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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
レイラ
31/64

夕立

 ドーン

 

 近くに落ちたのだろうか。

 衝撃をともなうような大きな雷鳴がした。

 先ほどまで、抜けるような青空だったのが嘘のように、辺りは暗くなっていた。

 生暖かい風が湿気をはらんだ空気を運んでくる。空からぽつぽつと大きな雨粒が落ちてきた。

 雨粒はあっという間に数を増し、みるみる滝のような雨となった。


 この天候ではヴィルフリートの訪問はないだろう。

 レイラは切ない吐息を漏らした。


 数ヶ月前、レイラはハーゲンという成金の依頼を受けた。

 その内容は、ハーゲンの娘であるリディアを、ある高貴な身分の男に見初められるように画策してほしい、というものだった。

 普段、レイラの元には依頼がほとんど来ない。

 魔術の世界で頂点に君臨するザルリディア本家の長子で、「霧の魔女」と恐れられているレイラに、仕事を依頼するような命知らずはほとんどいないからだ。

 が、ハーゲンは違った。

 ハーゲンは目的のためならば、多少の身の危険は厭わない、気骨のある男だった。

 ハーゲンはターゲットの男が、近頃音曲に入れ上げているという噂をききつけ、これまたどこで情報を仕入れたのか、魔術だけでなく優れた楽器の奏者でもあるレイラに仕事を依頼してきたのだ。

 いつものレイラなら、仕事の依頼など一笑に付して断るのだが、その一風変わった依頼内容に興味を覚え、またハーゲンの度胸も気に入り、この仕事を請け負うことにした。


 レイラは自分の容姿にコンプレックスを持っている。

 まだレイラが少女といっていい多感な年頃のころ、陰で男たちに「ザルリディアの豚姫」と呼ばれていることを知った。レイラはその出来事以来、極度の男性嫌いになっていた。

 そんなレイラにとって、この度の依頼内容は非常に興味をひくものだった。

 醜女しこめであるレイラが、容姿端麗な身分のある男を陥落させる。

 これほど愉快なことはない。

 この依頼は、レイラにとっては、自分の容姿をバカにしている男たちへの意趣返しのようなものになるはずだった。


 ターゲットであるヴィルフリートが、狩りの休息にハーゲンの屋敷を訪れた日、レイラはリディアになりすまして三弦を弾いていた。

 その日はヴィルフリートの心にリディアを印象づけるのが目的だった。


 あまりに乗り気で技巧を凝らした演奏はみえすいてきてイヤラシイ。

 そう考えたレイラは、なんとはなしに、適当な曲を弾いていた。

 と、突然笛の音が響いてきた。

 驚いたレイラは手を止めた。

 レイラはその笛の音色に聞き覚えがあった。


 紅葉に染まったニロレスト山の湖で出会った笛の音。あの時の協奏は、レイラにとって忘れられない、美しい思い出となっていた。


 レイラは笛の音に誘われるように演奏を再開した。三弦を弾きながら、あの秋の笛だど確信した。


 それ以来、レイラは秘かにヴィルフリートとの協奏を楽しむようになっていた。ヴィルフリートがリディアの元を訪れるのを、心待ちにするようになっていた。

 そう、ヴィルフリートを陥落させるはずが、いつの間にかレイラの方が恋に落ちてしまっていたのだ。

 だが、レイラには分かっていた。

 レイラの醜い容姿を、見目麗しい名うてのプレイボーイのヴィルフリートが気に入るはずはない。

 心躍るような協奏は、リディアにヴィルフリートの手がつくまでの、つかの間の戯れにすぎない。


 雷鳴が轟く。

 レイラはハッと我に返った。


 ヴィルフリートの訪問が無いと決まった今、ここに長居は無用だ。ハーゲンに断って、早々に帰宅しよう。

 レイラは立ち上がりかけて、ふと視線を落とした。

 レイラの視界に箏が映った。


 なにも慌てて帰らなければならないというわけでもない。

 そうだ。一曲弾いて、この鬱々とした気分を変えよう。


 レイラは箏の前に座ると、琴爪を指にはめた。大きく深呼吸をし、目を閉じて心を静める。再びゆっくりと目を開けると、おもむろに弦をはじきはじめた。

 琴を奏でながら、いつしかレイラの心は、あの秋の湖にいた。

 

 空は見事に晴れ上がり、静な湖面には、美しく紅葉した木々が映り込んでいる。ときおり、颯々(さっさつ)とした金風(きんぷう)が湖面を揺らす。

 聞こえてくるのは、木々のざわめき、流れる水音、鳥の声。いや、あれは笛の音か……。

 いつしか、レイラには現実の激しい雷雨の音は聞こえなくなっていた。

 レイラは口元にやわらかな微笑をたたえ、一心不乱に演奏していた。


 ふいに人の気配がした。

 レイラは反射的にそちらに目をやる。


 居るはずのないヴィルフリートと目が合った。

 レイラは驚き、慌てて右袖で顔を隠しながら、立ち上がった。


「お待ちください」

 立ち去ろうとしたレイラの左腕を、ヴィルフリートが掴んだ。

「その手をお離しくださいまし」

 レイラはヴィルフリートの視線から逃れようと、袖で顔を隠したまま、背けるように身体全体をひねった。

 

「貴女だったのですね。ずっとリディア殿の代わりに奏でておられたのは……」

「何のお話をなされていらっしゃるのか、わたくしめには検討がつきませぬ」

 レイラは顔を隠したまま、首を左右に振った。

 ヴィルフリートはレイラの左手を引き寄せる。

「この糸道。リディア殿は長く美しい爪をしております。およそ(がく)を奏でる者の爪ではない」

「うっ」

 レイラは言葉に詰まった。

「あの琴も三絃も、全てこのお小さくて華奢(きゃしゃ)な手で……」

 ヴィルフリートが優しくレイラの左手を握る。

 レイラは力が抜けそうになる自分自身を叱咤し、右袖で顔を隠したままヴィルフリートに向きなおると、愚弄するかのように「ほほほほほ」とたからかに嗤った。

 

「おっしゃる通り。わたくしめは、この屋のあるじ・ハーゲン様から、音曲がお好きなあなた様をとりこにするよう依頼を受け、リディア様の影武者をつとめおりました。あなた様は、まんまと引っかかったのでございます」

「覚えておられますか? あの黄金色こがねいろに霞む秋の日のことを。私はあなたの音色に誘われて……。あぁ、こうして目を閉じれば、昨日のことのように思い出されます。柔らかく艶やかな琴の音。たおやかな佇まい。あなたと協奏したあの胸ふるわせる至福のひと時……」

 ヴィルフリートは愛おしむかのようにレイラの左手に頬を寄せる。

「まさかあの時の(おと)をもう一度聞くことができるとは思ってもみませんでした。私がこの屋敷に通い続けたのは、リディア殿に会うためではない。貴女にもう一度お逢いしたかった。貴女の奏でる、その楽の()を聞きたかった……」

「左様でございましたか。ですが、他の方々はそうは思っておられませぬ。最早もはや、あなた様におかれましては、リディア様をめとるほか、道はございませぬ」

 レイラはせせら笑うように冷たい声を出した。

 

「いえ。まだ手立てはあります。貴女をさらってしまえばいい」

「わたくしめをさろうて、いかがなさるおつもりです?」

「妻にします」

「ほほほほほ。おたわむれを」

「戯れではありません。私は本気です。今すぐに、貴女を誰も来ないところへ連れ去るつもりです」

わらわを連れ去るだと? そなた、妾の何を知っておる? 妾の面体めんていを知りおるか? 妾はな、そなたが想い描くような麗しき女子おなごではないぞえ? 妾は醜女。その両のまなこを見開いて、妾の顔をしっかとみるがよい」

 レイラはヴィルフリートの手を振りほどくと、右手をゆっくりおろした。

 袖に隠れていたレイラの顔があらわになる。

 

「あぁ。美しい。なんとたおやかな瞳。思った通り、いや、それ以上に……」

 ヴィルフリートの手がレイラの頬に触れた。

「離しゃ」

 口ではそう言ったが、レイラはヴィルフリートの手をすぐに振り払うことができなかった。

 ヴィルフリートの手がレイラの両頬に添えられる。

「こんなにも強く清らかな輝きをはなつ瞳を、私は知らない……」

 ヴィルフリートはうっとりとレイラの顔を見つめた。

 ヴィルフリートの熱を帯びたまなざしに捉えられ、レイラの心は千々に乱れた。

 

「妾は霧の魔女レイラ。力無きその(ほう)など、瞬時に……」

 レイラは心を励まし、なんとか自分を保とうと試みる。

「あぁ。やはり貴女は、ザルリディアの姫君」

「なっ」

 怯んだレイラをヴィルフリートの腕が捕らえる。

 

「レイラ……。はぁ、なんと可憐なる響き」

 ヴィルフリートの熱い吐息がレイラの耳にかかる。

「離して……」

 レイラは声を震わせた。

「あぁ。こうして貴女を腕に(いだ)くことを、どんなに夢見ていたか。やっと夢が叶いました」

「お願い。離してたも……」

「震えてらっしゃるのですね。可愛らしい。貴女の全てが愛おしい」

 ヴィルフリートはレイラの頭を愛おしむように撫でた。

「愛しいレイラ姫。どうか、私の名を。貴女のその透き通るような美しいお声で、ヴィルフリートと呼んでください」

 ヴィルフリートはレイラの耳元で囁く。

「ヴィルフリートさま」

 レイラは震える声で、小さくそう呼んだ。

「あぁ、レイラ……」

 歓喜にうち震えたヴィルフリートは、腕に力をこめ、レイラをきつく抱きしめた。

 しばらくの間、2人は身じろぎもせず、お互いのぬくもりを感じていた。

 

「許してたも……」

 レイラの口から力ある言葉が紡がれる。

 ヴィルフリートは崩れ落ちた。


 大きな足音とともに障子が開き、慌てた様子のレブアルが飛び込んできた。

「若っ」

 レブアルはレイラの足元に倒れているヴィルフリートに駆けよる。

 

「ただの睡眠術じゃ」

 膝をつき、ヴィルフリートの様子を確認するレブアルを見下ろしながら、レイラは静かにそう言った。

 

「レブアルとやら、ハーゲンに伝えてくりゃれ。妾はこの仕事を降りるとな。さらばじゃ」

 レイラは、顔を上げたレブアルにそう宣言すると、姿を消した。



*******

 

「レイラ……。レイラ姫っ」

 意識を取り戻すや否や、ヴィルフリートはハッと起き上がり、レイラの姿を探すように辺りを見回した。

 

「若」

「レブアル。レイラ姫は」

 ヴィルフリートはすぐ傍に控えていたレブアルに問いかけた。

「お帰りになられました」

「なぜお止めしなかったのだ」

 静かに答えたレブアルの肩を掴み、ヴィルフリートは強い口調で咎めた。

「若」

 レブアルは制止するかのようにヴィルフリートの目をじっと見つめ、静かに首を横に振った。

 ヴィルフリートはレブアルから手を離した。

「レブアル、全て話せ。包み隠さず、何もかも全てだ。私は姫の全てを知りたい」

かしこまりました。何もかもお話しいたします。霧の魔女レイラ――ザルリディアの鬼姫と呼ばれるお方について、私の知りうる限りのことを……」

 レブアルは静かに語り出した。

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