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第二十一章 湖の主 其の二

変更履歴

2016/01/16 記述修正 例え → たとえ


尖塔の内部は壁の厚みがかなりあって予想よりも狭く、私は周囲の壁に全身をぶつけながら水流に吸引される様に下へ下へと突き進む。

極力器の損傷を避けるべく全ての鰭を胴体に密着させつつ物理的な衝突での失明の可能性を少しでも下げようと瞼を閉じた状態で、後はもうこの流れに身を任せ続けた。

当初は尖塔らしき直線状の部分を真下へと向かっていたがそれが終わると、本来は直線基調の廊下や部屋だったのだろうが半壊した瓦礫で至る箇所が塞がれ複雑に入り組んだ迷路へと変貌し、それに合わせて次第に上下左右と曲がり始めるとたちまちどの方向に向かっているのか判らなくなり、視野もなくただただ水流の轟音だけが木霊する中全身を叩きつけられて疲弊し次第に意識が遠のいていく。

もしかするとこのまま死ぬまで流され続けるのではないかと思い始めた頃、結局どの程度の時間だったのかははっきりしないがそれは唐突に終わりを告げ、轟音と打撃が止むと同時に激流も止まり全ての苦痛から解放された。




恐る恐る瞼を開くと、私は石柱が聳え並ぶ細長い大広間の中央に漂っていた。

まず最初に自分が何処からここに到達したのかが気に掛かり、負傷の程度確認も兼ねて各鰭を動かし旋回しつつ背後を向くと、広間の二階の回廊に扉の無い部屋への出入り口が見えた。

一見した限りではあるが自分以外に動く存在は無く物理的な質量を備えている物体は石柱と瓦礫のみだが、これまでと比べて明らかに周辺を照らす輝度は強まっているし、同様に匂いも濃度が高まっているのを感じる。

未だ目に見える範囲にまで近づいてはいないらしいが、やはりこの城の内部に目的の獲物があるのは間違いないと確信しつつ改めて周辺を見回すと、もはや城と言うよりは遺跡に近い状態の場所であると実感する。

元々は精巧な装飾が施されていたであろう石柱は大半が損壊しているだけでなく半数は途中で折れており、本来の役目である天井を支える事を放棄し嘗て住人達が行き来したであろう広間を寸断するように横たわり、上を見上げると天井も至る箇所で崩落が見られ転がっている柱と同じく落下した部位が瓦礫として散乱している。

これだけ支柱が失われていて更に湖の水圧と土砂の重量が圧し掛かっているにも関わらず、この空間自体が完全に押し潰されていない事が奇蹟であり疑問にさえ感じる程だ。

この建物に使われている石材が相当に強固なのか、或いは何らかの超自然的力が作用しているのか。

念の為暫らく眺めていても光や音を発したり何処かが勝手に動き出す気配も無いので、とりあえず石柱や瓦礫そのものから害される可能性は無いと判断し更に入念な探索に入った。




時間を掛けてこの大広間を確認すると構造としては二階までの吹き抜けとなっており、天井部分は正方形から半球状へと次第に変化する構造が一列に並び、二階部分は四方の壁面部が回廊で一周繋がっているが何処にも上下階に通じる階段は無く、一階と二階共側面部には均等に五箇所ずつ通路への出入り口があるのが判った。

どの通路も入り口の大きさは同様に最初に突入した窓とは比較にならない程大きく、多少瓦礫で塞がれていたとしても容易に通る事が出来る広さがある。

それよりも気になる事実は、ここには柱や壁や天井等の建物を構成している素材以外に何も無い点だ。

長期に渡り水没しているのだから多くの物質は腐食してしまうだろうしその中には跡形も無くなる物もあるだろうが、それにしても流石にここまで何の痕跡も残さずに消滅してしまうものなのか。

布や木材で構成されているのならともかく、金属で作られた物すら何ひとつ残っていないのはかなり不自然に感じる。

ここを利用していた人間が文字通りの古代人で製錬技術が無かったとも考えられるが、それにしてはこの建物の構造が高度過ぎていると思える。

それ以外にもここに存在する唯一の物質である濃い灰色をした石材にも特徴があり、崩れていない壁や天井の表面には規則的な模様が刻まれており、その模様に因って一定の大きさの立方体を積み重ねて構成されているのが判った。

折れた石柱や崩れた天井の破断面を見ても、立方体の内部は空洞ではなく全て同色の素材が詰まっており骨材や別の物質は混じっていない点から、これは煉瓦の様な人工的に作られた建築材料なのではないかと思われる。

だがどれだけ確認してもこの鼠色の石からは餌としての反応は嗅ぎ取れないので、この石材以外に黄金も存在している筈だ。

但しそれが大量の瓦礫の下に埋もれていないと言う保証も無く、この魚類の身体で掘削作業をしなければならない可能性も高い。

試しに石柱の瓦礫に対して体当たりをしてみると岩石の質量は予想よりも軽く僅かに動くと共に、全体的にではないものの意外と容易く直線的な亀裂を生じ端の部分に亀裂が生じた。

この結果から寧ろ掘削作業の難航よりも、私がここに入って動き回る事で発生する水流や接触時の衝撃や脆くなっていた壁や床が一気に崩れて獲物が完全に埋没し、極めて重要な指針である匂いを辿れなくなる危険の方がより高いかも知れない。

そこまでの道標が失われてしまえば身体の発光現象に因って直線距離での遠近が判っていても、事実上到達は不可能となるだろう。

ここから先の探索は今まで以上に慎重に行動を取る必要があるのを肝に銘じつつ、最も強く匂って来る一階の通路の奥へと向かって進み始めた。




もう今が昼なのか夜なのかも全く判らない状況の中、匂いを頼りに次々と現れる廊下や室内の出入り口での分岐を選択しながら延々と沈降し続けて、どれくらい経過したのだろうか。

どれだけ進んでも大広間と同様に瓦礫の石以外何も無いのは相変わらずなのだが、沈殿物の重さと建物自体の自重も合わさってなのか、階下に向かうに連れて縦方向の圧力に因る損壊が増加している様に感じる。

具体的には上層階からも各所で見られた床や天井を構成している石の崩落以外に、まるで中央部分を上から圧迫して凹ませたかの様な天井部分の異様な歪みや、壁面や柱を構成している石の変形や圧潰に因って部屋全体が潰れ、部屋や通路の空間が半分程度まで狭められているのだ。

それらを引き起こした何らかの力は一過性のものだったらしく現在は停止している様だが、これでは進めば進む程に崩落の可能性が増大するのは間違いなく、生き埋めの危惧から生じる不安と緊張は高まるばかりだ。

それ以外にも新たな懸念として、かなり潜行した心算なのだが未だ得物の場所に辿り着かないと言うのもある。

例の感覚の相当な強まりからしてそう遠くはないのではと楽観していたのもあって、こうなってくると一体何処まで下層へと潜らねばならないのかの見当がつかない。

しかしながら確実に匂いは強まっているのも紛れもない事実であり、これを好意的に捉えれば想像を絶する程の金塊が眠っているのかも知れないと期待出来るとも言えるだろう。

糧に関しても相変わらず方向性はないものの、潜れば潜るほどにその濃度は高まっており、もしかすると対象物は違えども糧の発生源と金塊は同じ場所にある可能性も出て来ている。

そんな希望的観測だけに縋りながら漠然と進行し続けるのに限界を感じ始めていたのもあり、現状を踏まえた上での今後の展望を検討すべく思考を切り替える。

ここまで奥底まで進んでしまったら最早再度湖に戻れる事は無いだろうから残る可能性は二つ、この匂いの発生源である物を見つけ出せるか否かだ。

首尾よく発見出来たならどうにかして獲物を入手すれば良い、たとえこの器の命を引き換えにしてでも。

発見出来ない場合の更なる展開としては、探索途中で器が死に至る場合と痕跡を見失ってしまう場合の二つが考えられ、前者はもう対処のしようがないのでその最期を受け入れるしかないが、後者の場合はその後どうすべきなのかまでも前以て検討しておくべきか。

その時はもう適当に探索方向を選択して何処かへと突き進むしか無い気もするものの、いっそ別の何かが見つかる可能性に賭けて突飛な行動に出てみるのはどうだろうか。

例えば派手に暴れ回って、この灰色の岩石の中に何かが埋め込まれている可能性を探るとか。

あの道化の世界に落ちて以来ずっと虜囚として行動を抑制され続けているのだから、ここでの最期くらいは望むままに振る舞っても罰は当たるまい。

最終的には自暴自棄な結論に至り一人自嘲し、とにかく進むより他に道は無いと諦観して潜行を再開する。

ひたすらに匂いを辿って進み続けると言う繰り返しの中で、着実に近づいていると言う感覚が誤りで実は同じ所を循環しているだけなのではと疑い始めた時、今までに無い雰囲気を醸す部屋へと辿り着いた。




これまで通り過ぎてきた部屋には建造物の瓦礫以外何もなかったが、この部屋にはそれ以外の物が存在しており、入って直ぐさまそれに気づいた私は本能的に硬直し動きを止めた。

何故ならそれは人の姿をしていたからでもしや人間かと疑ったものの、すぐにそれが石で出来た石像だと気づいた。

2m近い身長をしたその像は、長衣を纏い左右の手にした二本の杖を掲げる様に両腕を上げた姿勢のまま微動だにせず、こちらに背を向けて室内に佇んでいる。

像の質感は建造物の石材と同様で、どうやら同じ材質で作られているらしい。

更に足元を良く見ると直径2m程度の七芒星の魔法円が床に刻まれていて、石像はこの魔法円の中心に立っている。

糧の濃度もこれまでで最も高まった点からしてこの石像こそが根源なのかと疑ったのだが、どうもそうではなく依然として空間全体に充満している事から、糧は湖水に含まれていると考えざるを得ない様だ。

糧が水溶性で且つ、これだけ希釈されても消滅していないと言うのは全く以って謎だが、今はそれよりも注視すべき重要な物が目の前にある。

石像の更に奥へと目を向けるとこの部屋は奥行きのある縦長の構造をしており、こちらに背を向ける石像の視線の先には先の魔法円とは比べ物にならない程巨大な大きさの三角形が三つ入れ子に描かれた魔法円が刻まれていて、それが天井の真上の位置にも同じ図柄で描かれているのが確認出来た。

二つの魔法円にはほぼ余白が無い程に様々な文字や模様が記されていた様だが、随所に陥没箇所が見られ残っている床や天井部分もその殆んどが水流で削られてしまい判読不可能な状態となっていて、どの様な言語を使っていたのかは判らない。

そしてその大魔法円の中心には、距離があるので確実とは言えないが凡そ石像の半分程度の高さの、壁や柱と同じ石で出来た聖櫃を髣髴とさせる立方体状の箱がひとつ置かれており、そこかしこに出来た罅割れや破損箇所の隙間から例の匂いが漂っているのも判った。

ここに来てようやく目的の獲物を発見出来た喜びは感じるものの、まるで大柄な人間が石化したかの様な石像と途轍もなく怪しげな魔法円の存在が、餌たる黄金の確認へと向かいたい私の意思に対して枷となりその行動を躊躇させる。

大小二つの魔法円は石像が施術者であったと仮定するならば、経験則からすると一般的には術者が中心に立っている小さい方が外部からの力に対する防衛の為の物で、それに対して巨大な方は中心に置かれた石の箱を触媒として何らかの存在や力を引き出す為か、若しくは石の箱の中身に儀式で引き出した何かを付与する為に配置されている様にも見える。

魔法円はその大きさや記載量に比例して発動する秘術の力も大きくなる筈なので、それがここまで巨大で複雑となるとそれだけ強大な何かを対象としていたと言う事になり、そう考えると迂闊に動くのは憚られ安易に近づき難いが、かと言ってここでただ傍観しているだけでは何の意味も無い。

そんな状況のまま少々時間が経過したものの、その間も石像は微動だにせず生きている様な兆しは全く無ければ、描かれているどちらの魔法円に関しても秘めた何らかの力の脈動等も全く感じられず、今や単なる天井や床の模様と化している様にしか見えない。

それでも未だ、所々が崩れて途切れた魔法円であってもその範囲内に踏み込むのは躊躇いを感じ、石の箱到達にはどうやっても不可避であろう奥の大魔法円を避けつつ、とりあえず石像が立っている手前の小魔法円を迂回しながら像の正面に回り込んだ。

石像の左側から遠巻きに移動し改めてこの像と対面すると、てっきり人外か或いは想定し難い形状をしているのではと思ったのだが、その顔は至って普通で少々拍子抜けだった。

ただ石の箱や魔法円と同様に水流での磨耗の所為なのか元々その程度の造形だったのかは不明だが、顔の表情は明確ではなく目元や口の箇所が窪んでいて中央の鼻と顎の部分が高くなっているので、これは通常の人の顔であろうと判断出来る程度だ。

こうして正面から見据えてもやはり石像には相変わらず変化も無く、像が中央に立つ小魔法円もまた無反応のままだったのだが、この時に先程までは遮蔽されて確認出来なかった石像正面の箇所に他とは少々異なる模様の損壊を見つけた。

それは大小二つの魔法円の中心を繋いだ直線状に生じている床の亀裂で、小さい魔法円の外周部から徐々に広がりつつ石像の足元にまで達している。

まるで石像目掛けて小魔法円を切り裂いたかに見えるこの亀裂がここで行なわれようとしていた儀式を失敗させた元凶ではないか、そんな想像が働くもその根拠となる物証は他に見当たらず憶測の域を出ない。

これ以上こうした思案を繰り返していても無意味であろうと判断し、この石像に対する最終的な確認作業とも言える、魔法円内への浸入と石像への接触を試みる事にした。

もう既にそれなりの近距離で目視確認まで出来ているし、何かが発動する危険性から考えると石の箱よりは石像の方がまだ幾分かは安全に思えるが、いざ接触するとなるとそれでもそれなりの覚悟がいるもので躊躇してしまいなかなか距離が縮まらない。

少しでも変化が起きたなら即座に遠のくべく身構えつつの接近は、僅か十数秒足らずの移動にも関わらずその何倍もの時間が流れたかに感じた。

それほどの緊張の中臨んだ浸入と接近であったが結果としては何事も起こらず、石像に胴体を数回接触させてみても何も発動する気配は無い。

やはりこの石像と小魔法円に関しては機能していない状態にあったらしい。

実は接触を契機にここではない場所で何かの仕掛けが起動していたり、一定時間が経過すると発動する仕掛けである可能性も捨て切れないが、流石に全く感知出来ない可能性の憶測にまで怯えるのはあまりに馬鹿げているので、それは考えない事とした。

とりあえずこれで石像の調査は完了で良いだろう、次に取るべき行動は考えるまでもなく残る確認対象である石の箱の調査だ。

石の箱の中身はこれまでずっと探し求めて来た物に違いないと言う確信があり、多少の危険があろうと強行してでも確認すべき物なのだが、こちらは先程の石像と違い包囲する大魔法円の外周があまりに大きくその範囲外からでは石の箱の様子が良く判らず、箱の中の状態に至ってはどうなっているのか想像すら出来ない。

更に巨大な魔法円の縁から石の箱までの天井は漏斗状に崩れており、石の箱周辺では床と落ち掛けた天井の隙間に身体を捻じ込んで行かなければならない程に低い。

これはつまり、この巨大な上下の魔法円を通過する際に刻まれた魔法円自体との直接接触が避けられない事を意味し、その広大な範囲では何かが発動した際に逃れる余裕も無く相当な覚悟が必要となる。

そんな危険を冒してまで近づいたとしても、実はこの匂いも陽動で石の箱に獲物以外の何かが入っている可能性も完全に有り得ないとは言い切れない。

遂にこの器としての最後の決断をする時が来たか。

この最終局面とも思える場所を前にして私は改めて、今回の召喚が起こる前の出来事を思い返し始めた。




道化は私に対して金貨を集める様に命じてここへと送り込んだのは間違いない事実だ。

だがその際、その金貨が存在する場所や状態については一言も言及していなかった。

自らが欲し入手の為の手先として脅迫までして強要し送り込む駒へとその在り処等の詳細を説明しない理由は、探索に特殊な条件でもない限り獲得の成功率を下げるだけなのだから不利益にしかならない。

となるとこれはつまり、道化自身もこちらの世界には精通しておらず、確固たる確証も無く金貨の存在する可能性が高い地域へと私を送り込んだだけの様な気がして来る。

仮に詳細を知っていながら敢えて情報を伝えてこなかった場合、その措置を行なう理由は娯楽性を求めてとなるだろうか。

つまり送り込む前に女王の前で私を晒し者にして弄んだのと同じく、ここでもがき苦しむ私の動向を逐一観察して愉しむ為にわざと多くを知らせなかったと言う様な。

しかしこの場合であればあのお喋り好きな道化の事だ、ただ指示のみ出して送り出すだけで気が済むとは思えない、余興として色々と有る事無い事を吹き込み弄ぶのではないかと思うが、そういった言動は皆無であった。

また道化の力がこちらにも及ぶとすると、もしそれが可能であるならもっと娯楽性の高い演出を加えて来るのではないかと思われるが、これまでの私が辿って来た行動では到底余興にはなり得ない程に単調過ぎているので、この仮説も恐らく違っているであろう。

故に結論としては、道化は転送先の世界については未熟でありその力も及ばない事になり、己の力を自由に奮えるのは居城のあるあの世界に限定されていると推察出来る。

この自論を逆に考えると、私へはあの様に命じていたけれども、道化の真の目的は金貨の存在有無の真偽を改める事だとすれば、探索の結果金貨が見つからずともそれが判明しただけでも調査目的は達成したと言えるのではないか。

何かしらの方法でここから無事に戻れたとして、それをあの道化に向かって反論しても到底納得するとは思えないが、そんな事よりも重要なのはこの仮定が正しいとなると道化の保持する力はまさに神同然の絶対的なものではないのが証明される点にある。

あの城館内では文字通り絶対的な権力を行使し、こちらとは比較にならない格差にすっかり気圧されてしまい抗いようの無い存在なのかと認識しかけたが、この推測に従えばそれほどでもないのではと思える。

改めて考えれば、嘗て遭遇した巨竜の方が遥かにどうにもならない相手だったのだ、あの時の有り得ない程の絶望的な格差と比べれば道化など大した事はない筈だ。

そうと判れば、ここで金貨を無事に入手出来たとしてそれを言われるままに渡すべきではないのかも知れない。

道化が収集している点や、ここで行われようとしていた儀式が金貨から力を引き出す試みであったとすると、あの硬貨には何か相当な力が秘められていると言う事なのだろう。

であれば、それをこちらも利用する事で力を得て形勢を変えられないものか。

その提案はとても魅力的に響くものであるが、金貨の力についての情報は皆無でありその性質等は全く把握出来ていない現状でそれを望むのは流石に無理があると直ぐに思い直し、せめて金貨の引渡しを交渉に使えないかと検討し始める。

それで問題となるのは、金貨の保持手段であろうか。

これまでの召喚では私の意識は転送されるものの、物理的に存在する物質を転移させた実績は皆無だ。

向こう側へ行く時はそもそも一切所有していないのだから持って行きようがなく、逆に向こう側から戻る時は器の力が尽きて元の場所へと戻されるべく必然的に転送されていたので、こちらも意識だけが移動していただけだ。

よくよく思い出してみると、何らかの物理的なものの転送を行なっていたと言えるのは道化が放り投げた“嘶くロバ”の首のみだった。

“嘶くロバ”や道化が扮装で所持していた小道具も持ち込んだとも言えるが、あれらには触れて確認した事がないので質量を伴う実体だった確証は無く、私がそれを感知出来たのは唯一あの生首だけだった。

あの時の感覚すら道化の能力に因る演出だった可能性も否定出来ないが、それを逆手に取ればこちらからも道化を騙せる手段は存在する事になろう。

まあ尤もそれは道化と対等以上の力を私が具有する必要があろうから、現状では実現不能なのだが。

何はともあれ首尾よく獲物が見つかったのなら、とりあえずそれを入手しなければ利用しようがないのだから入手後の行動についての検討はこの辺りまでとしておいて、まずは金貨の入手だ。

その手の能力に関しては説明も全く無しにこの器として送り込んでおきながら金貨を集めろと命じているのだから、採取する手段は備わっている筈だとするとその方法はやはりあれしか思いつかない。

この器で物理的な物質に対し使える部位と言えば体内への摂取しか無い、つまり飲み込む事だ。




この後の行動に対する逡巡の果てに実に在り来たりな結論へと到達すべくして辿り着いた時、それを待ち兼ねていたかの様に再び強い水流が発生し始めた。

しかし今回のは前回とは逆のこの部屋の奥からこちらへと向かって来る流れであり、押し流されない様に抗いつつ発生源を辿るとその源泉は床に出来た陥没部分から出ているのが判った。

ここへと到達するまでの道程でこの水流が発生しなかった事を感謝したくなる程にその勢いは強く、少しでも油断するとその場に留まってすらいられない。

これまでこの城に入る前に起きていた水流がこの部屋一箇所のみから発生していたとすると、尖塔から噴き出して湖中まで到達していた流れは城内に分散して弱まった水流だった事になり、もし以前に発生した規模の強さに達した場合の奔流の威力は最早想定出来ないくらい強烈な筈だ。

この部屋には石の箱や石像や小さな瓦礫が点在していた事からその可能性は低いのではと期待したのだが、小石程度の欠片であっても水流に対して微動だにしていない点からして、どうやらこの石材は流れの影響を受けていないのが判りその期待はほぼ失われた。

あれが再び発生すると、単に遠くの場所まで押し流されてしまうだけで済めばまだ良いが、尖塔突入時の事を考えると到底無傷で済むとは思えず、全身を強打された挙句建物と水流の衝突する圧力で押し潰されるか、或いは鋭利な断面の瓦礫や石柱に叩きつけられての切断も考えられる。

もう残る時間が残り少ないと言う事実が色濃くなった今、まだそれほど流れが強くない内にあの箱まで到達しなければなるまい。

焦った私はこれまでの躊躇を一瞬で忘却の彼方へ葬り去ると、全身全霊の力で石の箱目掛けて泳ぎ出した。

水流の発生当初は流量が安定しないらしく断続的に緩急を繰り返しながら徐々に増加させており、やはり即座に突入し始めた咄嗟の判断は正しかった様だ。

だがどうせならもっと短絡的に、何も考えずにあの箱の元へと向かうのが最良の選択だったと今更ながらに後悔するが、それはもう詮無い事だと自らを戒める。

その悔恨と同時に、城自体はこの水流で損壊したのではないとすると一体どうしてこうなったのかと言う疑念もまた、頭の片隅へと追いやった。

今はとにかくあの箱まで辿り着きその中身を確認しそれらしき物であるなら何としても取得する、ただそれだけを考えて宛ら嵐の突風に立ち向うかの如く身を捩らせながら押し流されない様に耐え忍びつつ、流れの弱まる間隙を突いてその距離を少しずつ縮めていく。

そしていよいよもう少しで石の箱へと接触可能な距離まで迫った時、またもや強力な水流が発生し押し戻されまいと全力で推進した途端、不意にその流れが逆転した。

これまで緩急の変化は段階的だったのもあって瞬間的に切り替わるのは想定外だった為、こちらはそれに対応出来ず箱目掛けて一気に突っ込んでしまい、留まるどころか避ける事すら出来ず相当な勢いで頭から箱へと激突した。

私の器の体積と比べると頭部程度の大きさであった石箱はあれほどの激流でも微動だにしなかったのだが、私の頭突きを喰らうと元々の皹に沿って生じた亀裂が繋がり実にあっさりと砕け、そして恐らく内部に敷き詰められる様に格納されていたのであろう黄金に輝く大量の硬貨が舞い飛び、それと共に嗅覚もこれまでとは比較にならない強烈な匂いで満たされた。

目前に舞い上がった金貨には見覚えのある意匠が施されており、間違いなくこれがこの器の求める物であり、そして道化が探させている金貨であるのも間違いないのを確認出来た。

石の箱をどの様に開くべきかを思慮する時間が短縮出来たのはある意味良かったが、その成果と引き換えに大きな代償を払ったのをこの後すぐに知る事になった。

衝突では相殺しきれなかった勢いで石の箱から若干遠ざかってしまったので戻ろうとしたのだが、どうも身体の制御がままならず思う様に肉体が動かせなくなっており、ばら撒かれた金貨になかなか近づく事が出来ない。

どうやら箱にぶつかった衝撃でこの器も少なからず被害を受けたらしく、これが脳震盪等であるなら暫らく待てば回復するだろうが、どうも症状からしてもっと重篤に思える。

すぐに確認を行なってみると、思考や意識には問題がなかったが各鰭の動作のみならず瞬きや口の開閉と言う様な随意運動全般に障害が及んでいるのが判り、先程のあの一撃で小脳か脳幹か或いは頚椎が損傷した可能性が高そうだ。

もう麻痺しているのか痛みを全く感じないので重症度の度合いも判らないが、あの程度の衝撃で行動に影響が出る程の重傷を負うとは想定外だった。

結果としてはこの器は予想よりもかなり脆い存在で通常の生物と大差ないと言わざるを得ず、この状況では力負けして水流に押し流されてしまったらその時はもう諦めるべきかも知れない。

だが現在はまだその致命的な水流は停滞しており恐らく今が最期の好機であるのも間違いなく、こうなると尚の事何としても今の内に金貨の所へ辿り着かなくてはならない。

しかしどの鰭もまるで錆び付いて固着した門扉の様に思う様に動かず、痙攣と共に不規則にその角度を変える程度の動作にしかならず、たった数mの距離でありながら一向に辿り着かない。

そんな遅々とした歩みでももう暫らくこのまま凪いでいてくれれば、あの金貨の山へと突入出来ればきっと採取は行なえる。

半開きの状態でこちらもぎこちない制御しか出来なくなってはいるが口腔内にさえ入ればどうにかなる、そう信じて必死に金貨を目指した。

だが運命の女神はまだ私を弄び足りなかったらしく、ここで予期せぬ事象が起きた。

半分程距離を縮めた所で、急に移動速度が上がり始めたのだ。

一瞬肉体の制御が回復したのかと期待したのだがそうではなく地底からの水流の噴出の再開で、新たな水の流れに因って全身が押し流され始め意図せず順調に金貨へと迫っていく。

このまま行けば程なくして丁度金貨の場所に到達出来る、そう安堵した瞬間にまたも水流は期待を裏切り、これまでにない規模の爆発的な激流へと豹変した。

その暴力的な奔流に容易く鰭は拉げて圧し折られ、胴体すら想定以上の角度まで湾曲し、絶望的なまでの致命傷をこの器に与えた。

私の器を破壊した激流は金貨にも襲い掛かり、あの不動の石材の加護を失った金貨は水流に因って、宛ら突風に吹き飛ばされる枯葉の様に部屋の入り口から流出し始めた。

それでも頭部はまだ石の箱の位置からそれほどずれていなかったのは、実に冷徹な女神も多少は慈悲を与えてくれたと言えるかも知れない。

せめて一枚だけでも手に入れるべく精一杯顎を開いた後はもう運に任せて流れに身を委ねると、金貨の山全体が流されるよりも早くその場所に到達したのだが、不運にも頭部が前方を向いていない姿勢のまま自らの器で金貨の山を粉砕した。

その衝撃で黄金の花吹雪が巻き起こり、金貨を大量に飲み込む事は叶わなかったが舞い上がった金貨の内の数枚は運良く口腔内へと入り、後はその僅かな金貨を逃すまいと必死に歯を食いしばる事だけに集中した。

何故ならもうこの後の展開は見えていたからだ、口腔内にあるだけで無事に金貨を取得出来た事になるのかすら不明だが、何れにせよ残り数秒程度で全てが終わる。

この部屋を水流と共に押し出される際、より狭い通路に注がれた流れは流速を増す筈だ、その時この器は圧倒的な水圧に耐え切れず完全に破壊されると言う結論しかなかったからだ。

その最期の衝撃に備え身構えて間もなく、身体が捻れるのを感じた次の瞬間には全身の部位が引き裂かれ四散した。





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