第3話 運命の出会い
あれから何日経ったであろうか。
自分達を乗せた船が爆沈して以降、星座を目印に漕ぎ続けたものの一向に陸地にたどり着けず細々と分け合っていた水や食料も昨日で無くなっている。
その上困ったことに昨夜に星座を眺めていたジルから信じられない言葉を聞かされてしまっている。
「星座が変わっている」
天体観測を趣味にしていた彼女の言葉がこの航海における唯一の頼りであった故に皆の落胆ぶりは大きかった。 彼女の話によると今まで東の方に存在していた筈の星座が無くなっており、見たことも無い星の並びになってしまったらしい。
「こんなことってあるの?」
心当たりがあるとすれば昨日の段階で不思議な霧に包まれたことが原因かもしれない。
小一時間ほどさまよった後、霧が晴れると同時に強い日差しを浴びせられ、それに伴う急激な気温の上昇にフィリアを除く一同の体力は急速に衰えていき、レジーナに至っては濡れタオルを頭にのせてぐったりしている。
「フィリアさん、私達はどうなっちゃうんでしょうか?」
ジルの不安は最もであり、今まで皆をまとめていたメイド長の姿は無く、フィリアがリーダーとして何とか纏めていたのだが一同の疲労は既に限界にさしかかっておりこれ以上生きていける見込みは無い。
「助けて......」
「姫様!?」
突然寝言のようにささやかれたレジーナの言葉にフィリアは驚いてしまう。
先代国王の意思を受け継いでレジーナの身を守ってきたフィリアにとって飢えと渇きによって弱ってしまった彼女の言葉は自身の不甲斐なさの証明に等しかった。
「申し訳ありません、私は陛下の遺言をお守りすることが出来ませんでした」
後悔にさいなまれ、フィリアは腰に差していた短刀を抜き取って自決の用意をし始める。
「止めて!!」
ジルは体を張って自決を食い止めようとしていたが、フィリアはそんな彼女の思いとはお構いなしに短刀を首筋に突き立てようとする。 しかし、刃先が首に突き刺さる瞬間に聞いたことも無い大きな音が耳に入ってしまい、動きを止めてしまう。
ボオオオオオオオオ!!
ドラゴンの雄叫びにも似たその轟音が鳴る先を振り返ると見たことも無い形をした一隻の船が近づいてきていることに気づく。
「フィリアさん、助かりましたよ!!」
「どうかな......」
喜びを浮かべるジルと違い、フィリアは目の前にいる船が連合王国軍の軍船で無いことから帝国軍の捕虜になる可能性を考えてしまう。
しかしながら、相手が帝国であろうともレジーナの命には代えられないことが明らかである今となっては敵であろうとも助けを求めるしか方法が無かった。
『大丈夫ですか?』
作業艇で近づき、拡声器越しに訴える隊員の言葉に小さなボートに乗る女性達の反応は思わしくない。
「日本語が通じないのか」
「じゃあ英語ならどうだ?」
隊員達は代わる代わるそれぞれの国の言語を使って声をかけて見るも反応は今一つであり、どうやってこちらの指示を伝えたら良いのか手詰まりになっている。
そんな中で一人の隊員が持ってきた鞄の中から小さなホワイトボードを取り出す。
「広澤3曹、何をしてるんですか?」
「砲術士、実は病院で入院したときに知った方法なんですけど搬送されてくる患者さんの中には言葉の通じない外国人が来ることもあって、その時の意思疎通の手段として幾つかの絵を出して患者の症状を聞き取る方法があるんですよ」
広澤はそう言いながらホワイトボードにロープで繋がれた二隻の船を書く。 そのホワイトボードを相手に見せた後でロープを投げると意思が通じたのか向こうの女性はボートの舳先にロープをくくりつける。
「うし、成功だ」
「......すげえ」
「マジかよ」
広澤の提案のおかげで作業艇は漂流していたボートを引っ張る形で「ゆきかぜ」へと帰還していくのであった。
「エルフなのか......」
点滴を刺された状態で医務室のベッドで横たわる少女の姿を見て森村は言葉を失ってしまう。
神話の世界でしか存在しなかったはずのエルフが目の前にいることに驚きを隠せてなかったのだ。
「長い耳を除けば身体的構造は人間と変わりありません」
看護長であり、救命士の資格を持つ室井2曹の言葉を受け、森村は興味本位で患者の耳を触ろうとするも室井の手によって妨げられてしまう。
「興味を持つのはかまいませんが相手は幼い少女ですよ」
「すまん、これからも容体をしっかり観察してくれ」
室井の言葉に森村は慌てて医務室をあとにする。
救助した10人の女性のうち、半数は体力の衰弱が激しいことから医務室で治療を受けており、残りの半数は乗員(女性隊員が中心)の厳重な見張りの元で別室で休んでもらっている。
この艦はかつて練習艦隊の一員を勤めたことがあることから艦内には実習員向けの居住区やウェーブ(女性隊員のこと)居住区が整備されており、他の護衛艦と違って十分な空間が確保されているため護衛艦隊直轄艦となった現在においては、部内幹部課程の航海実習や大規模な訓練の度に多くの幹部達が寝泊まりすることが可能となっている。
構造としては「はたかぜ」型の船体にもう一つ甲板を追加(建物で言うところの屋上にもう一つ階を作った感じ)したような設計となっており、上甲板の艦尾側は護衛艦としては珍しい「かしま」型と同じくオランダ坂となっている。
森村は医務室近くのラッタルを上がり、実習員サロンとして使われていた部屋をノックする。
「艦長!?」
「救助された人の様子を見に来たよ」
「わ、分かりました」
ウェーブであり、補給長の北上1尉の案内で森村は部屋に入ると室内には調理員から出されたお粥を口に含む5人の姿があり、表情を見ると何日も漂流していた影響からか疲れを見せている。
「言葉が通じないんだって?」
「ええ、英語やフランス語、中国語や韓国語でさえ通じないみたいです」
「ポルトガル語やスペイン語、スワヒリ語は?」
「既に試しました」
北上の指さす先には海外旅行用のガイドブックが山のように積まれたテーブルがあり、大卒の隊員を中心として先程までコンタクトを試みようと様々な国の言語を調べて話してみたものの、言葉が通じることが敵わず途方に暮れている光景があった。
「結局、広澤3曹の方法が一番の手段だったみたいです」
北上の視線の先にはホワイトボード片手に褐色の肌を持つ女性と意思疎通を行っている広澤の姿があり、時折絵やジェスチャーを使って分かった言葉をノートに書き記している様子であった。
「衰弱した少女を医務室に運ぼうとした際にあちらの女性は騒ぎ出したのですが、今は広澤3曹の説得に応じて大人しくしてくれています。 彼の話だと彼女はダークエルフと呼ばれる種族であり、医務室に運ばれた少女の護衛だったらしいと」
「......あいつは何なの?」
「ご存じないですか? 彼は艦内有数のオタクであることを」
「あ、ああ、どこか変わり者の感じはしたんだが」
「こないだ食堂でアニメDVDの上映会を刊行した張本人です。 生粋のエルフスキーらしいです」
「エルフスキー?」
「エルフ愛好家の意味です」
「おいおい、それはそれでやばくないか?」
「艦長が心配なさるほどでは無いと思います。 ああ見えて面倒見が良く一線を分かっている人間なので問題は起きないと思いますよ」
森村の心配をよそに広澤はホワイトボード片手に情報収集に熱中している。
「えと、君のお姫様は今医務室で治療を受けているよ」
救急箱を使って教えた赤十字のマークを書き、そこでレジーナが治療を受けているのを説明する彼の姿にフィリアは黙って頷くとボードマーカーを借りて砂時計の絵を描く。
「ああ、いつまでかって? えと明日までかな」
太陽が一周する絵を描くと彼女は納得したのか更に絵を描いて説明を求めるも余りの下手さに隣にいたジルがため息をついてしまう。
「全然帝国の紋章と似てないですよ!!」
「仕方が無いだろ、私に画才を要求するな」
「貸して下さい!!」
口から米粒を飛ばしつつもジルは慣れた手つきでサント・ウルチモ帝国の皇帝の紋章を描き上げる。
「見事だな」
「ふふん、これでこの船がどこの所属か分かるでしょう」
鼻息を荒くして得意げに広澤にホワイトボードを見せるジルであったが、彼は首をかしげてしまう。
「えええ!? この人皇帝の紋章を知らないの!!」
「おかしいな」
状況が飲み込めずに言葉を濁す二人を前にして広澤は自身のホワイトボードに絵を描いて二人に見せる。
「赤い丸?」
「何ですかそれ?」
「分からん」
世界の誰もが知っている日本の国旗である日の丸を前にして二人は首をかしげてしまう。 お互いの国の誰もが知っている常識が伝わらないことに広澤はある確信を抱き、森村の方へ振り返る。
「艦長!!」
「うお!? な、何だ?」
突然声をかけられたことに森村は姿勢を崩してしまうもすぐに立ち直って広澤に注目する。
「彼女達、異世界から来たのかもしれません」
「君は何を言っとるんだ?」
オタクでない森村が広澤の言葉の意味を理解するにはまだ時間を必要としていた。
「う、んんん......」
深夜、医務室の中に併設されたベッドの上でレジーナはゆっくりと瞳を開ける。
どの位意識を失っていたであろうか、不思議と体力は幾らか回復しており若干の頭痛と喉の渇きの他には目立った症状は感じられない。
「ここはどこ......」
赤く照らされた室内には見慣れない調度品が並べられており、自分の他にも数名の仲間達がベッドで横たわる姿があった。 彼女は強引に腕に刺してあった点滴をはぎ取ると部屋のドアへと手をかける。
医務室の中には机に座ったままうたた寝をする室井の姿があり、レジーナは彼女を起こさないように医務室の外へと出る。
「ここはどこなの?」
無機質に赤く照らされた通路をレジーナはあてもなく歩き始める。
時折通路を歩く乗員の姿を見かけるも彼女は物陰に隠れてうまくやり過ごす。
(こっちよ......)
「え!?」
突然囁かれた言葉にレジーナは辺りを見回してしまう。
(あなたの心に直接語りかけているのよ)
「あなたは誰?」
(知りたければ私の指示に従って)
レジーナは不思議な声に導かれるが如く艦内を進んでいく。
その一方、艦首の方から懐中電灯を片手に艦内巡視をする守の姿があった。
「あ~あ、父島に上陸できるの楽しみにしてたのになあ」
守に限らず、艦内の多くの乗員達は父島上陸を楽しみにしており、ごく一部を除き今回の事態を歓迎していない。 司令部からの通達で「ゆきかぜ」は母港である横須賀に戻り、保護したエルフの女性を入国管理局に引き渡すことになってしまったのである。
「異世界トリップとか先輩も訳の分からないこと言ってるもんな」
ぶつぶつと文句を口にしつつ守は艦橋に向かうラッタルを上がると目の前に広がる不思議な光景を目にしてしまう。
「何で神社の前にいるんだ......」
日本の艦船には古来から航海の安全を祈願する意味合いで船霊信仰があり、官民問わず艦名などに縁のある神社が設置されており乗組員達の手によって管理されている。 「ゆきかぜ」にも当然であるが建造された場所であるIHI横浜工場の場所にちなんだ神社からお札を頂いて神棚に祀っている。
守の目の前には艦内神社の前に佇む少女の姿があり、その姿は夢で出てきた少女と酷似している。
「な、何だ!?」
突然光が発せられると同時に少女の目の前に小さな女の子が現れる。
その女の子は自分の制服と同じ真っ白な海士の上着とスカートを履いており、長く伸びた黒い髪に日本人特有の彫りの浅い幼い顔立ちをしていた。
ある意味どこにでもいる普通の女の子のようにも感じる。
「ふふふ、私の姿が見えるのね」
「ええ、まさかこの船に精霊がいたなんて」
「精霊じゃ無い、雪風よ」
「雪風?」
「この艦の名前よ、私のように長く乗員達に愛された艦になるとあなたの知っている精霊のように艦の魂を人の形にすることが出来るの」
「教えて、ここはどこなの?」
レジーナの言葉に雪風は人差し指を唇に当てて視線をそらす。
「何て言うかここはあなたの知る世界とは別の世界よ」
「別の世界?」
「うん、この世界にはあなたのようなエルフは存在せず、人間しかいないわ」
「滅ぼされたの!?」
「違う、元々存在していないのよ」
雪風は立っているのに疲れを感じたのか壁に背中をもたれて足を組む。
「教えて下さい、どうやったら元の世界に帰れるんですか?」
レジーナの言葉に対し、雪風は苦々しくも口を開く。
「残念ながらなぜあなたがここに来たのかは私も知らないわ。 私は単にあなたに興味を持ったからこうして現れているだけだし、詳しくは後ろにいる彼に聞いてみたら?」
「え!?」
レジーナが振り返ると懐中電灯を片手に佇む守の姿があり、彼女達の姿に驚いたのか口をあんぐり開けて何かを呟いている。
「彼も私の姿が見えているみたいだし協力して貰えるかも知れないわね」
守が何をしゃべっているのか分からなかったが、雪風の言葉を信じるなら彼にも自分と同じく精霊の加護を受けられる可能性がある。
これはエルフ族の中でも高位魔法使いの素質を持つ者でしか受けられないとされており、王族や一部の神官でしか確認されていない。 ごくまれに人間の中にもその素質を持つ者が現れると聞いたことがあったが、雪風が見えるのなら彼は素質のある人間と見て間違いないであろう。
「その反応を見ると何か手があるみたいね」
ニヤニヤと嫌らしい視線を送る雪風を尻目にレジーナはゴクリと唾を飲み込む。
王族に伝わる秘術の一つに精霊の加護を受けられる素質のある者同士で一部の記憶を共有できるという言い伝えがあり、その方法はお互いの唇を合わせてどちらかが心の中で結婚を申し込むことであった。
あまりにもイヤらしい方法に恋愛に対して奥手な民族として知られるエルフ族においては実践された記録は皆無に等しく、眉唾な話でもあった。
「あ、結構恥ずかしい方法なんだ~」
二人の距離感を確かめつつ雪風はレジーナを茶化し始める。 日頃は誰とも会話をせずに一人で艦内をうろつくことの多かった彼女にとってこの光景は新鮮みのあるものであった。
「心配しないで」
「え?」
「彼、童貞だから」
「こ、こらあああ!!」
雪風の言葉に守は真っ先に反応してしまう。 雪風の言葉は二人の耳に聞き取れて理解することが出来るのだが、守とレジーナの間で交わされる言葉は理解することが出来ない。
これは雪風の言葉自体が耳では無く心に直接問いかけるものであるからだ。
レジーナに至っては童貞の意味が分からなかったのか雪風に怒る守を見て目を白黒させている。
「この子に何を教えてるんだ!!」
鼻息を荒くして雪風に迫る守。 先程のレジーナとの会話を全て聞いていた彼にとって雪風の行為は迷惑他ならないからだ。
「本当のことじゃない」
「どこからそんな話を聞いたんだ!?」
「広澤君よ、彼ことあるごとに君のことを童貞だって馬鹿にしていたわよ」
「あのオタク野郎!!」
入隊10年以上のベテランであり、良き兄貴分でもあった広澤に守は怒りをにじませる。 好きで童貞になったわけでは無く、田舎の漁村出身でクラスメイトである女子の比率が男子と比べて5対3であったために、彼女いない歴=年齢になってしまっただけだと自分に言い聞かせている。
「大丈夫、この子お姫様よ」
「だからなんだ!!」
「お買い得よ」
「ふざけんな!!」
夫婦漫才のような会話を繰り広げる守と雪風を見つつ、レジーナはある決意を胸に秘める。 彼女はゆっくりと守に近づくと彼の目の前に立ち、唇を噛みしめる。
「お、決意したみたいね」
「え、どういうこ......」
言葉を発し終わるまでも無く、レジーナは強引に守の唇を自身の唇に重ね合わせて心の中である言葉を思い浮かべる。
(我、汝を夫と認め我が記憶を分け与える)
その瞬間、守の脳裏に強烈な記憶の波が押し寄せ始め、あまりの体験にレジーナの体を抱きしめたまま倒れてしまう。
「まあ、大胆ね......」
若い男女のあわれもない姿を見て雪風は二人に微笑みかける。
守はふらつきながらも意識を失ったレジーナを抱き起こし、声をかけようとするも通路の奥から自分に向かって走り出す女性の姿を見つけてしまう。
「よくも姫様を!!」
褐色の肌をしたその女性は壁に掛けてあった防火斧を片手に怒りを露わにしていた。