奥の間
ルーベンは、ダルベルトに促され、部屋の中へと入った。
広々とした室内の床や壁一面には、呪術的な文様が刻まれ、12基の篝火が円を描くように配置されている。
中央に、黒髪を高々と結い上げた女性――ラセリアが背を向けて立っていた。
その腕にかけた領巾が、風もないのにゆらゆらとたなびいていた。
ルーベンが跪いて頭を垂れると、ラセリアはゆっくりと振り向く。
簪の飾りが揺れ、チリチリと澄んだ音をたてた。
「ルーベン殿。その方、いつからザルリディアの当主となったのじゃ?」
ラセリアが感情の消えた冷たい瞳でルーベンを見下ろした。
「一体何のことを仰せなのか、わたくしめには、全く分かりかねまする」
ルーベンは顔をあげると、不思議そうに首をかしげる。
少し長めの柔らかい栗毛の髪が、ふわりと揺れた。
「隠さずともよい」
ラセリアは艶やかな笑みを浮かべた口元を翳で隠し、さも楽しそうな声で続けた。
「ザルリディアの次期当主は、あの魔女の産んだ子じゃそうだのぅ」
ルーベンは表情を変えなかったが、その瞳孔が一瞬だけ開いた。
ラセリアはそれを見逃さなかった。
「ザルリディアの長は妾じゃ。妾の後継者は、族長である妾が決める。部外者は黙っておれ」
キッっと目元に険を浮かべ、聞く耳持たぬという風情で向きを変えた。
「部外者? わたくしはザルリディアの一員。そしてあなた様の最も忠実なしもべにして、伴侶」
ルーベンは眉をあげ、形の良い薄い唇をゆがめて笑みを創る。
「伴侶とな?」
ラセリアはルーベンを一瞥すると、愉快そうに目を細め、翳を口元にあてると「ホホホホ」と高らかに嗤った。
「一族のなかで、少々魔力が高いから妾の婿に選ばれただけのこと。云わば、そちは種馬じゃ。種馬の分際で族長である妾に意見するなど、もってのほかじゃ」
「それはあんまりな仰せ」
ルーベンは、相変らず口元に不自然な笑みを浮かべながら、軽くなじった。
「悔しいか? 悔しかったら、妾をねじ伏せてみよ。本来、我がザルリディア部族の族長は、最も魔力が高い者がなる習わし。良い機会じゃ。どちらが族長に相応しいか、この場で決着をつけようぞ」
凄みのある声色で、ラセリアは翳をルーベンに向かって突き出した。
「お戯れを」
ルーベンは軽く顔をそむけ、忍び笑いを洩らす。
ラセリアはその様子を冷えた瞳でみていた。
「戯れ? 妾は戯れなど申さぬ。さっさとかかって参れ」
「ご当主様にそのような……」
ルーベンはニヤニヤ笑いながら、ゆっくりと首を横に振る。
「臆したか?」
ラセリアは凍てつく瞳で、ルーベンをじっと見据える。
「臆すも何も、わたくしめは、あなた様の忠実なしもべでございます。ザルリディアの次期当主のことなど、一度も口にしたことなどございません。全く身に覚えの無きことで、かようなご仕打ち。聡明であらさられる、ご当主様とは思えぬご所業でございます」
ルーベンはわざとらしく悲しそうに眉を寄せた。
「そちゃ、妾が間違うておると申すのか?」
ラセリアが片眉をあげた。
「いえいえ、ご当主様に間違いなどとは、滅相もございません。恐らくは、わたくし達の仲を引き裂こうとする者の讒言にございましょう」
ルーベンはおおげさな困り顔をして見せる。
「左様か」
ラセリアは冷たい表情のまま、ルーベンの瞳をじっと見つめる。
「全くもって」
ルーベンもラセリアの目をじっと見返して、大きく頷いた。
「ならば身の証をたててみよ。妾には所望の品がある」
相変らず冷たい表情のラセリアに、ルーベンは恭しく礼をする。
「なんなりと、仰せのままに」
「アリーシャという女子と、その子供の首、今すぐこの場へ持参いたせ」
ラセリアの、氷のような声が響いた。
「何ですと?」
ルーベンは目を見開いた。
「できぬのか?」
「女の首だけならばまだしも、何の罪もない幼子の首をとは……」
「それがどうした」
感情の消えたラセリアの声が、ルーベンの言葉を遮った。
「そこまで私を恨んでおいでなのか」
ルーベンはつぶやくように言うと、視線を落とした。
「ホホホホホホホ」
ラセリアの甲高い笑い声が、あたりに響き渡った。
「ルーベン殿ともあろうお方が、何を血迷うたことを言うておるのじゃ」
笑い声を交えながらラセリアはそう言うと、さも可笑しそうに笑い続けた。
「血迷うておられるのは、ラセリア。貴女の方だ」
ルーベンは低い声で吐き捨てた。
「愚か者!!」
ラセリアは強い声で一喝した。
「そのような狭い料簡で、宮廷魔術師が聞いて厭きれるわ。余計な火種は早いうちに摘んでおかねばならぬ。愚かな後継者争いが、どれほど一族の力を削ぐものなのか、そのような簡単なこともわからぬのか!!」
ルーベンは唇をぐっと噛みしめる。
唇がみるみる白くなっていった。
「もうよいわ」
ラセリアは瞳に侮蔑を浮かべ、ルーベンから顔をそむける。
「ダルベルト」
ダルベルトはラセリアに向かって「はっ」と畏まった。
「その方、今すぐ殺して参れ」
「かしこまりました」
まるで簡単な雑用でも頼まれたかのように、ダルベルトは平然とこたえると、ラセリアに一礼し、くるりと向きを変えた。
「待て」
ルーベン怒気を含んだ静かな低い声に、ダルベルトは足を止める。
「殺させはしない」
右拳をぎゅっと握りながら、ルーベンはダルベルトを睨みつける。
殺気にあふれた魔力がルーベンの身体から立ち昇った。
「やっとその気になったか」
ラセリアは楽しむように目を細めた。
「ラセリア。お前を族長の座から引きずりおろしてやる」
ルーベンはラセリアを怒りに満ちた鋭い瞳で睨め付けた。
「それは楽しみじゃ」
ラセリアは艶やかに微笑むと、翳を後方へ放り投げると、大きな袖の中から、瑠璃色の小さな珠をとりだした。
それを両手で包こむと、その濡れるように紅い唇を動かす。
宝珠がカッと光り、ラセリアの指の間から光がこぼれた。
ラセリアがゆっくり両手をひらくと、光り輝く宝珠は宙にうき、みるみる上昇していく。
高い天井に登りつめた宝珠は12基の篝火に向かって光線を放つ。
篝火は、それに呼応するかのように一気に燃え上がり、七色の炎をあげた。
辺りが蜃気楼のように揺れ、篝火や壁、床など、周囲を取り囲んでいたモノが溶けて混じりあっていく。
「挑戦者殿。先手は譲って遣わそう」
何もない二人きりの空間に、ラセリアの声が響いた。