第27話 甲板戦
「前方に船影、衝突します!!」
「両舷停止!!」
突然目の前に現れた帝国艦を前にして艦橋にいた森村は即座に指示を飛ばす。
「むらさめ」型以降、海上自衛隊の艦船には航海中においては艦橋にあるボタン一つで簡単に速力の切り替えができる遠隔制御装置が採用されているものの、それ以前に就役した「ゆきかぜ」では一々艦橋から指示された速力を一度操縦室の操縦盤で調整しなければならないため、周囲が抱く焦る気持ちとは裏腹に衝突寸前のギリギリになってようやく速力が落ちていく。
「総員、何かに掴まれ!!」
大戦中、魚雷の命中における初動段階の死因の第一位は衝撃そのものであった。
反射的に森村は艦橋の椅子から飛び降りてしがみつくとともに目をつぶり、口を開けた。 そうすることによって体に受けた衝撃によって目玉が飛び出さず、衝撃の勢いで行き場のなくなった体内の空気を口から逃がせるわけだ。
彼がしゃがみこんだ直後に鈍い音とガリガリと船体を削るような大きな振動が響きわたると同時に、「ゆきかぜ」の速力は急速に落ちて停止する。
「く、状況しらせ!!」
「か、艦長...艦首が敵艦に刺さってます!!」
軽く頭を打ったことによりふらつく体を抑えつつ、森村が視線を向けるとそこには江戸時代末期にやって来たと言われる黒船に酷似した外輪船の姿があり、「ゆきかぜ」の艦首がその船首と交叉して突き刺さっている光景があった。
「おいおい、嘘だろ......」
「こ、後進しますか!?」
「ダメだ、後続のためにもこのまま押し出せ両舷前進一杯!!」
森村の指示で即座に「ゆきかぜ」のガスタービン機関が増速による唸りをあげ、突き刺した「クレミア・サルベール号」ごと前進していく。
その一方で、「クレミア・サルベール号」の操舵室ではクレリアが声を荒げている光景があった。
「機関室、前進に切り替え、敵船を押し出すのよ!!」
「ゆきかぜ」に押し返されようとしていることに気付いたクレリアもまた、機関を前進に切り替えて押し返そうとする。
しかし、天才少女であるターニャの設計で水管ボイラーによる高圧蒸気を使用した蒸気タービンによってスクリュー推進するフランメ王国の「グラント号」と違い、炉胴ボイラーの低圧蒸気をシリンダーに流し込んで動力に変換(簡単に説明するとSLと同じ)するレシプロ機関を採用する外輪船では力不足で逆に押し返されてしまう。
「力負けって...く、どういう機関を積んでるのよ!?」
「姫さま、何をしてるんですか!!」
操舵室の扉が勢いよく開かれるとともに、一人のメイドが声を上げる。 彼女の目には小さな体で舵輪にぶら下がるクレリアの姿があった。
「レベッカ、交代よ!!」
「ひ!? 何で舵を握っておられるので...船長達はどこへ?」
「彼らならそこで伸びてるわよ!!」
レベッカの足元には追突による衝撃で倒れている船長達の姿があり、皆が意識を失っている有様であった。
「彼らが庇ってくれたおかげで私だけ無事だけど一人で舵は操作するのはちょっと辛いわ」
「か、代わります!!」
未だ状況がよく分からなかったものの、レベッカはクレリアと交代して舵輪を握る。 しかし、「ゆきかぜ」に押し返されている影響からか舵の自由は利かず彼女一人では支えきれそうにはなかった。
「ふー、これは大変なことになったわね」
「わわわわわ、舵が勝手に...」
「我慢しなさい!!」
レベッカがあたふたする中、クレリアは落ちていた船長の制帽を被り思考を巡らせる。
「このままじゃ海に落ちても押しつぶされてしまうわ...今すぐ反撃しないと...... 」
「反撃って!?」
「全ての兵を敵船に乗り込ませるのよ!! この状態じゃ大砲も撃てないから白兵戦しかないわ!!」
「何を言ってるんですか!?」
「舵は任せたわ、私は甲板で指揮を執るから」
「姫さま------!!」
舵を持ったまま泣き言を上げるレベッカをよそにクレリアは甲板へと走り出していく。
「帝国船から発砲!! 帝国兵が乗り込んできます!!」
「嘘だろ、いつの時代の話だ!?」
「く、立入検査隊を向かわせろ...... 副長、陸戦隊揚陸部署も発動させて手空きにも銃を配れ!!」
敵兵による斬り込み戦闘など日本の歴史上では明治維新における宮古湾海戦以来の出来事であり、当然ながら150年以上経った現在の海上自衛隊にそのようなことを考慮した訓練など実施されたことはない。
「ひええええ」
「逃げろーーー」
艦首から乗り込んできた近衛兵を前にし、砲塔内にいた加納達が慌てて艦内へと避難しようとするも一人の若い隊員がつまづいて転んでしまう。
「お、お母さーん!!」
「野郎、何しやがんだ!!」
部下に斬りかかろうとした近衛兵のサーベルを加納は持っていたスパナで受け止める。
「台長!?」
「早く逃げろ!!」
「ひ......」
「おらあ!!」
避難する部下を尻目に加納は近衛兵の身体を蹴り飛ばし、スパナで相手の頭を殴る。
「無断乗艦は俺が許さねえ、文句あるやつはかかってこい!!」
加納は自分の領域が犯された怒りを露わにし、斬りかかってきた他の近衛兵を殴りつける。 CPOでは鬼の台長の異名を持つだけあって複数の兵士を相手にしつつも物怖じせぬ光景を前にして一瞬だけ戦況は硬直する。 しかしながら、付近に撃ち込まれた無数の銃弾とわらわらと艦首から乗り込んでくる近衛兵を前にして流石の彼も顔から血の気を引いてしまう。
「やべえ...」
「台長、早く中へ!!」
「うお!?」
近衛兵に向けられた9ミリ拳銃の援護射撃のもと、加納が命からがら声のもとへたどり着くとそこには立入検査隊の装備を身につけた武藤(砲術士)達の姿があった。 今作戦には離島奪還作戦も考慮されていたため「ゆきかぜ」では元の世界へと向かう前に完全装備の立入検査隊を待機させたことが幸いし、彼らは森村の命令が下されるとともに即座に駆けつけてきたのである。
「まさか乗り込まれるとは......」
「うお!? 奴らマスケットじゃなくてライフル持ってやがる」
クレリア直属であってか帝国の近衛兵達は採用されたばかりのライフル銃を所持しており、そのマスケットの4倍以上の有効射程を活かして「クレミア・サルベール号」から直接撃ってきている。 一応、訓練は受けてこそいるものの、慣れない白兵戦を前にして立入検査隊員達の動きは芳しくない。
それもそのはずで、海上自衛隊では陸上自衛隊と違い専門マークにおいて警備を担当するものがおらず、立入検査隊や基地警備に従事する隊員は基本的に本職との掛け持ちで従事していることが一般的であるからだ。
近年でこそ警備の一環で離島防衛が追加されたものの、装備や教育の改革が未だ発展途上であり精鋭部隊である帝国近衛兵とは明らかに練度において差があった。
「砲術士、このままでは乗り込まれます!!」
「くそ、こいつら強すぎる...早く機関銃を持って来てくれ」
銃撃によって負傷した部下を庇いつつ、開放したままの防水ドアを盾にしていた武藤の視線の先には衝突した衝撃の影響で「クレミア・サルベール号」のマストが「ゆきかぜ」の艦首にのしかかり、その上を伝って剣を持った近衛兵が乗り込もうとしてくる光景があった。
「あわわわわ、舵があああ!!」
白兵戦が始まるなかレベッカの奮闘虚しく、「ゆきかぜ」の勢いに負けて「クレミア・サルベール号」の一切の舵が効かなくなり、遂には舵輪がへし折れてしまった。
自身の手にある舵輪を前にして彼女は恐怖心が抑えきれず顔を真っ青にする。
「このままでは船体が裂けます!!」
「機関後進一杯、舵を左に回しなさい!!」
甲板上では「ゆきかぜ」の力押しに負けてバキバキと船体が裂けようとしていた。 危機感を募らせたクレリアが伝声管に向かって指示を飛ばすもレベッカから信じられない答えが返ってくる。
「姫さま~、舵が壊れちゃいました...」
「はあ!?」
「ももも、もうダメですう~、両親にレベッカはよく働いたとお伝えくださーい......」
「何やってんのよ!! もう良い、後進だけでもかけなさい!!」
「機関室より報告!! ス、スチームパイプ亀裂により動力確保不能...うわあ!?」
その言葉と同時に機関室へと繋がる伝声管から蒸気が噴出してしまい、驚いたクレリアは身をよろけさせてしまう。
「く、機関室はもうダメね......」
「姫さま...」
「あなたは操舵室にいるレベッカを連れてきなさい。 まだ動けるものは妾に付いてくるが良い!!」
引くに引けない現状となったことを悟り、クレリアは落ちていた剣を拾うとともに切っ先を「ゆきかぜ」に向けて口を開く。
「狙うは敵船の船長只一人、皇帝陛下の忠誠厚き者は妾に続け!!」
「「「おおう!!」」」
「く、操艦に必要な者を残し艦橋要員は2甲板に避難せよ!!」
クレリア自身が鼓舞したことによって近衛兵の勢いが増し、艦首に乗り込む敵が増えたことにより激しさを増す戦闘...遂には艦橋にまで銃弾が届き、森村は最悪の事態を想定して北上(補給長)から渡されたばかりの9ミリ拳銃を確認する。
不幸にも艦橋両舷に設置されている20ミリCIWSや12.7ミリ重機関銃も正面から突きささった敵船に対しては死角となっていた。
「やれやれ...まさかアボルダージュ(接舷攻撃)するとは思わんかったな」
「艦長もCICへ避難を!!」
艦長席の横で低くなっている森村を尻目に、北上は9ミリ拳銃で艦橋によじ登ってきた敵兵士を撃ち倒す。
「ここは私達に任せてください!!」
「補給長の言うとおり、ここは危険です」
北上の隣では64式小銃を用意する谷村(調理員長)の姿もあり艦橋にいる手空きの乗員達は彼から受け取った銃を使い、慣れない白兵戦を前にして必死で応戦していた。
「ダメだ、CICでは状況が見えん!!」
「しかし...」
北上が困惑するのとは裏腹に、乗員達が艦首に注目する中で「ゆきかぜ」左舷の海面が勢いよく泡立つと同時に巨大なクラーケンが姿を現してしまう。
「きゃああああ!?」
「何だこれは!!」
「くそ、もう来やがったか!!」
突然現れた怪獣を前に悲鳴を上げる乗員を押しのけ、森村は左舷艦橋見張りウィングに設置されていた12.7ミリ重機関銃に飛びつく。
「くらえええええ!!」
艦橋を締め上げようとしていたクラーケンの触手を森村の銃撃で粉砕する。
因みに先に述べた宮古湾海戦では旧幕府軍率いる軍艦「回天」が新政府軍の主力である「甲鉄」を斬り込み戦によって奪取する計画であったが、その際になんと僚艦として近くにいた新政府軍所属の「春日」に砲術士官として東郷平八郎が乗艦していた。 激しい甲板戦が繰り広げられている中、彼は奇襲を受けた僚艦を助けるために自らガトリング砲を駆使して迎撃したという真相怪しい逸話が残っている。
「甲鉄」同様に思わぬ奇襲を受けた「ゆきかぜ」であったが、肝心のクラーケンの攻撃は森村の反撃によって出鼻をくじかれることになる。
「何やってんの慎司!!」
そう叫びながら雪風は森村に飛びつき押し倒す。 その瞬間、銃撃の合間を縫って迫ってきた他の触手が重機関銃をなぎ払ってしまう。
「あんたは艦長だってことを忘れちゃだめ!!」
「...すまん、熱くなってしまった」
「ほんと昔と変わってないんだから!!」
森村が間一髪で助かったのと期せずして左舷のciwsの銃口が瞬時にクラーケンの方へと向けられると共に先端から毎分三千発の発射速度を持つ銃撃が展開される。
「キシャアアアアアア!?」
流石のクラーケンも至近距離からの20ミリ弾を一千発近く受ければ無事では済まず、自慢の触手は蜂の巣にさせられ、胴体にも無数に突き刺さる。
そして、カラカラとciwsが弾切れになったと同時にクラーケンは力を失い海中に沈んでしまう。
「副長、良くやった!!」
命令違反であったもののCICで指揮を執っていた綾里は自身の判断で即座に攻撃を指示し、森村の危機を救う。
本来、指揮権移譲でもない限り艦長の命令なしに攻撃を判断するなどあってはならない事態だが、二人の関係が特殊であったことと、これまでの戦いを経て乗員一同が彼女の判断力に全幅の信頼を寄せていたが故に可能であった。
「怪獣は倒した、このまま押し返せえ!!」
士気を鼓舞するために森村がそう口を開いた瞬間、今度は右舷側の海面が大きく泡立ち別のクラーケンが姿を現す。
「何体いるんだ!?」
先ほどの攻撃を警戒してか、クラーケンは艦橋に飛びかかろうとはせずに今度は「ゆきかぜ」の艦尾へと迫りスクリューを狙う。 しかしながら、今作戦は「ゆきかぜ」だけの参加ではなかった。
時を同じくして異世界との出入口から灰色の船体をした護衛艦が姿を現し、それは目の前にいた「ゆきかぜ」を回避するために右に舵を取ってしまい、そのままクラーケンと衝突してしまった。




