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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
ラセリア
14/63

祝言の晩

 ラセリアは寝室を見回した。

 前回この部屋を訪れたのは、いつだったのだろうか。遠い昔のことのようにも思えてくる。

 

 イルトリーリの配慮により、寝室の内装は変えられ、調度も全て入れ替えられていた。

 ラセリアにとって、それはとても有り難いことだった。

 この部屋には思い出したくない思い出が詰まっていた。

 それを思い出さなくてすむようにと、以前とは全く趣の違う部屋になっていた。


 叔母のイルトリーリは、ラセリアにとっては、姉でもあり、母でもあり、そして有能な側近でもあった。ラセリアにとってはなくてはならない大切な存在。

 イルトリーリは、いつも女性らしい細やかな心遣いで、ラセリアを補佐してくれている。

 

 ラセリアは、もしかすると一連の事件で、一番心を痛めていたのは、ラセリアではなくてイルトリーリなのかもしれないと感じていた。

 本当は、もう結婚なんて懲り懲りだと思っていた。

 次期当主については、一族の有能な子供を指名すれば、それで済む話だ。切磋琢磨させた方が人材の育成の面からも、良いのではないだろうか。

 そうは思ったが、そんなことを言えばイルトリーリが悲しむのがわかっていた。

 イルトリーリは決して口には出さないが、ラセリアが幸せな結婚をすることを願っている。だから、ラセリアは皆に勧められるままに、再婚をすることを決めた。


 でも、それだけだ。

 ラセリアは結婚にはなんの期待もしていない。


 幸いなことに、夫に選ばれたマティアスは、噂通りの変わり者のようだ。研究が思う存分できれば、後のことはどうでもいいらしい。

 実際、結婚が決まってからも、マティアスからは恋文の一つも届かなかった。その代りに、研究に必要な備品のリストと、事細かな予算案が届いた。

 家宰のダルベルトは不快をあらわにしていたが、ラセリアはその書類を目にしたとき、正直なところ、かなりホッとした。

 

 無駄な甘ぬるい幻想を抱くより、事務的な契約の方がすっきりしていていい。

 それにマティアスが美男でないところも気に入っていた。影が薄く、存在感が全くないところも、嫌いではない。

 野心にあふれたモテ男とは、プライベートでは二度と関わりたくなかった。

 

 部屋の外が騒がしくなった。


「ご当主様。花婿様がおみえでございます」

 侍女に声に、ラセリアは「お通しせよ」と返事をした。


 扉が開く音がした。

 ラセリアはゆっくりと振り向いた。扉の向こうに先ほど夫となったマティアスが立っていた。

マティアスは部屋に一歩入ると立ち止まり、ラセリアに向かって一礼をした。そしてラセリアの前までくるとおごそかにひざまずく。

ラセリアは無言でそんなマティアスの様子を観察していた。


「わたくしはご当主様に忠誠を誓います。ご当主様がご決断あそばされたことならば、それがどのような事でも、たとえ一見、非道と映ることであったとしても、わたくしはそのご決断を全面的に支持いたします」


 ラセリアは思いもかけない展開に、茫然とマティアスの薄くなった頭頂部を見下ろしていた。


 今、ラセリアの前に跪いているのは、本当にあのマティアスなのだろうか。

 ラセリアの認識しているマティアスは、影が薄く、端の方でこそこそしているだけの、研究にしか興味を示さない変わり者だ。祝言の最中も、その後の身内だけの会食でも、主役の一人であるにもかかわらず、存在を忘れてしまいそうになるほど気配がなかった。

 その影の薄さから、マティアスは取るに足らない、毒にも薬にもならない人物だと、ラセリアは勝手に思い込んでいた。しかし、その認識は間違っていたのかもしれない。ラセリアは本質を見ようともせず、ただ漠然とマティアスを見てくれだけで判断していただけだった。


「ご当主様に間違いはございません。いえ、そもそもこの世には完全なる正解も、完全なる間違いも存在いたしません。有るのは覚悟。その選択により生じる様々な不都合を受け止める覚悟です。ご当主様がご決断あそばされたということは、そのお覚悟をなさったということ。わたくしはそのお覚悟を支持し、どこまでもお支えいたします」


 語り続けるマティアスの話を、ラセリアは驚きながらも、じっと静かに聞いていた。


 マティアスは、決断するということがどういう事か分かっているようだった。


 ラセリアは常に決断を迫られている。

 判断材料もほとんどない状況で、即座に決断を下さなければならないことも多い。たとえ選択肢が数多くあっとたてしても、どの選択肢も全ての条件を満たすことはできない。なにかを切り捨てなくてはいけないのだ。

 なにに重きをおくのか、なにを優先するべきなのか。

 実際には切り捨てるモノの方が多い。犠牲者がでると分かっていながらも、切り捨てなければならないときもある。人としての情すらも、捨ててしまわなければならないときもある。たとえ「人でなし」とそしりを受けても、当主として決断をしなければならない。


 決断してからも、ラセリアは「これで良かったのだろうか」、「他にもっといい方法があったのではないか」と何度も何度も自問自答する。

 決めてしまった事だから、その後にぐだぐだ考えても仕方ないとはわかっている。

 しかし、それでも考えてしまうのだ。

 もちろん、そんな素振りは微塵も見せない。ラセリアが戸惑っていれば、他の者は不安になってしまう。当主はデンと構えて居なければならない。

 事態が思わぬ方向に転ぶこともあるし、判断ミスをしたと、後から気がつくこともある。

 それでも、ラセリアは戸惑う素振りは絶対にみせない。

 しかし、心の中では、なぜ予想できなかったのか、なぜミスを犯したのかと、自分のいたらなさを責め続ける。

 未熟な自分が情けなくて、悔しくて。

 それでも、立ち止まることは許されない。過去に捕らわれていては先に進むことができない。

 状況は刻一刻と変化していく。ラセリアを待っていてはくれないのだ。

 傷口を広げないために、次々に手を打っていかなければならない。顔を上げて前を向き、決断し続けなければならない。

 それが一族を率いていく当主としての責務だった。


「わたくしはいついかなる時でも、ご当主様の味方でございます。お誓いいたしましょう。いにしえの名も無き神の御名にかけて」


 マティアスは顔をあげ、真摯なまなざしでラセリアを見つめた。ラセリアもマティアスをじっと見つめ返した。


 信用できる。

 ラセリアは、直観的にそう感じた。


 マティアスは一族を率いていくことが、どういう事なのかを理解している。わかっているからこそ、盲目的にラセリアを支持するのではなく、何もかも呑みこんだ上で、ラセリアの決断を支持すると言ってくれているに違いない。 

 得難いことだった。

 口では「忠誠」といいながらも、いざとなると逃げだす者がほとんどだ。こちら形勢が悪くなれば、あっという間に態度を変えて非難してくる。

本当の意味で、忠誠を誓ってくれる者は、数少ない。

 ラセリアは今、心から信頼できる味方を得ることができた。何があっても、どのような不都合な事態に陥ったとしても、ラセリアの決断を支持し続けてくれる存在を。

 ザルリディア家当主として、こんなにも心強いことはなかった。


 ラセリアはマティアスの瞳を真剣に見つめ、ゆっくりと鷹揚おうように頷いた。

 マティアスは「はっ」とばかりにかしこまった。


「わたくしは魔術しか能のない人間でございます。その他のことは何一つ満足にできません。ですが、魔術だけは、他の誰にも負けない自信がございます」


 マティアスの身体から、ゆっくりと魔力が立ち昇りはじめる。

 先ほどまでのマティアスからは想像できないくらいの圧倒的な魔力。それは、ルーベンとは比べ物にもならない。一族の者でも、これほどの魔力を持った者は、現在、ラセリア以外にはいないだろう。

 しかし、ラセリアは不思議と驚かなかった。それどころか、妙に納得していた。

 思えば、以前から、微かに違和感を覚えていた。マティアスは師範魔術師にしては、少々不自然なくらい魔力が少なかった。

 が、それは今になってわかることで、その違和感は漠然としすぎていて、意識に上がってくることはなかった。潜在意識の中で感じていた違和感だった。


「わたくしの力が必要ならば、いつでも、どのような事でもお命じ下さい。もう二度と、宝珠の力をお使いになられませぬよう……」


 マティアスはそこまでいうと顔をあげ、ラセリアの目をじっと見つめた。

 その、何もかも見通しているような深い瞳に、ラセリアはゴクリと唾をのみこんだ。


 気づかれていた。

 ルーベンを叩きのめしたとき、ラセリアは宝珠の力を借りた。

 ラセリアはルーベンに魔力と技術は優っている。しかし、あのようにちまちまと甚振いたぶることができるほど優ってはいなかった。

 もちろん、宝珠の力をかりていることを誰にも気がつかれないように、細心の注意を払っていた。

 だが、マティアスにはお見通しだったのだ。

 あの時、ルーベンを倒した後に、もしマティアスが族長に名乗りをあげていたら、ラセリアは確実に負けていたはずだ。

 たとえ宝珠の力を借りたとしても、あの時の疲弊した状態のラセリアには無理だった。

 マティアスの魔力はラセリアに匹敵する。

 今、素で勝負したら、おそらくラセリアはマティアスに勝つことができない。

 多少魔力が優っていたとしても、それを操る技術は、マティアスのほうが年齢を経ている分、優っているに違いない。なにしろ、長年にわたり、ラセリアをはじめとした一族の者たちに、魔力を隠していることを気取られずにいたくらいの技術の持ち主なのだ。


 ラセリアは背筋がヒンヤリするのを感じていた。


「お約束くださいますね?」

 マティアスは静かに言った。

 ラセリアは両手で自分の胸をぐっとおさえながら、コクリと頷いた。


 マティアスは顔をほころばせると、スッと立ち上がり、ラセリアを抱き寄せた。

 ラセリアはギュッと目をつぶり、身体を固くしながらも、マティアスに身体を預ける。 

 マティアスがラセリアの緊張をほぐすかのように優しく頭をなでたが、ラセリアは力を抜くことができなかった。


 本当はずっと望んでいたことだ。ずっとこうして、優しく抱き寄せて欲しかった。

 それだけで充分だった。それだけで、ラセリアは幸せになれたのだ。

 しかし、その願いは叶えられなかった。

 願えば願うほど遠のいて行った。

 拒絶されるような気がして、それが怖くて、ずっと口に出来なかった。


「あなた様は想像していたよりも華奢でいらっしゃいますね。ああ、こんなにも細く、か弱いお身体に、一族の運命を背負っていらっしゃる」

 ラセリアは目を見張り、顔をあげた。

 マティアスのとろけるような優しい眼差しに遭遇し、ラセリアの瞳がみるみる潤んでくる。


 ひとしずくの涙がポロリと零れた。

 なぜ涙があふれくるのか、ラセリアには分からなかった。


 人前で涙を流すなんて、みっともない。

 当主である自分が誰かの前で泣くなんて、あってはならない。はやく涙を止めなければいけない。

 しかし、止めようとすればするほど、涙はとめどもなく湧いてきて、ラセリアの頬をぬらした。


「孤独の中で、独り闘ってらしたのですね」

 マティアスが親指でラセリアの溢れる涙をぬぐった。ラセリアは思わず声を洩らしそうになり、口元を手で抑えた。

 マティアスはラセリアをギュッと抱きしめる。ラセリアは身体を固くし、震わせた。


 これは嘘だ。そうに違いない。

 ラセリアのご機嫌をとるために、耳あたりのいいことを並べ立てているだけだ。

甘い言葉に騙されてはいけない。もう期待しないと決めたはずだ。

愚かだった。勝手に期待して、勝手に裏切られて……。

あんな惨めな思いは、二度としたくない。


「心配はいりません。ここにはあなたと私しかおりません。大丈夫。思いっきり泣いていいのですよ。誰にも知られることはありません」


 マティアスに耳元でささやかれ、ラセリアはマティアスの胸ぐらを掴み、押しのけようとした。

しかし、出来なかった。なぜか腕に力が入らなかった。

ラセリアは崩れるようにマティアスの胸にすがりつき、嗚咽を洩らした。


 これ以上優しくしないでほしかった。

 とっくの昔に忘れたはずなのだ。やっと立ち直れたのだ。

 優しさなんて、そんなモノは必要ない。砂漠の蜃気楼のように、求めれば求めれるほど、遠のいていくだけ。優しさなんて、所詮は幻想なのだ。


 ラセリアは心を奮い立たせようと、心の中で自分を叱咤した。


「どうか、私と二人きりの時には、当主の仮面をお外しください。一人のか弱い女性になってください。泣きたければ泣けばいい。怒りたければ怒ればいい。八つ当たりしたって構いません。大丈夫。何があっても、私はあなたのお傍を離れません。どうか誰も知らないあなたを見せてください。それが、あなたの夫である私の特権なのですから」


 マティアスはラセリアの頭に頬を寄せ、慈しむように撫でた。


「ずるい」

 ラセリアは嗚咽をこらえながらつぶやいた。

 こんな風に優しくされたら、耐えられない。

マティアスは、まるで何もかもわかっているようなことばかり言う。そんなに簡単に分かるはずはない。他人の心なんて分かりっこないはずだ。

 ラセリアは、ずっと誰にも頼らずに、ひとりで頑張ってきたのだ。今さら、誰かに寄りかかるなんてできない。

 もし、心を許して、その後に相手が態度を変えたら、今よりももっと辛くなるのは明白だ。

 これ以上の辛さに耐えられる自信はない。きっと心が壊れてしまうに違いない。


「何も知らないくせに……」

 かすれる声でそう言ったラセリアの耳元に、「クスッ」という笑い声が聞こえた。


 驚いたラセリアは顔をあげ、微笑むマティアスに向かって、不服を述べようと口を開きかけた。

 その瞬間、ラセリアの口をマティアスの唇が塞いだ。驚いて目を見開くラセリアの身体を、マティアスがきつく抱きしめる。

 ラセリアは、身体の力が抜けそうになるのを感じ、無意識にマティアスの首に腕を絡めた。


 お互いをむさぼるような口づけを交わした後、ラセリアはマティアスの胸に顔をうずめて小さく息をついた。


「無礼者……」

 弱々しく声を震わせながらも、ラセリアは強がった。

 マティアスの優しさと情熱を味わい、それに身をゆだねてはいたが、まだ心は素直に受け入れることができなかった。


「どのような罰も、謹んでお受けいたします」

 マティアスはラセリアの耳に口を近づけ、うやうやしくそう言うと、ラセリアを抱え上げる。

 突然宙に浮いたラセリアは、反射的に「キャ」っと短い悲鳴をあげてしがみついた。

 

「そんな可愛らしい声をたてられたら、もっと無礼をはたらきたくなりますね」

 マティアスは「クスクス」と笑いながらベッドへと向かって歩き出した。ラセリアは黙ったまま、マティアスに絡めた腕に力をこめてギュッとしがみついた。

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