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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
レイラ
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不意の来訪者

 「父上」

 資料に没頭していたマティアスは視線をあげた。

額に汗を浮かべ、肩で息をしているレクラスが、目の前に立っていた。


「ご当主。いかがなさいました?」

 心の中で軽く舌打ちをしたマティアスだったが、かわいい我が子のただならぬ様子に驚きながら、素知らぬふりを装って、いつも通りの静かな口調で質問した。


「姉上に縁談が……」

 震える手に握りしめられた書状を受け取ったマティアスは、すぐさまそれに目を通す。

 そこにはクーラヴェルハイム公ヴィルフリート(みずか)らの見事な筆跡で、レイラを正妃として迎えたいと綴られていた。


「これは、我が一族にとっても、願ってもない……」

 今でこそヒュウゲンリッヒバリュア家が王家となっているが、本来ならばクーラヴェルハイム家こそが嫡流の家柄だ。

ザルリディア本家の大姫であるレイラにとって、家柄としては過不足なかったし、この縁組みが成立すれば、ザルリディア一族の王国での存在感を増すこができる。


「ですが、姉上は頑としてお聞き入れにならないのです」

 マティアスは視線を上げ、レクラスの顔をまじまじと見つめた。


 親の贔屓目を抜いても、レイラは非常に賢い娘だ。

この縁組が、我がザルリディア一族にとってどれほど有益になるかなど、即座に悟るだろう。

幼い頃から本家の娘として厳しく育てられたレイラにとって、この縁談は喜びこそすれ、断る理由など無いはずなのだ。

確かに、レイラは容姿に対する大きなコンプレックスを持っている。

しかし、一族の利益の前には、そのような個人的な事情はとるに足りないことだ。

一族を背負う者は、己の都合や幸せよりも一族の繁栄を優先させなければならない。

それが本家に生まれた者の宿命なのだ。

もちろん、マティアスも、亡くなった妻・ラセリアも、子供たちに幸せになってほしいと願ってはいる。

だが、時として非情にならなければならない。

レイラはそのことは十分に理解している娘なはずであった。


「しびれを切らした先方が、先ほど我が館へ……」

「先方が?」

 レクラスは眉間にしわを寄せ、ため息まじりに続けた。


「ヴィルフリート殿が、姉上と直接話がしたいと仰せられて」

「クーラヴェルハイム公ご自身が、ですか?」

 マティアスは思わず聞き返す。

レクラスは困りはてた顔で首を縦に動かした。


 貴族の縁組みにおいて、当の本人がやってくることはそうそうない。

しかも、王族であるクーラヴェルハイム公ヴィルフリートが、準貴族扱いのザルリディア本家にみずから乗りこんでくるとは前代未聞といっても過言ではない。


「レイラは?」

「姉上は『お会いする筋合いはない』と部屋に立てこもってしまわれまして……」


 ますますせなかった。

書状の内容もそうだが、自ら求婚に訪れるほど、ヴィルフリートは熱心にレイラを正妃にと望んでくれているのだ。


 レイラは頑固で意地っ張りなところもあったが、モノの道理を押しのけてまで()を張り通すほど愚かな娘ではないはずだ。

 容姿に対するコンプレックスがレイラの心を固く閉ざすほど激しいものなのだろうか。

いや、違う。

確かに以前のレイラならば、有りうることではあった。

しかし、今のレイラは大きく成長した。

幻術を完成させ、さらにその先の幻惑術ですらそう遠くない日に完成させるであろう境地に達している。

姿を変えることなど朝飯前だ。

今のレイラにとって、容姿の醜さなどは、もはや問題にすらならないはずだ。

その魔力は母であるラセリアを超え、技術は父親であるマティアスも舌を巻くほどなのだ。

 それに、父親の贔屓目かもしれなが、レイラは顔の造作こそは少しばかり他人に劣るが、そのしなやかな身体つきや優雅な所作、そして鈴を転がすような声は、他の娘たちに決して引けを取らない美しさをもっている。

特にレイラの意志の強い、知性を帯びた瞳は、黒水晶のように輝いていて、マティアスですら、ときどき吸い込まれてしまいそうになる。

レイラはマティアスにとって自慢の娘であった。

レイラはどこに出しても恥ずかしくない娘なのだ。


 ヴィルフリートが気に入らないのだろうか。

それも考えにくい。

ヴィルフリートは目の醒めるような美男子だ。

確かに、ヴィルフリートは風流人として政治には全く興味を示さずに遊び歩いている。

しかし、ただの腑抜けの道楽者ではない。

いつぞやの園遊会で、ふとした拍子にヴィルフリート漏らした一言は、深い洞察力がなければ出てきようはずもない、機知に富んだ一言だった。

 ヴィルフリートは知性、家柄、容姿と、全てが揃った貴公子なのだ。

これほどレイラのプライドを満たすような相手は、まずいない。

 その上、ヴィルフリートは、結婚した後もレイラの好きな道を思う存分続けることができるようにと、魔術専用の館まで用意するとまでいってきているのだ。

 大きな理由もなく、このような好条件を頑なに拒むようなレイラではないはずだった。


「レクラス。ザルリディアの当主はあなたですよ? 姉一人従わせることもできないのですか?」

 マティアスは、レクラスが成人すると同時に一族の運営から退き、全てをレクラスとレイラにゆだねた。

あれから数年が経過している。

まだ年若いとはいえ、レクラスは立派に当主としての任をはたしているはずだった。


「当主として、対面するよう命じたのですが、『たとえ追放されても会いたくない』とおっしゃられて……」

 今、目の前にいるレクラスは、いつもの小憎らしいほど落ち着き払った淡々とした様子は微塵もなく、自信なさげに下げた視線をきょろきょろと動かしている。


「その旨をヴィルフリート殿にお伝えしたのですが、ヴィルフリート殿も、姉上とお会いするまでは帰らないと……」

 声はだんだんと弱々しくなっていった。


「無理矢理追い帰すわけにもいかず、かといって、姉上を強引に引きずり出そうとすれば、甚大な被害が……」

 うつむいてもごもごと口を動かしながら、せわしなげに右腕をさする。


「私は姉上には(かな)いません」

 レクラスは今にも泣き出しそうな声で言った。

 まるで幼子のようなその様子に、マティアスはレクラスの姿をもう一度まじまじと観察した。

汗で濡れた髪が額に張りつき、チュニックの一部が焦げている。

よく見れば、右手の甲に血がにじんでいた。

マティアスは立ち上がり、レクラスの右腕をとると、袖をまくり上げた。

甚大な被害が出る前に、レクラスが被害をこうむったであろうことは明らかだった。


「レイラには私も敵いません……」

 マティアスは深いため息をついた。


「わかりました。レイラと話をしてみましょう」

「よろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げるレクラスの傷を確認しながら、マティアスは再び大きなため息をついた。

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