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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
シンシア
43/64

(過去話)楓の木の下で 前編

 一通りの仕事を終えたシンシアはため息をついた。レイラが不在のため、するとこがなくなってしまったからだ。

 

 昨日からあるじであるレイラは不在だった。レイラは魔術の研究と称してはふらっと単独で出かけてしまい、数日ほど帰ってこないことがよくあった。

 良家の子女が供も連れずに外出するということは、おおよそ有り得ないことではあったが、魔術を生業なりわいとするザルリィディア本家は普通の家とは少し違っていて、そういったことにあまり頓着していないようだった。


 するとこがなくなってしまったとはいえ、サボるわけにはいかない。

 シンシアはザルリィディア本家に仕える使用人だ。真面目なシンシアはその給金に見合うだけの仕事をしなければならないと考える性質たちだった。

 シンシアは少しでも何か出来ることはないかと思考をめぐらせた。

 シンシアの視界の端に、豪華な刺繍の施されたテーブルクロスが映った。シンシアは先日、レイラがシンシアの刺繍を褒めてくれたことを思い出した。


 そうだ。レイラのために刺繍をしよう。

 

 シンシアは裁縫道具を持ち、お気に入りの場所へと向かった。

 

 ザルリィディア本家邸宅の敷地は広大だ。何棟もの建物があり、広い庭には湖といっていいほどの大きな池やいくつかの小さな池があり、それをつなぐように小川が流れ、裏山もあった。

 シンシアは庭の奥にある小さな池のほとりに着くと、かえでの巨木の近くに腰かけた。

 建物から離れたこの場所はとても静かで、鳥の声と水音、風が揺らすサラサラという葉音くらいしか聞こえてこない。日の光を受け、キラキラと風に揺れる水面の様子は、どこか故郷の海と似ているような気がして、シンシアはこの場所がお気に入りだった。


 シンシアが刺繍をはじめて小一時間ほど経っただろうか、突然、ドサっと木の上から何かが落ちてきた。ビクッと軽く飛び上がったシンシアは、その落ちてきた何かの方に視線を動かした。それは書籍のようだった。

 シンシアは立ち上がり、それ――魔術書を拾い上げた。


「すみません」

 声にふり向くと、そこには端整な顔立ちの年若い青年が立っていた。シンシアより少し年上だろうか。

 シンシアはその人物が誰かを知っていた。

 彼はレイラの弟であり、ザルリディア本家の当主だ。

「レクラス様……」

 突然の若き当主の登場に、シンシアは驚き、半ば呆然と立ち尽くす。  

「お怪我はありませんでしたか?」

 レクラスは心配そうにシンシアの顔を覗きこんだ。シンシアはその優しい翠玉色の瞳に吸い込まれそうになったが、ハッとし、慌てて首を左右に振った。

「それは良かった。驚かせて、すみませんでした」

 そう言って頭を下げるレクラスに、シンシアは慌てて首を横に振りながら「とんでもございません」と恐縮した。

 顔を上げたシンシアに優しく微笑みかけたレクラスだったが、突然その表情を険しくさせ、何かを確認するかのように視線を斜め後ろに動かした。

 レクラスは再びシンシアに視線を戻すと、少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、人差し指を自分の口元にあて、

「私がここにいたことは、どうかご内密に」

 そう言うって、ぼけっと立っているシンシアの手から魔術書を取り、颯爽と木立の中に消えていった。


******

 もしかしたら、またレクラスに会えるかもしれない。

 シンシアは期待半分にあの場所へ何度か行ってはみたが、あれ以来、レクラスの姿を見かけることはなかった。

 シンシアは少し残念に思ったが、あれはほんの偶然の出来事であり、もう一度レクラスと会ったところで何があるわけでもない、ということはよく分かってた。


 シンシアの刺繍をいたく気に入ったレイラは、シンシアにお気に入りのショールに刺繍をするように命じた。

 シンシアは気合いを入れてその刺繍に取り組んでいたが、やはり室内では明かりが少々足りない上に、なんとなく気分がのらなかった。

 

 やはり明るい自然な光の中で刺したい。

 あのお気に入りの場所で刺繍をしよう。

 

 そう思い立った思いたったシンシアは裁縫道具を持ち、あの場所へと向かった。

 楓の巨木に着いたシンシアは、なんとなく木の上を見上げてみた。が、そこにはレクラスの魔力どころか人の気配すら全くなく、サラサラと風に揺られた葉の音がするだけだった。

 シンシアは軽くため息をつくと、木の近くに腰をおろし、刺繍に着手した。


 刺繍に集中していたシンシアは、不意に気配を感じ、顔を上げた。

 すぐ近くに、禿頭の年配男性が佇むように立っていた。

 シンシアはその男性に見覚えがあった。

 彼の名はマティアス。前当主・ラセリアの夫であり、レイラ、レクラスの父親だ。

 シンシアは慌てて立ち上がろうとしたが、マティアスはそれを手で制し「そのままで」と声を出さずに言った。シンシアは頷き、座り直すと刺繍を再開した。


 マティアスは楓の巨木を見上げ、

「レクラス。そこにいるのはわかっています」

 と、静かな声で言った。

 マティアスの言葉に驚いたシンシアは、つられるように視線を木を見上げたが、そこには何の気配もなく、葉がサラサラと音を立てているだけだった。


「ずいぶんと隠匿術の腕を上げたようですが、私に云わせればまだまだです。他の者の目は誤魔化せても、私の目を誤魔化すことは出来ませんよ」

 上からは相変わらず、葉の揺れる音しか聞こえてこない。

「レクラス。貴方の気持ちも分からないではありません。ですが、貴方がこう何度も姿をくらませては、他の者たちに示しがつきません。貴方はザルリィディア家の当主です。当主である貴方は、他の者たちに不安を与えるような行動をつつしまなければなりません。違いますか?」


 しばらく沈黙が続いた。

 と、ガサガサと枝が大きく揺れる音がした。シンシアが視線を動かすと、マティアスのすぐ横に魔術書を持ったレクラスが立っていた。

 マティアスはレクラスの方に向きなおると、視線を動かし、チラリと魔術書を見た。

「レクラス。主張したいことがあるのなら、自分の口でハッキリと言いなさい。いつまでも周りの者たちが察してくれると考えているのなら、大間違いです」

 マティアスは静かだが、少し厳しさを含む声で言った。

 レクラスはしばらくの間うつむいていたが、意を決したりように顔を上げた。

 

「父上。私は魔術師としてまだまだ未熟です。もう少しだけ、魔術に費やす時間をいただけませぬか?」

 真剣なまなざしで訴えるレクラスに、マティアスは表情を緩めた。

「確かに貴方のおっしゃる通り、スケジュールが過密すぎましたね。貴方には魔術だけでなく、息抜きをする時間ももっと必要でした。スケジュールをゆとりの持ったものに組みなおしましょう」

 レクラスの瞳がパッと輝く。

 

「ご当主様。わたくしどもの配慮が足りず、誠に申し訳ございませんでした」

 深々と頭を下げるマティアスに向かって、レクラスは慌てた様子で「父上、お手をお上げ下さい」と言った。

 

「レクラス。貴方はもっと自分を甘やかすことを覚えるべきです。わがままを言ってもいいのですよ」

 顔を上げたマティアスは、レクラスにニッコリと笑いかけた。

 

「まわりの者たちの意見を優先させてばかりいたら、息が詰まってしまいます。もっと自分を優先させてもいいのです。まぁ、レイラのように優先させすぎるのも困りものですが……」

 マティアスは少し困ったような表情を浮かべ、視線を落とした。

「父上。姉上はああ見えて、姉上なりに一族のことを最優先になさってらっしゃいますよ」

 レクラスはそう言ってニッコリ笑った。

 

「レクラス。貴方はレイラのぎょかたにもけてきたようですね」

 マティスの言葉にレクラスは首を横に振った。

「とんでもない。私の方が御されているのですよ、父上」

「フフフ。そういうことにしておきましょう」

 マティアスは独りごちするようにそう言うと、

「さあ、ご当主様、皆が待っております。参りましょう」

 と、レクラスをうながした。

 

「シンシア」

 2人の邪魔にならないよう、気配を極力消して静かに刺繍をしていたシンシアは、突然レクラスに名前を呼ばれ、驚いて顔を上げた。

「お騒がせしました」

 レクラスはシンシアに優しく微笑みかけながら軽く目礼をする。その優しい瞳に、シンシアは礼をするのも忘れ、ぼーっと 見入っていた。

 マティアスとレクラスは建物の方へと歩きだした。シンシアは慌てて立ち上がると、その後ろ姿に深々とお辞儀をした。

 

******

 

 翌日、シンシアは刺繍の続きをするために、あの楓の巨木の近くの、いつもの場所に腰をおろた。

 チラリと楓を見上げる。

 日の光を浴びた楓の青々とした葉が、風に揺られ、サラサラと音をたてていた。

  

 もうここにレクラスが来ることはないだろう。

 

 シンシアは少し残念に思ったが、レクラスがレイラ付の侍女の1人に過ぎない自分の名前を覚えていてくれただけで十分だった。

 シンシアは気を取り直すために大きく深呼吸すると、気合いをいれて刺繍をはじめた。


 区切りのいい所まで刺したシンシアは、布を膝に置くと、大きく伸びをした。何の気なしに、ふと楓の方に視線を動かした。

 楓の根元に腰かけ、魔術書を読んでいるレクラスの姿が目に入った。

 シンシアは驚き、慌てて居ずまいをただしたが、レクラスは全く気がついていない様子で魔術書に没頭しているようだった。

 シンシアはうつむき、はにかむような笑みを浮かべると、刺繍を再開した。 

 

「姉上に、ですか?」

 唐突に話しかけられ、シンシアが顔をあげると、レクラスが覗き込むようにして刺繍を見ていた。シンシアは驚きで身を固くした。

「牡丹、ですね」

 シンシアはコクリと頷く。

「百花の王」

 レクラスはそう言って、視線を刺繍からシンシアの顔に移した。サラサラの黒髪が揺れる。

 シンシアははずかしくなって首をすくめるように下を向いた。

「……王者の風格、富貴、高貴」

 レクラスの言葉にシンシアは顔あげると、レクラスの視線は刺繍の方に移っていた。

「壮麗…」

 そこまで言うと、レクラスは何かを思い出そうとするかのように、言葉を一旦止めた。

「思いやり」

 レクラスが花言葉を言っていると気がついたシンシアは小さく囁くくらいの声で言った。

「人見知り」

 レクラスはそう言うと、再びシンシアに視線を戻した。その瞳の奥に企んでるかのような少し悪戯っぽい光を見つけたシンシアは、ふとレイラの顔を思い出し、思わずクスッと笑った。

「まさに、姉上の花ですね」

 レクラスはニヤリとすると立ち上がり、

「姉上はきっとお喜びになるでしょう」

 そう言い残し、木立の向こうへ消えて行った。

 シンシアはレクラスの後ろ姿をいつまで眺めていた。

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