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『誓約(ゲッシュ) 第二編』  作者: 津洲 珠手(zzzz)
第二十三章 夢幻の楽園
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第二十三章 夢幻の楽園 其の二

変更履歴

丘陵に広がる花園の中、私は一人で佇んでいる。

周囲を見渡しても黒衣の女の姿は無い。

離れた場所にある小高い丘の上に、見慣れない異質な石碑が立っているのが見える。

黒い板状をしたそれは黒曜石で出来ているらしく、太陽の光を反射して黒く輝いていた。

その場所へと向かい始めると、次第に近づいて来る石碑の表面に何か文章が刻まれているのが見える。

それを読もうと更に近づいた時、石碑全体が輝き出し視界が光に覆われた……




「貴き御方、朝です、お目覚め下さい」

“黒翡翠”の声で目を覚ますと、丁度太陽が山脈から半分程姿を現わしていた。

睡魔に襲われた記憶は無いが、どうやらいつの間にか眠っていたらしい。

確か以前は夢どころか眠る事すら無かった筈なのだが、やはり私自身も含めて色々と状態も違っているのだろうか。

そういう意味では、昨日も大して違和感も無く行動し、例の潅木に寄り掛かって静かに眠っていた“黒翡翠”も、実のところは人の姿に変えられて苦労しているのではないか。

それが気に掛かり尋ねてみると、少々意外な返答が返って来た。

「本来の蝶の時は、大きな草の葉の裏に止まって眠っておりましたけど、この姿にされた後は体の重さに耐え切れる草木なんてありませんから、疲れたり眠くなったらこの太い潅木の根元で休んでおりますわ。

最初の日はなかなか寝付けませんでしたけど、三日もしたら慣れてしまいました。

それと比べると二本の足だけで立ち上がって歩くのは難しくて、自然に歩ける様になるまで一週間くらい掛かったかと思います。

その他は特に困った事はありませんわ、翅を失って飛べない事以外を除けば」

一晩で気持ちを切り替えたのか、自ら翅の件を口にしても感情を乱す事も無く淡々とした様子だ。

その返答を聞いていて、更に色々と疑問が浮かんでしまい、そこまで追求すべきか否か少々迷ったのだが、“ロゴス”ではないが探究心を抑える事が出来ず、新たに湧いた幾つかの疑問を蝶だった女へとぶつけた。

「食事ですか? そもそもわたくし達は何かを食べは致しませんの、一日に何度か湖の水を頂くだけです。

この姿ですと口吻がとても短いので最初は少し戸惑いましたが、今ではもう大丈夫です。

言葉については、何故喋る事が出来るのかは良く判りませんけど、わたくし自身は特に意識しなくとも話す事が出来るみたいですわ。

ただひとつ言えるのは、貴方様ではない御方がいらしたあの日の時点で既に話す事が出来ましたから、恐らくあの御方がその様にしたのではないでしょうか」

記憶を思い出す様に視線を遠くへ向けつつそう語った“黒翡翠”は、回答し終えると私へと視線を戻して再び口を開く。

「貴き御方、お約束して頂いた湖の確認をお願い出来ますでしょうか。

貴方様が確認に行かれている間に、わたくしも自分のやるべき事を試してみたいと思います」

どうも蝶の女は何かをしようと決めたらしいが、一体何をする心算なのか。

それが気になり尋ねると、こちらへと体を向けて改まった様子で話し始めた。

「わたくし、この体に変えられて翅を失ってからはすっかり諦めてしまい、ただただあの御方がもう一度お出でになるのを祈るだけで、何もしないでおりました。

これまでずっとこの場所を問題なく維持してきた自負や、もうしばらくは天候も落ち着いているのでまだ調整をしなくとも大丈夫と言う甘えが、わたくしの心の中にあったのも事実です。

でもあの御方の代わりに貴方様がお出でになって、会ったばかりのわたくしの身勝手なお願いを聞いて頂いた時に、結局言い訳ばかりで自分では何の努力もしていない事に気づきましたの。

貴方様にだけお手伝いをして頂いておきながら、自分は何もせずにただ待っているだけなのは、あまりに虫が良いのではと反省したのです。

もしかしたら、飛べなくても少しは出来る事があるかも知れないのに、何も試す事すらしないのは、手伝って頂く貴方様に申し訳ないと改心致しました。

ですので、わたくしも日々の務めを試みる事に致しました。

上手く行く自信は全くありませんけど、やれるだけはやってみる心算ですわ」

微笑みながらそう宣言した“黒翡翠”の瞳は、朝日の所為なのだろうが、その意欲を体現するかの様にやけに輝いて見える。

これほど明るく前向きで溌剌とした黒衣の女は想像した事すら無く、途轍もなく強烈な違和感で一杯だが、すぐに見慣れるだろうか。

まあ何にせよ、嘆いていても何も進展しないのは事実であり、何かに取り組んでいた方が気も紛れるし、代替案を思い浮かぶ可能性も高まる気もしないでもない。

ただ本来は空を飛んで行なっていた務めとやらをどの様にして試すのかが気になるが、それは私の作業を終えてからでも良いだろう。

この後お互い用事を終えたらこの潅木の元に戻ると取り決めると、“黒翡翠”は務めへの挑戦に向かい、私は早速湖の見回りへと向かった。




“黒翡翠”と別れ再び湖上を渡り始めると、太陽は山脈を越えて完全に姿を現わし、辺り一帯はすっかり明るくなっていた。

太陽と雲の位置以外は昨日と全く変わり無く見える風景を眺めつつ、湖の中心を目指して黙々と進む。

この退屈な移動中に、この器の運動能力でも確認しようかと思い立ち、高度の上げ下げや移動速度の調整を試すと、水面から5m程度の高さまで任意で飛行可能で、速度は駆け足程度の速度が最速で調整可能なのが判った。

最高高度に関しては以前よりも上がっている様に感じるが、気の所為だろうか。

水中に入るとどうなるのかも気にはなって試してみたが、地中に物理的な肉体が沈まないのと同様なのか、どうやっても水中に沈む事は出来なかった。

その後器の肉体についても改めて確認するが、まず水面には何も映っておらず私の視界には己が見えていない。

手や足の存在感も全く無く、視野を変える際は器毎向きを変えている様であり、瞼の感覚も無いので視界は常に見えている状態が維持されている。

口や鼻も感知出来ず呼吸も意識していないが、それに因る弊害等は発生していない。

となるとこの器は私からすると眼球しかない様な存在であり、若しかすると“黒翡翠”には私が目玉の怪物にでも見えているのかも知れない。

それは折を見て確認してみる事にして、そろそろ中心部に近づき気泡の出現場所も遠くに見え始めた。

更に接近して様子を見るとこちらも昨日と変わりなく、出現場所も変わらずほぼ一定の間隔で小さな気泡が昇って来るだけだ。

この代わり映えしない様子を見て、気泡の確認の際に注目すべき点を事前に聞いておくべきだったと軽く後悔する。

一応暫らく留まって眺めていたのだが、やはり何の変化も見られないので、もう十分だろうと判断し帰路に着いた。




寝床の潅木近くの畔へと到着して“黒翡翠”の姿を探すが、その姿は無かった。

とりあえず最大高度まで上昇して周囲一帯を見渡してみたものの、それらしき黒い人影は見当たらない。

まだ飛べない状況での務めの実施を試しているのだろうか。

何処でそれを試みているのかが判らないので、闇雲に探しに行っても見つかりそうにないと判断し、太い潅木の傍で高度を上げて周囲を確認しつつ、この場所で戻るのを待つ事にした。

それにしても、“黒翡翠”は本来上空を飛びながら行なう筈の行為を、どうやって人間の姿で代行しようとしているのだろうか。

まさか両腕を羽ばたいて飛ぼうとしている訳ではないだろうから、何か代替手段を思いついての提案だったのかも知れないが、その根底にあるのは飛べる様になる保障が無くなっている点から来る焦燥なのだろう。

その要因の一端は私の方にもあり、この器の能力を掌握し“黒翡翠”を飛べる様にする事が出来ていないのが一因だ。

こうして待っている間に、私もこの器の能力についてどの様に解明するべきかを考える事にした。

動作に対する検証はもう十分だとして、問題なのは超自然的能力の有無とその発動方法であろう。

これまでの召喚ではその多くが、その器の定義を明確に理解した召喚者が存在し、それらに関する情報の提供が必然的に行なわれていたが、今回はその様な者が不在だ。

現状唯一存在する情報としては、私には見えないがこの容姿だろうか。

少なくとも“黒翡翠”の目には何かしら感知出来ているのは間違いないのだから、その見えている形状を説明させれば何か判る可能性がある。

それに今回は証言者が、“黒瑪瑙”の時の様に形容する事すら出来ないなんて事態にもならない筈だ。

まずは客観的な私自身の情報収集を行なうとしよう。

そう決断して再び周囲の確認を行うと、地平線に黒い人影が映り、どうやら“黒翡翠”が戻って来るのを視認したので、到着を待つ事にした。




「貴き、御方…… ただいま…… 戻り、ました……」

こちらに戻る足取りがやけに遅く、私の想定した倍以上の時間を要して帰って来た黒衣の女は、これまた想像だにしなかった様子に変わっていた。

白い頬を紅潮させその広い額には玉の汗がしたたり、息も絶え絶えで絶え間なく荒い呼吸を繰り返しており、更には歩くのによほど煩わしかったのか、長いスカートの裾を両手で太腿の中央あたりまでたくし上げている。

そんな蝶の女のあられもない姿を見て思わず言葉を失った私の態度で、己の行動に問題がある事を悟ったらしい“黒翡翠”は、スカートの裾を放し両手を胸に当てて数回深呼吸をした後、戸惑いがちに私へと質問する。

「あのう、貴き御方、わたくしには、人としての正しい振る舞いは判らないので、お尋ね致しますが、わたくしの行動に、何か失礼があったのでしょうか。

宜しければ、何がいけないのか、教えて頂けませんでしょうか?」

大真面目な顔でそう問い掛けて来る黒い蝶の女を見て、私は改めてここで反省する。

ついその落ち着いた物腰や流暢な口調で勘違いしてしまいがちだが、中身は赤子同然で人間としての常識や道徳観念は持っておらず、ただ偶然にこれまで妙な行動をしていなかっただけなのだ。

これからどれだけの時間を人として過ごす事になるのかは予測出来ないが、これはある程度の教育を行なうべきだろうか。

だがそうは言っても、この場所には本当の人間は存在していないのだから、“黒翡翠”が非常識な行動や不道徳な行為を行なったとしても、私さえ気にしなければ別段良い気もする。

それに“黒翡翠”の実体は蝶であり、そちらの常識や道徳を適用しているのならそれこそが正しい行動だろうし、人間の姿での不便さから生じた行動がそれに該当したところで、人としての常識を無意味に強要してわざわざ不便を強いるのは不当な扱いとも感じなくもない。

言ってしまえば、本来着衣など纏う事の無い生き物なのだから、本人が邪魔だと感じているのなら脱がせてしまえば良いとも言える。

今ならそれを勧めるだけで躊躇無く全裸にさせる事も容易いが、私の中でそれを望んでいないと言うか、その様な露な姿となった黒い蝶の女を見る事に何故か不快感を覚える。

もし私が通常の男であればうら若く美しい女に興味を持ち、あわよくばその肢体に衝動的な欲望を感じても自然だと思うのだが、それとは真逆の感情を抱くとなるとどの様な関係性が考えられるか。

すぐに思いつくのは血縁者か、通常の精神状態であれば自分の血族に対して欲情はしないものだろう。

記憶こそ全く無いが、つまり“黒翡翠”は血縁者の姿をしていると言う事なのか。

何の証拠も無いがそう捉えるのが現状では自然な解釈だと理解し、そういう事であれば私の気に障る姿を取らせるのは避けるべきだと決めた私は、少し上目遣いでじっと返答を待つ蝶の女へと、裾はあまり上げるべきではなく、どうしても邪魔であっても精々膝の上辺りまでにする様にと諭した。

そこまで捲くれば走る場合でも十分であろうとの判断だが、膝上以上であると尺度の認識も無い相手なので、どの高さまでと示し辛いと言うのもあった。

「そうなのですか、知らなかったとは言え、大変失礼致しました、以後気をつけますわ。

ついでと言っては何ですが、この体について貴方様にお尋ねしたい事が幾つかあるのですけど、教えては頂けませんでしょうか?」

叱られている体の神妙な顔から普段の表情へと戻った“黒翡翠”は、そう切り出してきたので、丁度私の方も確認しておきたい点があったのもあり、この後は互いの確認事項に関しての質疑応答を行なう事となった。

先ずは“黒翡翠”からの質問に答える事にすると、黒い蝶の女は早速話し始めた。

「先程これを、手で持って上げるのが良くないと仰っておりましたが、これは飛ぶ為にある翼ではないのでしょうか。

どうやっても翅の様には動かないので、手で掴んで動かしてみたのですけど、全然飛べる気配がありませんの。

わたくし、これの扱い方を間違っております?」

そう訴えながら、スカートの裾を指差している蝶の女の表情はやはり真剣そのもので、本質的には一介の虫けらに過ぎない漆黒の蝶には、衣服という概念も無ければ人間に関する知識も皆無と言う事実が、ここでも明らかになった。

そもそも蝶から人へと変えられた時に、その服は後から着たのだと判断していたので、それが体の一部だと勘違いしているとは思わなかった。

だがその様な勘違いをしていたとなると、その衣服は人へと変えられた時点で既に着ていた事になる。

とりあえずそれは体の一部ではなく繭の様に身に纏う物で、着脱出来る物なのだと説明するが、“黒翡翠”は未だ納得行かない様子で反論して来る。

「貴き御方、これはどうやって取り外すのですか?

わたくしには、蛹の殻の様に体にくっついている様にしか思えないのですけど……」

“黒翡翠”がそう言いながら衣服の様々な部分を摘んだり引っ張っているのを見ていると、確かにその指摘通りで、これまでは長い髪であまり見えず判らなかったが、この服には胸や背中の箇所で釦や紐を用いて締めている部分が無い。

それなのに、スカートの部分より上が体にかなり密着しており、脱げるほどの余裕も無ければ、伸縮性も殆んど無い生地で出来ている様だ。

更に良く見ると、生地を縫い合わせた繋ぎ目が見当たらず、始めからこのワンピースの形状をした布として織られた様にしか見えない。

この服が普通の布から作られた通常の物であるならば、蝶の女に着せる為の手段はひとつしかない、蝶の段階で服の中に入れておき人間へと変化させる事だ。

或いはその能力で素材を変質させたり収縮させる事が出来るのならば、着させる事が可能となる。

つまりどちらにせよこの不可思議な服に因って、“黒翡翠”の語っていた私と同じ姿をした何らかの能力を有する存在が立証された事になる。

尤もこれは“黒翡翠”が偽証していない事が大前提なのだが、ここで私を欺いても何の利益も無いのだから、その可能性は低いと言えよう。

それは良いとして、服の説明の矛盾についてはどう解消しておくべきかと数秒検討した結果、最も知らせるべき点だけを簡潔に説明する事とし、ありのままにそれは脱げない服であり、用途としては飛ぶ為のものではないと告げた。

「そうなのですか、これでは飛べないのですね、それは残念ですわ……

あともうひとつお聞きしても良いでしょうか」

飛べる可能性を失って落胆していた“黒翡翠”だったが、新たな質問がある様なのでそれに応じるべく了承する。

「あのう、こちらも思う様に動かせないのですけど、これは触角ではないのですか?

それともこちらも、この服と同じ様なものなのでしょうか」

そう言いながら手で掴んだのは、自身の長い黒髪だった。

蝶にも体毛はあるのだろうがこれ程の長さのものは無く、最も近い形状の器官となると触角だと判断したと言う事か。

だが髪ではある程度の接触時の感覚は伝わるかも知れないが、凡そ蝶の女が考えている触角とは程遠いだろうから、これも否定しておいた方が良さそうだと判断し、それは頭部から生えた単なる体毛で感覚器官ではないと“黒翡翠”へ返答した。

「ああ、やはりそうでしたか、触角にしてはあまりにも多過ぎるので、何か違う様な気はしておりました。

丘を歩いて移動する時に触角があれば安心だったのですけど、これも慣れるしかないのですのね。

それと花の色が少し違って見えるのも、きっとこの姿の所為なのでしょうか……」

髪から手を離した“黒翡翠”は、そう呟きながらしゃがむと、白い花に手を伸ばしている。

それを耳にした私はすぐに、具体的にどう変わっているのかを尋ねた。

「そうですね、例えばこの花は色が白くなりましたわ。

蝶だった時は、もっと中心が緑色で花弁の色も違っていましたのに。

何となくですが、どの花も色合いが単純になった気がしますの」

その返答を聞いて“黒翡翠”が本当にこれまで蝶だったと言う確証を得る事が出来た。

姿が変わって色覚に影響が出た理由は、蝶だった際に見えていた紫外線を視覚出来なくなったからであろう。

私は蝶だった女へと、推測の通りで今の視界が人間のものの見え方なのだと答えた。

「貴き御方、ご説明頂きありがとうございました。

わたくしからお尋ねしたかった事は、今のところこれで全てです。

お返しと言う訳ではありませんけど、何かお知りになりたい事があれば、どうぞ仰って下さい」

“黒翡翠”の問いを聞く形で、私が抱いていた幾つかの疑念に関する情報を得ると、今度は私から“黒翡翠”へと問い掛ける。

とりあえず重要度からして真っ先に確認すべきなのは、湖の気泡の確認方法であろうか。

私は湖上から見てきた気泡の状況を説明すると、“黒翡翠”はやや安堵した表情を浮かべて口を開く。

「それでしたら、浮かんで来る泡の大きさや間隔を確認して頂ければ良いですわ。

最初は小さな泡が上がってきて、それが次第に大きく間隔も狭まり、やがて泡が連なると水面が窪んで渦となり、その影響で湖全体が波打ちます。

そうなれば、次の守護者へと代わる時が来た証ですの。

ですのでその時までに、どうしても飛べるようにならなくてはならないのですけど、ご説明頂いた感じですとまだまだそれは先だと思います」

では今後は気泡の大きさと発生間隔を測ってくる事にする事にしよう。

次の確認事項をどうするか暫らく考え、抜本的な解決に繋がる可能性のある問いが良いかと判断し、“黒翡翠”からは私がどの様に見えているのか問い掛けた。

この返答に因っては事態は一気に解決するかも知れない。

「貴き御方がどの様に見えるか、ですか?

それは最初の御方と同じかではなく、具体的なお姿の事を、お尋ねになられておりますの?」

念を押す様に質問内容を確認する黒衣の女の表情は、既に若干の困惑を現わす様に眉を顰めているのを見て、これはまた期待外れな回答が帰って来る予感がするが、とりあえず返答を聞いてみる。

「貴方様の御姿は、そう、ですね、そのう、ええと、何と言いましょうか……」

明らかに言葉に詰まり返事に窮している“黒翡翠”は、言い淀んだまま固まっている。

どうしてそれほどまで困っているのかが判らず、何故説明出来ないのかその理由を尋ねると、恐る恐る語り始めた。

「申し訳ありません、実を申しますと、貴方様のお姿は、わたくしには見えていないのです。

ですので、どの様なお姿をされているのかについては、お答えしようがないのです……」

その釈明内容は妙だ、つい先程花の色が見えていた話をした筈だし、最初に私に向かって声を掛けて来たのは“黒翡翠”の方だったのに、どうして私の姿が判らないのか。

その点を反論すると“黒翡翠”は予期せぬ返答を返して来た。

「わたくしは、貴方様の存在を見ているのではないのです、貴き御方の存在を、感じているのです。

それは具体的に言うと、匂いと暖かさで、貴方様の風下にいるとその香りが漂ってきますし、近づけば熱を感じます。

ですので、そのお姿が見えなくとも、どこに居られるのがが判るので、お呼びする事が出来ましたの。

この事はもっと早くにお話ししておくべきでしたでしょうか」

申し訳なさそうにそう釈明した黒衣の女へと、理解した旨の返答と問い詰めた事への謝罪をした後に、再確認として私は透明なのかと尋ねると、女は頷きながら再び口を開く。

「ええ、ですが完全に見えないと言う事でもありませんの。

貴方様が居られる場所は、気温との温度差の所為かも知れませんけど、まるで揺らぐ水に反射しているみたいに、後ろの風景が少しだけ揺らいで見えますわ。

先程尋ねられた時、その事を指してお姿が見えるとお伝えすべきなのかどうか、迷ってしまって……」

まさか私の器がほぼ透明で、主に嗅覚と温度で感知されているとは予想外であり、これで器の能力解明から一歩遠のいた訳だが、逆にそんな特徴のある器だとすると“ロゴス”に尋ねたならすぐに判明しそうだ。

だが恐らく、この召喚じみた夢が覚めるまではあの世界で目覚める事は無く、目覚めた時にはこちらの夢は終わっている事だろう。

どのみち判らないと言う結論に至り落胆するが、気を取り直して残った疑問である、日々の務めの代行方法として一体何を行なっていたのかについて尋ねると、今度は少々不機嫌そうに口を尖らせて喋り出した。

「先程この服の事をお聞きしたではありませんか、それで察して頂けると思ったのに、わざわざまたその質問をされるなんて、意地悪な御方ですのね。

貴方様にご指摘頂くまで、わたくしはこれで飛べると思っていましたから、出来るだけ高い場所で一生懸命羽ばたいておりましたの。

でもどれだけ頑張っても全然浮きもしないし、二本しかない腕もすっかり疲れてしまったので、何の成果も無く戻って来たのです。

こんな事でしたら、わたくしも先に貴方様へ質問しておくべきでしたわ」

そう言うと“黒翡翠”は表情を一転し、はにかむ様に照れ笑いを浮かべたのを見て、私もまたつられて苦笑した。

こうして互いの確認事項を話し終えた頃には、話し込んでいて気づかなかったが、いつの間にか日は傾き始めていた。

明日からは一日に一度日の出後に湖の中央部を目視し、その状況を“黒翡翠”へと知らせ、そしてその他の空いている日中の時間で空を飛ぶ手段を検討する事として、この日は就寝となった。




満点の星空に半月が浮かぶ夜空を眺めつつ、私は眠る事無くここに来てからの出来事を回想していた。

漆黒の蝶たる黒衣の女の一人である“黒翡翠”からは、これまでに知り得なかった様々な情報を得る事が出来ているのは事実だが、“黒瑪瑙”との関係性については未だに謎のままだ。

それに私にとっての黒衣の女の認識と、黒衣の女にとっての私の認識については、恐らく合致していないと思われる。

その理由のひとつとしては、私が目視不能な本来の姿ではない所為と言うのも多分にあるが、たとえ本来の姿だったとしても、果たして黒衣の女は私と同じく親和性を感じるのかは疑問だ。

そして何より、この根拠の無い感情が信ずるに足るものなのか、その根拠はどの様にすれば見つけられるのか。

これらの疑念もまた、“黒翡翠”との対話を積み重ねていく事に因って、何らかの確証を得られると良いのだが。

その他に確証を得られるとすれば前に現れた存在の再来となるが、これについても何の確証も無いもののその可能性は薄いのではないかと思われる。

恐らく再来者とは、私自身の事を指していたのではないかと思えるからだ。

その理由としては、黒い蝶の女達の用いる言葉にある。

彼女等は私や私に準ずる存在に対して、個体を識別する名称を付けていないし、相手に名前を尋ねたりもしない。

これはつまり、黒衣の女以外の意思を持つ知的な存在は常に単一である事を証明していると言えるのではないか。

この想定が誤りで、実際には複数の存在がいたとしても、あの呼称からして同時には現れない様に思える。

もしそうであるなら、最初の存在が再来する時に私は既に消えている事になるのだろう。

相変わらず糧の流れすら全く感じないこの器であるから、存在出来る期間は事前に定められた内的要因ではなく、そういった外的要素に因って決定されるのかも知れない。

そうした推測し難い状況となると、試す事が出来るうちにやれるだけの事をしておかなくては。

すぐ傍で、潅木に寄り掛かって静かに眠っている“黒翡翠”を眺めつつ、私はそう心に誓い眠りについた。




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