恋、乞い
「うわ」
今年こそは渡そうと思って、持ってきたのに。
(やっぱり、すごい量もらってるなぁ)
「あれ、サカモトじゃん」
「わ」
後ろから肩を叩かれて振り向いた。山積みのチョコレートの受け取り主。
「今年もいっぱい来たなー」
「食べられんの?」
「半分は弟が食ってる」
「ひっど」
「一人一人には感謝してるって」
笑いながら、カバンの中に大量のチョコレートを流し込むサイトウ。
「じゃあこれ以上はいらないよね」
冗談のように笑って、箱をカバンにしまった。サイトウの迷惑になるくらいなら、渡す価値もない。
「え、やだやだ、サカモトのは食いたい」
「え」
「サカモトの、いつも美味しいじゃん。ちょーだい」
食べたい、という彼の顔をまじまじと見つめた。
「……しょーがないな」
義理だからね、と言って渡すと、嬉しそうに
「サンキュー」
体操着袋に丁寧にしまってくれた。
「義理だからね」
「なんでもいいって。美味しけりゃさ」
誰のよりも大切に作ったんだよ、なんて言えなくてもいい。
(食べてもらえるだけで、幸せだもの)
「帰ろーぜ」
「うん」
どんよりとした冷たい空の下で、心だけは心地よい満足感で暖かかった。
サカモトと別れ、サイトウはため息をついた。
(結局、渡せなかったな)
ヤマモト宛に買ったチョコレートは、カバンの奥にしまいこんだままだった。いくじなし、と自分を罵る。
たくさんの女子の好意を迷惑に思っているわけではなかった。サカモトのチョコレートが欲しいと思ったのも本意だったし、ありがたくもらったのも事実だ。
だが、サイトウは気づいている。自分のーー少なくとも、今の恋愛対象は「男」であることに。
自分でも愚かだと思っている。相手が自分を選んでくれるわけはなく、こちらがアプローチをかけたならばひかれるだろう。
(それでも、好きになっちゃったんだから、仕方ないじゃないか)
唇を噛んで、肩紐を握り締めた。そうしないと泣いてしまいそうだった。
「よっ」
不意に肩を叩かれた。
「ヤマモト」
「モテ男、いっぱいもらったんだろ?羨ましいわー」
無邪気な言葉に上手く笑い返せただろうか。
(そんなこと言うなよ、わかってたけど、それでも、)
「……わり、ちょっと頭痛いから、また今度な」
「え?おう、大丈夫か?気をつけてな」
「ありがとう」
足早にヤマモトと別れた瞬間、鼻の奥が痛くなった。
「……ぅ、ぁ、」
視界がぼやける。道路に誰もいなくてよかった。しゃがみ込んで俯いた。喉がひきつって息ができない。咳き込みながら袖を目に押し付けた。
(こんなに苦しいのに、なんで嫌いになれない?)
「マーユーミッ」
後ろから首筋に腕を巻きつける。
「ミスズ」
「やほ。どうだった?」
「……義理って言っちゃった」
「ありゃま」
「で、でもね!美味しいから欲しいって言われたの!」
「おおー、すっごい!」
ヘラヘラと笑ってサカモトの話を聞く。自分以外の人に恋をする彼女。
(そんなヤツほっといて、あたしのチョコ受け取ってよ。義理じゃない、とっておきの、マユミのことだけ考えて作ったチョコ)
叶うはずのない望みが心の中でくすぶる。サカモトが振られることを願う自分の気づいて、またうんざりした。
(もともと、あたしが変なのくらいわかってたじゃん)
それでも、彼女が愛しいのだ。ヤマシタはポケットに入れた箱をいじる。渡すのは簡単だ。ごまかすことも。けれど、好きな人を困らせるのは本意ではない。嫌われて距離を置かれるくらいなら、「友人」という立場に甘んじていたいのだ。
「ちょっと、ミスズ聞いてる?」
「聞いてるって。それで?」
「うん、あのね……」
笑顔は絶やさない。サカモトに本音を悟られないように。
「あ、今日私こっちから帰るから!」
「はいはーい。じゃね」
「ばいばーい」
手を振って別れた夕方の道に冷たい風が吹く。マフラーに口もとをうずめて、息を吐いた。
(寒い)
ポケットに突っ込んだ手に、渡せなかったチョコレートの箱があたる。
「あ」
形が気に食わなくて、昨日の夜遅くまで直したリボンの赤が目に染みた。
「……ばか」
自分も、気づかないサカモトも。
(どっちも大ばかだ)
「ただいまー」
靴を脱ぎ捨てて、二階の自室にカバンを放る。ケータイを開き、メールを見た。新着メールはない。
「あーあ」
パタンと閉じて、ベッドに寝そべった。
「今年も、くんねーのか……」
窓の外を見る。向かい側に住む想い人はまだ帰っていないようだ。床に打ち捨てたカバンから、同じ部活の女子からのお情けチョコが覗く。「どうせ貰えないでしょ」だなんて言われながら、「ありがてぇ!」なんてふざけながら。
(嬉しくねーよ、ミスズのじゃなきゃ)
幼なじみのヤマシタを好きだと自覚したのはいつだろう。昔のように「ミスズ」「ユウタ」と呼び合わなくなったのはいつからだろう。バレンタインという行事が浸透してから、2月14日が近づくとヤマシタは、あからさまにヤマモトを避けるようになった。
(無理に寄越せとは言わねーけど、さすがに傷つくぜ)
がばりと起き上がって、窓の外を眺めた。雪でも降りそうな空模様。遠くの方に、ヤマシタが見えた。
「お」
近づいて来たら声をかけてやろうと思って窓を開ける。しかし、近づくにつれ、ヤマモトは異変に気づいた。
(目が、赤い)
心臓が冷たくなった。
「ミスズ」
呼びかけると、こちらを見上げてきた。泣きそうな顔、いや、既に泣いている。
「待ってろ」
階段を駆け下りて、靴をつっかけてヤマシタのもとへ走る。
「どうしたんだよ」
「……ユウタ」
濡れた声。
「あたし、渡せないよ……マユミに、嫌われたく、ないぃ……」
氷を浴びせられた気がした。
(ああ、そうか)
ヤマシタには好きな「女」がいたのだと、それだけの話なのだ。今時珍しくもない。
「ユウタぁ……あた、あたしっ、渡せなかった……」
「わかったって。頼むから、泣くなよ」
泣きじゃくるヤマシタを抱き締めて、ヤマモトは目を閉じた。