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第二十四章 偶像 其の三

変更履歴

2017/07/11 誤植修正 取り合えず → 取り敢えず

2018/02/04 誤植修正 そう言う → そういう


今までずっと背負っていたやや大きな布製の背嚢を下ろすと、その中から古びた単眼鏡らしきものを取り出し私の方に向けながら片目に宛がいつつ、調整でもしているのか前後左右上下と小刻みに動かし始める。

だがそのレンズ面は全面的に白く濁っており、本当に見えているのかすら疑問だ。

「こう言っては何ですがお持ちの力も微弱ですし、まあ恐らくはそう難しくはないと思うのですがねえ、ん? おやおや、これは一体どう言う事だ? 何と、うむむむ、ああ、成程成程、そういう事か、これはなかなか……」

まるで独り言の様に一方的に呟きながらこちらを凝視していたのだが、その途中でどうも予期せぬ何かに気づいたらしく呟きは途絶えて無言となり、その表情も当初の自信有り気な顔つきから一転して露骨に困惑を露にしていた。

「雪だるま卿、貴殿に掛けられた呪縛は意外と根深いものの様ですぞ。

今の貴殿はここに単独で囚われているのではなく、もっと大きいと言うか、いやそれは正確ではないな、もっと多くの枷に拘束されておりまして、更に貴殿自身もひとつの枷として他者を縛っておられますぞ。

うむむ、これでは少々判り難いでしょうかねえ、そうですな、もっと判りやすく表現するならば鎖の様なものでしょうか。

ひとつの輪は連なる二つの輪に繋がれていますが、隣の輪から見ても同様に二つの輪で繋がれていて、自身が繋がれる対象であると同時に繋いでいる側でもある、言うなればその様な状況ですかな。

尤も貴殿の場合は束縛を齎している者が二つではなく、もっと多くの数がありますぞ。

この様な複合した形の呪縛はですねえ、少々面倒なのですよ、いやはや参ったなあ」

そう零しつつ右手で頭を掻く仕草で以って、解放の難易度を強調して訴え掛けて来る“嘶くロバ”の真意は何処にあるのか。

「ですがそれを理由に取引を反故にしたりは致しませんのでご安心あれ、ただですねえ、決して出来ない訳ではないのですが、成功率は若干低くなったのも否めない事実である事だけご理解願えればと」

現状で断ったとしても永劫の拘束が続くだけだ、それなら可能性が少なくなろうともこの機に賭けるべきとする考えに変わりはない。

失敗時の言い訳を事前に付け加えた驢馬頭の施術者へ私が承諾の意を表す返答をすると、それを確認した後に準備へと入った。

どの様な方法でそれを為すのかと様子を見ていると、“嘶くロバ”は足元を眺めて見つけた道の端に転がっていた木の小枝を拾い、私の視界の遥か後方に聳える山々の方を何度も眺めつつ地面に何かを描き始めた。

それは複数の丸とそれを繋ぐ線とで構成されており、丸の大きさは中央のひとつを除きほぼ同一だったがその配置に一切規則性は無く、またその丸を繋ぐ様に引かれた線も近場の丸を適当に繋いだだけにしか見えない。

そんな粗雑な図を描き終えると早くも用済みとなった小枝を放り捨て、次に先程単眼鏡を取り出した背嚢から今度は飴色の薄汚い皮袋を取り出した。

よくよく見るとそれは単なる汚れではなく、細かな文字や記号らしきものが経年劣化で擦れてしまったらしいのが判った。

巡礼者は徐にその古びた皮袋の口を開くと、中からそこらに転がっているのと大差なく見える鼠色の小石を取り出しては、描いた丸の中心にひとつずつ無造作に置いていく。

恐らくこれは私が属する結界を描いた物であり、円に配置された小石が私と同様の石像で、中央の大きな円が結界の中枢を現わしている様に思える。

やがて全ての丸の中に小石を配置し終えると再び背嚢に手を突っ込み、皮袋を戻した代わりに今度は茶色い硝子製の小瓶を取り出した。

その形状は一見すると薬瓶の様であり、表面が擦り硝子状になっている為中身が何なのかが明確には判別しかねるものの、どうやら細かい粒子状の物が入っている様だ。

それをどう使うのかと興味深げに眺めていたのだが、予想に反して“嘶くロバ”はまた直ぐに背嚢を漁り出す。

そして中へと突っ込んだ手をなかなか出そうとはせず、その表情は次第に怪訝なものへと変化してゆく。

「確かもうひとつ残っていた筈なんですがねえ、見当たらないとは、妙ですなあ」

ぶつぶつと呟きながら暫らく袋の中を引っ掻き回していたが、観念したらしく大きな溜息を吐くと共に漁っていた手を出した。

「吾輩とした事が、どうやらこの儀式で使用する素材の持ち合わせを勘違いしていた様ですな、まあ無いものは無いのですから致し方ない。

この量だと果たして足りるかどうかが少々疑わしいのですが、こうなると後はもう貴殿の運次第かも知れませんな。

お待たせ致しました、ではいよいよ始めますぞ」




準備段階でかなり不吉な告知を受け、そういえばこの儀式が失敗した場合どうなるのかについて確認していなかった事に気づきそれを問おうとするが、思いの外真剣な態度の施術者に対してその作業を妨害する行為は憚られ、確認の機を逸してしまった。

こうなればもう、言われた通りに運に任せるしかないと半ば諦めつつ、どの様な儀式なのかを無言で見守る事にした。

“嘶くロバ”は小瓶の蓋を開けその中身を二つの丸を繋いだ一本の線の上に掲げると、理解出来ない詠唱と共に丁度線の中心へと慎重に零し始める。

小瓶から零れ落ちるのは珪砂に似た白い砂で、線はたちまち小さな白い砂山で寸断されたがすぐに新たな現象が発生し始めた。

地面を引っ掻いて描かれただけの線の窪みの内側が、まるでそこに何かが存在しているかの様に青白く発光し始め、それと同時に白い砂で覆われた箇所から煙が立ち上り、砂は炭化する様に黒く変色していく。

それらが超自然的な現象なのか単なる科学変化に因る物理現象なのか定かではないが、あれが単なる細屑物ではないのは間違いない。

灰燼と化してゆく砂を零し続けていると発光は徐々に弱まっていき、やがて完全に消えてしまうと砂山の燃焼も止まり煙が立ち消えた。

「ふう、さてさてお次は……」

作業中ずっと無言だった“嘶くロバ”が大きく息を吐いた後一言漏らすと、深く息を吸ってから次の線へと取り掛かる。

この作業を三度行い、とあるひとつの丸に繋がる線の内、周囲にあった同じ程度の丸と繋がる線の全てに施術を終えた。

恐らく三つの線と繋がっていた丸が私であり、他の同じ大きさの丸が私と同様の互いに束縛し合う石像で、今行なっていた作業はそれらと私の繋がりを遮ったのだと思われる。

となれば次はそれらを統括している存在らしき中央の大きな丸との繋がりを切るのだろうが、この段階で白い砂は既に薬瓶の半分を切っており、果たしてこの量で足りるのだろうかと不安を覚える。

私の心配を他所に、“嘶くロバ”は最後に残った図の中央にある大きな丸と繋がる線へと取り掛かり、その線にはこれまでよりも勢い良く白い砂を零し始めた。

白い砂に反応して発光する線はこれまでのものと比べて明らかに輝度が高く、砂を変色させる速度も倍以上で瞬く間に炭化してしまい、残りの砂も見る見るうちに減り続ける。

それでも残りの半分程振り掛けたところでようやく炭化の速度が鈍り出し、それと共に立ち上る煙も細くなり始めた。

「これならどうにかなりそうですぞ……」

そう“嘶くロバ”も言葉を漏らしたその直後に作業の動きが止まり、ほぼ同時に唐突に遠方から強大な力の流れが発生した。

その変化に呼応する様に私を意味する石とは真逆の場所に配置してあった石が光り始め、追従してその石と繋がっていた線や隣接する石や直結していた中央の石も発光し始める。

それから数秒と経たずに最初光り出した石は生きているかの様に小刻みに震え出し、これを見た“嘶くロバ”は表情を曇らせた。

私も結界発動時の糧の変動を感じて、状況を確認すべく白装束の施術者の様子を窺う。

「いやはや、何と言う間の悪さ、選りに選って儀式の途中で乱入者のご登場とは」

端の石は次第にその振動幅を増幅させており、今にも円から飛び出しそうになりながら振動し続けている。

「はてさてこれは危機と見るべきか、それとも好機と捉えるべきか」

そう呟いたまま震える小石を眺めていた“嘶くロバ”は、腕を組んで暫らく考えた後に徐に口を開いた。

「既に貴殿もお気づきかと思いますが一応状況を説明致しますと、どうやら我々と同様の存在が接近し今その者が結界に接触した様ですな。

未だ詳細は判りかねますが、この気配からすると相当な力を保有する器が現れたみたいですねえ。

こう言っては何ですが、恐らく貴殿の属する結界の力では敵いはせず、精々時間稼ぎにしかならんでしょう。

ですが抵抗してそちらに力を注がれているこの機会を上手く利用すれば、結界が弱体化して作業の成功率を上げる事が出来る筈。

もしもこちらの儀式の途中で結界が破られた場合その後の展開は保証しかねますが、こうなったらもうやるしかありませんから、貴殿の幸運に賭ける事に致しましょう」

そう呟いた白い巡礼者は自嘲気味に鼻で笑うと、再度作業に戻る。

だが薬瓶を構えたものの先程までの様に直ぐに砂を落とす事はせず、状況の変化を待ち構えている。

その間に結界の力が侵入者へ向けて集められ始め、そして大きく脈打つ様に糧が流れた瞬間、施術者はそこを狙い定めて白い砂を線へと注ぐ。

すると白い砂の効力は先程までよりも効果が強まっているらしく、これまでの燃焼速度に対して光の弱まりの方が明らかに大きくなった。

そして再び糧の流量が戻ると、すかさず薬瓶を立てて再び機会を狙うべく静止する。

これならば残量でも対処出来そうな気配であり、糧の流れを辿ると侵入者は未だ結界に阻まれて全く動いていない。

私が侵入者の動向を探っている間にも解放の儀式は進められており、今のところは順調に見えるがこの作業は思いの他緊張を強いるものなのか、あの飄々とした“嘶くロバ”の顔にも焦りの表情が浮かぶ。

「もう少しですぞ……」

だが残る砂が更に半分まで減ったところで侵入者の力が急激に増大し、その追撃に耐え切れず結界は破られ、それを現わすかの様に私を除く全ての石が砕け散った。

その瞬間、この辺りに残留していた結界の残滓を一掃するかの様に強烈な突風に見舞われ、その勢いで“嘶くロバ”はその場に留まる事すら出来ず、儀式の図の上に盛った砂諸共風に吹き飛ばされていく。

そしてさもそれが目的であったかの様に、その直後に突風は速やかに凪いだ。

「あ痛たたたた、やれやれ、もう少しは粘ってくれると期待したのですがねえ。

まあ吾輩が仕掛けに細工してしまったと言うのも一因としてありますが、それを除いてもやはりあれほどの力量の差からすれば、到底対抗出来る相手ではなかったと言う事でしょうな。

最初から本気で来なかったのは取り敢えず小手調べの心算だったのか、それとも本来の力を発動させるのに手間取ったのか」

飛ばされた際に打ったらしい腰を擦りながら戻って来た“嘶くロバ”はそう嘆いた後、儀式を執り行っていた跡の地面に視線を移すと大きく溜息を吐いてから更なる言葉を続ける。

「ああ、もう跡形も無くなってしまったか、もう少しで解放出来そうだったのに、残念無念。

大変申し訳ないが、もはや吾輩の力では貴殿の状況を救う事は叶わなくなってしまいました、いやはや面目ない」

そう言いながら“嘶くロバ”は頭を掻きながら謝罪しつつ言葉を繋ぐ。

「吾輩としてもやられっぱなしと言うのは癪ですので、せめて何者かくらいは探ってきましょうかねえ」

そう言うと白い巡礼者は街道を離れて脇道へと進んで行き、木々の間へと消えて行った。




“嘶くロバ”が姿を消して程なく、結界を破った侵入者は移動を開始した。

その進路は何かを辿る様に蛇行しながら動いているが、全体的な進行方向としては中枢のあった山の中心を目指しているかに思える。

やがて山頂付近に到達すると暫らく停滞した後に、力を抑えたらしく消息が途絶えた。

そこは破壊された結界の中枢が存在していた場所だったが、結界は完全に力を失ってしまっているのだろう、もうそこからは何も感じ取れない。

驢馬頭の斥候がそこで何かを仕掛けているのかとも考えられたが、到達するまでに掛かる時間を考えると可能性としては低そうだ。

では一体その場所で侵入者は何をしているのだろうかと考えると、答えは直ぐに導き出せた。

そもそも結界が反応したと言う段階で排除すべき悪しき存在だったのだろうから、それが結界を破った後にする事など想像に難くない、恐らく襲撃だろう。

今頃はその強大な力で以って、その地を破壊し多くの人間に害を為している頃であろうか。

そんな事を考えていると侵入者の気配は再び蛇行を開始し、それに伴って突風と同じ方角から再び吹き始めた微風で草木が戦ぎ始めた。

その後暫らくすると向かった時とは比べ物にならない速度で、驢馬頭の斥候が街道目掛けて疾走して来る。

足に纏わり付きそうな衣服の割には予想以上に俊敏で、まさにその姿は脱兎の如くだ。

私の前まで戻って来ても直ぐには話す事が出来ず荒い息で喘いでいたが、次第に落ち着きを取り戻すと何かを報告すべく話し始めた。

「雪だるま卿よ、いやあ、あれは実に相手が悪い、選りにも選って『緑青の騎士』とは。

こんな所まで信仰が広がっていたとは知らなんだなあ、いやはや、これは本当に相手が悪過ぎる。

貴殿も同意見でしょう? おや、もしや『緑青の騎士』をご存知ないのですかな?」

“嘶くロバ”からの問い掛けに対して、その名に心当たりは無い旨の返事を返すと、捲くし立てる様に早口で語り出した。

「そうですか、では事前にご忠告申し上げておきましょう。

今こちらへと接近しつつあるのは『緑青の騎士』と言う輩です。

交渉を試みるのは無駄ですぞ、あれは人らしき容姿をしておりますが言葉や思念は通じません、若しかするとこちらの声が届いていないのかも知れませんが、それを確認する事すら困難でしてね。

そのくせこちらを見つけるや否や、どの様に対応していても問答無用で襲い掛かってくるのですから、堪ったものではありません。

若しやあれの正体は我々とは違う正真正銘の神なのかも知れませんぞ、だからこそ紛い物の存在を許せずに問答無用で襲ってくるのかも。

そういう意味では若しかすると貴殿にとっては逆に都合が良い相手かも知れませんな。

だが吾輩にとって対話が成り立たない相手は不得手でしてね、ですので吾輩はあれがここに来る前に退散させて頂きます。

この器は結構気に入っておりまして未だ失いたくはないものでして、何事も命あっての物種と言いますのでご了承願えればと。

上手い事あれが貴殿を解放してくれる事を祈っておりますぞ、ではまたご縁があれば何れ何処かでお会い致しましょう」

そう言い残すと、一目散に街道を最初に現れた方へと走り去っていく。




果たして普通に走って逃れられるものなのかと疑問を感じたが、それはもうどうでも良い事だ。

“嘶くロバ”が逃亡する展開は予想の範囲内であったのだが、これから自分がどの様な目に遭うのかが判らないと言う点に於いての動揺は隠し切れず、その危惧は程なく具現化し始めた。

脱兎の如く逃げ失せた“嘶くロバ”と入れ替わる様に、暫らくして何かが急速に近づいて来る気配や物音を感じて、ほぼ無意味だろうが一応身構える。

先ず最初に視界に入ってきたのは霧だった。

山の方に低層の雲の様な靄が掛かっているのは何度か目撃したが、自身がいる周辺で霧が出た事など未だ嘗て一度も無い。

単なる霧であるなら良いのだが、煙の様に妙に斑があるのが気に掛かる。

徐々にその濃度を増してゆく不穏な霧に乗じて現れたのは、大地を埋め尽くす鼠の大群と夥しい数の蝿だった。

鼠は普段目にしていた様な周囲を警戒しながら餌を探す野鼠とは似ても似つかぬ動きで、キーキーと鳴き叫びながら只の一匹たりとも立ち止まる事なく、“嘶くロバ”が逃げて行った方向へと疾走していく。

どの鼠も皆狂った様に走り続けるその様子は、何かから逃れている様でもあり逆に何かを追い求めている様でもあり、更なる脅威を予見させる。

一方蝿の方もまるで一斉に放たれた弓矢の様にほぼ一直線に飛んでいて、通常の蝿が持つ本能とは別の何かに動かされているかの様だ。

鼠や蝿は私の存在を特別意識する事は無いらしく周辺の木々と同様に避けているものの、蝿はともかく鼠の方は小動物と言えどもこの勢いなので、もし纏めて体当たりされれば自分の器である石像でも倒されるのではないかとさえ思える程だ。

数千数万の単位で現れたこの害獣と害虫の群れが発生させる耳障りな鳴き声と羽音に囲まれながら、私は只ひたすら通り過ぎるのを待って耐え続けた。

やがて何かに駆り立てられた大量の鼠と蝿は過ぎ去ったのだがそれでも霧は一向に晴れず、寧ろ更に濃度を増し周囲一帯が白く霞み、後方の山々すら隠してしまう程の濃霧へと変化していく。

遂に濃霧が街道の向こう側すら判らなくなる程に周辺の視界を閉ざすと、新たな者達が霧の中から現れた。

霞んで朧げに見えるそれは人の姿形をしており、その人数は先の鼠と比べれば比較にならない程少なかったが、それでも尽きる事なく続々と現れる様子は、この寂れた街道の通行量としては最多数に近いかも知れない。

足取りも覚束ず相当に遅々とした歩みで進んでくる様子からして、一見すると足腰の弱った老人ばかりの集団にも見える。

どの人間も皆一様に衣服らしきものは纏っておらず、その代わりなのか全身の至る箇所に染みで汚れた包帯が巻かれており、その見た目からしてどうやら全て傷病者らしい。

彼等の症状は様々で、四肢や指や目鼻耳等には欠損が見られ、包帯に覆われていない部位にもどす黒く変色した壊死が点在し、抉った様に陥没した潰瘍や赤黒く腫れ上がった腫瘤から血や膿を垂れ流している。

そんな重病者達がくもぐった呻き声を上げながら焦点の定まらない濁った虚ろな目でよたつきつつ街道を行進する中、街道の中央を進んで来る槍を携えた甲冑姿の騎手が見え始めた。

間違いなくあれこそがこの悍ましき集団の頭領であり、“嘶くロバ”が言い残した『緑青の騎士』なのであろう。

その名の通り、騎手の纏う甲冑や兜に手にしている長い槍、騎乗する軍馬の馬鎧の何れもが銅製なのか、ほぼ全面が青錆らしき青緑色に覆われている。

その形状は頭から爪先まで完全に覆われた板金鎧であり、表面に溝が無い点からすると相当な重量がある代物だろう。

腰の高さでほぼ水平にして左の手で持つ槍は3m以上あり、鎧兜と同様の色合いである点からして切っ先だけでなく柄も含めて全て青銅製らしく、こちらの重量も又相当なものであろう。

一方騎乗する馬の方に目をやると、こちらも頭部から膝の辺りまでを覆う青錆塗れの銅版で覆われているのだが、馬鎧に覆われていない脚や面甲の下部から見える鼻面や下顎は白骨に見える。

これはどう見ても生きている馬には見えず、そうなると全く中が見えない騎手の方も同様に不死者なのではないかと思わざるを得ない。

しかし何よりも不気味なのは一切装飾の無い頭部の形状に即しているのであろう卵型の兜で、ほぼ全面に無数の小さな穴が均一に空けられているのだが、宛ら香炉の様にその穴から白い煙が立ち上っているのだ。

この煙が濃霧の正体だとすれば、“嘶くロバ”が慌てて逃げ出すのも納得が出来ると言うものであり、私とて今ばかりは生命を持たず呼吸も不要な石像に閉じ込められている事に心より感謝した。

しかし外見や性質がどうであれ、私と同様の存在であれば器の形状に関わらず意思の疎通は可能なのではないかと思えるのだが、“嘶くロバ”がそれは出来ないと言い残したのは何故なのか。

特に思念は言語の概念を超越した意思疎通の手段であると認識していただけに、その理由が何なのか気に掛かる。

只単に驢馬頭の様な生身の器を持つ者では、この瘴気に因って身体を害されてしまうので留まれなかったからなのだろうか。

それともあの離脱者が語っていた通りで、器の中の存在が全ての他者を敵視し対話を拒絶しているからなのか。

そんな事を考えていると、馬上の騎手が丁度私の視界の中心に来たところで手綱を引いて馬の歩みを止め、青錆色の長槍を垂直に立てて石突きの部分で地面を突いた。

するとそれが号令となっていたのか、亡者にしか見えない病者の群れの行進が止まった。

だからと言って訓練の行き届いた軍隊の様に完全に静止する事は無く、亡者の群れは歩みを止めただけで依然として呻き声を上げながら身体をふらつかせたり頭や手足を揺らし続けている。

周囲に屯する哀れな従者達の様子を気にする様子も無く、『緑青の騎士』と思しき騎手は馬上からこちらへと顔を向け私を見下ろしたまま静止した。

従者として鼠と蝿と病人を引き連れた骨の馬に乗る騎手となれば、これらが象徴するのは伝染病と死であり、“嘶くロバ”はそこまで明言しなかったが『緑青の騎士』とは疫病の神か死神なのはほぼ間違いあるまい。

だから人間の村落を守る為に存在していた結界の一部であった私に注目しているのだろうか。

だがそういった意味では既にこの結界の内部に点在していたであろう村落を蹂躙してきた筈であるのだから、もうその目的は達成しているのではないか。

それに私は“嘶くロバ”の儀式のおかげで結界として連動する機能は失われているので、その進行を阻む力は発動しない。

だとすればこの神から見れば無力な私の存在などもはやどうでも良い気がするのだが、一体何が興味を抱かせているのだろうか。

それにあの男の話では有無を言わさず襲い掛かるとの事であったが、ずっと身動ぎひとつせずにこちらを睥睨し続けており、時折馬が居心地悪そうに足踏みしたり身動ぎするのだが、それでも騎手は微動だにしない。

どうも事前に聞いていたのとは異なる状況の所為で今後の展開が予測出来ず、どの様に対応すべきなのかの判断がつかない。

今の段階で聞いていた情報が全て偽りであったとなれば元も子もないので、取り敢えず信実であったと仮定した上で現状を考察する。

若しかすると、“嘶くロバ”の施した儀式の影響で私の器が異質な状態に変異している為に、『緑青の騎士』が私に対してどう対処すべきか決め倦ねているのかも知れない。

或いは、これまでに巡礼者のロバが遭遇してきたのと今回現れた者とは中身が別人である可能性もある。

前者であるのならば、私から思念で意思疎通を試みた場合、“嘶くロバ”の前例に基づけば排除対象と再認識される確率が高い様に思える。

後者だとすると、対話を試みる事で交渉可能な存在であると相手に再認識させる事になり、これに因って新たな展開が期待出来るとも言える。

他にも様々な要因が仮定出来るだろうがどちらの方がより正しいのかについては結論が出る事は無く、結果的には何もせずにやり過ごすか意思の疎通を試みるかの二択でしかないのならば、後はもう可能性に賭けるだけだ。

どうせなら何も判らないまま過ぎ去るのを待つよりも、何か新たな発見に繋がるかも知れない行動を起こして末路を辿るほうがより有益だろうし、どのみちこの器は半分壊れている様なもので、ここで『緑青の騎士』を凌いだとしてもその後どうなってしまうのか判らず、視覚や聴覚すら失われてしまう可能性だって無いとは言い切れない。

本来望ましくはないらしいが、そうなる前に破壊されてこの苦境に幕を下ろす事が出来るのであれば、その契機を逃すべきではないだろう。

そう決心した私は、息を潜める様に静めていた意識を解き放ち、『緑青の騎士』へと思念にて呼び掛けた。




望むか否かに関わらず結末として脳裏に浮かんだのは即座に襲われる展開だったのだが、その予想は外れていた。

思念を送って暫らく様子を見ていたが『緑青の騎士』に変化は無く、何の返答も返らぬまま相変わらず静止し続けていた。

あまりにも反応が無いので半ば暴言に近い罵声の思念を叩き付ける様に全力で放つが、それでも『緑青の騎士』は動かない。

その代わりなのか、今までずっとふらつきながらも立ち止まっていた病んだ従者達が私の方へと近づき始めた。

そして何か聞き取れない言葉を呻き声として漏らしながら、包帯と癰疽に塗れた腕をこちらへと伸ばし私を揺さぶり始めた。

それ程確りとした固定がされている訳でもなく、土台部分が多少地中に埋まっていただけの石像はかくも容易く引き倒され、視界が地面のみに変わった後暫らくして不規則な衝撃を感じた。

不規則で且つ威力も揃っていないその衝撃は延々と続き、それに連動して徐々に私の視界に亀裂が生じて壊れ始める。

この時点であの群がる亡者達が私を破壊すべく何かで叩いているのだと気づいたが、それが判ったところで対処する術は無い。

衝撃と共に罅割れ欠けてゆく視界を黙って眺めながら、私はある種安堵していた。

この様な末路は推奨されていないのは重々承知だが、少なくともこれでこの器としての生涯は終焉を迎える事が出来るからだ。

それに幾つかの不可思議な点については、きっと“ロゴス”が後ほど解明してくれるであろう。

そう確信したところで遂に視界が真っ二つに裂けた直後に砕け散り、それと共に意識を失った。





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