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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
レイラ
24/64

独立

レイラは大きく深呼吸した。


 父・マティアスから幻術の理論を教わり、自分の容姿をカモフラージュすることはできるようになっていた。

 他人の注意をひかないように、他人の記憶に残らないようにする術は、すぐに会得した。

 マティアスと共同研究をし、幻術をさらに発展させ、目や鼻、肌の色などのパーツの一部を変えるということもできるようになっていた。

 そして現在、他の誰かの姿に変身したように見せる、変化術を開発中なのだ。


 レイラには、あと一歩という所まで来ている実感があった。

理論上は上手くいくはずだ。

しかし、実際に魔力を練るとなると、理論通りにはいかず、多少のブレが生じる。

そのブレを確認しながら、少しずつ動かして、理論に近づけていく。

先ほどの失敗により、最後の難関の糸口がつかめた。

 次こそは成功する。

そんな気がしていた。


 レイラは集中し、ゆっくりと魔力を練りはじめる。

記憶に残る、母・ラセリアの容姿を思い浮かべる。


 レイラにとって、ラセリアは一番近い。

亡くなって数年たつが、美しい母の顔は今でもしっかり記憶している。

ラセリアとレイラは、親子だけあって、骨格がそっくりだ。

身長や体型が似ていて、後ろ姿を何度か間違われたことがある。

 変身する対象として、ラセリアはうってつけだった。


 レイラは静かに、ゆっくりと呪文の詠唱をはじめる。

慣れてくれば、呪文を省略することは可能だ。

しかし、一度も成功したことがない変化術はそうはいかない。

長く複雑な呪文を一字一句間違えないように唱えながら、慎重に魔力を練り上げていく。


 レイラの額から汗が流れ落ちた。

目に汗が入り、沁みてくる。

術をはじめてから、まだそんなに時間が経過したわけではなかったが、わずかなミスも許されないという緊張が重くのしかかっていた。


 術が完成した。

全てが揃った実感がある。

今度こそは成功するという自信があった。


 レイラは変化術を自らに行使した。

重くのしかかっていた重圧がふっと消え、身体を魔力が包みこむ。


 成功だ。

レイラはそう確信した。

違和感は全くないが、身体の表面に微かな魔力を感じる。

手を髪や顔にやり、確認するように、まばたきしたり口を動かしてみる。


 不意に人の気配を感じたレイラは、ゆっくりと振り向いた。

その瞬間、きつく抱きしめられる。

突然の出来事に、レイラは自分の身になにが起こっているのかわからず目をしばたたかせた。


「ラセリア」

 マティアスの熱を帯びた声が、レイラの耳朶をうつ。


「お、お父様?」

 レイラの止まっていた思考が動き出す。

即座にラセリアと見間違えられたと悟った。


「違う。違います」

 慌てて、否定しながら押しのけようとしたが、マティアスの力強い腕は容易に解けなかった。


「わたくしです。レイラです。お母様ではありません」

 もがきなから、必死に訴える。

マティアスはハッと息をのむと、飛び退くようにレイラから離れた。


「すみません。取り乱してしまいました」

 額をおさえ、肩で息をしながらマティアスが謝る。

その狼狽した様子を、レイラはまばたきもせずに見つめていた。


 ショックだった。

マティアスが取り乱すなど、思いもよらなかった。

予想外の出来事に、レイラは呆然としていた。


 マティアスは感情を顕わにすることがほとんどない。

 一旦しゃべり出すと話が長いが、基本的には無駄なことはほとんどしゃべらず、無口なのだ。

風景に同化しているかのように気配がなく、居るのか居ないのか分からないこともある。

大抵、少し伏目がちに視線を落としていて、パッと見には何を考えているかよく分からない。

いつも静かに淡々としていて、取り乱すことはない。

 ラセリアが死んだ時も、取り乱すことはなかった。

あの時、レイラは泣き崩れてどうしようもなかったし,まだ子供といっていい年齢だった弟のレクラスは涙を流しながらオロオロしていた。

一族がすすり泣く中、マティアスだけは涙を流さなかった。

ラセリアの遺骸にとりすがって離れようとしないレイラを引きはがし、うろたえるレクラスを補佐して、ラセリアの葬儀を滞りなく執り行った。

 その後もレクラスが当主としての仕事をこなせるようになるまで、淡々と補佐し続けた。


 だから、レイラはマティアスは強い人間だと思っていた。

マティアスは、妻の死ですら、簡単に乗り越えてしまえるような強い人間なんだと思っていた。


 しかし、今、目の前で苦しげに息をついているマティアスは、レイラの考えていたマティアスと全然違った。

もしかしたら、未だにラセリアの死を受け入れることができずにいるのかもしれない。

だとしたら、レイラはマティアスをひどく残酷な目にあわせてしまったのだ。


 レイラは術を解き、本来の姿に戻った。

「お父さま。ごめんなさい」

 声を震わせながらうつむき、わいてきた涙をこぼさないように、大きく目を開く。


「いえ、レイラ。謝ることはありません」

 マティアスは顔をあげ、レイラをじっと見つめた。


「むしろ、喜ぶべきことなのです」

 声にいつもの冷静な調子が戻ってきた。


「お父さま?」

「レイラ、ありがとう。あなたはついに完成させたのです。私の長年の研究を」

 首をかしげるレイラに、マティアスは微笑みかけた。


「あぁ、レイラ。あなたは素晴らしい魔術師です。私一人の力では、ここまで到達することはできませんでした」

「お父さま……」

「レイラ。幻術の研究は全てあなたに譲ります。ここで完結させるも、さらに発展させるも、あなたの思う通りになさい」

「えっ? お父さまはどうなさるのですか?」

 マティアスが幻術の研究に心血を注いでいたことをよく知るレイラは、マティアスの真意を図りかね、目を丸くしながら、探るようにじっと見つめた。


「私は残りの人生を、瞬間移動術の応用にかけるつもりです」

「瞬間移動術?」

「はい。実は以前から、そちらの研究をしたいと思っていたのですよ。あなたのお蔭で幻術は区切りがつきましたし、これでやっと、長年あたためていた研究に打ち込めます」

 レイラは口をポカンとあけて、マティアスを眺めていた。


 あんなにも幻術の研究に打ち込んでいたマティアスが、他の術のことも考えていたなどとは、思ってもみなかった。

しかし、思いおこしてみれば、この数年、マティアスはレイラに幻術の研究をほぼ任せていたような気がしないでもない。

そういえば、留守にすることも多かった。

あれは幻術の研究のためだと思っていたが、他の研究のためだったのかもしれない。


「ああ、そうでした。レイラ、ちょっと待っていてください」

 マティアスはそう言うと、奥の引き出しの中から一冊のノートを出してきた。


「あなたにこれを」

 レイラは素直にその古びたノートをうけとり、中身を確認する様にパラパラとめくりはじめた。


「私が長年にわたって収集してきた『いにしえの夜の女神』と『夢幻の湖』についての記録です」

 驚いたレイラは顔を上げ、マティアスの顔をじっと見つめた。


「レイラ。あなたも『夢幻の湖』に行ったことがありますね?」

 レイラは「も」という助詞に目をしばたたかせる。


「お父さまも行ったことがあるのですか?」

 マティアスは「はい」とニッコリうなずいた。


「若い頃に一度だけですが……。夢なのに、夢だとはいいきれない生々しさを感じた私は、現実にあの湖が存在するのではないかと、『霧の湖』にまつわる情報を集めはじめました。そのうちに『いにしえの夜の女神』と『夢幻の湖』の伝説にたどり着いたのです」

 レイラは息を呑んだ。

あの霧にかすんだ広大な湖は、やはり『夢幻の湖』だったのだ。


「その先は思ったような情報は得られずじまいで、一旦諦めました。しかし、ラセリアからも霧に包まれた湖の夢の話を聞き、もしやと思い、そのノートを見せたのです」

「お母様も夢を?」

 レイラはさらに驚く。

 父・マティアスだけでなく、母・ラセリアまで、『夢幻の湖』の夢をみていたとは思いもよらなかった。


「はい。ラセリアも一度だけ行ったことがあると。彼女はそれ以外にも、濃霧の中を彷徨う夢を何度か見たと話してくれました」

「わたくしもです。わたくしは湖に三度。濃霧は何度も……」

「やはりそうでしたか。ラセリアは一度だけうたた寝をしているあなたが、不可解な魔力に覆われているのに気づいて、慌てて揺り起こしたことがあると言っていました。その時、あなたは『夢幻の湖』に行っていたのですね」

 レイラには思い当たるふしがあった。

 自分の容姿に絶望し、湖に沈もうとした、あの時だ。

あの時、ラセリアが起こしてくれなかったらどうなっていたのだろうか。

 レイラは身をブルっと震わせた。


「レイラ。我がザルリディア一族は『いにしえの名も無き神』と『いにしえの夜の女神』を信仰する一族です。私たちが女神の眠る『夢幻の湖』の夢を見るのは、ただの偶然だとは思えないのです。何か大きな意味があるのではないかと」

 マティアスは言葉を切り、少し考え込むように視線を落とした。

 

「私は『夢幻の湖』から手を退きます」

 キッパリと言い放ったマティアスの顔を、レイラは驚愕のまなざしで見つめる。


「このノートはこのまま封印してしまってもよかったのですが、なぜかあなたに渡しておかなければならないような気がして」

「なぜ諦めてしまわれるのです? お父さまらしくもない」

 納得のいかないレイラはくってかかる。

 マティアスは「ふっ」と口元を緩めた。


「レイラ。私にはもう『夢幻の湖』に行く資格がないのです。それに、私自身、もう『夢幻の湖』に行く必要がなくなってしまった」

「どういうことです?」

「『夢幻の湖』は女神の流した孤独と悲しみの涙によってできました。私はもはや孤独ではないのです。私には妻――ラセリア、そしてかわいい子どもたち――レイラ、あなたとレクラスがいます」

「お父さま……」

「ラセリアは旅立ってしまいましたが、私たちの記憶の中で生きています」

 レイラは、マティアスの言葉に違和感を覚え、首をかしげた。


 確かに、マティアスの言っている内容は意味が通っている。

しかし、先ほどのマティアスの行動と、今の台詞が結びつかない。

 マティアスは、変化へんげしたレイラを本物のラセリアと勘違いして抱きしめてしまうという、とんでもない間違いを起こしたのだ。

姿かたちは完璧にラセリアでも、魔力までコピーすることはできない。

たとえ、母娘で魔力の気配が似ていたとしても、マティアスほどの使い手が間違えることなど有りえない。

それなのに、見間違えてしまったということは、冷静さを欠いてしまったということだ。

それは、その後の狼狽ぶりからも容易に推測できた。

あの突飛な行動は、マティアスはラセリアの死を受け入れきれていない証拠なのだ。

 しかし、今のマティアスの台詞は、完全にラセリアの死を受け入ているというような言いっぷりだ。

どうも腑に落ちない。


「あなたがそれに気づかせてくれたのですよ、レイラ」

 レイラの疑念を察したかのように、マティアスは微笑んだ。


「もう一度逢いたかった。たとえそれが幻影だとしてもかまわないと思っていました。もう一度『夢幻の湖』に行き、ラセリアの姿を見たかった……」

 マティアスは視線を落とし、独白するようにつぶやいた。


「でも、先ほどのあなたの姿を見て、ラセリアに変化へんげしたあなたを見て、気づいたのです。幻影は所詮幻影。ラセリアではないと」

 顔をあげ、レイラに微笑みかける。


「レイラ。これから私はラセリアの遺してくれたヒントをもとに、瞬間移動術の応用に専念します。これは、私とラセリアの研究です。娘のあなたでも邪魔することは許しません」

「お父さま」

 レイラはマティアスの瞳を真っすぐにみつめた。

マティアスの瞳にはゆるぎない光りが宿っている。

そこには、迷いも戸惑いも一切ない。


「レイラ。これからは、私の助手ではなく、自分でテーマを見つけ、研究をしなさい。今のあなたには、それが十分可能です。これからは私とあなたはライバルです。どちらがより素晴らしい研究成果を上げることができるか。私は負けませんよ、レイラ」

 マティアスは、挑むように不敵な笑みを浮かべる。


「お父さま。わたくしも負けませんわ」

 レイラもマティアスを見据えながらニヤリと微笑んだ。

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