表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/31

第二十四章 偶像 其の一

変更履歴

2017/11/02 誤植修正 増してや → 況してや


私は高い樹木の森林の中をうねる様に続く山道を下っている。

聳える木々で空も見えず、道は左右に蛇行し全く見通しが利かない。

そんな先の見えない道を下り続けると、やがて森を抜け三叉路へと出た……




小鳥の囀る声で目を覚ますと、目の前には長閑な風景が広がっていた。

そこは目の前を横断する街道らしき幅のある道から細く微妙に蛇行する脇道が視界の奥へと向かって延びた丁字路で、今は日中で雑木林の切れ目となる道の上部から青空が覗いており、点々と白い雲が浮かんでいるのが見える。

どちらの道の周囲も喬木で構成された雑木林で多くの草も生い茂っており、林の中は雑然とした印象だ。

街道は踏み固められていて轍もあり、往来が多い所為か草木が路面にまで迫り出してはいないが、脇道の方は人通りが少ないのか至る所に雑草が生えており、どちらかと言えば獣道に近いと言える。

視界にどうも違和感を感じて気づいたのはかなり地面が迫って見えている点で、子供の背丈よりも更に低くまるで犬や猫程度の高さから見ている様だ。

続いて正面以外の周辺を確認すべく視線を変えようとしたのだが、器が全く動かない事に気づいた。

肉体の各部位の感覚はあるのだが、首はおろか瞼や眼球すら全く微動だにせず、手足に至っても同様であった。

それを確認していると、視界の下の端に当たる足元と言える場所に根菜と果実の残骸らしきものが転がっているのが見えた。

それを目にしてこの器の正体に何となく検討がつき、その推測を検証すべく糧の流れを辿ると、案の定目の前の残飯から極々微々たる量が注がれている以外に検知出来ない。

どうやら推測に間違い無い、犬程度の身長で不動の身体を有し街道沿いに佇み供物を捧げられる存在、私は道祖神として召喚されたのだ。

当然ながら見える風景は丁字路から全く変わる事なく、ただひたすら眼前の景色を傍観している事しか出来なかった。

更にその景色も、長時間見物に値する程の価値も無い単なる寂れた街道なので変化に乏しく、飽きるのを通り越して苦痛すら感じてくる。

数少ない変化と言えば時折徒歩や馬車等の通行者が通り過ぎる事だが、通っても立ち止まる事も無いのでものの数秒で視界から消えて行く。

その僅かな接触の機会に思念での呼び掛けを試みるも、通常の人間には何も聞き取れないのであろう、誰しもが無反応だった。

この器固有の能力がないものかと色々と考えてみるが、何の情報も無い状況では流石にどうしようもない。

そんな一切進展しない状況のままやがて空は茜色に染まり、日が暮れて夜が訪れた。

すると星や月明かりだけしか灯りの無い割に風景を把握出来る程度の視界は保持されているので、この器には暗視能力があるらしい事が判ったのは幸いだったものの、夜間は誰一人として通る事も無く夜行性の虫や動物の鳴き声が聞こえて来るのみであり、更に輪を掛けた無聊に苛まれ続けながら長い夜を過ごした。




道祖神として召喚されてから一週間が経過した。

それだけの時間が経過しても私の状況はほぼ何も変わっておらず、依然として何も出来ずただただ眼前の風景を傍観し続けているだけだ。

だがそんな中でも大きな出来事があった。

それはこの器の前で足を止めた人間が現れた事だ。

その人間とは供物を捧げに来た性別も判らない程に年老いた農民で、ある日の夕刻頃に山で採れた山菜らしき萎びた草を供えに現れた。

ここで何か新たな動きに繋がるのではと大いに期待したのだが、何も発せずただ合掌したのみで、ものの十秒もせずにその農民は立ち去ってしまった。

無論この時も渾身の力を込めて思念を送り続けたが、やはり無反応であった。

召喚者到来の期待を破られて相当に落胆するも気を取り直し糧の確認を直ぐに始めると、何故か糧の流れを殆んど感じない。

形こそ歪んではいるが暦とした供物として捧げられた筈なのだが、どうしてなのか。

その疑問を考えていたところ、夜の闇に乗じて新たな者達が姿を現わした。

それは狸で、召喚された初日から毎日ほぼ何かしらの鳥や獣等の動物が視界には入るものの、これまで近づいて来る事は無かったのだが、今回はこちらへと接近してくる。

近づいて来る理由はすぐに察しが付いた、餌となる供物を奪いにやって来ているのだ。

狸は目の前までやってくると躊躇う様子も無く供物を喰らい始めた。

只でさえ乏しい糧が更に減るのを阻止すべく、こうした略奪者を追い払う力を発揮出来ないのかと色々と試してみたがその手段は見出せず、現状はされるがままに黙って眺めている事しか出来ない。

だが予想に反して、糧の流れは餌として喰われ始めてから増加し始め、狸は供物を食い尽くすともう用は無いとばかりにそそくさと視界から消え、それと共に糧の流入も途絶えた。

一見すると真逆とも言えるこの不自然な糧の動きは何なのだろうか。

現状では情報不足でその要因を特定する事は難しく、考察する為にはもっと多くの情報が必要であり、今後の供物奉納時にそれらを検証していく必要がありそうだ。

その後も狸以外に、兎、狐、鹿、猪、野犬、梟、狼等も姿を見せたが、兎や鹿等は既に供物が喰われているのを確認すると速やかに立ち去っていく。

一方梟や狼等の肉食獣は供物目当ての動物を狙いに来ているらしく、獲物が来ていないとこちらに近づく事も無く直ぐに姿を消してしまう。

これらの様々な獣達が私の陥っている現状を打破してくれる可能性はほぼ皆無であろう。

となると現状としては、この糧の流入に関する謎くらいしか解き明かす事は出来なさそうだ。

私は文字通り身動ぎひとつ出来ないままに、ただひたすら新たな発見を待ち続ける日々を過ごした。




道祖神として召喚されてから一ヶ月が経過した。

否応なしに視野として捉えている不動の景色は、もはや全く見ずとも忠実に描画が可能だと自負する程に脳裏に焼き付いている。

目につく樹木や背の高い草や岩等は言うに及ばず、路面に落ちている主だった石や生えている雑草の束の数や配置に至るまで、それら全てを忠実に再現出来る自信がある。

その様な不毛な能力の向上以外にも糧に関して確認する機会が幾度かあり、その際の検証に因ってある程度納得の行く見解を見出す事が出来た。

それを糧として取り込む為には供物として捧げられるだけでなく、その供物の生命を絶つ必要があったかららしい。

思えばこれまでの召喚に於いても、何かしらの動物が直前に死亡しているか既に死した何かが存在している状況であった。

これと同様に、供物が根菜の場合は獣に餌として咀嚼された際死に至りその時点で霊魂が糧へと転じ、果実の場合は果実内の種子が砕かれた時が契機となっている様だ。

これらの見解に至るには然程の時は掛からず、その後の膨大な無為の時間は予想外の最後であった“黒翡翠”の事を考えていた。

果たして彼女は無事に責務を全う出来たのであろうか。

あの石碑に記されていた内容から推察すると、どうしても良い結末を迎えたと確信する事が出来ない。

私は探索行の間ずっと“黒翡翠”の救済について考えていた筈だが、しかし石碑を見つけた瞬間の思考内容となると確固たる自信が無く、救済に準ずる間接的な内容を思慮していた可能性もある。

例えるならそれは、石碑を発見するべく進むべき方向であったり、何も告げずに置き去りにした“黒翡翠”への配慮であったりだ。

仮に思考していた内容が問題なかったとしても、そもそもそれ以前にあの石碑には本当にそんな能力があったのかについても疑問が残る。

あの様な発動条件では事前に理解している者以外では意図した利用は無理であろうし、継続的に使う為には毎回代償となる犠牲者を宛がわなければならないが、あの地にはそれとなる様な人間は存在していない。

若し“黒翡翠”を代償として利用する心算で造られたとすれば、あれを仕込んだ者は黒い蝶の行動範囲に関する特質を理解出来ていない存在だった事になる。

それとも逆に“黒翡翠”が到達出来ない場所を選んで設置されていたとすると、黒い蝶の女達以外の者だけが必ず発動させる事になり、だとすればあれは侵入者を排除する罠であったのだろうか。

こうした仮説に仮定を重ねた不毛な考察を思考停止するまで続けてしまうのを、数え切れない程に繰り返してきた。

そして最終的に思い至るのが、何かひとつでも希望的観測を外せば私の行為は徒労に終わり、結果としては単に“黒翡翠”の運命を掻き乱しただけであり、それは黒い蝶の女達の継承の危機にまで波及して行くのだろうと言う失望だった。

つまり私の犯した安易な行動に因って、あの一族が滅ぶ要因を生み出した事に他ならない。

この類の苦悩は今に始まった事では無く、これまでの召喚に於いても私に関わった者を破滅に導く罪悪感と言うものに苛まれて来た筈だ。

だがそれは“嘶くロバ”に言わせれば、それは与えたこちら側の責任ではなく、望んだ者達の辿るべき末路であり必然だったのだと再三告げられてきた。

彼に対して疑念こそ持ってはいたが、当時は未だ利用されていると言う決定的な証拠は無かったのもあり、言わば済し崩しにその助言を容認していたのだが、利用されていたと言う真相を知った今となるとそうも行かない。

況してや通常の召喚では無く、断続的に繰り返し現れる例の夢での話となると尚更だ。

それ故に、あの決断や行動が何か致命的な事態を引き起こしてしまったのではないかと、事ある毎に考えてしまう。

他に何か行なうべき作業や考えるべき課題が存在すれば気も紛れようが、最悪な事に現状では何ひとつとしてその様なものは無く、とにかく膨大な時間だけが与えられている。

非常に精密な写実画に等しい殆んど動きの無い風景を絶え間なく傍観しながら、結果を確認しようの無い過去の己の行動について悔やみ嘆き苦悩するだけの日々。

そんな苦渋に満ちた時を、私は独り果て無く送り続けた。




道祖神として召喚されてから一年が経過した。

それだけの期間を過ごして明らかになったのは、この地には四季があると言う事だった。

私が召喚された当初は春の終わり頃であり、それから直ぐに夏へと転じた。

草木は繁殖し街道と空を除く他は緑一色に染まり、昼夜を問わず宙を飛ぶ何かしらの虫の姿が視界から途切れる事は無かった。

気温が上がった所為か行き交う人々の格好も軽装となり、徒歩での通行者は若干減少した。

供物には折れ曲がった釘の様な胡瓜に似た緑色の野菜が捧げられた。

やがて秋が訪れると雑木林であるこの辺り一帯は赤・黄・緑・茶色等の様々な色合いで彩られ、姿こそ減少した虫も夜間になるとその音色を響かせて存在を主張し合っていた。

この土地周辺の収穫物が流通されるのか、それとも単に流通経路なのかは不明だが、作物を積んだ馬車が通過する割合が若干増えた様に感じた。

供物には小振りで所々が窪み変色している柑橘類らしき果実が捧げられていた。

冬が来ると一部の針葉樹を除き草木の大半は枯れてしまい殺風景となり、これまで何かしら存在していた虫も全く途絶えた。

三日と空けずに雪が降り、周囲はほぼ白一色に塗り潰された。

街道は馬車が往来出来る程度には除雪されていたのだが、正面の脇道は知らなければそこに道があるとは気付かない程に雪で埋もれていた。

やはり雪深くなり移動も儘ならない為か、これまでのどの季節よりも人通りは減少し、誰一人として現れない日も続いた。

供物には木の根と見紛う様な細く萎びた芋類らしき根菜が捧げられていた。

そして季節は巡り春が訪れると草木は実に多種多様な花を咲かせ、殺風景な白黒模様から転じて最も美しい風景へと変化した。

開花に合わせる様に咲き乱れる花々を渡り舞い飛ぶ虫も多く現れ、街道を行き来する人々の往来も回復し、これまでに無い賑わいを見せていた。

供物には周辺に生えている草と大差のない山菜が捧げられていた。

この長い長い歳月の間に、この器の持つ能力は判明していた。

それは正面に見える山に点在しているのであろう集落へと様々な災厄が近づくのを阻むべく、悪しきものを探知し接近を拒む能力だった。

探知能力は意外に広範囲で視界に入る風景よりも広いのだが、この山の一部のみなので恐らく他にも私と同様の物が配置されているのだろう。

それらが山中へと繋がるこうした脇道や集落を繋ぐ道の全てに私と同じ様な石像が配置されていて、それらが全体で疫病や災いを齎すとされる悪霊の類の浸入を阻む結界として作用している様だ。

探知出来る悪しきものが何なのかまでは判らず、糧の量と同じく単に純粋な物量として把握出来た。

悪しきものがこの地域に接近した際は他の場所から力が送られる仕組みとなっているらしく、この一年で六回程結界が発動する機会があった。

その際山頂付近から多量の糧に似た力が放出されており、その流れを手繰る事でこの結界を制御する中枢と他の石像が配置されている場所を特定する事が出来た。

だが何れも私とは別の場所への接近での発動であり、実際に防衛する際にどうなるのかまでは判っていない。

この結界は平常時では微弱な探知を続けるのみで、その際に消費される糧はあの粗末な供物で賄えてしまっている為欠乏する事は無く、糧の枯渇に因る現状からの脱却は望めない。

有事の際は中枢からの助力を受けて結界を発動しているが、その際の糧の消耗を自身で調整出来るか否かは未だ判っていない。

だがどうも石像側で力を調整していると言うよりは放出元である中枢で送る力の量を制御しているかに思われ、もし私の担当する範囲に何かが現れたとしても、結界発動を契機にこの状況を離脱出来る確率は低そうだ。

最も起こり得そうなのは村人に因る供物の提供が途絶える事だが、供物を捧げに来る村人は老人から子供までと思いの他年齢も幅広く、どうやら寂れた寒村と言う訳でもないので廃村となる気配は薄い。

別の可能性を考えると、物理的に破壊されてしまえば器としての命も失うかも知れないのだが、この場所で事故が起きた事は一度も無いのでそれに巻き込まれての損壊の確率も無ければ、近隣の村落の住民以外には見向きもされない道祖神をわざわざ意図的に破壊する様な稀有な輩が現れる事もほぼ無いだろう。

残るは地震や火山噴火等の自然災害での損壊だが、この一年間の間一度として大地が揺れた事は無く周辺に活火山も無いのでこれにも期待出来ない。

つまり私は、結界が破られて村落が滅ぶ程の大きな災厄でも起きない限り、未来永劫ここから逃れられないと言う事になる。

果たしてそんな大規模な災厄はいつ起きるのだろうか、十年後か、百年後か、千年後か。

無論それを知る術は無く、ある意味死よりも惨いとも言える緩慢な悪夢は継続し続けるのだろう。

それを悟り絶望に打ちひしがれていたある日、予期せぬ転機が起こった。




夕立に見舞われたある初夏の日、私の前で何者かが足を止めた。

丁度この辺りは大きな木の下でありこの時期は葉が茂って雨を凌げる事から、恐らく偶然雨宿りに立ち止まった人間であろう。

私の視野からでは下肢しか見えていないが、いつも供物を捧げに来る農民達や街道を往来する行商人とは違った見慣れない白い装束を纏っている点からも、それを裏付ける。

その見慣れぬ者は空模様でも確認していたのかこちらに背を向けて佇んでいたが、暫らくすると踵を返してこちらへと振り向き膝を折って身を屈めた。

視野に入った上半身を見るとそれもまた白一色の衣装であり、更に覗き込む様に頭を下げたこの見慣れぬ来訪者の頭部までもが視界に入る。

その顔は赤銅色の肌に深い掘りにかなり癖のある巻き毛と髭を蓄えており、予想通り全く見覚えの無い男であった。

この白装束の見知らぬ男は私が急ぐ事も無く様子を確認し終えても尚、無言でこちらを思慮深げに眺めている。

これ程までに注視し続ける理由は何か、察するにこの男は異国の人間である為この様な道端の石像と言うのが珍しく、雨宿りの暇潰しにでもする心算なのだろう。

以前にも何人か私の前で足を止めた事がありこちらに注目する者もいたが、それ以上の何かを齎した者は皆無で皆直ぐに興味を失い立ち去った、どうせこの男も同様であろう。

最早すっかり諦観しきっていた私は、何の感慨も無くその男を眺め返し続けていたのだが、暫らくすると奇妙な事が起こり始めた。

それまでその外見以外は特異な点の無かった男から、非常に不快な波動と言うべきものを感知したのだ。

この感覚こそが結界としての悪意の感知に違いないと直感的に悟ったが、その新たな事実も霞む事態が続けざまに発生した。

その感覚とほぼ同時に男の顔がぼやけ、ほんの一瞬だけその形状が全く異なる姿へと変形すると共に、開口する事なく私へと呼びかけて来た。

「吾輩の声が聞こえますかな?」

少々風変わりな格好をしているだけの人間が見覚えのある驢馬頭へと変化し、馴染み深い口調の思念で呼び掛けられるとは想像だにしていなかった。

それもこちらが探していた当人が向こうから現れるとは思っておらず、思わず驚嘆を抑え切れない。

その動揺が期せずして思念として漏れ出てしまったのか、まるで私の心境の変化を察したかの様に男は微笑を浮かべると、口を開いた。

「おお、こんなところで出会えるとは何たる機運! これこそ神の御導きに違いない、名も無き神に大いなる感謝を」

両手を組み空を仰いで天に祈る様な動作をした男は直ぐにこちらに向き直ると再び語り出した。

「申し遅れました、吾輩の名は“嘶くロバ”、巡礼者として各地を放浪し続けている者。

その御様子ですと吾輩をご存知の御仁の様ですな。

ですが失礼ながら今の貴殿の状態では何処の何方なのか察する事が出来ません、大変恐縮ですが貴殿の名をお教え願えますかな?」

男が自ら名乗った名前は“嘶くロバ”であり、最早間違いなく目当てとしていた相手なのだが、彼は果たしてどの“嘶くロバ”なのか、それが判らない。

あれほどまでに渇望していた再会であったが誰でも良い訳では無く、私が望むのは真相を知る関係者であって、関与していない新たな兄弟ではない。

少なくともこの衣装の者はこれまでに遭遇していない筈で、そうなるとこれは残念ながら新たな“嘶くロバ”と言う事になる。

故にこれまで私が遭遇しなかった仲間の一人と捉えるのが妥当だと判断し、私は相手の様子を窺いながら嘗て驢馬に付けられた名を名乗った。

「ほう、貴殿は雪だるま卿と申されるのですか、何とも個性的な称号ですな。

その様な独創的な名をした御仁であれば一度聞けば忘れる筈が無いので、どうやら初対面の様ですぞ。

実は吾輩には良く似た同胞がおりましてね、きっと貴殿はその者と面識をお持ちなのでしょうなあ」

そう言うと巡礼者の“嘶くロバ”は何処と無く嘶きに似た少々甲高い笑い声を上げた。

返答として帰って来たのは私と面識の無い者だと裏付ける発言だったが、その言葉を耳にして初見であるが故に都合が良い点もある事に気づいた。

本当にこの男が私を利用している者達と関係性が無いのであれば、嘗て私が聞かされた話の真偽が確認出来るのではないか。

であれば逆にこの機を利用しない手はないのだが、ここは慎重を期してもう少し様子を見るべきか。

私の思惑を露ほども知らぬであろう巡礼者の男は、この後神妙な表情をしながらやや低い声色で語り出した。

「それにしても、その様な儘ならない器に囚われてしまっているのはご不幸でしたなあ、それでは何ひとつ思う様には出来ますまいて。

実は吾輩、貴殿の様に不自由な状況に陥っている方々を救済する術を心得ておりましてな、上手く行けばその呪縛を断ち切れるかも知れませんぞ。

貴殿さえ宜しければそれを試みる事も可能なのですが、如何ですかな?」

“ロゴス”からの情報を耳にする前であればこの願っても無い提案を鵜呑みにして信じたかも知れないが、虚言者の詐欺師と言う正体を知っているからには疑念を覚えずにはいられない。

恐らく今の私の様に離脱不能な状況の者を探し出し、救済を仄めかして身柄を拘束した後洗脳し手駒として利用するのではないか。

その際に以前の記憶も消しているかも知れない、正に昔の私と同様に。

その申し出の裏を勘ぐる私の心情を知ってか知らずか、“嘶くロバ”は畳み掛ける様に新たな提言を口にする。

「ただその前に、吾輩の探し物に関してご存知の事があれば是非教えて頂きたいのですが、宜しいですかな?

実は吾輩、とある理由があって生き別れた同胞との再会を果たしたいと願っておりましてな、貴殿の様に力を持つ御仁であれば我が同胞の行方について何かご存知ではないかと思いましてね、ああして吾輩の姿を見せている訳でして。

そうしたところ、どうやら貴殿は同胞について少なからず面識をお持ちの様ですので、貴殿の知る我が同胞についてお話し願えないかと」

この提案を耳にした私は、予てより謎であった“嘶くロバ”の出生の真相について確認出来る絶好の機会だと確信した。

この話の流れであれば、全く同じ顔でありながら幾多の兄弟が存在する疑問点について聞き出せる可能性があるからだ。

最初に出会った探偵姿の“嘶くロバ”が語っていたその名の由来と博識を得たとする過去については、“ロゴス”の話と今目前に居る巡礼者姿の男も同名を名乗った点からして作り話なのはほぼ間違いない。

なので敢えてその話を持ち出しつつ、衣装の異なる兄弟が何故共に“嘶くロバ”と名乗っているのかについて問い質せば、何らかの弁明をせざるを得なく出来るだろう。

仮にこのロバの言葉が真実だとすれば“嘶くロバ”達の内情を聞き出せる絶好の機会になる筈だ。

そう判断すると私は提言者へと私が聞いている過去についての情報と矛盾している事を告げてから、以前に出会ったロバの話をする代わりにその内容の相違についての説明をするのなら応じると伝えた。

私が無言で返答を待っていると、悩む様に口元を手で覆いながら暫らく沈黙した“嘶くロバ”は、再び静かに口を開いた。

「判りました、吾輩の言葉が貴殿の意に沿うものか否かは判りませんが、お話し致しましょう。

但しその前に、吾輩からももうひとつだけ条件を追加させて頂いても宜しいですかな?

なあに、それは実に単純明快なものでして、ある噂についてお答え頂きたいのですよ。

実を申しますと吾輩、同胞の行方以外にも気になる噂を耳にしておりましてな。

何でも我々の様な存在にとってそれは、強大な力を得る事が出来るらしい代物なんだとか」

顎に手をやりながらの若干勿体ぶったその物言いは、先入観の所為かまるで何かを企んでいる様に思われ、どうしても含みを持たせているのではと疑わずにはいられない。

だがそんな不明瞭な表現でも何を言いたいのか予想がついてしまい、若しかすると既に手の内が見透かされているのではと、今度はこちらが動揺を感じ始めた。

そんな私の勘繰りを知ってか知らずか、“嘶くロバ”は的を射た言わんばかりにほくそ笑みつつ言葉を繋ぐ。

「それはどうやら嘗てある者が作り出した物でして、硬貨の形状をしているらしく、表面に製造者の刻印がされているらしいのです。

その製造者は実に卑劣な手段で多くの者達を罠に掛けて呪縛し、己の私利私欲を満たすべく奴隷宛らに酷使するのだとか。

貴殿はその不思議な硬貨についてか或いは、その硬貨を作り出したとされる製造者に関して何かご存知ですかな?」

こちらの条件提示に対して更に畳み掛けられた新たな条件は、予想通り選りに選って最も悟られるべきではない道化に関する質問だった。

ここで口篭もれば、それこそ何か語れない事実を知っていると証明する様なものであり、何としても直ちに返答しなければならない。

だが正直に道化や金貨について知っていると答えてしまえば、敵対者に通じている者だと判明するのだから、出生に関する真実を語る確率はほぼ無くなるだろう。

かと言って口先だけの偽証で以って、この“嘶くロバ”相手に知らぬ存ぜぬで誤魔化し切れる自信も無く、返答に詰まる。

「雪だるま卿、顔色が優れない様ですが、どうか致しましたかな?」

朗らかとも形容出来る不敵な笑みを浮かべつつ、白装束の論客は私へと畳み掛けて来る。

顔色どころか微塵も動けない無機物たる石像である事が判っていながら、起こり得ない筈の動揺を表す現象を敢えて語るその言動は、明らかにこちらの窮状を見抜いているからに違いない。

もしや“嘶くロバ”は、ここまでの対話の流れまで計算していたのかも知れない、やはり虚言を弄する存在である『偽典の悪魔』を謀ろうと企んだ事自体が愚かだったのか。

そう悟って屈服しそうになるが、今一度思い留まり再考する。

この男は詭弁を弄する才覚を有しているのであって、相手の真実を暴く能力を有しているのではない。

恐らく全てを看破していると思わせる言動でこちらに揺さ振りを掛けて、より多くの情報を引き出そうとしているに過ぎず、実際のところはそこまで多くは知らない筈だ。

であるならば、悪戯に虚言で以って抗うのではなく、取捨選択に因る沈黙こそが正しい対抗策ではないか。

ここで道化との繋がりを露呈した決断が間違っていたとしても、結果的には情報入手の機会が失われるだけの事で、私にとって現状最も重大な機密とは“ロゴス”との関係であり、それさえ語らなければ大事には至らない筈だ。

そう考えを改めると私は巡礼者の男へ、道化に囚われ服従している現状のみを語る事にした。

“嘶くロバ”は疑う様子も無く好意的な態度で私の話を静かに聞き続け、現在まで達したところで満足げに片手を上げて話を制した。

「その辺りまでで結構ですぞ、いやあ実に有益な情報を提供して頂き、感謝の念に耐えません。

よもや貴殿が吾輩の知りたかった二つの謎の両方共に精通された御仁であろうとは、本当に思いも寄りませんでしたぞ。

そこまで懇切丁寧にご教授頂いたのですから、約束通り吾輩の方もそれに見合うお話を致さねば。

貴殿が望むのはこの状況からの救済と、吾輩達の出生の謎に関する情報でしたな。

では救済の方は後ほどにして、先ずはそちらについてお話し致しましょうか」

そう言うと満面の笑みを浮かべていた“嘶くロバ”は、軽く咳払いをした後に改まった様子で語り始めた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ