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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
ラセリア
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再び奥の間

 屋敷の最奥にある建物は、一面に不思議な装飾がなされていた。

正面の扉は、見上げるほどに大きい。

その扉は、人ひとりが通れるくらい、少しだけ開いていた。

イルトリーリは、その隙間からするりと室内へ滑り込んだ。

 扉の内側から漂ってくる、物々しい雰囲気に、ヴィオラは立ち止まった。

 中からイルトリーリの白い手がでてきて、躊躇しているヴィオラを手招きする。

 ヴィオラはゴクリと唾を飲み込むと、気合いを入れて、扉の間に滑り込んだ。


 広い室内には多くの人がいた。

ヴィオラが見知った人もいるし、先ほどのメイドの姿もあった。

 イルトリーリが、キョロキョロ見回すヴィオラの腕を掴み、奥の方へと誘った。

すぐ後ろから、ギンビスもついて来る。


 室内中央には七色の不思議な炎の篝火が、円になってった。

その篝火で囲まれた中は、ゆらゆらと揺らめいていてよく見えなかった。

暑い夏の日に、締切った部屋のドアを開けたときに、起きる蜃気楼に似ていた。

 中に人影のようなものが見える。

ヴィオラは、その人影の一つがラセリアだと直感した。


 中がパシッと光ったように見えた。

「すげー。さすがルーベン様。まともにくらって、よく立ってられるよなぁ」

 ギンビスが小声で言った。


「違う。あんたじゃ分かんないか。あれはね、ギリギリ立っていられるようにコントロールしてんのよ」

 イルトリーリが軽くため息をついて教える。


「げげ。マジか」

「マジだよ。ああやって、時間稼ぎして待ってらっしゃるの」

「誰を?」

 ギンビスの間の抜けた問いに、イルトリーリはあからさまにため息をついた。

「あんた、バカ? 一族が勢ぞろいするのを待ってらっしゃるにきまってるでしょ」


 ヴィオラは二人の会話を聞きながら、目だけを巡らせて、あたりの様子を覗った。

部屋の中にいる人々は、固唾をのんでじっと篝火の中を見守っている。

ただ一人、家宰のダルベルトを除いて。

ダルベルトは篝火のすぐ横に立ち、じっと扉を見つめていた。

 

 ヴィオラの頭の中で、ダルベルトの姿と、先ほどのイルトリーリの言葉が結びついた。

ラセリアは待っているのだ。

なぜ待っているのか、中で何が起こっているのかは全く分からなかったが、今ここで、重大な何かが起こっているということだけは、ひしひしと感じる。

この、肌がチリチリすっような、張りつめた空気と篝火の中の不思議な光景が、それを物語っている。


 先ほど、ギンビスが「ヴィオラはザルリディア一族ではない」とイルトリーリを止めた理由が、なんとなく分かるような気がした。

今起きていることは、きっと、ザルリディア家にとって、当主であるラセリアにとって、大きな意味を持つことなのだろう。

大きな転換期。

ヴィオラにはそんな気がしてならなかった。


 扉を凝視していたダルベルトが、ゆっくりと確認するかのように、室内を見まわした。

ヴィオラが扉を見ると、扉がちょうど閉まるところだった。

 ダルベルトは向きを変え、篝火の中へと向かって礼をした。

 待っていたかのように、篝火の中が、一際大きく輝いた。

 人々が「おお」っとざわめく。


 篝火の七色の炎は一気に大きく燃え上がると、パッと消えた。 

一瞬、辺りは闇に包まれたが、再び篝火が灯り、すぐにが明るさがもどった。

 

 中央に、悠然と佇む、ラセリアの姿があった。

ラセリアが手を掲げると、天井から瑠璃色に輝く珠がゆっくりと降りてきて、ラセリアの右手に収まった。

 その姿は神々しく、ヴィオラは口を半開きにして、ぽかんと見入っていた。

 

「もう終わりかえ? つまらぬのぅ。その程度の力で、魔術師協会の会長を勤めておったのか?」

 ラセリアは優雅に裳裾を揺らしながら数歩ほど進むと、目の前に血まみれで転がっている男――ルーベンを踏みつけた。

「ぐっ」

 ルーベンはくぐもったうめき声をあげる

 ヴィオラは思わず目をそむけた。 


 見ていられなかった。

血だらけのルーベンの姿もだったが、それよりも、ラセリアの姿をみているのが、ヴィオラには耐えられなかった。

今ここにいるラセリアはヴィオラの全く知らないラセリアだった。

 ヴィオラの知っているラセリアは、虫も殺せないような、心根の優しい()だ。

 ラセリアは昔から、争い事を好まない。

喧嘩はもちろん、ちょっとした取り合いも苦手。

ゲームですら、いつも相手に勝ちを譲ってしまうような()だった。

 もちろん、魔術師としてのラセリアは他人と勝負したり、魔物退治をしたりするということは知っている。

しかし、今のように一方的に誰かを痛めつけるようなことをするなんて想像できない。

ましてや今、ラセリアの足の下にいるのは、ラセリアの夫であるルーベンだ。

ラセリアがどんな気持ちでこんな事をしているのかと思うと、ヴィオラの心は引き裂かれそうだった。


「のぅ。頭の弱いそなたに教えてつかわそう。そなたに協会と宮廷を任せたのは、そなたが優秀だからではない。海の民は男社会。男性の方が何かと好都合だからじゃ。それにのぅ、妾が――ザルリディア家当主である、この妾が、海の民の族長にこうべを垂れるなど、我慢がならぬ。我がザルリディア一族は王家の臣下に非ず。妾は国王と同格。わかるかえ?」

 ラセリアが足に力を入れる度に、ルーベンは苦しそうなうめきを洩らす。


「ん? 起き上がることもできぬのか。可哀想じゃのぅ」

 艶然と微笑みながら、ラセリアはルーベンを足先で転がした。

 ルーベンの顔がこちらを向いた。

美男と言われた面影はどこへやら、ところどころ赤黒く腫れ上がり変形していた。

目は真っ赤に充血し、顔全体が脂汗や涙などの体液で濡れ、口の中を切ったのか、口角から血がにじんでいた。


「ヒッ」

 ギンビスがかすかに息をのむ声が聞こえた。

 ヴィオラも息をのみ、体をこわばらせる。


 ヴィオラには分かっていた。

ラセリアは単なる恨みや嫉妬でこんなことをしているのではない。

わざとやっている。

一族が勢揃いした、その目の前で、まるで挑発するかのようにルーベンを痛めつけているのだ。

 怖ろしいかった。

あの優しいラセリアが、ここまで鬼にならなればならないということが怖かった。

一族を背負うということが、どれほどの覚悟がいることなのか。

人の上に立つということは、どんなに孤独なのか。

それはヴィオラの想像も出来ない過酷な世界。

ラセリアは、ずっとその中で生きてきたのだ。


「それでも魔術師かえ? おお、違うた。そちゃ魔術師ではのうて、色事師であったのぉ。こりゃ失礼いたしたのぅ」

 ルーベンを足先でいたぶりながら、ラセリアは楽しそうに「ホホホホホ」と笑い声をたてた。

微かなうめき声をあげ、苦悶の表情を浮かべたルーベンの口の端から血と涎がだらだらと流れ出た。


 ひとしきり笑ったあと、ラセリアはキッと表情を変えた。

「皆の者。良い機会じゃ。古式に倣い、族長を決めようぞ!! 我こそはと思う者は、遠慮のうかかって参れ」

 腹の底に響くような、凄味のあるラセリアの声が、室内にこだまする。


一呼吸の間の後、イルトリーリをはじめとした、数人がサッと跪いた。

それを合図に、周囲の人々が次々と跪く。

ギンビスも慌てた様子で跪いた。

ヴィオラもつられて跪いた。


「我が君様。御心のままに」

 一番年配と思われる、禿頭の老人が静かに言った。

「御心のままに」

 他の者たちが一斉に唱和する。

 ラセリアはゆっくりと一人一人を確認するかのように見まわすと、「うむ」と頷いた。


「ルーベン。そなたを我が部族から永久追放いたす。子々孫々まで、ザルリディアの名を名乗ることを禁ず。二度と妾の前に姿を現すな。次に逢うたときが、そなたの命日じゃ」

 ルーベンを見おろしたラセリアは、ズンと響くような声でそう言ったあと、顔を上げた。


「これより妾は魔術師協会を脱退いたす。今後一切、協会の指示には従わぬ。ダルベルト、行くぞ」

 高らかにそう宣言すると、ダルベルトを従えて、部屋を後にした。



 ラセリアの退出後、室内の空気は一気に緩んだ。

数名ほどがルーベンの元に駆け寄り、運んでいった。


 ヴィオラはホッと息をついた。

「ヴィオラちゃん、大丈夫?」

 イルトリーリが心配そうにのぞきこんできた。

 ヴィオラは頷くと微笑んだ。


「大丈夫です。ちょっとびっくりしちゃっただけです」

「そうよね、驚いたわよね……。でもね、ご当主様はああするしかなかったのよ」

 イルトリーリは視線を下げるとささやくように言った。

 ヴィオラはこくりと頷いた。

その途端、一気に涙が溢れてきた。

 

「ご当主様のために泣いてくれてるのね。ありがとう」

 イルトリーリはヴィオラの肩をそっと抱いた。

ヴィオラの目の前にぬっとハンカチが差し出される。


「大丈夫っす。ちゃんと洗濯はしてあるんで」

 顔をあげると、ギンビスは気まずそうにあさっての方向に目を逸らした。

ヴィオラは素直にハンカチを受け取った。


「おしいなぁ、ギンビス君。残念だけど、それじゃ、胸キュンしないよ。洗濯はないわぁ~」

 すかさずイルトリーリがダメ出しをした。


「ダメっすか?」

「うん。ダメ。洗濯は所帯じみててNG。あんたって、やっぱりセンスの欠片もない。ねぇ~ヴィオラちゃん」

 イルトリーリはヴィオラにいたずらっぽく笑いかける。

ヴィオラは思わず笑いだした。


「うー。なんて言えば胸キュンになるんすか?」

 ギンビスは眉間にシワを寄せながら尋ねる。


「他人を頼るな。自分の頭で考えろ」

 イルトリーリは冷たく突き放す。

「うぅ」

 ギンビスは黙り込んでしまった。

 イルトリーリはギンビスを一瞥すると、ヴィオラをみて、声を出さずに「おいで」と言うと、出口に向かって歩き出した。

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