執務室
ラセリアは机の手前でくるりと向きを変えた。
「ダルベルト。一族の者が協会を脱退することは許さぬ。わかっておるな」
厳しい顔つきでそう言うラセリアに、ダルベルトは「はっ」とかしこまる。
「我が一族が脱退すれば、協会はたちまち立ち行かなくなる。協会は我がザルリディア家が設立した組織。妾たちの愛し児のようなもの」
ラセリアは目を閉じ、まるで何かを抱きしめるかのように胸に両手をおいた。
大昔、ザルリディア一族は山の民と呼ばれ、山奥にひっそりと暮らす部族だった。
古い時代の神を祀り、不思議な力をもち、伝説の宝珠を受け継ぐ山の民。
その力故に、迫害を受けていた時代もあった。
海の民と呼ばれていた現王家の招きに応じ、王家とともにこの国を平定した。
その後、魔術師協会を設立し、不思議な力を持つ者たちの保護と育成に力を注いできたのだ。
ザルリディア一族の身を護るためにも、魔術師協会は必要な組織だった。
「それに、他家に余計な力を持たれても厄介じゃしのぅ」
ラセリアは目を開け、ダルベルトをじっと見る。
ダルベルトがラセリアの瞳を探るように見返すと、ラセリアは「ホホホホホ」と笑った。
「妾が脱退したのが不思議か?」
ラセリアの問いにダルベルトは頷いた。
「会長殿が気に入らぬからじゃ」
ニヤリとするラセリアを、ダルベルトはなじるように睨んだ。
確かに魔術師協会の現会長は、先ほどラセリアが半殺しにしたルーベンだ。
トドメを刺さなかったのは、魔術師協会と王家に遠慮してのことだということは、ダルベルトにも容易に想像できた。
しかし、ルーベンを会長に据えたのはザルリディア家――ラセリアの意向だ。
ラセリアの胸三寸で、今すぐに会長の座から引きずり降ろすことは簡単だ。
それに、こちらから何もしかけなくても、ルーベンが会長に座から転がり落ちるのは、時間の問題だ。
ザルリディア家という後ろ盾を失ったルーベンには、最早、何の力もない。
「のぉ、ダルベルト。妾は思うのじゃ。これからは他家と互いに協力して行かねば、我が一族は生き残れぬ。ラステルームの民は、魔力を独占したが故に滅んだのじゃ。ラステルームの二の舞になってはならぬ。そのためにも……」
ラセリアの瞳はどこか遠くを見つめているようだった。
「ご当主様……」
今や、ラセリアはダルベルトには想像することすらできない、遥か彼方まで視野に入れ、計算して行動をしている。
並々ならぬラセリアの当主としての器に、ダルベルトは心酔していた。
「今はまだ、時期が早すぎる。が、そちらの方向に行くよう、少しづつ誘導してやらねばならぬ。もちろん、我が一族の誇りを失ってはならぬがな」
「はっ」
ダルベルトは一礼すると、執務室から出て行こうとした。
「おおそうじゃ。アリーシャとその子供への手出しは無用じゃ」
背後からラセリアに言われ、振り向く。
「およろしいのでございますか?」
「ルーベンのことなど捨て置け。我が一族ではない者に関わっておるほど、暇ではないわ」
「しかし……」
「刃向こうてきたら、また叩き潰せば良いだけのこと。アリーシャという女子も、上級者魔術師に毛が生えた程度の魔力しかない。子供の魔力もたいしたことはない。あの程度の魔力で当主になどとは、我が一族も見くびられたものよのぅ」
口元に不敵な笑みをうかべるラセリアに対して、ダルベルトは何も言えず、ただ頭を下げた。
ラセリアの口振りは、まるでアリーシャ母子を見知っているかのようだ。
アリーシャはまだしも、ラセリアがその子供に接する機会はなかったはずだ。
それを知っているということは、ラセリアが自ら足を運んで確認しにいったということだ。
いつの間に行ったのだろうか。
ラセリアのスケジュール管理は、全て家宰であるダルベルトが行っている。
そのダルベルトに全く気づかれずに、ラセリアは多忙なスケジュールの合間を縫って、確認しにいったのだ。
後継者争いを未然に防ぐためならば、堂々とダルベルトとともに確認しに行けばいいはずだ。
黙ってこっそりと行く必要は全くない。
ダルベルトは、ルーベンの女遊びに全く頓着する様子を見せなかったラセリアの、本当の姿を垣間見た気がした。
「ダルベルト。一族の、ルーベン縁の者たちへの配慮も欠かすでないぞ」
「はっ」
ダルベルトは気を引き締めると、一礼をして、執務室を後にした。