無いもののあくまで観察対象と見做しその者等への同調や共感には常に懐疑的であった。

つまり彼等の常識としてはそれが正しい解釈であって、私の捉え方が本質的には間違っているのかも知れない。

確かに彼等はその世界に依存し我々の様に他の世界へと転移するなんて事は出来ない点からして存在意義からして異なるのは明白だが、だからと言って完全に無為で無用な存在として拒絶するのはどうなのだろう。

少なくともこの世界には“ラプラス”の逃亡に因る変容が生じている最中である点を考慮すれば、ここに限った話ではあるがこれまでの定説が覆る可能性も全く無いとまでは言い切れないのではないか。

この可能性を“ロゴス”が見落しているとまでは言わないが、その変化が既存の知識からすると想定し難い事態である為に、有り得ない展開と見做して度外視している様に思えて仕方が無い。

ある意味それは“ラプラス”の力を過小評価した結果とも言えるもので、その影響力の大きさを認めたくないと言う感情から来ている様な気もするが、そんな事を指摘すれば自尊心の高い銀木菟の事だから全力で反論して来るのは間違いあるまい。

そんな結果の判り切っている不毛な主張を繰り返すよりも、私が実際に新たな協力者となり得る者を獲得し実証する事こそが最も説得力のある反論となる筈だ。

その為にもある程度の危険を冒してでも己が信念に従い行動して行くと心に決めると、再び眠りについたのだった。





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