ショック
レイラは周囲に誰もいないのを確認すると、池の水際にしゃがみこんだ。
服の中から袱紗を出し、口元に微笑を浮かべながら、開く。
なかには、可愛らしい小さな小花をあしらったかんざしが包まれていた。
レイラははにかみながら、かんざしをそっと髪に挿し、池を覗き込む。
「レイラ様。どちらにおられます?」
侍女の声に、レイラはハッとして、慌ててかんざしを隠すようにしまう。
「なに用じゃ」
レイラはすくっと立ち上がると、何事もなかったかのように悠然と振り向いた。
*****
「挿してくれたんだね」
声に振り向くと、ドミンゴが立っていた。
ドミンゴはレイラより、1、2歳ほど年上で、そのスラリとした長身と甘いマスクは、少女たちのあこがれの的でもあった。
「似合ってるよ。とてもかわいい」
優しい微笑を浮かべるドミンゴに、レイラは目元を朱く染め、恥ずかしそうにうつむいた。
「いつもの所で待ってるよ」
ドミンゴはレイラの耳元に甘い声でささやく。
レイラははにかみながら頷くと、チラリとドミンゴを見上げた。
ドミンゴはとろけるような優しい瞳でレイラに笑いかけると、向きを変え、訓練場の方へと歩きだした。
レイラはそんなドミンゴの後ろ姿を、見えなくなってもずっと見つめていた。
*****
まだ、かなり時間があった。
いつもより頑張って、課題を早く終わらせたレイラは、待ちきれなくて、そわそわしながら、辺りを見回した。
視界の端に、スラリとした長身が見えた。
あれはドミンゴに違いない。
レイラはパッと輝くように微笑みながら、ドミンゴの消えた方へと向かった。
ドミンゴの姿を確認したレイラは、駆けよろうとして足を止めた。
他に人が居たからだ。
レイラはドミンゴに「しばらくの間は付き合っていることを秘密にしておこう」と言われていた。
その提案にはレイラも賛成だった。
皆に知られるのはちょっぴり恥ずかしかったし、お互いにまだ修行中の身だ。
それに、レイラはザルリディア家の長女だ。
レイラは、ザルリディア家の娘というのが、どのような立場で、どのように振る舞わなければならないかを、幼い頃より叩き込まれて育った。
今は二人の関係は秘密にしておいた方が、要らぬ波風がたたずにすむということは、レイラも理解していた。
レイラがさしたる用事もないのに、他の者たちと一緒にいるドミンゴのそばに行くことは憚られた。
かといって、その場を離れることも忍びない。
結局レイラは物陰に隠れて、こっそりとドミンゴの姿を見つめていた。
「今回も僕の勝ちだな」
ドミンゴは勝ち誇ったように言った。
「まだだろ。誘い出せたらっていう条件だったぜ?」
「ハハハ。それももうすぐだよ。あの豚は僕に夢中さ。呼び出せばすぐに飛んでくるよ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「ドミンゴ。確かにお前の言う通りだよな。姫君はいっつもお前をみてる」
ドミンゴは楽しそうにクスクス笑いながら聞いている。
「しかし、ドミンゴ。お前すごいよな。あの高慢ちきな姫君を陥落させやがった」
「フハハ。ああいうお堅い女のが、案外攻略しやすいんだ。ちょっと優しい言葉をかけてやれば、あっという間に落ちる。簡単さ」
ドミンゴは自慢げに豪語した。
「さすがは名うてのプレイボーイだ。俺には真似できないなぁ。あのブスの顔を間近でみるなんて、ゾッとする」
「そりゃぁ僕だって、できれば御免こうむりたい。君たちとの賭けがあればこそだよ? 彼女のあの鼻の穴はすごいよ。息をする度に大きく膨らんで、笑いをこらえるのに一苦労さ。『ザルリディアの豚姫』とはよく言ったもんだ」
ドミンゴは「プププ」と笑った。
「それにしてもドミンゴ。お前大丈夫なのか? あの豚は執念深そうだぞ」
「ハハハ。心配はいらないよ。あの豚はプライドが異様に高いから、誰にもしゃべることはないよ。しゃべったとしても、何の証拠もない」
余裕の表情で事も無げに言う。
「かんざし渡してなかったか?」
「ああ。あれは道端で拾ったもんだよ。あんな安物を恋人に贈るとか、普通、有り得ないだろ」
「たしかに、今どき、子供でも挿さないよな、あんなちゃちいのは」
一斉に噴きだし、大笑いする。
レイラは耐え切れずに、そっとその場を離れ、逃げるように駆けだした。
人気のないところにたどり着くと、膝を抱えるようにしてしゃがみこんだ。
悔しかった。
悲しかった。
恥ずかしい。
今すぐ死んでしまいたい。
消えてしまいたい。
しばらく震えていたレイラだったが、ハッとして立ち上がった。
こんな所にいつまでもいるわけにはいかない。
レイラの姿が見えなくなれば、皆が心配して捜しはじめる。
こんな所にいるところを見つかったら、何があったのか詮索されるに違いない。
歯を食いしばり、右手の拳を震えるくらい握りしめる。
知られたくない。
絶対に知られるわけにはいかない。
レイラのプライドが決して許さない。
ザルリディア家の娘が、他家の男にバカされるなど、あってはならないのだ。
レイラは大きく息を吸うと、歩き出した。