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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
ラセリア
18/63

番外編 ルーフィスの死

ラセリアは帰宅すると、すぐに我が子の部屋へと向かった。

 息子のルーフィスは流感に罹患(かか)り、この数日、高熱が続いていた。

 ラセリアが部屋に入ると、ちょうど診察中だった。


 侍医は診察を終えると、ラセリアの顔を見たが、すぐに視線を落とした。

「肺炎を起こしていらっしゃいます。手の施しようがありません。明日まで持つかどうか……」

 暗い声で告げられ、ラセリアは苦しげな吐息をもらした。


「申し訳ございません」

 真っ青になった乳母が、涙を浮かべて平伏した。

 ラセリアは乳母をみて、目をつぶった。


「よい。幼子にはよくあること。誰のせいでもない」

 ゆっくりと目を開け、まるで自分自身に言い聞かせるに言うと、ルーフィスの枕元に顔を寄せ、頭を撫でさする。


 叔母のイルトリーリが部屋へと入ってきた。

「ルーベン殿は?」

 ラセリアはルーフィスを見つめたまま、イルトリーリに夫の行方を尋ねた。


「まだ連絡がつきません。どちらにいらっしゃるのか、全力でお探ししております」

「どうせ、今宵も戻らぬであろう。そういうお方じゃ」

 寂しげに笑いながら、ラセリアはルーフィスの頬を愛おしげに撫でる。

ルーフィスが薄目を開けた。


「おお。ルーフィス」

 ルーフィスはかすかに唇を動かした。

 ラセリアは手を握り、ルーフィスの口元に耳を寄せる。

「心配するでない。母はここにおるぞ」

 優しく微笑みかけ、手を握る。

 ルーフィスは微かに微笑むと、再び目を閉じた。

 

「ルーフィス。よい子じゃ」

 ラセリアはルーフィスにささやきながら、ずっと優しく頭を撫でていた。


 その様子を見ていたイルトリーリは、たまらず、口元をおさえ、肩を震わせる。

室内はすすり泣きにつつまれた。



*****

「ご当主様」

 家宰のダルベルトがラセリアを呼びに来た。

「時間か?」

 ラセリアはルーフィスを見つめながら、静かに尋ねる。

「はい」

 ダルベルトはラセリアに向かって深々と礼をした。


 ラセリアはルーフィスに頬を寄せると、顔を上げた。

今夜に限って、どうしても当主であるラセリアが出席しなければならない用事があった。

「イルトリーリ。後のことは頼む」

「畏まりましてございます」

 イルトリーリが頭を下げると、ラセリアはルーフィスの額にキスをし、すくっと立ち上がった。


「ルーフィス……」

 かすれ声で我が子の名をつぶやくと、ラセリアは顔を引き締め、ダルベルトを従えて部屋を出て行った。



****



 一気に階段を駆け上ったラセリアの髪から簪が抜け落ち、長い黒髪がハラリと舞った。

 ラセリアはもどかしそうに、子供部屋の扉をあけた。


 室内はひっそりと静まり返っていた。

天蓋付のベッドには、白い布を掛けられた、小さな身体が安置されていた。


「ルーフィス」

 ラセリアは我が子の名前をつぶやくと、倒れ込むようにベッドへと向かう。

 震える指で、そっと、白い布をめくった。


 まるで眠っているかのような、おだやかなルーフィスの顔があった。

 ラセリアはじっと我が子の死に顔を見つめる。

目から大粒の涙が次々に湧いてきて、ルーフィスの愛らしい顔にポタポタと落ちた。


「ルーフィス。すまない。母を許して……いいえ、許さずともよい。そなたの傍に居らなんだ母を恨め。憎め。母はそなたを看取ってやることなすことすらしなかった。妾は、妾は……」

 そう言うと、ルーフィスの亡骸にすがりつきながら声を上げて泣き出した。


 しばらくすると、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 バタンと大きな音を立て、荒々しく部屋の扉がひらいた。


「ルーフィス!!」

 ルーベンは大声で我が子の名を呼ぶと、ラセリアを押しのけるようにして、ルーフィスの枕元に駆け寄った。


「ルーフィス、目を開けろ。開けてくれ」

 ルーフィスの小さな肩を掴むと、大きく揺さぶった。


「ルーフィス、なぜだ。なぜ目を開けないんだ!」

 ラセリアは涙を拭うと、静かに立ち上がる。

取り乱す夫の姿をしばらく眺めていが、ハッとしたように室内を見回した。

ベッドの足元に、うずくまるように平伏している乳母に目を留め、その前にしゃがみこむ。


「連日の看病で、そちもさぞや疲れたことであろう。奥に下がって休息いたせ」

「申し訳……」

「これも運命(ざため)であろう。ルーフィスは、本当にそちによう懐いておった。そちは出来うる限りのことをしてくれた。礼を申す」

 ラセリアは乳母に向かって深々と頭を下げた。


「とんでもございません。もったいのうございます」

 恐縮する乳母の手をとり、ラセリアは微笑みかけた。

「ひとまず、ゆるりと休まれよ。必ず患うてくれるなよ」

 乳母は涙を流しながら頷くと、何度も見返りながら退出した。


 ラセリアは扉の横に佇むダルベルトに目配せをした。

ダルベルトはサッとラセリアのすぐ傍にやってきた。


「ダルベルト。葬儀の手筈はそちに任せる」

 ダルベルトは「はっ」と礼をすると、扉へとむかった。


「葬儀だと?」

 ルーフィスを抱きしめていたルーベンが冷えた低い声を出した。

室内は緊張に包まれた。


「よくそんなことが……。お前は悲しくないのか?」

 ルーベンは顔を上げ、ラセリアを睨みつけた。

「ラセリア。お前には母親としての情というものはないのか? ここまで冷たい女だったとはな……」

 吐き捨てるように言った。


「それはあんまりです。ラセリア様は……」

「イルトリーリ。よい」

 ルーベンに向かって言い返そうとしたイルトリーリをラセリアは止めた。

イルトリーリは納得できないといった様子で口を再び開きかけたが、ラセリアに目で制され押し黙った。


「よいのじゃ、イルトリーリ。本当のことなのじゃ。ルーベン殿の言うとおり、妾は母親失格じゃ」

 ラセリアは寂しそうな瞳でルーベンの方をみる。

 ルーベンはラセリアに背を向けたまま、ルーフィスを撫でている。

 ラセリアは悲しそうに目を伏せると、そっと吐息を漏らした。


「少々疲れた。妾は休息いたす。イルトリーリ、後のことは頼んだぞえ」

 凛と顔をあげると、歩き出し、扉に手をかけた。

振り返り、もう一度ルーフィスの横たわるベッドをみる。

ルーベンの拒絶するような背中を見たラセリアは、一瞬苦しそうに目を閉じ、再びカッと目を見開くと、扉を開け、子供部屋を後にした。





******************

******************


「母様」

「レイラ。妾はここにおるぞ」

 高熱にうなされながら母を呼ぶレイラの幼い手をラセリアはしっかりと握る。


「レイラ。レイラ、母はここにおるぞ」

「母様」

 真っ赤な顔を歪めながら、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す娘に何度も何度も呼びかける。


 医師にはただの風邪だと診断されていたが、ラセリアは言い知れぬ不安に怯えていた。


 あの時と同じだ。

あの時も、はじめのうちは心配ないと診断されていたのだ。

それでも、念を入れ細心の注意を払っていた。

それなのに……。


 また失ってしまうのではないか。

ルーフィスはあっという間に逝ってしまったのだ。

何も出来なかった。

それどころか、傍にいてやることもできなかった。

幼いルーフィスはどれほど心細い思いをしながら息を引き取ったのだろうか。

ラセリアは母親なのに、あの時、我が子を見捨てたのだ。

一族のためだなどという理由は、幼いルーフィスには通用しない。

母親の代わりなんて、誰もなれない。

ルーフィスにとって、母親はこの世でたった一人、ラセリアだけなのだ。

どんなことがあっても傍にいなければならなかったのだ。

それなのに……。


 ルーフィスが死んだのは、ラセリアが母親だったからだ。

我が子よりも一族を優先するような冷酷な女は母親になる資格などないのだ。

そう、母親の資格がない女の息子として生まれて来たがゆえに、ルーフィスは死んのだ。

レイラもそうだ。

レイラもラセリアの娘として生まれて来てしまった。

レイラも死ぬ運命に違いないのだ。


「ご当主様」

 ラセリアは、マティアスの呼びかけにも反応せず、レイラの手を握り、祈るように額をつけていた。


「ご当主様。お時間です」

 ラセリアは動かずにレイラの名を呼び続ける。


「ラセリア。レイラには私が居ます」

 マティアスの言葉にラセリアは激しく首を横に振っ

た。


 離れてはいけない。

今離したら、レイラを失ってしまう。



「ラセリア。私はレイラの父親です。レイラは私の子でもあるのです。私が傍にずっとついています」

 ラセリアをなだめるように肩を抱きながら、マティアスは優しく語りかける。

それでもラセリアは頑なにレイラから離れようとしなかった。


「レイラは死なせません。何があっても、たとえウィドゥセイト神が相手でも、私が必ず守り通します。保証します」

 マティアスのあまりにも非現実的な保証に、ラセリアは顔を上げ、その瞳をまじまじと見つめた。


「ご当主様。あなた様が一族のためになさることは、レイラのためにもなることなのです。レイラも我が一族の一員。一族の繁栄はレイラの幸せでもあります。違いますか?」

 ラセリアはハッとし、室内を見渡した。

イルトリーリもダルベルトも、他の者達も、ラセリアをまっすぐ見つめながら頷く。


「ラセリア。あなたにはあなたにしかできないことをすべきではありませんか? レイラの親はあなただけではありませんよ。私も親です。レイラは私に任せて、あなたは一族の長として、そしてレイラの親として、すべきことをしてください。でなければ、私がここに存在する意味がない」

 マティアスはラセリアからレイラの手を奪いとり、膝をつく。


「レイラ。父様が傍にいますよ」

 そう言いながら、レイラの頭を撫でる。


「父様」

「レイラ、母上はレイラのために、これから大切な会合に出かけます。共にお帰りを待ちましょうね」

 マティアスは、レイラの髪を優しくなでながら、穏やかに語りかける。

レイラは口元を緩めて頷いた。


「レイラ」

 ラセリアは我が子を抱きしめ、その額にキスをする。

レイラが熱に潤んだ瞳に微笑みを浮かべた。

ラセリアはレイラの頭を優しくなでた後、頬にキスをして、立ち上がりマティアスの方を向いた。

マティアスはゆっくりと頷き、そして深々とお辞儀をした。


「いってらっしゃいませ」

「うむ」

  ラセリアは頷くとダルベルトを従えて、部屋を出た。


 扉の閉まる音が響く。

ラセリアは立ち止まり振り返った。

扉に駈けよる。

ドアノブに手をかける。

が、ハッとして動きをとめた。

大きく息を吸い、ギュッと目を瞑る。

ラセリアは再び目を開くと、身体を反転させ、何事もなかったかのように歩きだした。

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