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ある一族の物語  作者: 岸野果絵
ラセリア
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会議の数日前

 エルトファナは荷物をまとめているマティアスを眺めていた。

 マティアスは愛弟子レグラの弟子。

エルトファナにとっては孫弟子にあたる。

そして、同じザルリディア一族でもあった。

 マティアスは、師匠のレグラが先の内乱に続く震災で命を落としてからは、こうして定期的に、エルトファナの元に魔術の教えを乞いに来るようになった。

 今や、90歳を超えた最長老・エルトファナの元に教えを乞いに通ってくるのは、マティアスくらいだった。

皆、遠慮しているというよりは、他の細々とした事柄に捕らわれていて魔術の研究をないがしろにしているのだ。

自分が長年研究し、蓄えてきた知識を、少しでも多く次の世代に伝えたい、と考えているエルトファナにとって、それは非常に残念なことであったが、こうして一人だけでも自分の元に来てくれるのは嬉しかった。


「マティアス。あぁたは、このままずっと独りでいるつもりなの?」

 エルトファナは、時たまこの台詞を言う。

その度にマティアスは苦笑いを浮かべる。


「ご縁があればと言いたいところですが、私にはそのご縁すらございませんので……」

「そうかしら? あぁたみたいな良い人は、なかなかいないと思うんだけどねぇ」

「ありがとうございます。そう言ってくださるのは、大先生だけですよ」

 いつもはこんな風なやり取りをして、この話題は終了する。


 マティアスは自分の容姿にコンプレックスを持っている。

そのため、端っから諦め切っているのだ。

魔術に対しては、異様なほどの粘り強さで喰らいついてくるのに、他の分野になると、全くと言っていいほどやる気を見せない。

エルトファナは、もったいないと思っている。

マティアスには魔術以外にも伸び代がたくさんある。

他のことにももう少しやる気を持ってくれたら、もっと道が開けるに違いない。


「マティアス。あぁたは、ご当主様をどう思う?」

「どう、と申されますと?」

 不意に問われたマティアスは怪訝な顔をする。


「好き? それとも嫌い?」

「大先生。一族の者に、ご当主様を好きでない者など、居るわけがございませんでしょう?」

 マティアスは、意図を探るように、エルトファナの瞳を見つめた。


「そうね。でも怖いでしょ?」

「怖い? 何がです?」

 エルトファナの問いに、マティアスは不思議そうに首をかしげた。


「ほら、こないだのご当主様。あたしは、もうおっかなくって、おっかなくって。あぁたも怖かったでしょ?」

 つい先日、現当主であるラセリアは、夫・ルーベンが、他の女との間に生まれた子供を次期当主にしようと画策していたことを知り、激怒した。

そして、ルーベンを一族の目の前で完膚なきまでに叩きのめし、追放したのだ。

笑みを浮かべながらルーベンを嬲るラセリアの姿は、一族の者を震え上がらせた。


「大先生。そうやって私をお試しになるのはお止め下さい」

 マティアスはなじるよう笑いながら、エルトファナの顔を上目づかいに見た。

しかし、エルトファナは真剣なまなざしで、黙ってマティアスをみつめているだけだった。

マティアスは困ったように息をつくと続けた。


「見せしめにするなら、あれくらいしないと意味がないじゃありませんか。それに、怖いどころか、ご当主様はとてもお優しい方ですよ」

「そうかしら?」

 エルトファナは表情を変えずに、マティアスの瞳をうかがうように見つめる。

 マティアスは観念したかのように口を開いた。


「ルーベンさんの命までは奪わなかった。普通なら、文字通り血祭りにあげるはずです。まぁもっとも、プライドの高いルーベンさんとしては、生き恥を晒すよりは、いっそ殺してくれた方が良かったと思ってらっしゃるかもしれませんがね」

「もし、あぁたがルーベンの立場だったらどうする?」

「そりゃもちろん、即土下座いたします。バレたと気がついた時点で、なりふり構わず、地面に額をこすりつけて、『なんでもいたしますから、どうかご慈悲を……』と泣いてすがります。命は惜しいですからね」

 まるで試すかのようなエルトファナの問いに、マティアスはなめらかに答えていく。


「そう。じゃあ、もし、『今すぐ相手の女とその子供の首を持ってこい』って言われたら?」

「即座に献上いたします」

「自分の子供の首でも?」

「当然です。ご当主様はお優しいお方。私情でそのようなご命令をなさるようなお方ではありません。なにか大きな意図がおありになるはずです。ザルリディアの一員として、ご当主様のご命令には従わなければなりませんでしょう?」

 そこまで言うと、マティアスは「フッ」と皮肉な笑みを浮かべた。


「もっとも、私なら、ルーベンさんのようなヘマは致しません。女性にかまけている暇があったら、研究に費やした方が、どれだけ有意義かしれませんし。まぁそもそも、私の相手をしてくれるような女性など居りませんし、居たとしたなら、なにか思惑があるに決まってます。そんな危ない橋を渡るほど、私は愚かではありません」

「そこまでわかっているのなら、なぜ名乗りをあげない?」

「名乗り?」

 エルトファナの問いにマティアスはきょとんと首をかしげた。


「ご当主様の婿になったらいいのに」

「冗談じゃありませんよ。あのしち面倒くさい爺様連中とお近づきになるなんて、真っ平御免です」

 マティアスは首と右手を盛大に横に振った。


「それに」

 そう言うと、少し俯き、視線を斜め下に落とす。


「私がお相手では、ご当主様がお気の毒すぎます」

 微かな声で、ぽつりと呟くように言った。


「そうかしら? あたしはそんなことないと思うよ。あぁたはとても優秀でいい子だから」

 エルトファナは小首を傾げながら、マティアスに微笑みかけた。 


 マティアスは年齢と容姿を気にしているに違いなかった。

たしかに、マティアスはラセリアより、一回り以上年上だ。

しかし、エルトファナに言わせれば、それは不利な条件ではなく、むしろ好ましい。

 ラセリアは20代という若さで、一族を完全に掌握し、老獪な王家や貴族たちと堂々と渡りあっている。

幼い頃から大人に囲まれ、大人のように振る舞わなければならないという、環境で育ったラセリアは、精神的に早熟にならざるを得なかった。

そんなラセリアの目には、年齢が近い者は幼稚に映ってしまうはずだ。

同世代の男性よりも、年上の落ち着いた男性の方が上手く行くのではないだろうか。


 それに、容姿の美しさなど、たかが一時のことだ。

年齢を重ねていけば、どんなに美しい者でも、容姿は衰えていく。

エルトファナくらいの年齢になれば、若い頃の容姿の面影はほとんどなくなってしまう。

 真の美しさは、内面からにじみ出てくるものだ。

どんなに整った美しい顔立ちをしていても、性根が腐っていれば、その醜さが自ずと表面にあらわれてくる。

若いうちは誤魔化せても、年を経れば経るほど、その目つきや表情、仕草が際立っていく。

それを誤魔化すことは、とても難しい。

 マティアスは外見だけで判断すれば、美しくない。

しかし、内面は違う。

他人の立場に立って物事を考え、行動することができるし、物事を真摯に受け止めて、真剣に取り組むという誠実さもある。

私情に流されない、冷静な判断力も備えている。

マティアスは誰にも見劣りはしない。


「大先生……」

 マティアスは顔をあげエルトファナの瞳をじっと見つめたが、すぐに悲しそうに視線を落とした。


「そもそも、私のような末端には、別世界のお話なんです。蚊帳の外なのですよ」

「末端……。せめて、レグラが生きていればねぇ……」

 エルトファナは愛弟子・レグラの愛嬌のある、人懐っこい笑顔を思い出す。

レグラは前当主の片腕と目されていたくらい優秀な魔術師だった。

あの内乱さえなければ、今も健在だったはずだ。


「勘違いなさらないでください。私は今のポジションに満足しております。余計なことに巻き込まれることもなく、のん気に研究に没頭できる。蚊帳の外は実に居心地がいいものです」

 マティアスはニッコリと満足そうに微笑んだ。


「あぁたがそれでいいなら、いいけれど……」

 エルトファナはため息をついた。


 これ以上言っても無理だった。

言えば言うほどマティアスは固く心を閉ざす。

 一族の中で、魔力も知能もマティアスが群を抜いている。

マティアスは、当時、中級魔術師だったのにも関わらず、ラセリアの母の花婿候補に名前が上がったこともあるのだ。

しかし、そのことを覚えているのは、今やエルトファナぐらいだろう。

 優秀だったマティアスは、いつの頃からか、自分の能力をひた隠しにするようになった。

何がきっかけだったのかは、エルトファナは知らない。

 おそらく、レグラは知っていただろう。

しかし、マティアスのことを一番理解し、とても可愛がっていたレグラは、もうこの世にはいない。

マティアスの心の内を分かってやることができる唯一の存在は居なくなってしまった。

 エルトファナではレグラの代わりにはなれない。

レグラはエルトファナにとって、代わる者などいない、かけがえのない愛弟子だ。

そしてマティアスにとってのレグラも、代わる者などいない、かけがえのない師匠なのだ。

もはや、マティアスの固く閉ざされた心の蓋をこじ開けることができる者は、この世には存在しない。


「大先生。私はこれにて失礼いたします」

 マティアスは立ち上がると、一礼した。


「そう。気をつけてね」

 エルトファナはニッコリと微笑む。

マティアスもニッコリ微笑むと再度礼をして、部屋から出て行った。

その姿を眺めながら、エルトファナは哀しいため息をついた。

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