第12話 日本へようこそ
日が傾き始めた頃、使節団を乗せたUS-2は首都圏上空に差し掛かり羽田付近で護衛のF-15と別れた後に遊覧飛行に移行する。
「ここが人口1000万を超える世界有数の都市であり、我が国の首都東京であります」
「1000万だと!?」
「なんて規模だ......」
機内で守の通訳を介した岡田からの説明を受け、使節団の面々は眼下に広がる都市の光景を前にして驚愕の言葉を口にする。 広々とした平地に所狭しと摩天楼のごとくそびえ立つ高層建築群や綺麗に整理された幹線道路、巨大な航空機が発着する空港に島に匹敵するほどの大きさを持つタンカーが入港する港。 そのどれもが自分達のいる世界とは隔絶された次元のものであったことに彼らは言葉を失っていた。
「皆様の眼下に緑の広がっている一帯が見えると思われますが、そこに我が国の象徴である天皇陛下が住まわれる皇居があります」
機体は皇居の周囲を一周すると機首を反転させて一路、羽田空港へと進路を向ける。
他の使節団同様にレジーナはまじまじと眼下に見える皇居を前にして守の袖を引いて質問を投げかける。
「天皇陛下とは直接お会い出来なくて問題ないかしら?」
「どの道、今の憲法の規定で陛下は政治に参加できないから問題ないと思うよ」
「憲法? 何でそんなものに従ってるの?」
「えと、それはちょっと......」
ここで訂正を入れるなら、守の中の知識では日本国憲法の規定によって天皇陛下は政治に参加できないと認知しているが、これは大日本帝国憲法からのことである。
現在の教育現場では大日本帝国憲法は日本国憲法と違って天皇陛下に全権が集約されているような教え方をしているが、この憲法において大事なことは天皇陛下自身もこれを順守しなければならないという規定も記されている。
要は天皇陛下個人のさじ加減で好きに政治を行えないとのことだ。
これはアジアで初めて法の上に人を置かずという取り決めを公布したという歴史的な大きな一歩であり、これによって日本政府はようやく諸外国と対等に付き合えるようになり国際社会の一員として認知されるようになった。 しかし、好きなことを言えなくなった明治天皇は内心では不満があったようで、時折自身の気持ちを詩にして表現していたらしい。
この憲法下で、天皇陛下自身の判断で政治的裁可を下したのは2.26事件かポツダム宣言の受託くらいと言われている。
「会談は3日後を予定しており、皆様方にはこちらで用意した宿泊施設で滞在していただきます」
遊覧飛行を終え、US-2は予定通り羽田空港へと着陸する。 使節団のメンバーは用意されたリムジンへ乗り込むとそのまま船着場に案内される。
「「はしだて」が来てる!!」
生まれて初めて乗るリムジンの中から守が目にしたのは母港である横須賀で度々目にしていた特務艇「はしだて」であった。
馴染みのない名前だと思う者も多いため、ここで説明を入れる。
全長62m、基準排水量400tのディーゼル推進機関を採用した白とグレーの二色塗装が特徴の海上自衛隊唯一の迎賓艇である。 国内外からの賓客を招いての式典や諸外国からの将校との交流の場としても利用され、甲板上には可動式のテントを有し130人を収容可能な立食スペースとなっている。
また、艦内には大型ディスプレイと20人もの人員を収容できる会議室を有しており、隣接する通訳室とリンクさせて同時通訳をも可能としている。
某国の諜報網が張り巡らされた陸上施設と違い、盗聴や内通のしにくい洋上での会談が出来るこの「はしだて」こそ、今回の会談で使用される会場であった。
使節団を乗せての出港後、「はしだて」甲板上ではクルージングを兼ねたレセプションが催され、和食を中心とした豪華な食事と日本酒やワイン、シャンパンなどが振舞われ、余興を楽しめるようにと横須賀音楽隊による演奏も催される。
「結構な待遇ですね」
「うむ、豊かな国だというのが分かるな」
クルスリーとラーヴァは初めて飲むシャンパンの味に喉を麗しつつ感銘の言葉を漏らす。
他の使節団の面々も東京湾の夜景を肴に会場スタッフから渡された飲み物を片手に豪勢な待遇を楽しんでいるようであった。
しかし、横須賀音楽隊だけでなく同乗していた岡田や外務省職員以外のスタッフはホテルなどから来てもらった本業の人ではなく、この「はしだて」乗員の自衛官であった。
練習艦隊やこういった特務艇の乗員は乗り込みに当たり三ツ星ホテルなどで一通りにマナーを講習するようになっており、日頃から各国来賓をもてなしているだけあってその動作は本職であるジルの目から見ても自然なものであった。 しかし、彼らもまた横須賀警備隊所属の自衛官であった手前、毎年一通りの陸戦訓練も受けており、同時多発テロの際は武装した警備隊員を乗せて警戒に当たった実績もある。
松坂がこの船を会場に選んだ点としては大国のスパイ網に晒された日本国内において最もスパイ対策が取れる場としてこの船がふさわしいからであった。
「レジーナさんの言うとおり、この国は帝国以上に豊かですね」
「街に明かりを灯している電気という物も興味深いな、是非とも我が国にもこの技術を提供して欲しいものだ」
「私としてはこの国との労働協定を結びたいものです。 敗戦と飢饉による産業の停滞と帝国製品の流入で我が国は深刻な不況を抱えていますからね」
上質なアルコールを口にしたためか、二人はそれぞれの国の内情を口にする。
連合王国全体では今、敗戦の影響と帝国との貿易によって深刻な不況を抱えている。 国庫逼迫による軍の縮小によって巷は失業者で溢れ、産業革命の影響で大量生産された安価な帝国製品が自国の製品を駆逐していき商店の倒産が相次いでいた。
自国産業保護のために高い関税をかけようにも、帝国側は武力で脅した挙句に関税撤廃という暴挙を言ってきた経緯もあった手前、今回の使節団の目的の一つに対等な形での通商協定締結があった。
「レジーナさん、あなたには荷が重いかもしれませんが唯一首相と面識がある手前、全てはあなたの交渉にかかっています」
「ええ、分かっております。 私は決して先代のような自国だけの利益に追求するようなことは致しません」
「他が何と言おうと私はあなたに期待してますよ」
「うむ、アフラマにも今の貴殿の姿を見せてやりたいのう」
二人の王族からの期待の言葉に内心では胸を躍らせていたものの、ニヤニヤしたい表情を抑えつつレジーナはシャンパンの味を堪能する。
前回と違って今回の日本政府の対応は明らかに自分を頼りにしている。 先程のアメリカ軍の乱入にしかり、うまく交渉を運べば期待以上の成果を国に持って帰れるのかもしれない。 そうすれば自分を馬鹿にしていた要人達もアルメア以上に忠誠を誓ってくれるに違いない。
「レジーナさん、血気にはやるのもいいですがもう少し肩の力を抜きなさい」
「エーディロット様!?」
ほくそ笑むレジーナを諭すかのようにエーディロットが背後から声をかけてきた。
「私どもの目的はあくまで両国の未来を見据えたものでなくてはありません。 どちらか一方に無理な要求を課せれば100年先まで続く大きな禍根を残すことになりますよ」
「申し訳ありません、私としたことが少々浮かれておりました」
「国民を救いたいというお気持ちは分かりますが、あなたは女王である前に公僕であることを忘れてはいけませんよ」
3000年以上生きてきた手前、エーディロットは多くの国家の興廃をその目で見てきた。 これまでも危機に瀕している中で彼女の忠告を受けなかった国は総じて滅びてきたと言われている手前、その言葉には言いようのない深みがあった。
「王たるもの、公においては一切の感情と欲は捨て去ることが望ましいですよ」
「はい...」
天狗になりかけていた身を諭され、レジーナは己の未熟さを痛感する。
「そう気を落とすな、エーディロット様の前ではワシらも反論できんぞ」
「私達もエーディロット様に散々怒られた口ですからね」
エーディロットのお説教は連合王国の国王達にとって通過儀礼に近い。 100年もの間、帝国と対等に渡り合えてきた背景には三大国のつながりの強さが例に挙げられたりもするが、その立役者こそエーディロットであることは誰もが認める事実であった。
和やかな空気が流れる中、この場に不釣合いなメイド服姿の小さな少女が近づいてくる。
「エーディロット様、山雪姉さまを連れて来ていただきありがとうございます」
この艦の艦魂である橋立はエーディロットから受け取ったペンダントを小さな手の平に載せて天にかざす。 その瞬間、まばゆい光を発するとともにペンダントから小さな光の玉が生まれ出るとともに、ゆっくりと天に昇っていく。
「山雪姉さま、また来世でお会いできることを願っています」
仲間の最後を見送った後、橋立は涙をこぼしつつもエーディロットに深々とお辞儀をする。
彼女達、艦魂は沈む時や廃艦、国籍が替わる際は名前の由来となった故郷の地へと旅立ち深い眠りにつくことになっている。 そして再び同名の艦が誕生すれば来世に生まれ変わるという形で艦魂としての任務に就く。
彼女達、艦魂は神の化身として生まれた時からそのサイクルに殉じることが定められているだけあって、山雪が異世界に取り残されて魂ごと消滅させられる危機をエーディロットが救ってくれたことに橋立の胸の内は彼女に対する感謝の気持ちで一杯であった。
「全ての艦魂を代表して感謝につきません」
「私めがお力になれて良かったです」
「三笠様からお礼を述べたいとのことなので横須賀に来た際はよろしくお願いします」
「ええ、お会いするのを楽しみにしております」
エーディロットはそう答えるとともに、ジルの持つお盆からシャンパンの入ったグラスを取る。
「あなたが用意したここのお酒も美味しいですね」
「......」
「......」
「......」
「あら、皆さんどうしました?」
「......お酒飲めるんですか?」
一同を代表してレジーナが口を開く。
フウイヌム族は元々馬であった手前、野菜や果物しか食べれないことは誰もが知ってる常識である。 それ故にこの場にいる一同の誰もがフウイヌム最後の生き残りであったエーディロットがアルコールを嗜むという話は聞いたことが無かった。
「アルメアに教えてもらったんですよ、何にでも順応が必要だと。 今までこの味を知らなかったなんて人生の半分を損してましたね」
いやいや、1000年以上も無駄だと思わないで下さい。
この場にいた誰もがそうツッコミたくなる衝動に駆られる。
必死で感情を抑えている一同とは対照的に酔いが回ったエーディロットの口は軽かった。
「彼女ったらことあるごとに美味しいお酒を持ち込むもんだからすっかり虜になりましたよ~」
「......」
「しかも酔いが回った途端にあんなことやこんなことをしてくるから困るんですよね」
「......」
「意地悪してメルダちゃんに言いつけるよって言うと「それだけは勘弁してお願い!!」なんて泣くんですよ」
「......」
日頃の姿と違い、頬を染めて陽気な言葉を口にするエーディロットを前にして一同は思う。
アルメア、神様に何してくれてんの!? と
レジーナ達がそんな会話を展開していた一方では、通訳として岡田の傍にいた守のもとに一人の女性が紹介される。
「藤原佳美1尉だ、今回の使節団の行動において君の直属の上司として動いてもらうことになる」
「海野1士、私と君とでは住む世界が違うけど同じ自衛官として日本の国益に沿って行動してもらう」
情報保全隊の福島から紹介を受けた藤原という女性自衛官。 階級からして年齢は30歳くらいに思えるものの、「ゆきかぜ」副長である綾里と同様に制服をピッシリと着こなしている外見からは二十代前半位にも見える。 しかしながら、自衛官であるにもかかわらず彼女の髪の色は茶色に染まっており、日本人にはない青い目とその顔つきはどう見ても西洋人に近いものがあった。
「驚くのも無理はないけど私の祖父がドイツ人だからこんな外見よ」
「あ、そうですか...」
幼い頃から色眼鏡で見られてきた手前、怪訝な気持ちを必死で隠している守を前にして藤原は気分を害することなく説明する。
「使節団代表であるレジーナ女王と懇意にしているとは聞いてるけど君はあくまで日本の自衛官であることを忘れないでもらいたい」
「う...」
思わぬところに釘を刺され、守は言葉につまってしまう。
「あ、あれは...不可抗力......」
「言っとくけど、私のもとに来たからには宣誓文の内容を忘れないことね」
「...はい」
守の直属上司として姿を現した藤原。 守に対する口ぶりから彼女の考えは他の自衛官とは一線を画するところがあり、一切の反論を許さぬその物言い方は純粋に国家に忠誠を誓う軍人らしい揺るがぬ精神を表現させている。
極度な愛国自衛官であった彼女の前で、守は最早「蛇に睨まれた蛙」といった存在になってしまうのであった。




