再会
ヴィルフリートは家主ハーゲンに促されるまま、上座に坐した。
「このようなあばら屋ですが、どうかごゆるりとご休憩遊ばされますよう」
ハーゲンがお辞儀をしたと同時に、茶を持った若い娘が現れた。
年の頃は一七、八というところだろうか。
あどけなさの残る口元を真一文字に結び、緊張した面もちで、茶碗を目の高さに掲げるように持っている。
娘は伏目がちにヴィルフリートの前に進み出ると、茶碗を置いた。
使用人とは思えない豪華な衣装を身にまとい、長い爪は当世風に紅色に染めている。
「娘のリディアにございます」
ハーゲンの紹介に、娘は簪をチリチリと鳴らしながら、深々とお辞儀をした。
ヴィルフリートは顔を上げたリディアにニコッと微笑みかけ、軽く会釈する。
リディアは目元を薔薇色に染め、恥じらうように下を向いた。
*****
ハーゲン父娘が退出すると、ヴィルフリートは大きく伸びをした。
「若。お休みになられますか?」
ヴィルフリートの気だるげな様子に気がついたレブアルが声をかける。
今日は狩りのため、早朝から野山を駆けめぐっていたのだ。
レブアル自身も少し疲労を感じていた。
ヴィルフリートは「うむ」とうなづくと、ゴロンと横になった。
レブアルはヴィルフリートに枕をあて、上掛けをかけると、壁に寄りかかり、身体を休めながらも、辺りに気を配っていた。
どこからか弦の音が流れてくる。
そのゆったりと穏やかな調べに、レブアルは眠りの世界へと誘れそうになった。
先ほどまで、寝息をたてていたヴィルフリートがムクリと起き上った。
うつらうつらしていたレブアルだったが、ハッと目を開いて、その様子を見守る。
昨年の秋以来、主人・ヴィルフリートは以前にもまして、弦の音に敏感に反応する様になっていた。
レブアルははその理由をよく知っている。
ヴィルフリートはある女性を探しているのだ。
紅葉の湖で、琴を奏でていた天女のように優雅な女性。
言葉を交わすことすら叶わなかった女性の虜になってしまったのだ。
ヴィルフリートは惚れっぽい。
良い女を見かけると、すぐに恋に落ちる。
そして、手も早かった。
聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい、歯の浮くような台詞を並べたてたり、気の利いた贈り物をしたりして女性を口説くのだ。
レブアルには、そんな気恥ずかしい真似は到底できない。
キザな台詞もヴィルフリートの口からでると、不思議とさほどキザにうつらない。
それは、容姿もさることながら、ヴィルフリートの本心だからだ。
思ったことを素直に口にしているからこそ、キザにうつらないし、女性もころっと落ちるのだろう。
ヴィルフリートはそういう意味では、とても素直な人物で、裏表もない。
平気で本心をさらけ出してしまうことができるのは、やはり育ちが良いからだろう。
狙った獲物は必ずと言っていいほどものにするヴィルフリートだったが、秋に出会った女性とは言葉を交わすことすらできなかった。
その名前どころか、素性すらようと知れない。
ヴィルフリートとともに女性の姿を見た、唯一の人間であるレブアルは、ヴィルフリートの命をうけて、数ヶ月の間、女性の探索をする羽目になった。
しかし、レブアルは探す振りはしたが、女性を探さなかった。
レブアルは女性の素性に心当たりがあった。
あれは魔女だ。
師範魔術師の中でも高位の存在。
レブアルの予想が当たっているならば、あの魔女は特別な魔女なのだ。
ヴィルフリートが素性を知ったところで、どうすることもできない。
下手に近寄れば、こちらの身が危ない。
レブアルはヴィルフリートが魔女を諦めてくれるのを待っていた。
しかし、ヴィルフリートは諦めてくれるどころか、日に日に魔女への執着が増していくようなのだ。
探索から戻ったレブアルの、かんばしくない報告を受けたときのヴィルフリートは、気落ちした様子をみせながらも、どこか嬉しそうな顔をしていた。
簡単に手に入らない謎の女性ということが、ヴィルフリートの心をさらに惹きつけてしまったようなのだ。
「若?」
レブアルは、ふらふらと歩き出したヴィルフリートに声をかける。
しかし、ヴィルフリートはまるでその声が聞こえていないかとでもいうように、音に引き寄せられるように廊下へと出ていってしまった。
レブアルは軽くため息をつくと、その後を追った。
夢遊病者のようにふらふらと歩くヴィルフリートの背中をみつめながら、レブアルは神経を研ぎ澄まし、辺りを探る。
こんな場所に魔女がいるわけはないと思いながらも、なぜか気を抜くことはできなかった。
耳を澄ませてよく聞いてみると、今、聞こえているのはあの秋の日の琴とは、似てもにつかない音だった。
琴ではなく、他の楽器の音だということも、なんとなく分かっていた。
楽の知識が皆無に近いレブアルだったが、ここのところのヴィルフリートのこの病気のお蔭で、箏の音は聞き分けられるようになっていた。
ヴィルフリートが箏の音に引き寄せられるのは理解できたが、カテゴリーは同じ弦楽器とはいえ、違う楽器の音に、このような反応を示すのは、おかしかった。
新たな恋に目覚めてくれたのだろうか。
もし、そうであるならば、レブアルにとっては吉報だ。
しかし、いくら惚れっぽいとはいえ、ヴィルフリートのあの魔女への執着が、こんなに簡単に消えるとは思えなかった。
音が止んだ。
ヴィルフリートの足が止まる。
レブアルも足を止め、ヴィルフリートの様子を用心深く見守る。
ヴィルフリートは虚ろな目で辺りを見まわしている。
と、そこへ、ハーゲンが現れた。
「どうかなさいましたか?」
ヴィルフリートは惚けた表情のまま、怪訝顔で尋ねるハーゲンの顔に視線を移した。
「あの音は?」
「お耳触りでございましたか」
ハーゲンは少しおおげさに申し訳なさそうな表情をした。
「あの三絃は?」
「申し訳ございません。娘をきつく叱っておきます」
深々と頭を下げたハーゲンの見え透いた意図に、レブアルの目は薄くなった。
先ほど、ハーゲンが娘を登場させたあたりから「そうだろうな」とは思っていたが、ここまであからさまだと、あまりいい気分はしない。
素直に、「娘がひいていた」と返答すればいいものを、変な捻りを入れてくるというところがイヤラシイ。
その上、詰めが甘い。
どうせなら三弦でなく、箏にするべきだ。
「ご息女か……」
ヴィルフリートが視線を落としてつぶやくと同時に、また弦の音が流れてきた。
「まったく、お客人がいらっしゃるというのに」
ハーゲンが苦々しい顔で廊下の奥を睨みつける。
あまりに芝居がかりすぎていて、レブアルは噴き出してしまいそうになり、ハーゲンから視線を逸らす。
「ああ、よい」
わざとらしく大股で奥に向かおうとしたハーゲンを、ヴィルフリートが鷹揚にとめる。
ハーゲンは振り向くと「はっ」っというように目礼した。
その仕草までも、やはり芝居がかっている。
ヴィルフリートはスッと向きを変えると、そのまま何事もなかったかのように部屋へと帰っていく。
その、ヴィルフリートのハーゲンに全く興味がないという素振りに、レブアルは心の中でニヤニヤしながら、後に続いた。
部屋に戻ると、ヴィルフリートはしばらくの間、目をつぶって座していた。
静かに瞼をゆるく閉じた表情から、三弦の音に耳を澄ませているのが見て取れた。
レブアルは何もすることがなく、かといって居眠りをするわけにもいかず、三弦に聞き惚れているヴィルフリートの顔を眺めていた。
やはり、ヴィルフリートは新たな恋に芽生えたのだろうか?
確かに、今聞こえている三弦の奏者は決して下手ではない。
素人のレブアルにだって、それくらいの判断はつく。
それなりの技量があるということくらいわかる。
しかし、あの秋の日に聞いた琴とは比べ物にならない。
楽器が違うからではない。
今聞こえている音色には、心揺さぶられるような何かが全く感じられない。
投げやりと言うと大げさすぎるが、心が伴ってない、そんな演奏なのだ。
あの秋の日の演奏を知ってしまったレブアルにとって、今の三弦の音は全く魅力のない音なのだ。
素人のレブアルでさえそうなのだ。
音曲に精通したヴィルフリートが、この音色に魅力を感じるとは思えない。
とすると、リディアの容姿に惚れたのだろうか?
確かに、リディアのあどけなく可憐な初々しさは男心をそそる。
いやいや、それでは辻褄が合わない。
ヴィルフリートの様子がおかしくなったのは、三弦の音が聞こえてからだ。
それに、ヴィルフリートの好みはもっとしっとりした色香のある女性のはずだった。
突然ヴィルフリートが立ち上がった。
レブアルは驚いて反射的に身構える。
ヴィルフリートは、そんなレブアルのことを気にする様子もなく、障子を細く開け、いつの間にか手にしていた笛を構えた。
そして、緩やかな三弦の音を破るように、軽快な曲を吹きはじめた。
レブアルが驚いて目を丸くすると同時に、ゆるやかな三弦の音がプツリと途切れた。
まるで突然聞こえてきた笛の音に、驚き戸惑っているとうような音の途切れ方だった。
ヴィルフリートは、意に介さずという様子で軽快なリズムを吹き続ける。
はずむようにピロピロと鳴らし、軽い間をおいて、また鳴らす。
楽しいリズムが続く。
何度目かの間合いに、はずむような三弦のリズムが聞こえてきた。
笛が鳴り、それに応えるように、三弦が鳴る。
三弦の音は先ほどまで全く違う、明るく楽しく、そして生き生きとしている。
同じ楽器とは思えない音色に、レブアルは無意識に音の聞こえてくる方に目をやる。
と、笛が呼びかけるような音を出す。
レブアルは思わずヴィルフリートに視線を移す。
ヴィルフリートは目を細めながら、楽しそうに全身をつかって笛を吹いている。
笛と三弦はお互いの音を楽しむように。さらに軽快になっていく。
まるで子供たちがキャッキャッと笑いをたてながら追いかけっこをしているようなメロディーに、レブアルも暖かく、楽しい気分になっていく。
レブアルは、いつの間にか我を忘れて、その演奏に聴き入っていた。
演奏が終わっても、レブアルはその余韻に浸っていた。
それは奏者であるヴィルフリートもそうで、笛を構え、目を閉じたまま、しばらく動かなかった。
ヴィルフリートの目が開いた。
何かを確認したかのように、瞳の奥がキラリと光る。
「レブアル。帰るぞ」
爽やかな笑みを浮かべ、笛をしまうと、ヴィルフリートは颯爽と部屋をあとにし、レブアルを従えて帰路についた。




