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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
レイラ
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天の宴

 ニロレストの山腹にはいくつもの沼や湖が点在し、紅葉の季節は色づいた山々が水鏡に映り、それはそれは見事な景観となる。


 そんな噂を聞きつけた、風流人ヴィルフリートの供で、上級魔術師レブアルはニロレスト山中を歩いていた。

辺りは赤や黄色に色づき、主従の目を楽しませている。


 ここまでたどり着くには、険しい山をいくつも越えなくてはならない。

おおよそ常人には到達するのが難しい場所だ。

並外れた登攀技能か、高度な飛翔術を持たなければ、ここまで来ることはできない。


「レブアル。なんと見事な色合いだろう。お前がいなければ、ここまでたどり着くことはできなかった。礼を言うぞ」

「とんでもございません。私もこのような風流のご相伴にあずかり、光栄でございます」

 色づいた葉がはらはらと舞う中、二人は一休みをしていた。


 ザワザワと木々が鳴り、サァッと風が吹いてきて髪を揺らした。

ヴィルフリートがすっと立ち上がる。


わか?」

「レブアル。今、楽の音がしなかったか?」

「まさか、このような山中で……」

 木々が再び騒めき、二人の間を一陣の風が通り抜ける。

 今度はハッキリと、弦の音色が流れてきた。


「これは天の音か」

 ヴィルフリートは、その音色に引き寄せられるようにふらふらと歩きだした。

レブアルは軽く眉根をよせた。


 またいつものヴィルフリートの病気がはじまったのだ。

風流人と呼ばれるだけあって、ヴィルフリートはこういうものに遭遇すると、夢中になってしまうところがある。

 レブアルは苦笑しながらも、草が生い茂る道なき道をものともせず、熱に浮かされたように歩いていく主人の後を追いかけた。


 木々が開け、目の前に満々と水をたたえる小さな湖が姿をあらわした。

静かな湖面は鏡のように、赤や黄色に色づく木々や山々、そして抜けるような青空を映している。

まさに絶景だ。

 しかし、ヴィルフリートの目は、その絶景よりも対岸の一団にそそがれていた。


「あれは天女か?」


 対岸には、このような深く険しい山中とは思えない光景が繰り広げられていた。

 緋毛氈が敷かれ、その上には銀鼠色の衣とベールを纏った女性が座していた。

背後から日の光を浴びて輝くその姿は天女のようだ。


「胡蝶の舞……」

 ヴィルフリートが掠れ声でつぶやく。


 天女の面前で、軽やかな音曲に合わせて、色とりどりの衣を纏った女性たちが胡蝶のように舞い踊っている。

まさに天界の宴のようだ。


 その、この世のものとは思えない、美しく幻想的な一団に、ヴィルフリートだけでなく、レブアルもしばらく見入ってしまっていた。


 軽快な曲が終わると、胡蝶のひとりが、天女のそばに駆け寄り、その肩に手をおいて、おねだりをするように顔を覗き込んだ。

天女が流れるようにゆったりと立ち上がる。

立ち上がるというだけの動きにもかかわらず、その優美で艶やかな動作に目を奪われる。


 ヴィルフリートが「はぁ」っと深いため息をついた。

 レブアルはチラリとヴィルフリートの顔を見た。

 まるで熱病にでも(かか)ったように、ヴィルフリートの瞳はとろんとし、顔は桃色に上気している。


 これはかなり重症かもしれない。

どうやらヴィルフリートは、目だけではなく、心も奪われてしまったようだ。

2、3日、いや、一週間くらい腑抜け状態が続くに違いない。

 そんなことを思いながらも、レブアルは視線をもどしたが、レブアルも対岸の天女の姿に吸い寄せられそうになった。


 あのキラキラと輝く光は日の光だけではない。

溢れ出る魔力だ。

煌めく魔力に、レブアルの魔術師としての血がざわめく。


 天女は数歩すすむと、左右をゆっくりと見まわす。

動く度にベールと衣がキラキラと輝き、魔力がこぼれ落ちる。

仕草のひとつひとつが優雅で、まるで舞を舞っているかのようだ。

 天女を取り巻く胡蝶たちは、天女の視線に呼応するように跪いてこうべを垂れる。

流れるような一連の動作は、この世の光景だとは思えないくらい美しい。


 天女は用意された筝の前に座り、胡蝶から手渡された爪をはめると、一呼吸おいてから、弦をはじく。

さやさやと木々を揺らしていた風が止んだ。

まろやかな調べが流れてくる。


 音楽の方面に疎いレブアルですら、天女の演奏の素晴らしさに目を見張る。

ましてや、風流人と呼ばれるヴィルフリートは、レブアルの予想通り、うっとりと心ここにあらずという惚けた顔をしている。

完全に放心状態になっているようだった。


 曲調が軽やかにはずんできた。

聞いているだけでウキウキとしてくる。

と、突然、すぐ近くから笛の音がした。

いつの間にか笛を取り出したヴィルフリートが吹きはじめたのだ。


 対岸の一団に緊張が走った。

胡蝶たちの視線が一斉にこちらを突き刺し、レブアルは息をつめる。

 しかし、当のヴィルフリートはうっとりと笛を吹き続けている。

 天女もヴィルフリートの笛の音に気づかないはずはない。

しかし、筝の調べに一瞬の乱れもなかった。

それどころか、笛の音に呼応する様に、軽快さを増していく。

お互いに楽しむように、箏と笛の音色が交差する。

 レブアルはいつしかその協演に聴き入ってしまっていた。

いつの間にか、胡蝶たちの視線も感じなくなっていた。


 軽快なリズムが突然止まった。

最初よりも、ゆったりと静かな曲調に変わる。

笛の音が高く物悲しく響き、筝の音がしっとりと沈むような旋律を奏でる。

まるで誰かが悲痛な嘆きの声をあげているようで、レブアルの心の奥にある古傷が、キリキリとうずきだした。


 これは恋の曲だ。

レブアルはそう直感した。

 最初のゆったりとした調べは出会い。

そして軽やかで楽しい恋の喜びを経て、今は別離の悲しみ。

 基礎知識の全くないレブアルにすらわかってしまうほどの演奏。

こんなにも心を揺さぶられる旋律は聴いたことことがない。

レブアルは今、名演と呼ぶにふさわしい演奏を聞いているに違いなかった。


 演奏が終わっても、レブアルはしばらく動けなかった。

ヴィルフリートも同様らしく、笛を構えたまま動かない。


 天女が静かに立ち上がる。

柔らかい風がふわりとふいてきた。

ヴィルフリートが笛を持つ手をおろした。


 天女の右腕が向こうの山に向かうように、ゆっくりと上がる。

顔は向こうの山の方に向いている。

しかし、レブアルは天女の視線をすぐ近くに感じていた。

天女の意識は確実にレブアルとヴィルフリートをとらえている。

まるですぐ傍に何かが潜んでいるようなチリチリとした空気に、レブアルは気を引き締める。

 

 天女はそのまま、ゆっくりと腕をくゆらせはじめた。

 辺りの静寂が増した。

 立ち昇る魔力の気配に、レブアルは警戒しながら天女の様子をうかがっていた。


 天女が滑るようにゆったりと回る。

力ある言葉がさざ波のように流れ込んでくる。


 油断のならない緊迫感に、レブアルはゴクリと唾をのみこむ。

 距離はそこそこあるのに、歌うような、静かなしっとりとした声が、すぐ近くに聞こえてくる。

なにかの呪文の詠唱だということはすぐに分かったが、その呪文の言葉も旋律も、レブアルは全く聞いたことがなかった。


 天女はまるで舞を舞っているように滑らかに魔力を操作し、しっとりと艶やかな声が辺りを包みんでいく。

 レブアルは緊迫感を増ながら、その優美で危険な舞に惹き込まれそうになる自分を叱咤していた。


 不意に横で惚けていたヴィルフリートが動いた。

ヴィルフリートは魅入られたように、ふらふらと対岸――水中に向かって歩き出す。

レブアルは慌ててヴィルフリートの裾をつかみ引き止める。

ヴィルフリートの抵抗を予測していたが、ヴィルフリートはなんの抵抗もせず、茫然自失と立ち尽くしていた。


「クスッ」

 耳元で微かな笑い声が聞こえた気がした。

ハッとして天女を見ると、対岸が霞んでいる。

天女や胡蝶たちの姿が白い霧に包まれていく。


 レブアルとヴィルフリートの周囲にも、魔力を含んだ白い霧が流れてくる。

足元が白く霞んで、つま先がよく見えない。


 この先、なにが起こるか予測することはできなかったが、なにが起こってもおかしくない状況だ。

 レブアルは息を殺しながら、ヴィルフリートの前に出て、腕をしっかりと掴む。

何が起こっても、主人ヴィルフリートの身の安全だけは確保しなければならない。


 辺りが乳白色に包まれる。

魔力の密度が増し、レブアルの額に脂汗がにじんだ。


 しばらくすると、ふっと魔力の気配が消えた。

ザザッと爽やかな風が吹き抜け、霧を吹き飛ばす。

目の前に、水鏡のように紅葉した山々を映す、静かな湖の姿が現れた。

鳥のさえずりが聞こえてくる。


 レブアルは即座に対岸をみた。

そこには何も居なかった。

まるではじめからなにもなかったかのように、紅葉した木々が柔らかい風にサヤサヤと揺れているだけだ。

 レブアルはホッと力を抜く。

重い疲労感が押し寄せてきたが、安堵感の方が大きかった。


「山霧の君……」

 ヴィルフリートは、まるで魂が抜けたように、いつまでも対岸を眺めていた。

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