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第二十八章 決闘 其の二

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私は大剣を掲げた巨大な戦士の石像が隙間なく相対して立ち並ぶ、薄暗い回廊を進んでいる。

石の戦士達は後方から次々とその大剣を振り下ろしており、その強大な刃は対峙する石像だけでなく床までも打ち砕き、瓦礫と化したそれらは吸い込まれる様に暗闇へと飲まれてゆく。

崩壊が徐々にこちらへと迫りつつある中、その凶刃から逃れるべく何処までも果てし無く続く戦士像の回廊を必死に走り続けた……




私は大地に跪き蹲った姿勢で目覚めた。

その姿勢のままに視線を走らせ周囲を見ると、そこは赫々たる篝火に周囲を囲まれた場所で篝火は円を描く様に並んでいて、私はその炎の輪の中の端の方に居り背後には間近に火柱が迫っている。

普通の人間であればこれ程の至近距離であれば到底耐え難い暑さであろう筈なのだが、この器は人らしき肉体を保持していながらそういった苦痛はそれ程感じない。

炎に照らされた地面を見ると赤茶けた乾いた土や小石しかない荒地で、これだけ光源があるにも関わらず周囲には何処にも壁等の人工的な遮蔽物は見当たらず、その奥には相当に高さのある大木に囲まれている事からどうやらここは深い森に囲まれた広場らしい。

周囲からは詠唱らしき地鳴りに似た抑揚の無い低音が絶え間無く響いており、燃え上がる炎に阻まれて良く見えないが篝火の外側にはそれを発しているであろう相応の人間が座している様なのだが、朧気なその姿が人ではなく獣に見えるのは気の所為なのか。

そうしていると周囲を取り囲む様に連なる篝火の列が真正面に当たる箇所だけ途切れているのに気づき、その部分を注視するとそこには何か柱の様な物体が聳えているのが判った。

それは鈍色をした石柱で40cmくらいの幅があり良く見ると円形ではなく平面の板の様な形状をしていて、そこには象形文字らしき記号の羅列が縦に二行刻まれている様に見えるが判読出来ず何が記されているのかは全く判らない。

立ち上がりつつ見上げるとそれは私の身長よりも高く、上に行く程に幅が若干広がっていて上端の箇所で丁字型に左右へと分岐し短く伸びており、更にその上に中央から細い棒の様な突起が真上に突き出ている。

強いて言うならばそれは十字架の形状に近いとも言えなくもないものの、それにしては横の棒がかなり短く上の棒も細過ぎて不格好と言わざるを得ない。

裏側はどうなっているのかと疑問に感じて回り込むべく脇へ進もうとすると、直ぐに向こう側にも同じ様な柱が聳えているのに気付き、もしやと思いその奥の辺りに目を凝らすとそこには獣の様な塊が在った。

直線距離にして3mも無い位置ながらあの目の前に立っていた長大な板の所為で死角となり、こうして覗き込むまで全く判らなかった様だ。

炎に照らされて見えるそれは熊の様に見えるが、頭の大きさの割には妙に胴体が小さく削ぎ落とされたかの様に四肢も出ていない妙な姿を目にした私は、即座に自身の姿を確認し始める。

すると露出している二の腕や脛より先の四肢は人間のそれだが、それ以外はほぼ全身を毛皮の衣服で覆われている様だ。

頭部はどうなっているのかと手で探ると大きな獣の頭を被っていて、それが身体に纏う毛皮と継ぎ目無く繋がっているのが判った。

それにしては視界が被り物に遮られている様子も無く、顔の各部位を触れた感触がまるで自身の顔に直接触っているかの様に感じるのはどうしてなのかと疑問を覚えるが、今重要なのはそこではない。

四肢を折り畳んで蹲った姿勢とは正に今向こう側に見えている獣の姿そのものであり、あれも私と同様の熊の頭を被り毛皮を纏った人間であると言う事はつまり、あれこそが“嘶くロバ”ではないかと言う点だ。

道化の説明に因れば今回の召喚では“嘶くロバ”と対決するのは予め定められているらしいが、どの様な様式で対決する事になるのかまでは告げられていなかったので、ここでどう振る舞うべきかが判っていない。

それに道化が入れ替わるまで時間を稼げとの指示もあるのだから、ここは焦って動かず逆にゆっくりと様子を見ながら慎重に行動を定めてゆくべきであろう。

そう考え先ずは目の前にあるこの墓標の様な物体について確認すべく改めて裏側を覗き込むと、表面と同様の刻印が施されていて上端の形状も全く同じでありこれに表裏の区別は無いらしい。

装飾的な刻印が施された表裏の面に対して10cm程の幅がある側面は、平らではなく直角に尖っており凡そ祭具とは思えない程にその角の至る箇所が不規則に傷つき窪み欠けている。

これは装飾品ではなく何らかの用途に使われていた道具なのではないかと思い至ると同時に、ここでの私の立場では当然所持していて然るべき物が未だに見当たらない事に気付いた。

これから対決する決闘者であるならばそこで用いる武器を持っていそうなものだがそれが見当たらず、目前には使い込まれた形跡のある長大な物体があるとなれば、大きさからすると考え難いのだがその形状及び損傷具合からしてもこれが得物である確率が高い。

だがこれが地面に突き立ち直立状態を維持している点を考えると見えている以上の長さがあり、この分厚く長い刀身が岩の塊から削り出したとすればその質量は測り知れず、振り回すどころか持ち上げる事すら到底出来るとは思えない。

それともそれは捉え方が寧ろ逆で、これ程の長大な武器を扱える事こそがこの器の在るべき姿であるからこそ、その資格を証明するべくこの巨大な石剣だけが用意されているのだとすれば、ここで私はこれを扱えなければならない事になる。

この器も人間としてはかなりの巨漢なので頂点のある柄と思しき部分には腕を伸ばせば届きそうではあるものの、果たして頭上に伸ばした状態で確りと大地に刺さっている様に見えるこの石の大剣を引き抜けるのかは何とも言い難い。

現段階では全てが不明確だがそういった疑問点はこの儀式が開始されれば直ぐに判明するであろうし、懸念している問題も造作も無く解決するかも知れない。

いずれにしても今回私に課せられた目的は時間を稼ぐ事なのだから、下手に事を起こして失敗の罪を擦り付けられない様に敢えてこちらからは仕掛けず、向こうが動き出すまでは様子を見ているのが賢明であろう。

その結論に至った私は、長大な剣の刀身の裏に身を潜めつつ相手の様子をじっと窺い続けた。




動いている物と言えば炎のみで延々と繰り返される単調な詠唱だけが殷々と響き渡る中、時間を計測する手段も無く恐らく実際に経過した以上に長く感じたであろう時を経て、漸くもう一方の器が動いた。

宛ら冬眠から覚めた獣が起き上がるかの様な緩慢な動作で身体を起こすと直ぐにこちらを向き、その様子を注視していた私と目が合ったかに思えたのだが特に反応は無く、立ち上がった姿勢でこちらを見据えたまま無言で固まっている。

向こうも私と同様の存在であるならばその中身は通常の人間ではなく憑依している人ならざる者であり、計画通りなら恐らくそれは“嘶くロバ”の筈でこれまでの傾向からして直ぐにでも声を掛けて来そうなものなのだが、何故かそんな様子は見られず身動ぎもせず押し黙ったままだ。

そうした“嘶くロバ”らしからぬ態度に、これまで考えもしなかった懸念が脳裏を過る。

銀木菟や道化の言葉があまりに断定的でそこには全く疑いを持たず今に至っていたのだが、まさかとは思うがこれは“嘶くロバ”ではないのではないだろうか。

若しもあれが“嘶くロバ”以外の者であった場合この時点で計画は失敗と言う事になるだろうが、その際の説明は一切受けていなかったのでそういった事態は起こり得ないと思い込んでいたのもあり、ここに来て急に不安に見舞われる。

そもそもこの計画は“嘶くロバ”が罠に掛かるのを前提としているが、それが事前に察知される可能性が絶対に無いとは言い切れない。

“ラプラス”に出し抜かれて以降これまで起き得なかった予想外の事態が発生する様になり、その状況を逆に利用すべく仕掛けたのがこの計画であろうが、裏を返せばそれ故にこの計画に於いても想定外の失敗は容易に起こり得ると言える。

もし失敗であった場合機嫌を損ねた道化がどんな腹癒せをして来るか判らず、この後予定通り道化が入れ替わるかどうかも怪しいばかりか、最早出向く必要も無くなったとしてこのまま捨て置かれるかも知れない。

今の私の肉体は頭を開かれ非常に危険な状態の筈であり、そんな身体へと道化の怒りの矛先が向けられ危害を加えられればいとも容易く死に至り、そうなった場合やはり私の意識は肉体の死と共に消滅してしまうのだろうか。

それとも実は拘束の為の枷でしかない仮初の身体にはそこまでの力は無く、あの肉体の死に因って本来の自由を取り戻せたりしないだろうかと一瞬期待するが、そんな都合の良い楽観的な展開はそれこそ余程の不測の事態が起きない限り有り得ず、考える事すら無駄なのは判り切っている。

何も始まっていない段階でもっと根本的な意味で終わりつつあるこの状況に狼狽していると、ここに来て相手が再び動き出し剣の前に出て来ると同時に声ならざる声が頭の中へと流れ込む。

「これならどうかな? そこの御仁、吾輩の声が聞こえておられますかな?

聞こえておられるなら取り敢えず、一旦今は動かずにその場に留まったままで返答願いたいのですが」

その特徴的な口調は間違いなく“嘶くロバ”であると確信し一瞬九死に一生を得たかの様に安堵しそうになったが、まだまだ計画は始まったばかりであり重要なのはこれからだと思い直し、気を引き締めつつ相手からの呼び掛けと同様に思念で応対する。

「おお、今回はちゃんと話が通じる御仁の様ですな、これなら滞りなく儀式に興じられそうですぞ」

“嘶くロバ”と思しき相手は、私の思念に反応して満足げにそう漏らすと言葉を続ける。

「おっとこれは失礼申し遅れましたな、吾輩は“嘶くロバ”、貴殿の名は?」

こちらから確認するよりも先に自ら名乗った“嘶くロバ”に対して、こちらも名乗り返すと直ぐに反応が返って来る。

「雪だるま卿? その名には覚えがありますぞ! 確か名も無き石像に宿られていたあの御仁でしたな。

いやあ、あの時は本当に大変でしたなあ、選りにも選って『緑青の騎士』と遭遇するとはねえ。

でもまあこうして邂逅を果たせていると言う事は、あの束縛から無事とまでは言い難かったかも知れませんが取り敢えず離脱は出来たのですな。

それは少なからず『緑青の騎士』の影響を受けた結果でしょうから、或る意味貴殿にとっては強ち災難だった訳ではないとも言えますなあ。

ですがあんな彷徨う不浄の塊なんぞに感謝する必要は全く以て無いですぞ、あれは只々生きとし生けるもの全てを死に至らしめるべく存在しているだけの怪物に過ぎんのですから、中身が誰であろうともねえ」

ああ、折角奇しくも再会を果たせたと言うのにあんな辛気臭い穢れた輩の話なんぞに時間を割くのは不毛極まりない、もっと有益な話をしようではありませんか。

それにしてもこんな所に出向いていると言う事は、雪だるま卿は今も変わらず虜囚の身なのですか?」

“嘶くロバ”は何とも懐かし気に過去の邂逅を語り、最後に『緑青の騎士』に対して極めて批判的且つ含みを持たせる様な言動を付け加えて締め括りつつ、話を切り替えてこちらの現状を訊ねて来る。

その内容からして、どうやら直近に遭遇したロバ当人か或いはその記憶を得ている仲間の何れかである様だ。

銀木菟の見解もあって最後の言葉が気になって仕方が無いのだが、今はそれを疑い真意を暴く事よりも逆に相手をこちらの仕掛けた罠に陥れなければならない。

それについては好都合な事にロバはこれまでと同様に饒舌で尋ねてもいない事柄を自ら率先して語っており、これなら大して苦も無く時間稼ぎは出来そうだ。

そう思いつつ私は“嘶くロバ”の話の腰を折らぬ様に今も大して変わらない状況にある事を簡単に伝えつつ様子を窺うと、そんなこちらの思惑なんて全く気付く様子も無く気分良さげに言葉を繋ぐ。

「成程成程、だとすると貴殿もあの硬貨収集でこちらに寄越された訳ですか。

吾輩がここへやって来た目的と言うのもですねえ、ここにあの不思議な硬貨があるらしいとの噂を耳にしましてね、それを頂戴すべく参上した次第でして。

実を申しますと吾輩ここに来るのは二度目でしてね、前回はこちらも勝手が判らずどう対処すべきか考えている最中に、後から現れた相手がいきなり所構わず暴れ出してしまい、致し方無く吾輩はそれに応戦したんですが儀式としては神が暴走して全てが台無しになると言う、実に散々な結果だったのですよ。

まあ吾輩としても儀式の成否については興味は無かったのでその点は差して気にしてはおらんのですが、その混乱の所為で目的も叶わず引き上げざるを得なくなってしまいましてねえ、なのでこうして改めてここに参ったと言う訳です。

つまりはお互いに求めている物は同じと言う事ですな、ならばひとつここは余興の一環としてこの儀式に合わせて我々も勝負で決めるというのは如何ですかな?」

前回の一件を回想しつつ語っていたらしく、辟易した様な口調でそう述べた“嘶くロバ”から意外な提案を提示され少々戸惑う。

こちら側の人間がどうなろうとも一切気に留めていない筈のロバが、敢えてそんな召喚に準拠した申し出をして来るとは思っていなかったからだ。

だがそれ以上に問題なのがこの儀式についての知識を持っている“嘶くロバ”の方が有利に違いない点で、どうすれば道化の金貨を入手出来るのかも判っていない状況でそれに安易に了承は出来ないと判断し、返答の前にその点を問うと直ぐに反応する。

「ああそうか、確かにそれもそうでしたな、硬貨の在り処と入手方法については実のところ吾輩も未だ把握してはおらんのです、なので儀式を遂行する事でそれを確認する狙いもあるのですよ。

若しや前もって情報を持っている吾輩の方が有利ではないかと疑われておられるのかも知れませんが、それに関してはほぼ公平な条件である事は天地神明に誓って保証致しますぞ。

それを証明する意味でも吾輩が知っているこの儀式に関する情報は全てご説明致しましょう、それを聞いた上で改めてこの賭けに応じるかどうかを決めて頂くと言うのは如何かな?」

金貨の所在が不明だと言うのは若干胡散臭く追及したいところではあるものの、今はこうして問い質し釈明させた事でこちらの真意を誤魔化せた点の方が重要であり、ここでいつまでも食い下がっていると要らぬ疑念を呼び起こしかねない危険性もある。

それにこの申し出は時間稼ぎと言う意味に於いても好都合だと判断し私がそれを了承すると、“嘶くロバ”は早速語り始めた。

「ご理解頂けて非常に痛み入りますぞ、雪だるま卿! それでは早速ご説明致しましょう。

これは決闘の儀式と呼ばれるもので少数民族の異なる部族間で発生した諍いを執り成す際に行われる儀式でしてね、その手順は二つの部族の中から各々代闘士を選出しその者達に神を憑依させて闘わせ勝利した側が神意を得たと証明される、こういった具合の代物です。

その信仰と言うのがこの地で広まる森林を聖域とした自然信仰でして、様々な生物間で起こる食物連鎖は生命の循環であり延々と続く生と死の繰り返しこそが世界のあるべき姿とされておるのです。

それ故にこの宗教に於いて炎と言うのは、聖地である森を焦土へと変えあらゆる生物を灰塵に帰して連鎖を断ち切る事から神が忌み嫌う悪しき力とされ、この民族も極力火を使わない生活をしております。

この自然信仰の神が森に棲む三種の獣を化身とする狩猟の神で、ひとつ目が梟の姿で『神の目』と呼ばれ獲物を見つけ出す偵察者の姿と云われ、ふたつ目が狼の姿をした『神の脚』と呼ばれ発見した獲物を追い掛ける追跡者でして、最後が熊の姿の『神の腕』と呼ばれる獲物を捕らえ屠る捕獲者とされております。

儀式の際はこれらの獣の命を生贄として神に捧げ、化身の力を得るべく代闘士は『神の腕』を模して熊の毛皮を纏った姿で決死の場である忌むべき炎で囲まれた円の中で戦い、一方炎の外では『神の目』を模して梟の羽根で作られた仮面を付けた祈祷師や『神の脚』を模して狼の毛皮を被った戦士達が、代表者である代闘士を称え鼓舞すべく詠唱しているのですよ。

代闘士や周囲の戦士が纏っている毛皮や祈祷師が付けている羽根はこの儀式の為に捕らえられた生贄で、神の加護をより多く得るべくその命が捧げられたものです。

元々これは部族間で生じた戦争が膠着した際に決着させるべく行われた一騎打ちだったのですが、次第に不毛な殺し合いを避けるべく戦争そのものがこの儀式へと取って代わっていった様ですな。

ですので代闘士とはその部族の全てを賭けて戦う代表者であって、戦争の代わりなのですから当然ながら命懸けでして、たとえ召喚が失敗していたとしても儀式は続行され決闘から逃れる事は出来ません。

もしここから逃れようとしても、代闘士の身体や纏っている毛皮にはたっぷりと香油が塗られておるので、周囲の焚火から引火し焼け死ぬからです。

それとこの炎で囲まれた範囲は丁度この剣の刃が届く範囲となっているので、焼死を避けつつ相手からの攻撃を凌ぐ為にはどうあっても剣で応じる以外にありません。

そんな訳で代闘士は狩猟の神の化身となり『裁きの剣』と呼ばれるこの目前に聳える巨大な剣を用いて力尽きるまで戦い続け、先に加護の力が尽きた方が殺される形で決着し勝利した代闘士は再び意識を取り戻して目覚めます。

その後は事前の取り決めに基づいて勝利した部族の要求が実行される訳ですが、この辺りからはもう我々には関わりの無い話なので割愛致しましょう、今現在我々に求められているのは互いの相手を倒す事である点のみですのでね。

で肝心なその戦闘方法ですが、周囲の詠唱に合わせてこの炎の内側を反時計回りに歩き続け、詠唱が途切れた時に立ち止まり相手目掛けて剣で斬り付けるのですよ。

まあ斬り付けると言っても止まっている相手目掛けて同時に打ち込むのでのでほぼ互いの剣で相手の刃を防ぐ形となり、勝負が着いていなければ再び詠唱が始まるのでそれに合わせて再び時計回りに歩みを進めて、どちらかの代闘士が力尽きて倒れるまでこれを繰り返し続けるのです。

既に何となく察する事が出来たかも知れませんがこの儀式は斬り合いと言うより叩き合いであって、この『裁きの剣』も大きさはともかくそれっぽい形状をしているだけで石なので当然刃も付いておらず、相手を斬り伏せる為の利器と言うよりその常軌を逸した重量で叩き潰す鈍器として作られています。

何故そうなっているかと言うとこの儀式が優れた剣術を競う類のものではなく、どれだけ超人的な力を奮えるのかを誇示する為の場であり、この武器はそういった力の象徴であるからです。

もうひとつの理由としては、この儀式で最も恐れる事態が力尽きる前に武器が破損してしまい攻撃不能に陥る事であったが為に、どれだけの力で使っても決して壊れない強固な武器を求め巨大化し今に至るとも。

采配の肝となるこの力と言うのが、我々を召喚した祈祷師の才覚や肉体と魂を捧げた代闘士の資質が噛み合って決まるもので、こうして器に入り現れた段階で既に決しているものの、どちらが強いかは実際に力を振るい戦わなければ判りません。

因みに剣の刀身には二行の文言が互い違いの向きで彫られておりましてね、決着が着いた際に敗者の血で刻まれている語句が浮かび上がるのですよ。

その語句と言うのが持ち手側から読むと勝者への称賛の句が、切っ先側から読むと敗者への鎮魂の句が記されておるのだとか。

最後に儀式の始め方についてですが、一方の代闘士がこの目の前にある剣を掴み引き抜くと今聞こえている詠唱が終わります、その後次の詠唱が始まるのでそれが終わるまでにもう一方の代闘士が剣を引き抜き、両者が剣を構えたところで儀式が開始されます。

ここでもし一方が動かないまま二回目の詠唱が終わった場合、動けない方は無抵抗のまま切り伏せられて勝敗が決するのです。

取り敢えず解説の方はこの程度で良いですかね、ここまでで何か質問は御座いますかな?」

ひと通りの解説を終えた“嘶くロバ”からの最後の問い掛けに対し、私はその説明を回想しつつ未だ掘り下げられる点が無いかと再考すると、この儀式に於いての主眼であろう執り成すべき内容をどの様にして知るのかと言う、非常に肝心な点が語られていない事に気付いた。

それをこちらが知らなければどちら側が勝つべきかの判断が出来ず勝敗を決めかねるではないかと思うが、恐らくその様な事は殆ど意に介していないのであろうとは思いつつ、敢えてその疑念をロバへと問い掛ける。

「何ですと!? その着眼点には本当に驚きましたぞ! この取るに足らない有象無象の主張や命運なんぞを気に掛けておられるとは!

それこそそれは、歩を進める度に踏み付けた地面に蠢く虫けらや生い茂る雑草の心配をするに等しいですぞ。

雪だるま卿、貴殿は肉食獣が狩った獲物に対してや草食獣が食んだ草木に対して、いちいち感謝の念や罪悪感を抱いているとお思いですか?

そんなものは断じて感じていない、何故ならそれは食らう側にとって当然の権利でありその者達が本能として保有する本質であるからです。

これを我々に当て嵌めると、我々は本能とも言える己に課せられた使命を果たすべく様々な世界に於いて多種多様な神として顕現する存在であり、その際に為された信奉者に因る召喚は我々にとって目的の為の手段に過ぎません。

貴殿の問い掛けからは我々があの者達の為に居るかの様に見受けられますが寧ろそれは全く以て逆で、我々が顕現する為にあの様な者達が存在し信仰を作り出した上で部族間での諍いを起こしているのであって、その目的とは我々が対峙した時点で達成されておりその後どうなろうと知った事ではないのです」

“嘶くロバ”は予想通りこれまで遭遇してきたロバ達が唱えて来たのと大差の無い、私から言わせてもらえばそれこそが本末転倒としか思えない独善的な詭弁を述べた。

だがこの己の意志を最優先とする極めて利己的な思想はロバのみならず道化や“ロゴス”にも見られるものであり、私には過去の記憶が無い為それに違和感を覚えるだけで若しかすると本当はそれこそが正しい認識なのかも知れない。

それ故にその点に対して反論する事が出来ず黙していると、無言でいる私の態度を肯定と受け取ったらしく先程とは一転して軟化した口調で言葉を繋ぐ。

「ですがまあたとえどれ程不毛な疑問であろうとも、問われた以上はそれ相応の返答をせねばなりませんなあ。

とは言ってもその様な些末な点は吾輩にとって全く興味も無く、一瞬たりとも考えていなかったのでどう答えたら良いものやらこれは非常に悩ましい、少々時間を頂けますかな?」

そしてその後に回答に窮した様な感想を漏らしつつ暫く沈黙し、その言葉を受けて同様に私も無言で回答を待つと、俯いて独り言を呟きつつ考えを纏めていた“嘶くロバ”は、数分の後に再び頭を上げると同時に口を開く。

「お待たせしました、ではお答え致しましょう、吾輩の知る限りこの人間達から裁くべき内容が伝えられる様な手順は存在しておりませんでした。

しかしながらそれは決して吾輩が見落した訳ではなく、元よりそうした手順が存在していないからなのです。

その理由として二つの要因があり、ひとつは神は民の意思なんぞわざわざ伝えるまでも無く掌握していると言う全能性からであり、もうひとつはこの儀式に於ける裁きとは主張内容の正当性を問うものではなく、それを為した者達がどれだけ神に信認されているかこそが正当性を証明するものだからです。

ですので神は全てを把握した上で認められる側が勝利する様にこの儀式の結果は予め定められている事になり、我々は召喚された時点で勝つ側がより強い力を保持し負ける側は相手に及ばない様になっておるので、人間達の訴えを直接知る必要も無くその術も無いのです。

ここで敢えて手心を加える余地があるとすれば勝つ側が手加減をしてわざと負ける事くらいでしょうが、我々も例の硬貨を賭ける事に因りそういった不義を行う事も無くなり正当性は担保されると言う訳ですな。

如何でしょう、この解説でご納得頂けましたかな?」

この僅かな時間で捻り出したのであろうその解説に対して更なる良い切り返しは思い付かず、“嘶くロバ”がお得意の嘘偽りを語っていて自分に有利となる様に謀っている可能性も多分にあるものの、それを論じるには先ずロバの嘘を見破り論破しなければならないがそれが出来る程の情報も無い。

これ以上はどうにも遣り様が無いと諦めて沈黙に因る暗黙の了解を示すと、数秒の後にロバが言葉を繋ぐ。

「もう他にご意見等は御座いませんな、では雪だるま卿改めて問いましょう、例の硬貨を賭けた勝負には応じて頂けますかな?」

時間稼ぎもどうやらこの辺りが限界であろうと察して私は了承する旨の返答をすると、“嘶くロバ”は大仰な謝辞を述べた後に一言付け加える。

「おっとそうだ、もう一点お伝えしておくべき事があったのを失念しておりました。

恐らく同一の神を同じ場所に複数呼び出すと言う行為から来る影響なのか、互いに認識出来なくなるらしく我々の思念も阻害される様でしてね。

剣を手にすると儀式が開始され、それ以降は一切の意思の疎通は取れなくなりますのでご注意あれ、では参りましょう、いざ勝負ですぞ!」

最後の最後にかなり重大な制限を取って付けた様に告げると、それに対してこちらが問い質す間も無く速やかに立ち上がった相手の代闘士は、頭上へ腕を伸ばして頂点に聳える柄へと両手で掴む。

体格から考えれば到底引き抜ける筈も無いのだがそこは神の力の賜物と言う事か、一気に体重を掛けて横方向へと引き倒すと大剣は容易く傾きものの数秒で大地から抜き放たれ、それを右胸の前で垂直に構えた。

それと共に周囲からの詠唱が一旦止まり、大地を叩く音も混ざったこれまでよりも早く急く様な抑揚のある節回しの詠唱へと変わるのを耳にしつつも、あの捨て台詞の様な最後の一言が気に掛かって仕方が無い。

きっとあれは故意に直前まで告げなかったに違いなく、その作為的な行為は何かを狙ったものなのだろうが、その真意が読み切れない。

これまで語った内容に偽りがありこちらが勝利出来ない様に仕組んでいたとすると、思念が途絶する事をこの時点で告げようが告げまいが結果には大した影響は出ない様に思えるのだが、敢えてそれを伝えて来た理由は何なのだろうか。

そこに疑念を感じるものの儀式は既に始まってしまっている以上、悠長に考察している場合では無い。

こちらも遅れを取るまいと向こうの動作を真似て剣を引き抜くとそれは想像以上に重いものであったが、湧き上がる超自然の力に因ってどうにか構える事が出来た。

こうして準備が整うと互いに反時計回りに歩み始め、二つの部族の命運と道化の金貨を賭けた儀式は開始された。




果たして説明のどの程度が真実なのかも疑わしい以上、相手の動きに合わせて歩み続けつつ常に話と異なる動きを見せないかと気を抜かずに警戒し続けるが、少なくとも全くの出鱈目を語った訳ではないらしく詠唱が続く間その足取りは変わらない。

そうしている間にも詠唱は徐々に早い拍子へと変わっていき、最後は激しい連打音と聞き取れない程の早口へと転じた後に一斉に戦士達は沈黙して詠唱は途切れ、それと共に対面の戦士も足を止めてこちらへと体の向きを変えつつ石剣を上段に振り上げる。

これ程の質量の物がぶつかり合った時の衝撃が測り知れず恐怖を覚えるが、最早応じる以外に対処方法は無く覚悟を決めてその動きに合わせて構えると、一気に振り下ろして来た刃目掛けて剣を振る。

石柱に近しい刀身がぶつかり合った瞬間、響き渡る金属的な轟音と共に凄まじい振動が両腕から骨格を通じて全身を打ち震わし、脳まで揺さ振られて一瞬意識が遠のくと共にその反動で身体が仰け反り倒れそうになるがどうにか踏み止まった。

あまりの衝撃に剣の状態が気になり直ぐに確認するが、あれ程の超人的な力での衝撃を受けても折れも割れもせず持ち堪えており、火を厭う民族が作った石器である点からして強度を疑問視していたが、これは下手な金属よりも頑強な靭性や延性を備えた鉱石で出来ている様だ。

そこから騙し討ちの様に間髪入れず連撃に転じて来る事も危惧していたのだが、そこに嘘偽りは無かった様で剣を交えて止まった態勢からゆっくりと引きつつ炎の傍まで後退り、再び詠唱が始まると共に再度歩み始めたのを見て私もそれに合わせて動く。

それから数回の剣戟を繰り返して判ったのは、“嘶くロバ”の説明程単純な力任せの対決ではないと言う事だ。

宿っている代闘士はどちらも右利きで立ち止まり向かい合った状態で上段から剣を振り下ろして来るので剣筋は交差しない為、互いに身を躱して相手の攻撃を避ける事も出来ず何も対処しなければ早く振り下ろした方の攻撃が必ず命中するので、自身の攻撃が相手よりも確実に早くない限り相手の攻撃を受けるべく剣筋を変えなければならない。

この防御の行動は剣が重過ぎるが故に超自然の力を以てしても動作が遅い為比較的見切りは容易いものの、重力が加わる相手からの攻撃の衝撃を受ける分余計に力を消耗してしまい時を追う毎に力の差は広がり、相手よりも先に力が尽きてくれば攻撃を受け切れなくなりこの身に食らう事になる。

これ程の質量を伴う武器での攻撃となると直撃すればその一撃で致命傷を負い勝敗は決するであろうから、攻守何れの観点から見てもとにかく相手に先んじる事こそが最も重要になる。

だがそれが事前に勝敗を定められているが故の器自体の格差なのか、又は“嘶くロバ”が優位になる様に仕組んだ結果なのか、或いは純粋に技術的な実力に差があるのか見極められないが、どうやら“嘶くロバ”よりも私の方が僅かに非力らしく若干の劣勢は否めない。

この後の計画を考慮すれば無理に攻勢へ転ずるよりも敢えて相手の剣筋を見極めるべく攻撃を遅らせ確実に受け続け、そうやって堪え凌いで時間を稼ぎ道化が入れ替わるのを待つのが最善の策なのだが、それでは優劣の差は広がるばかりであり果たして何時までこうして耐え続けられるのかと言う不安も過る中、道化が狙っているであろう入れ替わりの契機を考える。

戦闘に入る前の“嘶くロバ”と対話中に交代すれば違和感を生じかねず、そこから正体が見破られこちらの企みが露呈しかねない点からしてその可能性はほぼ無いとは思っていたが、案の定そこで動きは無かった。

今にして思えばその後の戦闘へと入った時点こそが最適だったろうが、もう既にその機会も逸してしまっている。

これ以降となるとこちらが優勢となった時を見計らって入れ替わる好機を狙っているのかも知れないが、それだとするとずっと受け凌いでいるだけではその時は訪れず道化は現れないのではないか。

原因がどうであろうと道化と入れ替わる前に敗北してしまう事になればその後どんな目に遭わされるか判らず、それだけはどうあっても避けなければならない。

私はいち早く道化が入れ替わる事を願いつつ、思う様にならないこの苦境を必死に凌ぎ続けた。




もうどれだけの回数をこなしたのかも判らなくなる程に、延々と続く対峙と剣戟を繰り返しても尚儀式は続いていた。

当初より不利であった戦況は今や完全に防御一辺倒でいよいよ受け止める事すら厳しく、こちらの敗色が濃厚となりつつある事は間違いなく逆転の可能性も皆無なのは明白なのだが、そんな状況になっても未だに道化は入れ替わりに現れない。

儀式が開始された当初は好機を窺っているのかとも思ったが、若しかすると戦況が好転しそうもないのを見て勝ち目が無いと判断して計画を放棄したのか。

仮にそうだとすると、その場合あの道化がわざわざ私へとそれを知らせる様な事はせずそのまま捨て置かれる可能性は十分にあるし、この後引き戻されたとしても計画の失敗の責任を負わされて冤罪を責め咎められる事になるのだろう。

そういったこの後に起こる受難も気に掛かったがそれ以上に気になりだしたのが相手の状態で、なかなか決着が着かない事に対する苛立ちからなのか行動に正確さが欠け始めていた。

これは力量の差が開き始めた事に因って勝ちを焦る余りに行動が粗雑になって来ているのかも知れないが、あの常に飄々とした“嘶くロバ”が切迫している場面を見た事が無いのもあって、それ程までに道化の金貨を欲しているかと思うと私が思っている以上にあの金貨に価値があると言う事なのか。

そうだとすれば余計にここで敗北してむざむざと渡したくはないのだが、時の経過と共にこちらは疲弊し力が減退していくのに対し、相手は衰えるどころか粗暴さに比例して逆に力が増幅しているかの様に力量の差が開いていく。

だがこのまま続けば私の力が尽きるよりも先に相手が儀式の規範を逸脱するのではないかと思われた時、開始前の“嘶くロバ”の説明で以前儀式が破綻したとは語っていたが、儀式の手順を破った場合具体的にどうなるかの説明が無かった事に気付いた。

敢えてそれを説明しなかった理由として考え得るのは、それを私が判っている事でその分“嘶くロバ”が不利になるからであり、つまり儀式に於ける決闘で許容されている行動を自分だけが実行出来る事で優位に立つ為と考えられる。

その点について偽りすら告げもしなかったのは、嘘と言う形であってもそれはひとつの情報となり得るからであって、真偽を問わず一切の情報を与えない事こそが最も真実から遠のくからであろう。

だがそうまでしても儀式に関してより多くの情報を有し把握している“嘶くロバ”が、そうした説明と食い違う素振りを見せ始めていると言う事実こそ、私への説明が偽りである何よりの証明とも言える。

それにこのまま愚直に説明通りに行動し続けても、道化も現れない限りどう足掻いても勝算は無い。

そんな苦境を唯一逆転出来るとすれば最早その点を突いていち早く出し抜く以外に方法は無い、そう覚悟を決めると次に何処で不意打ちを仕掛けるかを考え始める。

手順から外れていると言う観点で言えば互いに対峙しつつ歩いている最中が当て嵌まるが、その時は互いに剣を掲げて身構えた臨戦状態でありそこで不意を突いても直ぐに対応されて防がれてしまう様に思える。

そうなると仕掛けるべきはやはり攻撃直後の戻り際であろうか、その時相手は再び剣を掲げるべく持ち上げ始めている状態なので、そこを即座に追撃すれば対応し切れない筈だ。

それに対してこちらは肘を引いて身体の近くで受けた状態なので、相手の剣が退きさえすれば威力こそ落ちるがそこから打ち掛かる事が可能であり、この奇襲こそ最も勝算が高いだろうと確信する。

後はそれを何時仕掛けるかだが、剣戟の回数が嵩めば嵩む程力の差が開いていく点を鑑みればより速い段階で決行すべきであろうから、そうなると次の詠唱の途切れた時か。

そこまで考えたところで脳裏にひとつの疑問が浮かんでくる、あらゆる者達を謀る狡猾な“嘶くロバ”ともあろう者がこんなに判り易い失態を犯すだろうかと言う点だ。

それに何故“嘶くロバ”はどうして徐々に行動を荒げていっているのか、これでは敢えてこちらに気付かせている様なものだ。

そう考えると儀式の手順を破ろうとしているのが陽動で、先んじてこちらにそれを行わせる事こそが真の目的なのではないだろうかと勘ぐらずにはいられない。

いや、その疑念を抱かせる事こそがロバの狙いで、逆の逆を突いて敢えて安易な手で以て惑わしているとも考えられる。

果たしてどちらの判断が正しいのか考えれば考える程判らなくなり、決断に迷いが生じそれに因って集中力を欠いてしまい剣戟へと転じる際に一瞬反応が遅れる。

まるでそれを見計らっていたかの様にこれまでで最も先走って放たれた相手の攻撃は、こちらの構え切れていない剣を強打し剣ごと私を叩き潰すべく振り下ろされる。

その重圧を支え切れず押し倒される様に仰向けに倒れ込み、右肩から鳩尾に亘って圧し掛かる衝撃と共に鎖骨や肋骨が次々と圧し折れ、内臓が押し潰されて破裂する。

激しい胸痛と共に呼吸も儘ならず咽る様に咳込むと夥しく喀血し、そのあまりの苦痛に再び剣を構えるどころか地面に転がり藻掻き苦しむ事しか出来ない。

それは言うまでも無く致命傷で、更に倒れてしまった時点で攻撃の際に移動してはならないと言う規範を破っている点に於いても完全な敗北であり、それを裏付ける様に攻撃が終わっているにも関わらず次の詠唱は始まらないままだ。

その代わりに恐らくあれは相手側の部族の者達の声なのだろう、儀式の場の外側の一方から狼の遠吠えに似た歓声が湧き上がる。

それはつまりこれで勝負が決した事を意味し、この後は儀式の締め括りとして敗者たる私を死に至らしめるのであろう。

私が敗れた事に因ってこちら側の部族の者達に待ち受ける運命も多少気になったが、そもそも何を賭けてこの儀式に挑んでいたのかすら知らずそれを知る術も無いとなると、そういった判らない事に対してあれこれ思慮するのは不毛な事だと思える。

それがどういった過程を経て迎えた結末であろうとも、彼等には関係無く結果は結果として受け入れる他無い、それがこの決闘の儀式の本質なのであろう。

それでも尚神を恨むのであれば偶然にも私と“嘶くロバ”が降臨した不運を呪うべきだが、彼等にはそんな神の側の事情なんぞ知り得る事も無いのだからそれすらも無理な話か。

与えられた運命に翻弄されるしかない哀れな者達から思考を切り替え、この決闘について改めて振り返る。

結果的には“嘶くロバ”の行動に翻弄されて戸惑い墓穴を掘ると言うほぼ自滅に近いのは否めなかったが、もしそうした逡巡が無かったとしてもどのみち力負けしていたのではないかとも思える。

勝ちに固執するのであれば、力量の差に気付いた時点で何らかの手を講じるべきであったかも知れないが、それでは道化の指示に反するのでその策も実行出来なかったろう。

結局のところ予定通り道化が現れなかった事こそがここまでの苦境を招いた末の状況なのだから、この結末の責任は全て道化にあるとは思うもののそんな意見が通る訳が無い事も判っているので、後は戻った時点で奇跡的に道化の機嫌が良い事を願い祈るしかないか。

そう思わずにはいられないものの私が神頼みとして祈るべき神とは一体何なのか判らず、片肺を潰され呼吸すら儘ならず苦痛に呻きながらも自嘲じみた苦笑が漏れる。

そんな虚しい回想をしている間に再び『裁きの剣』を振り上げた勝者たる代闘士は、勝ち鬨とも取れる同族達の歓声に応える様に私の頭目掛けて振り下ろし、その最後の一撃に因って頭蓋が拉げるのと同時に意識が途絶えた。





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