第二十五章 太陽の王子 其の四
変更履歴
2017/07/14 誤植修正 取り合えず → 取り敢えず
2017/11/24 記述修正 影響を及ぼした世界に → この世界以外に
2018/02/08 誤植修正 そう言う → そういう
2018/02/08 誤植修正 因果の書 → 『因果の書』
2020/04/16 誤植修正 操り人形に様な → 操り人形の様な
2020/04/16 誤植修正 存在しておらん → 存在しておらん。
「おお、久方振りよのう、稀代の客人よ。
ここのところ侏儒めは頻繁に何処かへと遠征を繰り返している様じゃ。
その所為で内務処理が遅延して、お主の来訪許可を出すのも時間が掛かっておるのじゃろうよ。
彼奴の方でペテン師に関して何か新たな情報を掴んだのかも知れんが、それについては儂も未だ掌握出来ておらんので取り敢えず置いておくとして、さて、何から語るべきか……」
一週間後に訪れた『因果の書』との対面を果たした夜、何時に無く落ち着いた態度で夢路に現れた銀木菟は、妙に勿体ぶった態度で言葉を言い淀んでいた。
そして暫らくの沈黙の後に、再び嘴を開く。
「そうじゃな、先ずは今回の召喚について語るとしようかのう。
お主が送り込まれたのは大陸東方にある国で、その地域の中では群を抜く大国であった。
あの国に関する文献はあまり多くは見つかっておらんし、他国との国交も殆んど無く、数少ない接点と言えば諸外国からの侵攻くらいじゃった。
更にその国の神として召喚された勅使も誰一人としておらんので、直接的な情報も無い。
なので周辺国や接触を図った他国の文献から断片的な情報を拾い上げるしかないのが実情じゃな。
文明の水準としては周辺国よりも劣っていたが、軍事力と言う意味では圧倒的な強さを誇っていた様じゃ。
その証拠はあの国へと侵攻した国々の歴史書に記載が残っておるのじゃが、その強さの源は大きく二つあった。
ひとつは地形で、その領土は周囲を高い岩山が連なる山脈に囲まれており、国内へと入るには切り立つ崖を沿う様に続く細く嶮しい一本道をひたすら進む他無かった。
それは人ひとりが通れる程度の幅しかなく、誤って足を滑らせれば深い谷底へと滑落する危険極まりない道であり、ただ進むだけでも常に命懸けであった。
更に山道を越えても山脈の裾野は広大な森林広がっており、道らしき道は無くうねる様な起伏が続く大地には草木が茂り進行を阻む。
巨木が空を多い日中でも薄暗く鬱蒼とした森の中は、どの方角を見ても酷似した風景で進むべき方向すら判らなくなる。
もうひとつは超自然的な能力であったらしく、侵攻の際には人外の兵隊が待ち伏せや奇襲で迎え撃ってきたと云う。
山岳路では剣だけが見える透明の戦士や中身の無い動く鎧等の不死身の化物が行く手を阻み、更に見えない場所からの姿無き射手に因る短弓や投擲武器等を用いた遠距離攻撃は、まるでそれ自身が殺意を持っているかの様に高精度で急所を射抜く。
森では毒を放つ花々や人間を捕食する巨大植物等が待ち構え、更に軍隊の様に統率された巨大な獣や獰猛な肉食の虫の大群が突如として現れ襲い掛かる。
こうした恐るべき怪物達との戦闘に因って何れの侵攻軍も甚大な被害を出し、どの国も侵略どころか辺境の山や森すら越えられずに敗走したと記されている。
この迎撃を指揮するのは数人から十数人の人間の姿をした者達で、装備としては軽装で鎧兜や盾等の防具は付けておらず、頭巾のある足元まで覆うゆったりとした貫頭衣を纏っておる。
そして顔には全面を覆う仮面を着けており、手や足にも手袋や靴を履いていて皮膚を全く露出していないので、この指揮者の中身も普通の人間ではないとの記載が残されておる。
呼称については地域や各国で差異があるものの、『仮面の魔人』『悪魔の使い』『邪教の使徒』等々、大体似た様な呼ばれ方をしている。
表面に怪しげな模様が描かれた仮面や衣を纏った姿から、これらの通称が付けられていると容易に推測出来よう。
この者達は直接戦闘に参加する事はせず、手勢として様々な化物を呼び出し命令を下すのみじゃった様じゃ。
そして時折聞き取れる言葉を発するものの、その言葉は侵略者達を呪う呪詛であるとされておった。
これに関しては、この国独自の言語体系で全く判らなかった為にどの国もそれを翻訳出来なかったと言うのが、実際のところじゃろう。
併し意外な事にそれ程の戦力を持っていながら他国への遠征は一度も行なわれなかった様で、この国から侵攻を受けた記録はひとつも出て来ない。
その理由が判る様な資料は残っておらんのではっきりした事は不明じゃが、この疑念を理由付ける伝承の元となった謎の現象がある。
それは彗星で、この地方では彗星が他方と比べて非常に数多く観測されており、流星に至っては彗星の数倍の数に及ぶ。
遥か上空で起こる特異な現象は星辰崇拝に繋がり、やがて彗星は神の僕である天使が天界から舞い下りて空を飛ぶ姿であると云われ、流星は天使が神罰として地上へ向けて射る矢であるとされた。
ここから派生した伝承が、あの国の創世神話として幾つか伝わっておる訳じゃよ。
それらの伝承の中でも主たるものが堕天使降臨で、内容としても実に在り来りじゃが一応簡単に説明しておくかのう。
遥か遠い昔、空に巨大な彗星が現れ、それが隕石としてこの地に落ちた。
その正体は神に因って肉体を焼かれながら天界より落ちて来た堕天使じゃった。
肉体の殆んどを失いながらも辛うじて消滅を免れた堕天使は、残った力で神から見つからぬ様に身を隠すと、いつか己を堕天させた神への報復の為に再び天界へと向かう事を誓う。
だがそれには失った肉体を回復させる必要があり、その為には長い眠りが必要なのだがその間は身を守る力が失われるので、この間に神の手の者に襲われれば容易く消滅させられてしまう。
そこで眠りについている間己を神に組する者達から守護する者が必要だと考えた堕天使は、この地に住んでいた無知で愚鈍な蛮族を呼び寄せると、己を守護すれば莫大な財宝と人智を超えた力を授けると言う取引を持ち掛けた。
蛮族達はその取引に応じて堕天使から富と力を与えられると、早速その力を使い富を抱えて直ぐさまこの地から逃げ出した。
その財宝は莫大で途轍もない重さだったが、与えられた人智を越えた力で難なく持ち上がり、更にどの様な地形も飛ぶ様な速さで移動する事が出来たので、蛮族達は歓喜しながら森を抜けて山を越えた。
だが山を越えた途端に次々と仲間達が力を失うと同時に息絶えていくのを見て、蛮族達は慌てて立ち止まった。
その蛮族達の前に再び堕天使の声が聞こえ、戻らなければ皆命を奪うと告げた後に、全員に掛けた呪いについて語った。
この呪いとは堕天使の元から離れると命を失うと言うもので、これには堕天使が消滅してしまった場合にも同様の結果となり、そしてその死の呪いは堕天使が復活するその日まで解けず、呪われた親から生まれた子にも呪いは継承されるというものじゃった。
これを聞いた蛮族達は恐れ戦き、これ以降堕天使を神として崇めその言葉を神託として服従し、代々国の中心にある大神殿の地下深くにある堕天使の石を守り続けておると云う訳じゃ。
この伝承は元を正せば、圧倒的な強さを持っていながら何故守っているだけでこちらに攻めて来ないのかと言う謎に対する真相として生じたものじゃろう。
じゃが時を経てこの伝承は遠方へと広まるに従い、内容は変化を遂げ当初は無かった俗物的要素も付与されていく。
この国の都は堕天使が蛮族を懐柔するべく全ての建物を黄金に変えただとか、堕天使は神の力を盗み出していてその中には定命の者を不老にする力や未来を知る力があるだとか、堕天使を神の名の元に滅ぼした者は神の栄誉を賜り天使になれるだとか。
この様な途方も無い噂を耳にした国々は自分達に都合の良い部分のみを信じ、邪なる異教徒の国家を滅ぼすといった大義名分を掲げて自分達の我欲を満たすべくあの国へと軍隊を送り込んだ。
じゃが半信半疑で捉えていた人外の軍勢に行く手を阻まれどの遠征軍も敗北し、撤退を余儀なくされた。
そうした他国の遠征失敗の報せと共に広まった敗残兵達の証言が、夢語りに過ぎなかったこの黄金伝説の信憑性を助長してしまい、更なる強い関心と過剰な期待を煽っていったのじゃろう。
こうして財政を逼迫させても尚遠征を繰り返した国の王達が辿った末路は、どれも哀れなものになった様じゃ。
ある王はこれが対立する派閥を結束させる要因となり、その失策を糾弾されて君主の座を奪われた後に投獄されて獄中で餓死した。
ある王はこの失政に因って軍部を中心とした反乱が発生し、捕らえられた後に公開処刑された。
ある王は無益な遠征の為の戦費獲得の為に重税と徴集を課す圧政に不満を抱いた民が暴動を起こし、それが国内全土に広まり民衆軍との内戦状態に陥り、最期は農奴達の手に掛かり農耕具で肉片に変えられた。
この様な話もまた伝承に付け加えられ、これらが警鐘になるどころか逆に伝承に箔を付ける結果となり、功名を望む諸王達が挑むべき大いなる試練として広く知れ渡り更なる犠牲者を呼び込んでいった様じゃ。
この様に時を経ても一貫して変わらぬ力を保持し不敗神話を誇ったこの国じゃが、最期は唐突に訪れた。
どうやら巨大な火球の墜落に因って一夜にして滅び去ったらしく、この夜の出来事は複数の国の文献にもその記載が残されておる。
内容はどの文献もほぼ同じで、この国の方角に巨大な光の球が落ち凄まじい轟音と突風で甚大な被害を出したと言う様な内容じゃ。
混乱が沈静化してからある隣国が遠征隊を送った際には、山岳地帯を抜けた先は全てが失われていて巨大な穴しか残っていなかったのだとか。
程なくそこに地下水や雨水が流れ込み隕石孔は湖へと変わり、この国は歴史上から完全に姿を消した。
この一件に関しても伝承の終幕として付け加えられており、火球は神に因る神罰でこれに因って堕天使は劫火に焼き尽くされて跡形も無く消滅し、その手先となっていたかの蛮族の末裔達もまた同時に滅び、その魂は地獄へ落とされたとされる。
国が丸ごと消失してしまった以上、これ以降に年代記や伝記等の歴史書の類は一切発見される事も有り得ず、滅亡後の未来に於いて後世の人間達が真相を知る術は無いじゃろう。
どの様な信仰で超自然の力を引き出していたのかや、お主が遭遇した者達の素性も又然りじゃ。
お主が取り付いていたあの王子と呼ばれていた巨躯の男も、何がしかを企みそれを阻まれ大男に殺された老人も、その企みに利用されていたかに見える王女らしき娘も、その正体は全て不明じゃよ、今のところはな。
じゃがあの場所に例の金貨があった事に因って、儂等にはこの失われた歴史の謎が解き明かせる可能性が生じた。
あの老人が金貨を偶然持っていたのではなく、何かしらの形で秘められた力を理解していたのならば、他にも所持している者や組織的に利用していた可能性も生じ、そこには大量の金貨が収集されておるかも知れん。
そうなればお主が再びあの国へと飛ばされる確率も高まり、それに因って謎の解明に繋がると言う訳じゃよ。
お主とて此度の召喚の真相やその後の展開について、気に掛かっておるのじゃろう?
儂としても抜けている歴史の穴を埋められるのは願っても無い事、侏儒めにも有力な金貨獲得の場所じゃと誇張して報告しておくとしよう。
今回の召喚でもお主は随分とあの傀儡の小娘共に振り回された様じゃが、恐らくお主は気に入られておるぞ。
その理由のひとつとして、お主が聖職者として扱われておるからと言うのがある。
これまでに居た数名の勅使達もそうであったが、儂が把握する限り傀儡共が儀式代行の実施場所を謁見室以外で行なっているのは全て聖職者じゃった。
まあ聖職者と言っても実際に何らかの神を信奉しているのではなく、侏儒めが気紛れにそう決めたからそうなっていると言うのが正しいがのう。
彼奴の虜囚となる者達は、その能力を保持させるべく本来の姿や本質を具現化した容姿でここへと招かれる。
その為に侏儒めは目星をつけた者の存在を事前に調査し、それを神たる器としてこの世界に作り込むのじゃよ。
その手法は洗脳で、獣人達や家畜化して養殖している人間達を利用しておるに違いない。
で、皆が聖職者として扱う勅使に対してあの傀儡共は自分が気に入っておる場所へと招いておると言う訳じゃが、その理由については良く判っておらん。
未だ黒い方は信心深い面がある様じゃからそれが起因している可能性もあるじゃろうが、白い方については全く以って謎じゃな。
今回は単にお主の外見が滑稽じゃから気に入っておるだけなのではないかのう、ホッホッホー。
さて冗談はともかく、招待の理由もそうじゃが傀儡共が儀式の際に見せた奇行に関しても非常に気に掛かるところじゃ。
使用人の説明に因れば、白い方は幻視の能力があり黒い方は幻聴の能力を有していると言う見解らしいが、あれだけではそれを断定は出来んじゃろうな。
白い方の幼稚さを鑑みれば単にそういう戯れをしているだけの可能性もあろうし、黒い方はあの様に演ずる知恵くらいは持っておろうから、断定するにはもっと確かな実証を得る必要があろう。
だがまあ仮に本当に何かが見えたり聞こえたりしているとすると、一体何を見聞きしているのかが問題じゃが、それを検討する為にはあの傀儡共の生い立ちを探るべきかも知れん。
お主はあの者達を見たままの存在である事を前提として物事を考えておる様じゃが、もう少しはその先入観を捨てて本質を推し量るべきではないかのう。
先ず第一にあの傀儡共は見た目通りの単なる幼気な小娘なんぞではない、何しろ彼奴等はこのエデンの興国当初から存在しておったのじゃからな。
それが何を意味するのか、使用人の説明を思い出せば判る筈じゃぞ、侏儒めはこのエデンの初代当主で建国後百年が経過しておると言っていたであろう?
その言葉を鵜呑みにすればあの傀儡共も侏儒めと同様百年以上生きておると言う事になるが、ならあれは齢百歳を越える老婆なのかと言えばそれとは少々異なっておる。
まあこの点については、先にこの国に於ける時間の概念について説明をしなければならないかも知れん。
これに関しては時計塔に居る『振り子の悪魔』に尋ねるのが確実じゃが、そうも行かんじゃろうから儂が概略だけ伝えよう。
お主は時間の観念についてどの様に捉えておるかのう。
現在を起点として常に未来へと進み決して戻らないもの、または過去から未来へと繋がった一筋の糸、或いは様々な事物の存在期間を表す単位、こんなところじゃろうか。
別の条件下であればそれも正しいと言えなくも無いが、少なくとも現状のこの世界に於いては誤りとなる。
この世界に於ける時間とは、世界の全てを普遍的に統括する唯一絶対の画一的尺度ではなく、もっと多種多様で且つ多面性を備えた相対的な観念として認識されており、お主はその中のひとつの時間軸のみを唯一の時間だと捉えておるに過ぎん。
恐らくこう表現しても今ひとつ理解出来んじゃろうから、ひとつひとつ説明を付け加えようではないか。
先ず多種多様とは、時間軸を持つ対象は生物のみならず、形而上及び形而下を問わずそれが何かしらの形で認識可能でさえあれば持ち得るものであると言う意味じゃ。
この認識可能と言う表現の範疇は端的に言えば命名されたもの全てを指しており、それ固有の時間軸を最低ひとつは備えている事を意味する。
例えるならば、お主や儂もそれぞれ固有の時間軸を保持しておる、と言う事じゃ。
そして次の多面性を備えていると言うのは、ある存在Aはそれ単独で成り立ってはおらず、それを構成する複数の内包する存在Bを持つと同時にそれ自身もまたより大きな存在Cの一部に帰属していると言う意味じゃ。
これらをそれぞれの立場を現わすと、ある存在Aの時間軸の一部が存在Bの時間軸全てであり、同時に存在Aの時間軸全てが包括する存在Cの一部の時間軸となる。
これを例えると、とある都市Aがあり、この都市はC国内にある都市のひとつであり、また都市Aには住居Bがあると表現する事が出来る。
更に言い換えれば、都市Aは固有の時間軸以外にC国の時間軸の一部に存在し、それと同時に住居Bの時間軸全てを固有の時間軸の一部として包括している事になる。
この様に時間軸とは、認識し得る全ての物体・現象・観念等が存在し得る時間を表すもので言わば寿命と同義であり、故にあらゆる事物に時間は存在すると言う訳じゃな。
この各々が持つ時間軸と言うのは、運命論者の唱える流動的且つ不可逆的なものではなく、遅延や停滞や遡行も起こり得る可逆的なものじゃ。
表現するならば、時間軸は木の枝でその歩みは枝に絡む蔓に例える事が出来る。
蔓は枝に巻き付きながら枝の末端へと向かって伸び進む、これが時間の進みじゃ。
蔓の巻き幅が広がれば枝の先端への到達は早まり、逆に巻き幅が狭まればそれだけ到達は遅れる。
更に同じ場所に絡み続ければ何時まで経っても枝の先端には到達せず、枝の先端とは逆方向に伸びれ寧ろ枝の先端から遠ざかる事になる。
この何れも蔓自体は成長を続けているが、枝の先端への到達と言う観点から見れば、様々な動きをしていると言える。
お主が唯一の時間軸と捉えておるのは、この蔓の成長のみを現わす絶対的時間軸を指すのじゃが、実のところそれは相対的時間軸を語る上では殆んど無意味な要素と言える。
何故なら蔓の成長とは対象物の存在そのものであり、それは全ての時間軸の基盤で且つそれ自体を制御する事なんぞ実質的に不可能だからじゃ。
お主はこれまでに本来何かしらの動作をする筈のものが、あらゆる法則を無視して完全に停止しているのを見た事があるか?
あろう筈が無い、何故ならその様な状態のものは存在し得ないからじゃ、それに加えてその解釈では時間推移の操作に対する論理が破綻する。
時間の概念が世界全体で絶対的時間軸のひとつしか無ければ、現在の時間をどの様に動かそうと何も変わらず、それどころかそもそも制御した存在自体それに気づく事すら出来ん。
若し絶対的時間軸を制御出来る存在がいるとすれば、それは少なくともその支配から外れた存在でなければ成り立たず、それは即ち絶対的時間軸が唯一の時間軸であるとの定義に反する。
それに対して相対的時間軸の論理では無数の時間軸が存在しているので、その力を有する何者かが時間軸を制御して進行速度を変える事や退行させる事も可能となる。
これの例えとしては、三本の針で時間を示す時計を思い浮かべると理解し易いじゃろう。
先の説明に準えると秒針が蔓に辺り長針と短針が枝に該当し、絶対的時間軸に対する制御とは時計の針全てを同時に操作する事であり、その制御は進めるか戻すか止めるかの何れかしか出来ないが、それに対して相対的時間軸では長針と短針を個別に制御する事が可能となる。
例えば短針だけを正午で止めて長針と秒針を動かし続ければ、その時間軸上では蔓たる秒針は動いているので停止する事は無く、それでいながら枝である短針を留めているので延々と正午を送り続ける事が出来る。
これを先程の都市の例えで表せば、C国の時間軸を留める事で進行は止まり、その時間軸上に存在する都市A及び住居Bの時間は停滞する。
ここで最も重要なのは、これは絶対的時間軸に於ける時間跳躍に因る繰り返しとは根本的に異なると言う点じゃ。
前者は一筋の時の流れを過去に戻して再実行しているだけなので時間経過は累積せず、この時間軸に属する者達は時間経過は疎か時間跳躍に対しても常に無自覚であるが、後者は個別の時間軸は進み続けているので制御されていない時と同様に時間経過を認識しているのじゃよ。
これの具体的な例としては、ある国家のある時期に大きく変化の無い時代が続いた場合や、絶滅したと思われた種の生き残りが発見された場合等が、この事象に該当する。
無論留めるだけでなく逆に早める事も可能で、その場合本来その段階に至る期間が短縮されるが、その他の時間軸の要素はその急変にも矛盾が生じる事無く順応出来る。
これらも全ては蔓の成長である絶対的時間軸たる秒針の動きに干渉していないからこそ成り立つものであり、この大前提無くしてこの相対的時間軸の論理は成立せん。
これがこの世界の現状に於ける時間の概念となる。
何故敢えて限定的な表現で表しておるかと言うと、文字通り相対的時間軸への干渉能力を有する者が今現在この世界に存在し、その影響下にあるからじゃ。
時間の概念とは万物を包括した観念ではなく思想と同様に世界や地域毎に異なっており、その相違に準じた時の神の器が存在しそれぞれの解釈で時間を支配しておる。
当然絶対的時間軸の観念で成り立つ世界もあるし、もっと別の論理や解釈で成り立つ世界も多々あろう。
それらの中で侏儒めはこのエデンの繁栄をより磐石にするべく、己にとって最も有益であると判断して相対的時間軸への干渉能力を有する者を手に入れておる、そういう事じゃ。
時計塔に幽閉されておる『振り子の悪魔』と命名されたその虜囚の力に因って、既にこの世界へと影響を及ぼしており、その中の幾つかが傀儡共やエデンの時間進行の停止であろうと儂は睨んでおる。
つまりこの悪夢の世界は建国百年目の時を延々と続けておる訳で、実際のところは儂にも正確には判断し兼ねるが少なくとも百年以上は経過しておるのではないかのう。
じゃが実のところ、侏儒めもエデンにとって最適な時間軸の制御は達成出来ておらん筈なのじゃ。
その阻害要因となっておるのが、ペテン師の一件と金貨収集じゃよ。
これらはこの侏儒めの支配する世界に帰属するものではないから、何れも『振り子の悪魔』の影響範囲を超えておる。
こういった外部からの変動は、時間軸の推進を留めた状態では反映される事は無い、何故ならこれは進化と見做されるからじゃ。
故にこの様な変化を反映させる為には、どうしてもその変化が起きる時点まで時間軸を進めなければならん。
じゃがそれはこのエデンにとっても繁栄に繋がる大きな進化であると同時にその先に待つ衰退へも迫るものであり、間違いなく確実に寿命は磨り減ってゆく。
侏儒め自身ですらこの国の未来を見通す力はなく、何処の時点で繁栄から衰退へと切り替わるのかは判らん以上、時間軸の進行は常に賭けとなる。
それ故に現状の状態を崩したくはないので僅かずつ進捗させておる訳じゃが、その影響は無論この時間軸に帰属する者達にも波及しており、その中には傀儡共の奇行も含まれるやも知れん。
この推測が当たっておるとして、若し傀儡共がお主の推測通り何かを望みあの様な行為に及んでいたとしても、先ず彼奴等の時間軸に施された停滞を完全に解かなければそれらも劇的に進展する事は無いじゃろう。
それに何よりこの地に於ける侏儒めの優位性に関しても時間軸を制御してより完全に保っておろうから、そこを崩さなければ変革は起き得ないままとなり、何を仕掛けようとも全てが失敗するのは目に見えておる。
なので事を起こすまでに、どうあっても『振り子の悪魔』と対面して時間軸の進行を修正させなければならんのじゃが、それは一筋縄では行くまい。
先ず第一に、お抱え悪魔の中でもかなりの重責を担う存在に対し侏儒めが易々と接見を許可するとは思えん。
その証拠にあの虜囚の居る時計塔は、基本的に侏儒めと時計の管理者である時計職人しか入室が許されておらん。
それ以上に問題なのがあの虜囚の性格じゃ。
『振り子の悪魔』は相対的時間軸への干渉能力を持っているにも関わらず、意思決定に於いて所謂運命論的思考をする自己矛盾した存在で、己を含む全ての理は必然であり思想や行為に於ける意図や意義や意向は総じて錯覚や誤解でしかないと考えており、それ故にあらゆる事象に対して達観していながら無関心な傍観者であらんとする。
儂は嘗て彼奴へと様々な情報の提供をする様にと侏儒めに指示され、その目的の為に特例として何度か対面しておるのじゃが、その言動や態度から思想や性格の全てが儂が最も疎むものでしかなく、対談の度に酷く辟易させられた記憶しかない。
それらが全て彼奴の本質的な性格から来る策略なのも重々判っておるのじゃが、彼奴はそこを計算高く上手い事逆撫でして何かとこちらの感情を乱しに掛かって来るのじゃよ。
その様な者の相手をしているとこちらもどうしても冷静ではいられなくなりつい余計な事を口走った結果、それが元で侏儒めへの反逆を暴かれてしまい囚われて現在この状況になったと言った経緯がある。
じゃから儂からすれば彼奴は儂を陥れた敵にも等しく、本来そんな輩に助力を請うなんぞ考えたくもないのじゃが、実に不本意ながら彼奴の協力を得ん事には計画は成り立たん。
なので対面の機会に関してはこちらで手を講じて何とかしよう、お主はその機会が訪れた際にこういった点も踏まえて、慎重に彼奴との交渉を行う事じゃ。
儂と違ってお主の場合は、彼奴の言動に絡め取られて逆に篭絡されんか少々心配じゃが、そこは重々気をつけよとしか言えんのう。
時間の概念に関する話が出たついでに、ここで改めて異世界間での時間の関係性についても説明をしておこうか。
お主が嘗てペテン師の仕込んだ召喚で体験した、時間跳躍に因って発生した逆理的展開が結果的にどの様な影響を及ぼすのかは、各々の世界の持つ時間概念に順ずる。
時間とは全ての世界共通の認識ではなく、各世界毎に因りその在り方が異なるものじゃ。
例えばこの世界に展開された相対的時間軸の概念の範疇外であるが故に、侏儒めの思う様にペテン師や金貨の件が操れんでおるから、あの様に様々な手段を講じて対応しておる。
因ってこの世界以外に影響を及ぼした場合、その変動に基づいて新たな未来が再構成されるか、それともその変動を打ち消すべく歴史が修正され元の未来へ収束するか、或いはその様に見えるだけでそもそも改変自体が不可能なのか、それらはその世界の性質次第であろうよ。
未来再構成の場合は、改変発生時点でその後の歴史は全て書き換えられてしまうじゃろう、これが頻発されると歴史家たる儂の努力は殆んど無駄になりかねん。
歴史修正の場合では、その変動と同様の事物が直ぐに用意されそれに因って代行される事になる。
何かを為し得る人物が死ねば代わりの人間がそれを成しえるであろうし、国の興亡の変動であればその逆の作用で再調整が図られる。
改変不可の場合だと、改変者が自身の力で何かを変化させた事自体が辿るべき本筋であり、改変者の自由意志に因る行為そのものがその世界の運命として予定されていただけと言う認識になる。
但しこれらはその時点で浸透している概念であって、世界の趨勢に連動してこの概念も変化する。
エデンの場合は侏儒めの洗脳に因り既存の概念から『振り子の悪魔』が持つ時間の概念へと切り替えておるだけで、また新たな概念が広まれば再び改変が起きると言う事じゃ。
まあこれを実現させて侏儒めの体制を崩す事も可能じゃが、これを企むよりは『振り子の悪魔』をどうにかする方が現実的じゃろうて。
此度の一件でお主は獣人に関して興味を抱いた様じゃから、最後にあれらについても少々語っておくとしようか。
お主はあの獣人の中でも対話する者達には傀儡の小娘共と同様の自我があって、そこに何らかの可能性を見出している様じゃが、果してそれはどうかのう。
以前に獣人からお主自身が聞いた話では、自分達は個体を分類する名前を持たず種別毎の名称があるだけだと語っておったが、若しそれぞれ個別の意思を持ちながら複数の者達が同じ名で区分が無いとしたら、生活に支障が生じない筈がない。
それが全く問題になっていないとすれば、個体としての自我が無く操り人形の様な存在の集団であるか、自我を持つ種別は常に単数しか存在していない事となる。
この城に住む獣人はこれらの条件の何れかを満たしておるが故に、支障なく統制の取れた行動が出来ている筈じゃ。
儂が知る限り上級使用人の数はそう多くなく、家令、執事、侍女、医師、司祭、司書、人形師くらいで、もう既にお主は遭遇しておるのではないかな。
これ等は同種が複数目撃されていない点と意思疎通時に於いて過去の記憶や性格に相違が無い点から、常に単数でしか存在していない可能性が高いと推測出来る。
じゃがそう見せかけておるだけで、実際にはあのペテン師共の様に複数の個体を輪番で稼動させているだけかも知れん。
その様な面倒な措置を取る可能性がある理由として思い当たるのが寿命じゃ。
獣人は侏儒めが作り出した存在で人間じみた姿で行動をしておるが、その生体的機能が何処まで実装されておるかは疑問がある。
特に生殖機能については恐らく不能なのではないかと思われる。
その根拠となるのが、この世界には獣人の子供が存在しておらん点じゃ。
お主が遭遇した者達は皆成人であったろう、儂が知るのも全て成人の姿の個体のみで若年の個体を一度も目撃しておらんし、恐らく老年の個体も居らんじゃろう。
つまり獣人達には成長の概念が無いので育成で人員補充出来んと言う仮説じゃな。
育成の代わりとして、接木の要領で肉体が老化し実用に支障が出る前に家畜化した人間の身体に挿げ替えておるのかも知れんぞ。
頭部だけを継続して使用する事で連続した記憶を保持させる事も可能となろう。
尤も、前に述べた時間軸制御に於いて獣人達の時間軸を制御しておればこの様な小細工は不要と言えるが、そもそも元を正せば獣人は侏儒めの兵隊でしかなかったのじゃから、その様な瑣末なものに貴重な時間軸制御の力を使用する筈があるまいて。
この国に広まる伝承では、侏儒めの前身である救世主が解放軍として虐げられていた獣人を率い、全ての生物を支配する悪しき人間に対して挑んだ解放戦争とやらに勝利した事になっておる様じゃが、無論そんな筈はない。
この地の過去については儂が以前説明した通りで、獣人とは大虐殺から逃れようとする人間達を捕らえるべく侏儒めが作り出した雑兵であって、元来人間達の支配していた時代には存在しておらん。
差し詰め素材として利用する人間を生かして捕らえて回るのが億劫になって、辺境付近に生息していた獣を利用して作り出したのだろうよ、彼奴の能力は生物の肉体を加工する力であろうから原料さえ確保出来れば造作も無い筈じゃ。
そして人間の捕獲完了後は雑務をこなす役割としてエデンの民にした様じゃが、それは本質的な理由ではない様に思える。
どちらかと言うと、王族と奴隷だけしか存在しない世界では到底国とは呼べんじゃろうから、その体裁を取り繕う為の駒だったのではないかのう。
彼奴はこうやって兵隊や使用人等のそれっぽい人形を揃える事でこの様な箱庭を作り上げた訳じゃが、そうは言っても現状に於いて彼奴が見せている部分だけを見る限りではここが国家であるとは言い難く、精々地方の領主程度の規模でしかない。
お主も対面した他の国らしき者達も作り込んではいたが、その国に関しても何処まで実装されておるかは怪しいものじゃ。
思うに侏儒めは己の絶対的優位性を誇示すべくそう見せかけておるだけで、実際のところ想像以上に逼迫しておるのかも知れん。
じゃから儂等の様な者達を捕らえてその力を引き出したり、例の金貨を収集させたり、何かを掴んでおる可能性のあるペテン師共に執着しておるのじゃろうて。
どの様な者でも急いておる時ほど詰まらぬ失態を犯すものじゃ、彼奴が多忙である今こそある意味好機なのかも知れんぞ。
おっとそろそろ時間切れの様じゃな、それでは客人よ、今後も活躍を期待しておるぞ、ホッホッホー」
こうして私は銀木菟の夢から目覚めた。
目を覚ました私は有り余る孤独の中で、改めて“ロゴス”の啓示を思い返していた。
謎多き召喚先の世界の解説から始まり、双子姫の話から時間の概念に関する説明にまで波及し、これまで漠然としか捉えていなかった点が明らかとなった。
そこから更に『振り子の悪魔』と言う新たな虜囚の存在を明らかにして来たのは、“ロゴス”としても単なる願望じみた机上の計画に実現し得る可能性が見えてきた証なのだろうか。
獣人に関する指摘では銀木菟の見解としては、道化にとって大した価値の無い駒でしかないと言う結論であり、これはその指摘を真摯に受け入れて私の認識を再度改めるべきなのかも知れないと感じた。
そしてその獣人達の扱いから道化の内情を推察した上での今後の展望について状況は好転しているとの結論に至り、運命共同体である立場からすればこれは素直に喜んでおくべきであろう。
こうして振り返ると、今回は実に色々と不可解な点の多い出来事ばかりであった気がする。
これらについても今後明確になっていく事を期待しつつ、私は仄暗い独房の中で次の召喚を待ち続けるのだった。




