調香師
真夜中にもかかわらず、ヨーディーバードが参上した。
「ヨーディーバード殿。夜分に申し訳ございません」
「いえいえ。いつものことでございますから」
恐縮するレブアルに、ヨーディーバードは人の良さそうな笑みを浮かべた。
「それに、ヴィルフリート様のご依頼はいつもやりがいのある仕事ばかりで、今宵はどのようなご難題が飛び出すかと、楽しみなのですよ」
そう言って片目をつぶったヨーディーバードに、レブアルは軽く頭を下げる。
さすがは王国一とう謳われる調香師のヨーディーバードだ。
ヴィルフリートのわがままを楽しむ境地までいってしまっているらしい。
レブアルには、なんとなくその心境が分かる。
なぜなら、レブアル自身も、ヴィルフリートのわがままは嫌いではないからだ。
確かにヴィルフリートの依頼は突飛だったり、ひねりがあったりするが、けっして無理な依頼ではない。
不可能な依頼は絶対にしない。
工夫をすれば、応えることができるという、ギリギリの線を要求してくる。
そういう依頼は、技術者の心を上手くくすぐるものだ。
しかも、ヴィルフリートは出来栄えをきちんと評価してくれる、良い依頼主でもあった。
レブアルはヨーディーバードをヴィルフリートの待つ部屋へと先導した。
「ヨーディーバード殿をお連れい……」
言い終わらないうちに戸が開き、ヴィルフリートが顔を出した。
「ヨーディーバード、待ちかねたぞ」
レブアルとヨーディーバードは思わず顔を見合わせる。
「ヨーディーバード。これを」
ヴィルフリートはヨーディーバードが部屋に入るや否な、レブアルが屏風の影で拾った、あの赤い唐織りの小袋を差し出した。
「あ、は、はい」
ヨーディーバードは慌てた様子で、懐紙を取り出すと、その上に小袋をのせるようにして受け取った。
本来ならば、ゆっくりと挨拶を交わした後に、ヴィルフリート自らではなく、控えの者が物品をヨーディーバードの前に置く、というのが作法だ。
ヴィルフリートがこのように手ずから渡すということは、通常はない。
そもそも、身分の高いヴィルフリートが、貴族ですらないヨーディーバードを部屋の戸を開けて出迎えるなどということはあってはならないことなのだ。
ヨーディーバードが驚くのも無理はなかった。
「その香りに、心当たりはあるか?」
動揺していた様子のヨーディーバードだったか、大きく一呼吸すると、その色白の顔に冷静な緊張感をまとった。
小袋をおしいただき、目を閉じて目礼し、顔にちかづける。
ヴィルフリートは身じろぎもせず、じっとその様子を見つめている。
室内の空気が張りつめた。
ヨーディーバードの目がハッと見開かれ、眼光が鋭く光った。
しかし、ヨーディーバードはすぐに視線を落とすと、平時の顔つきに戻す。
「いえ。わたくしめには、心当たりはございません」
一礼をしたヨーディーバードは、視線を落としたままヴィルフリートに小袋を返す。
「そうか。では、同じものを調合してくれ」
ヴィルフリートはヨーディーバードをじっと見つめたまま小袋を受け取ると、それを懐にしまった。
「おそれながら、この白檀は特別な……」
「いくらかかってもかまわん」
ヨーディーバードを遮るようにヴィルフリートが強い声でいった。
その厳しい目つきは「どんな手を使ってでも原料を入手しろ」と暗に命令している。
「この白檀の入手はほぼ不可能なのでございます。それというのも、自生している所が普通の……」
ヨーディーバードは力ない声でもごもごと口の中で言い訳らしき言葉を続けている。
「できぬと申すか」
ヴィルフリートが、苛立った声を出した。
「お許しくださいませ」
ヨーディーバードは平伏する。
「名を言え」
ヴィルフリートはヨーディーバードを見据えながら、低い声でいった。
「は?」
ヨーディーバードは不思議そうに顔を上げ、ヴィルフリートを見つめた。
「名を明かせば許してつかわす」
「名とは?」
「その香の主だ」
途端にヨーディーバードの顔から血の気が引いた。
もともと色白の顔が青を通り越して土気色に変わる。
真っ白になった唇がわなわなとかすかに震えている。
その様子を、レブアルは固唾をのんで見守っていた。
ヴィルフリートは香を欲していたわけではく、持ち主の名を知りたくて、ヨーディーバードを呼び出したのだ。
あの執着ぶりからすると、ヴィルフリートも屏風の影に隠れていた人物が、あの秋の日の女性だと考えているに違いない。
そして、おそらくヨーディーバードは、その人物が誰かを知っている。
「さ、さぁ」
首を傾げるヨーディーバードの声が明らかに裏返る。
「わ、わたくしめには、検討もつきません」
震える声を誤魔化すかのように、ヨーディーバードは続ける。
「なにしろ、その香りは、たった今はじめて……」
「ならば、調合いたせ」
ヴィルフリートはたたみかけるように言った。
ヨーディーバードはおどおどと視線をさまよわせ、無言でうつむいた。
「出来ぬのか?」
ヴィルフリートが片眉を上げる。
ヨーディーバードは何も言わずうつむいたままだったが、その手が小刻みに震えていた。
「ほぉ。稀代の調香師と謳われるヨーディーバードでも調合できぬ香があるとはなぁ」
ヴィルフリートは、扇を手で弄びながら、さも驚いた、というような顔をしてみせる。
「いつぞや『調合できぬ香はない』と豪語していたのは、どこの誰だったのやら。なぁ? ヨーディーバード」
扇をパチンパチンと開け閉めしながら、口元を歪め、平伏しているヨーディーバードを見やる。
「それは……」
ヨーディーバードはうつむいたまま口ごもる。
「『王国一の調香師ヨーディーバードに調合できぬ香があった』。なんと面白い話ではないか。宮中の宴に良い土産話が……」
「お待ちくださりませ。できぬとは申しておりません」
ヨーディーバードが明らかに不愉快そうな顔を上げた。
レブアルはその態度に引っ掛かりをおぼえた。
もしかすると、あの香はヨーディーバードが調合したものではないのだろうか。
そうであるならば、腑に落ちる。
ヨーディーバードほどの者が、あのように簡単に「調合することはできない」と断るのは不自然だったし、自分で「できない」と認めておきながら、急にムッとした態度をとるのは辻褄が合っていない。
何らかの理由で、自分が調合したことを隠さなければならなかったのなら、最初の「知らぬ存ぜぬ」も理解できるし、調合を断るのもわかる。
実力はあるのに、ないという風に吹聴されるのを不快に感じ、思わず態度に出してしまうという心境も理解できる。
「技術的には可能です」
ヴィルフリートは扇で口元を隠し、「ほぉ」と横目でチラリとみる。
「ただ、原料となる……」
「金に糸目はつけぬと申しておろうに。必要とあらば、我が名を使えばよい」
ヨーディーバードが「ぐっ」と詰まった。
身分の高いヴィルフリートの名を出せば、たいていの物事は思い通りに運ぶ。
手には入らないモノはないといってもいいくらいなのだ。
もし、その名を使っても入手できないモノがあるとすれば、それは国王ファミリーに直接関わるものか、それに準じる一族に関わるものだ。
ヴィルフリートの名を使っても入手できないということを認めてしまうということは、遠まわしにその香の持ち主の出自を言ってしまうことになってしまうことになりかねない。
おそらく、ヨーディーバードはそのことに気づいている。
だからこそ、言葉に詰まったのだ。
レブアルはハッと気がついて、ゴクリと唾をのみ込んだ。
ヴィルフリートは、小袋を手にしたときから、ヨーディーバードが調合した香だと見抜いていたのではあるまいか。
知っていたからこそ、ヨーディーバードの逃げ道をふさぐように、回りくどい尋ね方をしたのではないだろうか。
考えてみると、レブアルが小袋を渡したときのヴィルフリートが言った「今度ばかりはとぼけさせんぞ」という不思議な台詞は、もしかしたらレブアルが真実を隠していると見抜いているという意味だったのかもしれない。
レブアルは、この件に関してヴィルフリートに嘘をついている。
あの秋の日のすぐ後に、ヴィルフリートからあの女性の身元を調べるよう命令されたのに、探すふりをして探さずにすっとぼけた。
まんまとヴィルフリートを騙したつもりだったが、どうやらヴィルフリートの目は誤魔化せなかったらしい。
あの時、ヴィルフリートの機嫌が悪かったら、もしかしたら、レブアルは、今のヨーディーバードのようになっていたのかもしれない。
レブアルは背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
「隠さずともよい。調合する技量がないのであろう」
「それは違います」
「ならば、調合せよ」
「それは……」
「明かすか? 名を明かせば、許してつかわすぞ」
「それだけは、どうかご勘弁ください」
ヨーディーバードは床に額をこすり付けんばかりに平伏する。
「調合するのだな」
ヴィルフリートはじっとヨーディーバードを見据えた。
ヨーディーバードはすがるような目で見上げたが、ヴィルフリートは厳しい表情を変えなかった。
肩で息をしながら、しばらくキョロキョロと視線を彷徨わせていたヨーディーバードだったが、しばらくすると観念したよう視線を落としため息をついた。
「調合いたします」
絞り出すように言いながら、頭を下げる。
ヴィルフリートはニコッと満面の笑みを浮かべた。
「うむ。すぐに調合いたせ」
上機嫌な明るい声で言う。
「畏まりましてございます」
「一日も早よういたせよ。こう見えて、気は短い方なのでな」
ヴィルフリートは口元に優しげな微笑を浮かべていたが、その瞳は威圧するような鋭い光を放っていた。
ヨーディーバードは「ははぁ」と平伏する。
「下がれ」
ヨーディーバードは一礼をすると、ふらふらと立ち上がった。
レブアルはヴィルフリートに一礼すると、戸を開けて、ヨーディーバードを廊下へと誘導する。
ヨーディーバードは真っ青な顔でレブアルの後に従い、廊下を歩いていた。
なにか声をかけてやりたかったが、生憎、レブアルはこのようなときに、気の利いた台詞が全く思い浮かばないタイプだ。
それに、あの香の持ち主のことが気にかかっていた。
レブアルは、自分の予想は間違いないと思ってはいたが、その確証はない。
やっぱり確証が欲しかった。
廊下の角を曲がるところで、レブアルは立ち止まり、「こちらです」と手で誘導する。
ヨーディーバードは軽く会釈すると、角を曲がるためにレブアルの脇を通り抜けようとした。
「あの香は霧の御方……」
レブアルの囁きに、ヨーディーバードはハッとした様子で立ち止まった。
「いや、お答えにならなくて結構。私も命は惜しいですから」
レブアルは独り言のようにつぶやきながら、再びヨーディーバードの前に出て先導する。
「レブアル殿。彼の大君は恐れ多きお方。くれぐれもご注意めされよ」
歩きながら、ヨーディーバードがレブアルの背中に囁いた。
「ご忠告。肝に銘じます」
レブアルは姿勢を崩さす、前を見たままでこたえる。
それからはお互い、また無言のままで廊下を進んだ。
「では」
レブアルからランタンを受け取るとヨーディーバードは会釈した。
「お気をつけて、ヨーディーバード殿」
レブアルも会釈する。
「レブアル殿も」
ヨーディーバードは意味ありげな瞳でレブアルをみる。
レブアルは目で軽く頷く。
ヨーディーバードはニッコリと微笑むと帰っていった。
その後ろ姿を見送りながら、レブアルはため息をついた。




