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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
レイラ
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決別

 マティアスの声が静かな室内に響いている。

レイラはその声を屏風の影でじっと聞いていた。


 屏風の向こうにはマティアスとヴィルフリートがいる。

ときおり、ヴィルフリートの息づかいが聞こえ、レイラはそのたびに、握った左手を胸におしつけ、右手で嗚咽を漏らしそうになる口をギュッとおさえる。


 ヴィルフリートに事情を説明するにあたって、マティアスはレイラに一部始終を見るように命じた。


 本来ならば、レイラ自身がヴィルフリートに話をしなければならない。

レイラにはそのことがよくわかっていた。

しかし、どうしてもヴィルフリートに直に接することができなかった。


 顔をあわせてしまえば、きっと耐えられない。

 あの晩、ヴィルフリートにきつく抱きしめられたとき、レイラは身体の力が抜けてしまいそうになった。

ヴィルフリートの腕は、あの一見華奢にもみえる外見からは想像もできないくらいがっしりとして力強く、小柄なレイラは抵抗する間もなく、あっという間に包みこまれてしまのだ。

その逞しい腕の中は心地よく、ヴィルフリートの吐息が耳元にかかり、レイラの身体を熱くさせた。

情熱にかすれた声で囁かれ、レイラはめまいを起こしそうになった。

 このまま身をゆだねてしまいたい。

レイラは挫けてしまいそうになる心をなんとか奮い立たせた。


 あの時は、なんとか甘い誘惑を振り切ることができた。

しかし、あの甘美な瞬間は、レイラにしっかりと刻まれている。

あの心地よい一瞬は、忘れようとすればするほど、レイラの心に甘い疼きとともに蘇ってくるのだ。

笛の音を聞く度に、琴を奏でる度にヴィルフリートを思い出し、そのたびにレイラの心は散々に乱れた。


 ヴィルフリートの訪問を知ったとき、レイラは息が止まりそうになった。

キュッとしめつけられる胸の奥に、甘い疼きがわいてくるのを感じた。


 今度こそ、耐えられない。

今度こそ、ヴィルフリートの逞しい腕にとらえられてしまう。

レイラの心は期待と恐怖の二つの感情に引き裂かれ、動くことができなくなってしまった。


 マティアスの説明が終わると、室内は静寂に包まれた。

ときおり、窓の外から小鳥の鳴き声がきこえる。

木々が緑に萌えるよい季節だった。

うららなか屋外とは対照的に、室内は張りつめた空気が漂っている。

マティアスはヴィルフリートの返答をじっと待っているようだった。

レイラも待っていた。

しかし、待っていながらも、その返事を聞くのが怖ろしかった。


 たとえどのような返答でも、レイラの心は決まっている。

ヴィルフリートがどんなに拒否しても、結果はかわらないのだ。

 すっぱり諦めてほしい。

そう思いながらも、どこか諦めてほしくないと思ってしまう。

そんな自分勝手な感情に気がついたレイラは、その感情を振り払おうと頭を振った。

そして、大きく息を吸い、目を瞑ってヴィルフリートの返答を待つ。


静寂が続いていた。

張りつめた空気の中、茶器のこすれる高い音がした。

続いて、ズズズズっと品のない音が響く。

どうやらマティアスが茶を飲んだようだった。

モグモグと緊張感のない、菓子を咀嚼する音が聞こえてくる。


 マティアスは他人の前ではきれいな食べ方をするのだが、家族と過ごすプライベートな場では、上品とは言い難い音を出して食べる癖があった。

人によっては不快に思うような音だが、レイラはその音が嫌いではなかった。

音を出して食べている時は、マティアスがリラックスしているという証拠でもあり、家族しか知らないマティアスの姿なのだ。


 マティアスが、家族以外の者の前で、しかも王族であるヴィルフリートの前でこのようなマナーに反する食べ方をするのは奇妙だ。


 いったい何の意図があるのだろうか。

 レイラは父の不可解な行動に首を傾げながらも、規則正しく響く咀嚼音を聞いていた。


 なぜか突然、胸の奥底から一気に感情が噴き上がってきた。

 この時間が終われば、もう二度とヴィルフリートに逢うことも、その姿を見ることも、あの心震わす笛の音も聞くことができない。

切なくて、胸が締め付けられるように苦しい。

レイラは屏風に手をつき、肩をかすかに揺らしながら、気づかれないように、浅い呼吸を繰り返した。


「わかりました」

 長い沈黙を破るように、ヴィルフリート声がレイラの耳に飛び込んできた。

その声は力がなく、吐息のようだった。

 レイラは溢れそうな涙を抑えるように、きつく目を閉じる。


 誰かが立ち上がる気配がした。

かすかな足音が近づいてきて、すぐ前で止まった。

屏風を隔てたすぐ向こうにヴィルフリートの気配がする。

 レイラは息を止め、屏風に触れた手に力を込める。


「レイラ姫」

 屏風の向こうから、ヴィルフリートの絞り出すようなの声が聞こえてきた。

 レイラは身体を固く震わせた。


「どうかお元気で。姫の夢が叶いますよう、私も祈りましょう。名も無き神、そして、夜の女神に」

 それだけ言うと、ヴィルフリートは向きを変え、静かに部屋から出て行った。


 レイラはしばらくの間動くことができなかった。

ハッとして立ち上がり、屏風の陰から飛び出す。

扉の前いるマティアスと目が合うった。

マティアスは何かを示唆するかのように、ゆっくりと視線を動かした。

レイラもつられてそちらの方をみる。

そこには窓があった。

慌てて窓に駆け寄ったレイラの目に、馬に乗って遠ざかっていくヴィルフリートの姿が映った。

とっさに窓を開け、身を乗り出すようにして、その後ろ姿を追う。


 もしかしたら振り向いてくれるかもしれない。

もう一度だけ……。

ヴィルフリートの名を口にしかけたが、ハッとして抑える。


 もう、終わったのだ。

これが望んだ結果なのだ。


 レイラは立っていることができずに、膝をつき、流れる涙をそのままに、ヴィルフリートの後ろ姿を見えなくなってもじっと見つめていた。


不意に肩をポンと叩かれた。

振り向かずとも、レイラにはそれが誰だかわかっていた。

抑えていた感情がどっと溢れ出す。

レイラはマティアスの腰にすがり、大きな声で泣き続けた。

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