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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
レイラ
33/64

薄暗い部屋

 マティアスはレイラの部屋の扉を静かにノックした。

しかし、返ってきたのは沈黙だった。


 後ろ控えているレクラスがゴクリと唾をのみこむ音が、不自然なくらい大きく響く。

 扉の隙間からは、レイラの大きな魔力が流れ出していた。

室内にレイラがいるのは明らかだ。

この異様な静けさはレイラの魔力の負の気配によるものなのだ。


 マティアスは大きく息をつくと、再びノックした。

「レイラ。話があります」

「わたくしは、ありません」

 固く甲高い声が、扉の向こうから飛んできた。


「レイラ。そのように頑なになるのは、あまり誉められたことではありませんよ」

「誉めていただかなくて結構です」

 本人は冷静に言っているつもりのようだが、いつもよりも高くましたてるような口調は、まるで駄々をこねる幼子のようだ。

 マティアスは、思わず噴き出してしまいそうになるのを必死でこらえ、切り替えるために少々わざとらしく、深く息を吐いた。


「まるで、子供のようなことを……。あなたは立派な大人なのですから、いつまでもそうやって、気に入らないことから目を背けるのは止めなさい。会いたくないのなら、先方にその理由をきちんと伝えるべきです」

「そんなこと、わかってますわ」

 レイラの予想外の返答に、マティアスは「おや」っと目を見開いた。


「それなら、なぜそうしないのです?」

 そう問うたが、いくら待ってもレイラからの返答はなかった。


「レイラ、入りますよ」

 マティアスは深く息を吸ってから力をためた手をドアノブかけたが、扉は難なくスッと開いた。

驚いて動きを止めたマティアスだったが、すぐにレクラスに外で待っているようにと目で指示をし、室内に入ると扉を閉めた。


 カーテンの閉められた室内は、昼間だというのに薄暗く、不自然ほど静まり返っていた。

 マティアスは大股で窓際に向かうと、カーテンを勢いよく開けて振り向いた。

室内を見渡すと、ベッドに頭を伏せるようにして床に座り込んでいるレイラの姿がみえた。

目を凝らしてみると、大きく広がった艶やかな黒髪が微かに揺れている。


「レイラ、泣いているのですか?」

マティアスはレイラのそばに移動すると、その肩に手をおき、顔を覗きこむように膝をついた。


「お会いしてはいけないのです。お会いしたら、わたくしは……」

 か細いすすり泣きが、部屋の空気を震わせる。


「レイラ、何があったのですか?」

 マティアスはレイラの肩を優しく抱きながら、おだやかにうながした。


「はじめてお会いしたのは秋の日。ニロレスト山の湖で……」

 レイラは、小さな声でぽつりぽつりと語りはじめた。


「次にお会いしたのは、依頼主のお館。娘御になりすまして三弦を……。その後も、幾度か……。娘御がヴィルフリート様に見初められるようにとのご依頼でございました」

 ゆっくりと顔を上げたレイラの瞳は濡れていた。


「あの方の笛は素晴らしくて。共に演奏をしていると……」

 思い出すかのように、胸に手をあてて、うっとりと瞳を閉じる。

 マティアスは、レイラの目尻に光る涙を、じっとみつめていた。


 美しい、と思った。

とっくの昔に、大人になったとは認識していたが、いま目の前で涙を浮かべているレイラは、マティアスの想像を遥かにこえていた。

マティアスにとって、レイラは自分の愛娘であり、成人した後もマティアスのテリトリーの中にいる、そう考えていた。

しかし、今、目の前にいる女性はマティアスの可愛いレイラではなかった。

マティアスの知らない、恋に涙する美しく艶やかな、ひとりの女性だった。


「いつしか、あの方と協演するのがわたくしの楽しみになりました」

 レイラは目を開けると、長いまつげを揺らしながらゆっくりと視線を床に落とす。

小首をかしげるようなその仕草には、なんともいえない色香が漂い、マティアスはそれに驚き、しかし、心の動揺を悟られないように、レイラの言葉にじっと耳を傾けた。


「わたくしは娘御の影武者。それは重々承知しておりました。それに、わたくしのような醜女しこめが、あの方のお気に入ろうはずもなく。それでも、共に演奏をしている間だけは、あの方はわたくしのもの」

 レイラは言葉を切り、唇を震わせた。


「あの嵐の晩。あの方の訪れはないと思い、それでもあの方が恋しゅうて。雷雨の音にかき消されるのをよいことに、ひっそりと、あの方を想いながら箏を奏でておりました」

 指先をぎゅっと握る。


「油断しておりました。あんな嵐の中、あの方が館にいらしていたなんて、そんなこと露とも知らずに……」

 声を抑えるかのように、レイラは大きく息を吸う。

 マティアスは思わず身を乗り出した。


「知られてしまったのです。わたくしはすぐにその場を立ち去ろうとしました。でも、あの方に……」

 レイラは目を大きく開いて、マティアスの顔を凝視する。

マティアスはレイラの瞳から目が離せず、息をのんだ。


「あの方は、わたくしの顔を見ても……。それどころか、わたくしの瞳を美しいとおっしゃって下さいました」

 レイラは大粒の涙を流しながら、苦しそうに口元をおさえ、肩を大きく震わせた。


「レイラ、それならば」

 マティアスの言葉に、レイラは首を左右に激しく振る。


「いいえ。お父さま。わたくしは嫁ぐわけにはまいりません。嫁いでしまったら、あの方と結ばれてしまったら、わたくしは」

 レイラは苦しげに顔を歪め、目を閉じてあえぐように息を吸う。


「孤独ではなくなってしまいます」

 小さいが力強いレイラの声が室内に響く。

マティアスは、脳天を殴られたような衝撃に襲われた。


「レイラ……」

 肩を抱くマティアスの手をふりほどくかのように、レイラはすくっと立ち上がった。


「わたくしは、いにしえの夜の女神の元に行きとうございます」

 天井を見上げる。


「わたくしのほっするのは、夜の女神、ただお一人」

 キッパリと言い放つ。

その声にはためらいは一切含まれていないように聞こえた。


「レイラ、あなたは……」

 マティアスはつられるように立ち上がり、レイラの背中を呆然と見つめた。


「女神に会うためならば、どんなことでも厭いませぬ」

 レイラは振り向くと、真剣な眼差しでにっこりと笑った。

その表情に、マティアスは自分の犯した罪の大きさを目の前につきつけられた気がした。


「あの時、あなたに渡すべきではなかった」

 マティアスは苦しく息を吐き出した。


 レイラが変化術を完成させたあの日、マティアスは一冊のノートを渡した。

マティアスが長年に渡って調べ上げた『夜の女神』と『夢幻の湖』について記した、研究ノートだ。

マティアスは、あの時、見事にラセリアに変身したレイラを見て、レイラならば『夢幻の湖』にたどり着けると直感した。

『夜の女神』が眠ると伝わる『夢幻の湖』。

マティアスが長年に渡り、探し続けた場所。

そこは、『夜の女神』を信仰するザルリディア一族にとって、もっとも重要で神聖な場所なのだ。

ザルリディア本家の長子、そして女性であるレイラ。

幼い頃から『夢幻の湖』に何度も訪れたことことがあり、ラセリアも不思議な力に包まれているレイラを慌てて揺り起こしたことがあると言っていた。

 レイラは一族の中で『夜の女神』にもっとも近いのではないだろうか。

であるならば、研究ノートを継ぐものはレイラなのだ。

そう考えたからこそ、マティアスはレイラにあの研究ノートを渡した。

今、その推測は確信に変わった。

レイラこそ、ザルリディア一族が『山の民』と呼ばれるより前のいにしえに存在した『夜の巫女』なのだ。


 マティアスの推測と判断は正しかったのだ。

ただし、『夜の巫女』としてのレイラにとってはだ。

 『夜の女神』は今もなお、孤独の中に在る。

レイラの言うとおり、『夜の女神』の眠る『夢幻の湖』にたどり着くためには孤独は必要不可欠だ。

事実、過去に『夢幻の湖』の夢を何度かみたマティアスもラセリアも孤独を抜け出した後は、その夢をみなくなってしまった。

 『夜の女神』を求めることは、孤独を求めること。

それは生涯孤独であるということ。

誰とも結ばれてはならない。

女としての幸せを捨てなければ成し得ないことだ。

 マティアスは研究ノートを渡すことにより、レイラの女としての幸せを奪ってしまったのだ。


「いいえ、お父さま、それは違います」

 レイラはマティアスの顔から視線を落とすと、大きくゆっくりと首を横にふった。


「あのノートがなかったとしても、わたくしは女神を探し続けていたはずです。わたくしは、『夢幻の湖』に行った時から、もうその虜なのです」

「レイラ。私はあなたに幸せになってほしい。孤独でいてほしくはありません」

 マティアスはレイラの青白い華奢な手を握った。

その手はゾクリとするほど冷たい。


「お父さま……。孤独こそがわたくしの幸せなのです」

 レイラの涙ににじむ瞳が、うっとりと熱を帯びるように輝きだす。

マティアスはしばらくの間言葉を失い、レイラの瞳に魅入っていた。


 レイラの瞳には揺るぎない光が宿っていた。

マティアスはその瞳に亡き妻、ラセリアを重ね合わせた。

今、目の前にある瞳は、ラセリアが大きな決断をくだしたときと同じ瞳だ。

その決断をする事によって起こりうる全てを受けとめる覚悟を伴った瞳。


「レイラ。あなたという方は……」

 マティアスは大きく息を吐き出した。


「後悔はしませんね?」

 答えはわかっていたが、確認せずにはいられなかった。


「わかりません」

 レイラは何かを思案するように視線を落とした。


「いつか後悔する時が来るやもしれません。でも、今、あの方に嫁いだら、その瞬間から後悔することだけは分かっております」

 そう言うと、再び顔を上げてマティアスをじっと見つめた。

 もはや、レイラの決意を覆すことは誰にもできない。

そう悟ったマティアスだったが、それでも諦めきれなかった。


「レイラ……」

 マティアスはレイラの頬に手を当てると、その顔をじっと見つめた。

月に照らされ、水面のようにゆらゆらと輝くレイラの瞳の奥を探る。


 見つけたかった。

マティアスは、レイラを辛い孤独の道からひき返させる何かを見つけたかったのだ。

たとえ手遅れだとわかっていても。


「お父さま。ごめんなさい。わたくしはどうしても女神に……。もし、今生こんじょうで探し出すことができなくても、それでも探し続けたい。いつか後悔しても、それでも、今はどうしてもこの道を選びたいのです」

 レイラの目から涙が溢れ出し、マティアスの手を濡らす。

マティアスはレイラから手を離すとゆっくりと目を閉じた。


 あえて厳しい道を選ぶレイラが悲しくもあり、羨ましくもあった。

 レイラは見つけたのだ。

追い求める価値のあるモノを。

人生を懸けても惜しくないモノに巡りあえたレイラは、見方を変えれば幸せなのかもしれなかった。

他のすべてを犠牲にしても自分の追い求めるものを探求し続ける人生。

それは、かつてマティアスが望んだ人生でもあった。

マティアスはレイラの中に自分自身の姿を見つけてしまった。

レイラは紛れもなくマティアスの娘だった。

そして、レイラは今、まさに自分の足で歩き出そうとしているのだ。

それを邪魔をすることはできない。

むしろ、マティアスはレイラの背中を押してやらなければならないのだ。


「わかりました。そこまでの覚悟があるのなら、ヴィルフリート殿には、私からお話をいたしましょう」

 そう言ってから、マティアスはフッと自嘲した。


 甘いな、と思った。

本来ならば、レイラ自身がヴィルフリートに事情を説明しなければならない。

どんなに心が乱れても、苦しくても、レイラはヴィルフリートにきちんと向き合わなければならない。

後始末は自分でつけなくてはならないのだ。

わかってはいたが、部屋に閉じこもるほど追いつめられているレイラを、そこまで突き放すことは、マティアスにはどうしてもできなかった。


「お父さま、ごめんなさい」

 レイラは震える声で深々と頭を下げた。

マティアスはそんなレイラの肩をポンと叩いた。


「レイラ。私はあなたが必ずや女神の元にたどり着けると信じていますよ」

 ゆっくりと顔を上げたレイラに、マティアスは優しく微笑みかけた。

甘やかすのはこれで最後だと自分自身に言い聞かせながら。

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