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『誓約(ゲッシュ) 第二編』  作者: 津洲 珠手(zzzz)
第二十六章 光の聖女
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第二十六章 光の聖女 其の二

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「神の意識を司る存在……」

ずっと無言で私の思念に耳を傾けていた聖女はただただ茫然自失の状態であったが、語り終えてから数分の後に辛うじて一言だけ返事を返した。

その返答には了承や賛同の意は感じられなかったが、逆に言えば否定や拒絶の意思も無く、ただ相槌として何か言葉を返した様にしか聞こえない。

私から伝えたのは聖女が知るべき要点のみである、召喚対象とは別人の私が超自然的存在として召喚者の前にその召喚対象の姿で現れる事を、かなり簡潔に語った心算だったがそれでも理解には至らなかった様だ。

いや、正確には恐らく内容は理解出来たのだろうが納得は出来なかった、そんなところか。

これに因り、この聖女は少なくとも私や“嘶くロバ”と同様の存在であると自覚してはいない事が判明したものの、それもこの反応が作為的でなければと言う条件付きでしかない。

今のところ正体を隠していたりこちらを騙している様には見えないが、これが巧妙に仕組まれた罠でない確証も無いので何れの断定も出来ず、結局のところ殆んど何も明らかになっていないも同然だった。

そして現状に於ける最大の問題は、この中途半端な状況がこの後どう変動するのか予測出来ない点だ。

こちらから伝えるべき事柄は全て語り終えているので、後はもう相手の出方を待つしかなく、私は黙って迷える聖女を正視し続けた。




聖女は暫らく思いを巡らすかの様に視線を僅かに横へと逸らして熟考していたが、結論が出たのか放心状態から我に返ると一旦息を吸ってから大きく嘆息する。

それで迷いを捨て去ったらしくゆっくりと動き出すと、これまでずっと半ば寝そべる様に両腕をついて支えていた上半身を起こし両手で掬い上げる様に私を持ち上げる。

その間に膝を立てていた両足を倒して座り直すと私を閉じられた大腿の間に置き、改めてこちらに視線を向けつつ口を開く。

「わたしの様な無知な者には、あなたの様な御方が居られるとは知らず、大変失礼致しました。

この様なお見苦しい姿で申し訳ありませんが、改めてご挨拶させて頂きます。

わたしは『光の聖女』、この地で信奉される神“アイテール”に仕える最高位の神官です。

この称号は選ばれし者だけに与えられる敬称で、その者達は皆生まれてから死ぬまでこの名で呼ばれます。

これ以外に名称を与えられておらず、無力な存在でありながら、畏れ多くも大それた名を語る事をお許し下さい」

その言動は極めて冷静に私へと畏怖と平伏の念を表わしており、先程までの取り乱した様子はすっかり見られない。

それは良いとして、最高位の神官ともなれば大仰で冗長な名をしていそうなものなのだが、この聖女には『光の聖女』と言う肩書き以外に名前が無いと言うのは意外に感じた。

だがあの役職名しか無いとなると、同じ立場の人間が複数存在する場合に問題が起こる筈なのだが、それは起こり得ない体制なのか或いは必ず単独となる様に管理されているのか。

この疑問に関してもこの後に語られるのかも知れないと考えて、敢えて何も尋ねる事無く無言で聖女の言葉を待つ。

「先程述べた問い掛けは、我が主である“アイテール”へと行なう筈のものでした。

その為にわたしは、こうしてこの身体に宿していた主を取り出したのです。

ですがそこには主はおられず、その代わりにあなたがおられました。

そしてあなたは、わたしが願望を叶える為に顕現した存在であると仰いました。

それはつまり、主に代わってあなたからお答え頂ける、と言う事なのでしょうか?

それでしたらどうか、わたしの話をお聞き下さい、お願い致します」

改めて聖女から語られた内容は問答の要求であり、この後に問われる内容が先程のものと同じなのか否かは判らないが、聖女が多くを語れば語る程にこちらが情報を得られる可能性が高まるのは間違いない。

そう好意的に捉えてその申し出を了承する思念を返すと、聖女は軽く頷いてから徐に語り始めた。




「わたし達『光の聖女』は唯一神“アイテール”をこの身に宿す者でして、『選ばれし民』と呼ばれる主に選ばれた者達の下に主の存在を留め置く役を担っております。

『光の聖女』は誕生直後から主を宿す証として、この名の由来となっている神の光を全身から放ちます。

この神の光の強さはその者が持つ力を現わしており、その力に応じて加護の奇跡と呼ばれる様々な力を主から与えられます。

その中でも最も重要なのが、瞑想中に主が未来の出来事を夢として見せる未来視でして、この力を用いた神託の儀式こそ最も重要な役目となっているのです。

ですがわたしには誕生当初から神の光はほとんど無い、光無き聖女として生まれました。

その為に本来与えられる筈の力の多くが使えず、信託の儀式に至っては全く出来ませんでした。

その状況を憂慮してどうにかわたしの力を回復させようと、民達はより多くの生贄を主へと捧げる様になりましたがそれも効果はなく、わたしの神の光は強まる事はありませんでした。

更に光の弱さは成長にも影響し、普通なら誕生から一年すれば成人になるところをわたしは三年近くも掛かりました。

そんな不出来なわたしは物心ついた頃から、出来た事の無い神託を語ったり、試した事も無い様な様々な儀式を行ったりした様な、奇妙な既視感を時々感じておりました。

そしてそれは時を経る毎に増加して感覚も強まるばかりだったので、当初はわたしの願望が強すぎるあまり妄想と現実が判らなくなってしまったのかと悩みました。

でもしばらくするとそれが別人の感覚である事に気づいたのです。

何度も感覚が蘇る内にそれが先代の経験である事が判ると、感覚的な既視感だけでなく明確な記憶として認識出来る様になり、更に先々代の者の記憶まで手繰れる様になりました。

その後も依然として神の力は無いままでしたが、その代わりにこれまでの歴史とも言える歴代の者達の記憶を見続けました。

そうして数多くの過去を見て判ったのは、誰もが皆最後は主に対する疑念を抱いた後に『神の子』を宿し、その後に神の光の衰弱が始まると共に未来視の力と入れ替わる様に過去視の力が覚醒する事でした。

つまり過去視とは、信仰心が揺らいだ事で主の力が弱まり、封じられていた前世の記憶が蘇る現象なのです。

『光の聖女』は『神の子』を宿すと身体から神の光が徐々に失われ、その力は全て体内の『神の子』へと集まっていきます。

そして全ての神の力が『神の子』へと集まった時に出産となり、新たなる『光の聖女』の誕生と引き換えに全ての神の力を失い死に至ります。

つまり『光の聖女』にとっての受胎とは、言ってしまえば死の宣告に他なりません。

この事実だけであればわたし達はその様な宿命を負う役目なのだからと考え、ここまでの行動は起こさなかったかも知れません。

ですが、繰り返される歴史を通して見ている内に、もっと重大な真実に気づきました。

それは主の神託が必ずしも『選ばれし民』に対して最も望ましい結果を齎していないと言う事実でした。

それが『光の聖女』の力量不足に因る未熟な神託の結果であるとか、『選ばれし民』が戒律に背いた罰に因るものであるのなら納得も出来ます。

ですがわたしが見た限りその様な問題は特に無く、どちらかと言えば『選ばれし民』と異教徒との力の均衡を図る為に行なわれている様に見えたのです。

異教徒を滅ぼすべき機会を敢えて外すと言う事は戦いを長引かせる事に繋がり、長期化すればするほどに民への被害は増えるばかりか、異教徒淘汰の目標を遠ざける事になります。

それは主の信念や自ら定めた教義に悖る行為であり、もしも本当にこちらに非が無いにも関わらずその状況を主が招いているとすれば、これは言い逃れようの無い民への裏切りです。

これまでの者達は受胎から出産するまでの時間が一ヶ月程しかない為に、わたしの様に多くの過去を見る猶予はありません。

また次の代を産むと同時に必ず命を落とすのでこの事実に気づく者はこれまで現れる事はなく、本来ならこれからもずっと誰にも感付かれる事もなかったのでしょう。

ですがわたしの様な主の思惑から外れた者が生まれた事に因って、この隠されていた真実が明らかになったのです。

この時期にわたしは『神の子』を受胎し、それが主の力すら超えた大いなる運命に因るものに違いないと考えて、わたしは自分の取るべき道を定めました。

それこそが歴代の者ですら誰一人として為し得なかった、戒律の中でも最大の禁忌とされる主との対話でした。

教義では主は絶対的な存在であって、数多の被造物のひとつに過ぎない定命の者如きが意思を交わす事など許されておらず、それはわたし達ですら例外ではありません。

それ故にこれまで誰も“アイテール”と言う神に対してこちらから働きかける事も無く、遥か昔の神話の時代に告げられたとされる教義と戒律に従って行動し続けているのです。

しかしながらもう、わたしは多くの真実を知り疑念を抱いてしまいました、こうなれば全てを明らかにする以外に道はありません。

『選ばれし民』に異教徒との争いを与え続けているのは何故なのか、主は何か別の目的の為にこの状態を作り出しているのではないか、だとすればこの犠牲の上で主が欲しているものとは何なのか、この疑問を解き明かしたい、わたしはそう願いました。

ですがそれはそう容易く叶うものではありません。

『光の聖女』は生涯を通じて主を体内に宿してはいますが、その状態では全身を巡る血の様に溶け込み同化しているので、主の存在を認識する事は出来ないからです。

この状態が唯一変わるのが『神の子』を孕んでいる期間で、この間に主の力が母体から胎児へと移って行き、出産直前には完全に主は胎児へと移動します。

つまりこの期間だけは主が分離するのですが、『光の聖女』は主の力で命を永らえている存在ですので、その力が減るに従って衰弱していきます。

なのである程度まで『神の子』が成長して、尚且つわたしがまだ行動出来る力を残している時期だけが主と接触出来る機会となるのです。

そこでわたしは誰にも気づかれない様に注意しながら、何度も自身の子宮から胎児を取り出して主との対話を試みてきました。

けれど一度として主がわたしの呼び掛ける声に応える事はありませんでした。

そうやって失敗をずっと繰り返していると次第に期待も薄れていくと共に、『神の子』の成長に反してわたしの力は衰えて、この行為の負荷も日増しに辛いものへと変わっていきました。

そんな折に取り出した『神の子』が初めて言葉を発して意思を示した、それがあなたでした。

取り出してすぐには気づきませんでしたが、あなたがわたしへと語り掛けて来た事でこれは主ではないと判り、この状況にすっかり混乱しました。

何しろ今までずっと『神の子』として主が宿っていると信じて疑わず、まさか主ではない何か別のものに入れ替わっているだなんて考えもしなかったので、一体どう対応するべきなのか全く判らずとても迷いました。

もしもこれが悪夢なら早く終わらせる為にこの身に短剣を突き立てようとも思いましたし、あなたを殺せば再び主が戻って来るのではとも考えました。

ですがどちらの決断も出来ずにいたのは、時間が経つに連れて混乱や不安以上に、あなたへの期待を抱いたからです。

そこに居られた筈の主を押し退けて現れる事が出来るのなら、それはきっと主よりも更に優れた存在の証拠に違いなく、主の思惑を覆す者としてのわたしを生み出し、あの様な試練を与え思い立つに至った運命を授けた神なのかも知れない。

そうだとしたら、これまでに生じた問題を解消する為にこうして降臨されたに違いない。

わたしはそんな希望をあなたと言う未知の存在に託して、呼び掛けたのです。

主をも越えた存在であろうあなたならきっと真実を知っておられるのでしょうから、是非お答え頂きたい事があります。

わたしが取った行為は正しかったのでしょうか、それとも主の導きやこの国の歩んでいた道こそが正当だったのでしょうか。

主の真意とは本当に教義の達成であったのでしょうか、それとも別の思惑があったのでしょうか。

主に別の思惑があったとしたら、果してそれは何だったのでしょうか」

こうして主に対する疑念を明言した反逆の聖女は、犯意を抱いてから今に至る急転の経緯を語り終えて口を噤むと、真直ぐにこちらを見据えた。

そんな聖女の一心に見つめる色の無い瞳にはこれまでに無く強い意思が感じられ、その様子からこの問い掛けに大きな意義を見出しているのは明白であり、それは私からの回答こそが自身の行いに対する審判になると確信し覚悟しているからに違いなかった。

だが私には、列挙された問いの何れにも答える事が出来なかった。

何しろ私は聖女が信じている様な偉大な神でもなければ“ロゴス”の様な博識の知恵者でもなく、偶然にもこの様な境遇にあるだけの殆んど何も知らない無知で無力な存在でしかないのだから。

下手に詳細を語って余計に混乱させたくなかったのもあり先程の説明ではその点までは言及せず、単に胎児の中身が望んだ神とは別人であるとしか伝えなかったのが仇となってしまったか。

本を正せばこの対話の流れは私の失言に因るものであり、この局面で適当な返答をして誤魔化すのは流石に良心の呵責を感じる。

事の真相を切望している聖女にとっては更なる失意を与える結果になり兼ねないが、ここは再度私と言う存在について補足せざるを得ないだろう。

そう思い直した私は、返答の代わりに改めて私の過去についての説明を思念にて送り始めた。




私は己が召喚を繰り返す運命に囚われている事と、この運命に陥る前の記憶を失っている存在である事を聖女へと告げた。

語り始めた当初こそ私が“アイテール”ではないと知った時以上に驚いていた様子であったが、その後私の話を聞くに連れてこれまでとは異なる別の感情が入り交じった様に見受けられた。

そして話を聞き終えた聖女の表情は何故か僅かに微笑んでさえいるかに映り、それはこちらが想定していた失望や喪失感等の負の感情とは違うものであるのは明らかだったが、それらの代わりに何を見出したのかまでは判らない。

その想定外な様子の変化の原因が何なのか、強い興味と若干の不安を覚えつつ反応を待ち受けていると、聖女はこれまで以上に慎重に言葉を選びつつゆっくりと語り始めた。

「ご自身が何者かも思い出せず、全く見知らぬ異界へと呼び出されては、神や悪魔といった人ならざる存在として振る舞う事を強いられて、力尽きると共に元の世界へと引き戻される……

だとすると、あなたにとって今のその御姿は仮初のもので、繋ぎ止めている力が尽きれば元の体へと帰られるのですね。

と言う事はあなたはこの様に召喚が起きる度に、その時の立場や置かれる状況は違えども、幾度も人生をやり直しているとも言えるのではないでしょうか。

その様な境遇は『光の聖女』としてしか生きていないわたしにとって、想像すら出来ないものです。

それを望んでいる訳でもないあなたにとっては、単に大きな苦痛でしかないのかも知れませんが、わたしからすれば自分自身で自由に行動を決められるなんて、何よりも羨ましく感じてしまいます」

語った内容からすると私に向けられた感情は羨望の筈なのだが、硝子の瞳を僅かに細めつつ寂しげな微笑を浮かべる聖女からは悲愴感を感じた。

その理由は敢えて考えるまでもなく、続けて語られた内容に因って直ぐに判明する。

「今でこそわたしはこの様な行為に及んでいますが、それは不出来であったが故に様々な儀式の義務が果たせなくなり、放任されているからです。

普通に力を持っていれば、生まれてから死ぬまで取るべき行動が教義と戒律に因って事細かに定められており、その人生に一切の自由はありません。

そんな境遇はたとえ『光の聖女』と言えども到底耐え難く、その証拠に本来であれば成人まで育つと不老となり、主の加護の下では限り無く不死に近い存在となる筈なのに、その寿命は段々と短くなっていて近年では皆数年で死に至っています。

わたし達は他の誰よりも多くの力を与えられた代償として様々なものを失くしましたが、何よりも失ってしまったのは人間らしさです。

元々は同じ氏族の人間であったのに、代を重ねる毎に進行するこの様な人間離れした容姿へと変貌し、この変わり果てた姿を民達に見せない様にする為にここに軟禁されました。

今やわたしと直接接する民は神託を確認する神官と世話役の宮女だけですが、宮女達は主に準ずる『光の聖女』と対話する事を禁じられており、神官達も儀式で必要な台詞を語り神託を聞くだけで、どちらも普通に会話を交わす事はありません。

そうやって距離を置くのは近づく事すら恐れ多い畏怖すべき存在であるからだとしていますが、どれだけ誤魔化し取り繕っていても判ります。

もうわたし達を同じ人間であるとは見ていないばかりか、容姿や能力のあまりにも大きな差に恐れ戦き、災禍や疫病と変わらない程の恐怖心すら抱いているのです。

だからと言って主に近しい訳でもなく、主は先代達に対しても未来視を見せる以外に直接的な意思を表す事は無く、わたしに至ってはそれすら只の一度もありません。

これ程までに力を与えられ人間離れしたところで、主からすればわたし達はあくまで一介の人間に過ぎません。

主に代わって民を導く主と民の架け橋でありながら、民と主のどちらからも拒まれつつ都合良く利用されている、これが今の『光の聖女』なのです。

自身ではどうにも出来ない不遇を強いられた上に、主が為し得ようとしているのが教義に則ったものではないのかも知れない事に気づき、これで最後の拠り所であった『光の聖女』としての存在意義すら揺らいでしまいました。

こんな報われない呪われた宿命から解放されたい、これこそが今のわたしの悲願です、それが叶うのなら何を犠牲にしようとも決して後悔は致しません」

項垂れ目を伏せながら嘆く聖女は、最後に己の胸の内に仕舞い込んでいた積年の思いを搾り出す様に明かし、決死の決意を表明した。

その語る様子から察するにこの内容はこれまで一度として誰にも伝えた事が無く、こうした本心を他者に語った事すら皆無なのも恐らく事実であろうと感じた。

絶え難い孤独に苛まれ思い詰めた上での結果であるのならば、あの様な行為に走ったのも致し方なかったのかも知れない。

その後も黙りこくったままでいる様子からして、吐露した感情に押し潰されてしまい言葉も出ない心境なのか。

こうして私がそんな悲愴感漂う聖女に憐憫の情を感じていると、ようやく沈痛の心境から立ち直ったらしく再び顔を上げた。

「ですから、わたしは……」

そう呟きながらこちらを見つめた聖女の顔は、どう言う事なのか判らないが、何故かまるでここまでの展開が無かったかの様な満面の笑みを浮かべていた。

そのあまりにも著しい豹変振りに驚き恐怖すら覚えるが、そんな私の心情など気にする様子も無く夢現の表情へと変化しつつ言葉を発した。

「……あなたに是非お尋ねしたいのです。

先程の説明では、人智を超える存在と言うのは総じてあなたの様な方が演じておられるのでしたよね?

でしたらこのわたしも単に自覚出来ていないだけで、あなたと同じ様な存在であるとは言えませんか?

もしそうなら、わたしもこの『光の聖女』としての呪縛から逃れさえすれば、あなたと同様に元の場所にいる本来の姿へと戻れる可能性もあるのでは?」

正に掌を返した様に、これまでとは全く以ってその様子が一転した恍惚の聖女から告げられた内容は、その特異な容姿からしてこちら側に近いと思われる存在である点も考慮すれば、想定して然るべきものだったかも知れない。

意図的か否かに関わらず短命の運命を科せられた定命の者ならば、その願望を抱くのは道理であろう。

況してや理想の姿としてそれを立証している私と言う存在が目の前にいるのだから、それを望むのは至極当然であるとも言える。

だがこれは私以外の該当者を鑑みるに当事者自身の意志でそれを望み達成した状態ではなく、予めその様な運命にある者がそうした存在として顕現しているだけだと捉えている。

その様な者達の最大の特徴は、何らかの達成すべき目的の為に存在している事ではないだろうか。

そう考えると確かに超自然的な力こそ有してはいるが、現状からの逃避だけに固執しているこの聖女が彼等と同類である確率は決して高いとは思えない。

だとするとこの世界で命を捨てたとしてもその願望は叶わなず、只単に全てを滅ぼした大罪人として終える事になる公算が高い様に思えて仕方がない。

この否定的な見解を伝えると、半ば夢現だった憧憬の聖女は途端に表情を曇らせ不満げな様子を見せる。

だが直ぐには反論する事無く、暫らくの沈黙の後に何か名案でも思いついたのか再び破顔すると、思わぬ事を口にし始めた。

「そうご判断されるのでしたら、あなたの御力でわたしの願いを叶えて頂くのと言うのは如何ですか?

わたしが望みを叶えたいと願ってあなたを呼んだのなら、あなたにはそれを実現する力がある筈なのでしょう?

それなら今わたしが望んでいる事だって、実現出来るかも知れないではありませんか。

“アイテール”の力は全てを統べるものであり、主の代わりであるあなたも同等の力をお持ちに違いありません。

あなたなら出来る筈なのです、ですからどうかわたしをお救い下さい!」

どうあっても諦めきれないのか、執拗に食い下がる聖女から新たに提示されたのは救済に関する代替案であったが、残念ながらそれは先程よりも更に実現性の乏しい内容と言わざるを得ないものだった。

如何に“アイテール”が全知全能であったとしてもそれはこの世界の範疇に過ぎず、世界の枠を超える転生の能力を付与する事は不可能だからだ。

どうも次第にその思考が現実から乖離し始めていて、願望を前提とした荒唐無稽な詭弁になりつつある様に感じる。

だがこの様な説明で説き伏せられるとは到底思えず、かと言って妙案も思いつかないままその思考の変容を阻む事が出来ずにいると、こちらの沈黙に耐え兼ねたたらしく早口で捲くし立て始めた。

「この場に及んでどうしてそう頑なに躊躇されているのか、わたしには判りません!

何故なのですか、何故わたしの望む様にして下さらないのですか?

召喚したわたしがこれほど望んでいると言うのに!」

己の主張が通らない事に苛立つ聖女はその口調も徐々に変化し始め、それは平常心を失い情動に侵食されている兆候にも見えた。

併しながら今の私にはそれ程の大きな力を使えるだけの糧も無ければ要求を達成する手法も判らず、それを実現する為の全ての要素が欠落していると言っても過言ではないのは明白だった。

その事実を理解させるべく慎重に言葉を選んで思念を送ろうとするが、焦れる聖女は私からの否定的な思念を拒む様に途中で声を発した。

「ああ、そういう事ですか、判りました、つまり供物が足りないと言う事ですね。

供物なら丁度良いのがここにあるではありませんか、主の加護を持つわたしの命が。

さあ今ここに最も神聖なる『光の聖女』の命を捧げましょう!」

そう言い放った昂る聖女は再び転がっていた短剣を手にすると、切っ先を己に向けて高々と掲げる。

自身の魂を『光の聖女』の呪縛から解き放とうとしているのに、それ自体を糧として捧げてしまっては本末転倒にも関わらず、その矛盾にすら気づけぬ程に思考が停滞し焦燥に駆られていると言う事か。

その選択はあまりに短絡的であり早まった行動を諭すべく思念を送るが、全く意に返す事無く即座に抗弁する。

「あなたともあろう御方が何をそんなに臆しておられるのですか?

どのみちわたしの意識はここから離れて元に戻るのですから、この身体の命にはもう用はないでしょう?

あなたはその様なつまらない事は気になさらずに、わたしの願いを叶える努力をして下されば良いのです。

それこそがわたしがあなたを呼び寄せた意義なのですから!」

そう叫ぶと共に勢い良く刃を左の胸に突き立て、そして一気に引き抜いた。

すると腹部から流れ出ていたのと同様の透明な体液が穿たれた胸の傷口からも溢れ出し、私の元へと伝い流れてくる。

それと共に私へと届いていた糧の流入が滞り枯渇し始めた。

「こんな! 運命は! もう! 要らない!」

「これで! わたしは! 自由に! なれる!」

「主よ! どうか! わたしに! 死を! 与え給え!」

ある意味これは歓喜の叫びとでも表現すべきものなのか、絶叫しながらその言葉に合わせて幾度も心臓目掛けて胸を突く聖女は笑っており、最早どう見ても正気を保っている様には見えない。

刃は必ずしも深く刺さる訳では無く、半数以上肋骨に当たり弾かれている様だが、そんな事すら気にする様子も無く我武者羅に自傷を繰り返している。

そうして何度も抉られ続ける内に傷口は徐々に広がり、次第に手が入りそうな程にまで達していた。

やがて絶え間なく流れ落ちる体液に千切れた肉片も混ざり始めるが、それでも主の加護たる治癒の力は未だに絶命を阻止し続けている。

なかなか死に至らぬ事に逆上した聖女は両手で短剣を握り締めると、刃の切っ先を肋骨の間に刺した状態で上下左右へと抉じり始めた。

するとどうやら肋骨を圧し折ったのか、流出物に骨の欠片らしき物も混ざり始め、それと共に流れ落ちて来る肉片も大きくなっていく。

そうやって傷が深まる程に治癒に因る糧の消耗も増加している様で、私に対する糧の枯渇は悪化の一途を辿り、強い倦怠感を感じると共に視界は霞み聞こえる音も遠のき始めた。

いよいよ身体機能にまで影響が出始めたのが判り、これはもう長くは持たないと自覚する。

「我が! 魂を! この! 身体から! 解き! 放ち! 給え!」

「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

「何故死なない! 何故! 何故! 何故! 何故!」

激しく叫びながら自らの左胸を抉り刺す聖女は、己を殺す事だけに執着し完全に理性を失っていた。

理想を求めたが故のこの結果だとすれば、これはある意味愚かな人間らしいとも思えると同時に、当人の渇望する存在らしからぬ姿にしか見えない。

だがそれを思念で告げたところで、もうこうなってしまっては決して届く事は無いであろう。

そんな狂える聖女は、なかなか死に至らない事に激昂するあまり私の存在も忘れてしまったらしく、何の予備動作も無く不意に立ち上がる。

只でさえ糧の枯渇で衰弱している私は為す術も無く臍帯で吊り下げられ、聖女の膝辺りで纏わりつく様に揺れ動くのを止める事すら出来ない。

だがそれで改めて私に意識を向けると、衝動に駆られ歪む顔で私を睥睨しつつ口を開いた。

「そうか、そういう事か、こんなところに主の力が残っているから、わたしの願いが叶わないのか」

凄惨な表情のままに薄ら笑いを浮かべた狂気の聖女はそう呟くと、ほぼ閉じ掛けていた腹部の傷から生え出た臍の緒を右手で掴み手繰り上げた。

そして左手に握った短剣の刃を掴んでいた臍帯へと滑らせると意外な程に容易くそれは切断され、支えを失った私は重力に従い寝台の上へと落下し白い敷布へと叩きつけられた。

落下した衝撃で呼吸が出来なくなり足掻こうとするが、手足が折れたのかあらぬ方向に曲がっておりそれすら叶わず、痙攣の様に身体を震わせながら悶絶する事しか出来ない。

聖女はそんな満身創痍の私を眺めながら、さも嬉しそうに呟く。

「とても大事な事をわたしは忘れていました、わたし達は主が生きている限り死ぬ筈がありません。

何故ってあなたが死なない限り、わたしにはあなたから治癒の力が送られてしまうのですから。

つまりわたしが死ぬ為には、まず最初に『神の子』であるあなたを殺さなくてはいけませんね」

完全に破綻した見解を口走る聖女は口調こそ元に戻っていたがその表情に理性は感じられず、ここから回復する可能性は最早無いであろうと諦めた私は、朦朧とする意識で最後にこの結末について自問自答する。

果してこれは辿るべき正しい結果だったのか、それとも私の誤まった行動に因って招いた破滅であったのか。

確かに私の対応に起因するのは間違いないだろうが、その後の展開は聖女自身が自ら真に求めた結果から生じたものだ。

もし私が聖女の行動を止めるべく声を掛けていなければ、『神の子』を腹に戻してこれまでと同様の日々に戻れたのかも知れない。

だがその場合、力尽きて実行不能となるまでこの惨たらしい儀式を繰り返し、遠からず失意に塗れながら次の聖女を産んで死んでいったのだろう。

果してどちらが望ましかったのかを考えても今更不毛な気もしたが、何も為しえずに潰えるよりは挑戦して仕損じた方が幾分か良かったのではなかろうか。

そう己に対して弁明しつつ、全てを諦めてもう直訪れるであろう最期の時を待ち受けた。

そんな私の諦観にも気づく様子も無く、聖女は満足げに言葉を続ける。

「こうしてあなたが現れた意義は、『神の子』としてその貴い命を失う事でわたしの運命を断ち切り願いを叶えて下さる為。

あなたこそ主に死を齎し『光の聖女』の命運を変える運命の神に違いありません。

やはりあなたに託したのは間違いではなかった、あなたを信じて本当に良かった。

あなたにはどれ程感謝の言葉を重ねても足りません、この御恩はいつの日か必ずお返しするとお約束します。

それではまた何処か別の世界で再会致しましょう」

私への手向けの挨拶を終えた聖女は、左足を高く引き上げる。

わざわざそんな行為に至らなくとも私の死は時間の問題なのだが、もうそれにも気づかない様だ。

感謝の念を語りながらその相手を踏み潰そうとするのだから本当に狂っているとしか言い様が無いが、そうさせるに至ったのは私の罪であるのならこれは正当な罰なのかも知れない。

そう納得したところで、躊躇無く踏み下ろされた聖女の足に因って私の器は肉片と化したのだった。





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