廊下
ダルベルトは長い廊下を歩いていた。
後ろからついてくる、柔らかな栗毛の長身の美男子は、ルーベン。
ダルベルトの主君・ラセリアの夫にして、魔術師協会の会長であり、宮廷魔術師でもある男だ。
5年ほど前、ルーベンはその魔力で、並み居る花婿候補を降し、ザルリディア当主であるラセリアの夫の座を手に入れた。
今、ダルベルトはラセリアの命により、ルーベンを屋敷の奥の間に案内しているところだ。
これから何が起こるのか、ダルベルトは知っていた。
今日を限りに、ルーベンとの縁が切れる。
ルーベンにペコペコするのも、これが最後なのだ。
ダルベルトは、にやつきそうになるのをこらえ、いつものように、しかつめらしいくそ真面目な顔つきで、淡々とルーベンを先導していた。
前々から、ダルベルトは、ルーベンが気にくわなかった。
ルーベンは、ダルベルトをまるで奴隷かなにかのように扱う。
ダルベルトはザルリディア本家の家宰だ。
代々ザルリディア本家に仕え、当主たちの恩情を賜ってきた。
ダルベルト自身も、先代、先々代には並々ならぬご恩を賜り、現当主であるラセリアの当主としての器の大きさに心酔している。
ラセリアになら、奴隷扱いされようが、足蹴にされようが、構わない。
死ねと言われれば、死ぬことも厭わない。
だが、ルーベンは違う。
ルーベンはダルベルトの主君ではない。
ダルベルトがルーベンに頭を下げるのは、ルーベンがラセリアの夫だからだ。
ルーベンはそのことを全く理解していない。
このルーベンという男は、外面がすこぶる良かった。
宮廷や魔術師協会での評判は上々。
一族の間での評判も悪くはない。
しかし、本家に仕える者たちに対しては全く別の一面をみせる。
ラセリアやイルトリーリの前では大人しくしているが、その姿が見えなくなるとたちまち暴君になるのだ。
ダルベルトは機嫌の悪いルーベンに、何度となく痛めつけられたことがある。
反撃をしたくても、相手は主君の夫。
刃向かうわけにはいかない。
その上、ルーベンの魔力は大きい。
ダルベルトに勝ち目はなかった。
それだけならまだ良かった。
ダルベルトだけが痛めつけられるのならば、ダルベルトが我慢すればそれで済む話だ。
しかし、ラセリアとの間の一人息子・ルーフィスが亡くなってから、ルーベンは侍女たちにも手をあげるようになった。
とはいえ、ラセリアがルーフィスを身ごもってから、ルーベンはあまり帰館しなくなっていたし、ルーフィスが亡くなってからは全くと言っていいほど帰館しなくなっていたので、被害は最小限におさまっていた。
もちろん、ダルベルトをはじめ、本家に仕える者たちは、ルーベンの暴力を隠している。
多忙なラセリアに、無用の心配をかけるわけにはいかなかった。
それに、皆、結婚当初から夫婦仲がしっくりいっていないことも知っていたので、これ以上ラセリアに心苦しい思いをさせたくなかった。
本家に仕える者たちは皆、美しく心優しいラセリアに心酔している。
ラセリアのためならば、どんなことでも厭わなかった。
今日これからのショーは、ダルベルトだけでなく、本家に仕える者たち全てが心待ちにしているショーだ。
ルーベンには結婚当初、いや、それ以前から複数の女の影があった。
とくに、女魔術師のアリーシャとは結婚以前からの関係が続いており、二児もうけていた。
それらのことはラセリアは知っていたが、ラセリアは「捨ておけ」と全く気にしていない素振りを見せていた。
ラセリアに「捨ておけ」と言われてしまえば、ダルベルトにもイルトリーリにもどうにもすることはできなかった。
しかし、先日、ルーベンはとうとう尻尾を出したのだ。
それは急な所用でラセリアが魔術師協会本部を訪れた時のことだ。
偶然ラセリアは、ルーベンがアリーシャに「息子を次期ザルリディア当主にしてやる」とささやいているところを目撃してしまったのだ。
これには寛大なラセリアも激怒した。
ラセリアの両親と祖母は、王家の後継者争いを発端とした内乱と、それに続く震災で命を落とした。
もちろん、一族の者たちも何人も命を落とした。
それだけに、ラセリアは後継者問題に関しては、非常に敏感に反応する。
野心家のルーベンは聖域に手を出そうとしたのだ。
ルーベンの野望を知ったラセリアは、すぐさま内密にルーベンの身辺を徹底的に調査した。
本家に仕える者たちが、ルーベンから受けていた虐待もラセリアの知るところとなった。
本日未明、本家に仕える者全員に召集がかかった。
その席で、ラセリアは自らのいたらなさを、皆に陳謝したのだ。
これには、一同感動し、ラセリアへの忠誠心を改にした。
その後、ルーベンの縁者を密かに呼び出し、一室に集め、ルーベンの所業を暴露した。
ルーベン縁者たちは、ルーベンと絶縁する事を誓い、今も一室に留められている。
現在、奥の間には結界の準備がなされ、ラセリアをはじめとした一族の重鎮たちが勢ぞろいしている。
あとは、ルーベンの到着を待つだけだ。
ダルベルトは心の中でほくそ笑みながら、奥の間の扉を開けた。