第11話 星を掲げたハイエナ
連合王国の使節団を乗せたUS-2は護衛艦隊によって確保された安全な航路上で順調な飛行を続け、ホンタン王国領空へと差し掛かる。
「空の旅も中々良いものね」
レジーナは用意された機内食を頬張りつつ守に声をかける。 しかし、いつもと違って彼の表情は冴えず体をガタガタと震わせていた。
「うう...」
「そうしたの?」
「実は俺...高所恐怖症なんだ」
「......え?」
レジーナと違って彼は用意された食事に手をつけずに俯いている。
「一緒にヘリに乗ったわよね?」
「あ、あ、あの時はもののはずみって言うか...」
驚くことに守は高所恐怖症という弱点を抱えていた。
邪神との決戦ではレジーナを守りたいが一心で乗り込んでいたためにその症状は現れていなかったものの、無事に戻った今では時折夢の中でその光景を思い出すようになってしまったという。
「呆れた、よくそんなんで入隊したわね」
「う、うぷ...だから航空隊勤務を断って船乗りになったんだって...」
「そんなんでこれからの事態を乗り切れると思ってるの?」
「だ、大丈夫、もうすぐ着陸みたいだから」
守の願いが叶ったのか、それから程なくして機長がエリアゼロを視界に捉えたのを契機に機体はゆっくりと海面に着水して水上航行に移行する。
「まもなくエリアゼロを抜けて日本の領海に入ります。 一瞬だけ外が見えなくなりますが今まで特に問題はなかったので安心して下さい」
「ふ~」
搭乗員の言葉よりも、水上を航行しているという現状を受けて守は大きく息を吐いて呼吸を落ち着かせる。 そんな彼を横目にしつつ、レジーナは小さく溜息を吐く。
「はあ、会議の時と違って情けないわねえ」
「しょ、しょうがないだろ、怖いんだから」
「そんなんだから未だに童貞なのよ」
「う、うるさい!!」
最早このような痴話喧嘩など今や日常茶飯事であったため、会話を聞いていたジル達は温かな視線を送るようにしている。 前回の交渉と違い、女王として国を率いることになった手前今の彼女はどこか心にゆとりを見せている。
使節団のメンバーを決める際、クルスリーやラーヴァ以外の会議参加者達は日本政府と関わりがあるものの、大した外交実績もないレジーナが交渉案を纏めて使節団の代表となることに不快感を見せていた。 反対派は延々がくがくとレジーナの力量不足を理由に挙げてアルメアかクルスリーを代表者にするべきと声を荒げていたが、その時に守がとった行動で一変した。
自分は契りを結んだ相手であるレジーナ以外で通訳をするつもりはないと
この発言が出た瞬間、抑えていた参加者の怒りが一気に爆発して罵声が飛び交うようになる。 しかし、すぐさまアルメアが仲介に立つとともにこれまでの経緯から守だけが自分達の側に立って交渉案を日本語に翻訳できると言い、他の人間に任せれば都合の良い解釈に改変させられる危険性があることを伝えた。
守は知らなかったが、契りを結んでいる同士で嘘や隠し事は通用しない。 誰もがそのことを知っている手前、参加者達は反論する材料を失ってしまう。
余談になるが幕末、黒船の来航を経て幕府が諸外国と結んだ通商協定などにそれぞれの国による都合のいい解釈が盛り込まれてしまった経緯がある。 明治になってもその内容に多くの日本人が苦しむ羽目になった背景には当時の幕府側に英語などを満足に翻訳できて意味を理解できるものが元漂流民でアメリカに住んでいた経験のある中濱万次郎(ジョン万次郎)くらいしかいなかったことと、旧来の体制に固執して条約内容を十分吟味できなかったことにある。
元極貧漁民であった万次郎が通訳としての能力を買われて幕府直参の旗本に大抜擢されたのと同様に、高校生程度の知識しかない守であっても日本のことを知らない連合王国首脳部にとっては数少ない協力者に違いないのだ。
その彼と契りという強力な繋がりを持つレジーナを代表と認めざるを得ない状況を前にして反対派は渋々ながら同意することになる。
「当機は只今エリアゼロを通過しました。 使節団の皆様、ようこそ日本へ」
視界が開けた先にはエリアゼロの周囲を警戒する保安庁の巡視船や掃海艇の姿があり、遠目には「うらが」と任務を交代した掃海母艦「ぶんご」の姿もあった。
目を凝らしてみると遥か後方では周辺空域の防空管制を担当するイージス艦「こんごう」の姿が見え、日本側が万全の体制でエリアゼロを封鎖していることが伺える。
「これが日本の艦隊か」
「実に頼もしい」
巨大な鋼鉄の艦船を前にして使節団の面々は驚きの言葉を漏らす。 海軍が壊滅的被害を受けた手前、終戦から1年以上経った現在でも連合王国の国々で艦隊を編成できるほどの規模に復旧できていない。
だからこそ、一隻で帝国の一個艦隊規模の戦力に匹敵する護衛艦隊の存在は彼らにとって大きな支えとなっている。
「我が国の軍船より巨大な鋼鉄船にドラゴンよりも巨大で広大な航続距離を持つ飛行機を保有しているのには驚かされますね」
「日本の技術力は我が国の数百年先を行っておるな」
沖合に浮かぶ艦船やUS-2の性能に関してクルスリーとラーヴァが意見を交わす。
「これほどの物が10機もあれば一個大隊で奇襲作戦ができますね」
「さよう、話によれば水上だけでなく陸の上にも着陸できるのなら帝都奇襲も可能だ」
「武装がないのが頂けないですけど」
「何故これほどの代物に武装が施されていないのか気になるところだな」
日本海軍で使用されていた二式大艇の子孫でありながら、救難用として設計されただけにUS-2には武装がない。 当時と違い、ジェット戦闘機や戦闘ヘリが主流の現在の空戦では機銃で武装した飛行艇で敵地に着陸するなど自殺行為に等しいからだ。
帝国が運用するドラゴンの戦闘能力は武装ヘリに匹敵する能力を有している手前、自衛隊は連絡便以外で使用する気などさらさらない。
「守、あれ...」
高度を上げたUS-2に向かって雲の合間から2機の戦闘機が姿を現す。
「F-15だ!!」
航空自衛隊の主力であり、アジア最強の戦闘機と言われるF-15J イーグルが護衛に来たことに守は驚きの言葉を漏らす。 2機の戦闘機はUS-2の両脇につくとともに、翼を軽くバンクさせて発光信号を送る。
「日本政府は使節団の皆様を万全の体制でお送りします」
発光信号を読み取った搭乗員の言葉は耳に入らず、レジーナを含む使節団の面々は初めて見る戦闘機に興味を抱き見入ってしまう。
「強そうね、これが200機もあるなんて凄いわ」
「エリアゼロをくぐれない手前、ここでアピールしたいのかな」
海空自衛隊の主力兵器を見せて使節団の心を奪うという当初の目論見は概ね成功したといえよう。
この時ばかりはレジーナも日本との関係強化に大きな期待を抱いていたが、程なくして雲の合間から望まぬ来訪者が姿を現す。
「F-18だって!?」
突然F-15の脇をかすめた1機の戦闘機。 軍事に詳しくない守であってもそれが米海軍の空母艦載機であるF/A-18E/F スーパーホーネットであることは知っている。
今まで黙ってエリアゼロを傍観していたアメリカ政府の介入。 それは連合王国と重大な交渉を控えていた日本側にとって邪魔者でしかなかった。
「シセツダンノミナサマ、ワガアメリカガッシュウコクモカンゲイイタシマスだと...ご丁寧に日本語で送るとは」
F-18からの発光信号を前にして立花は言いようのない怒りを抱く。 今回の使節団の目的はあくまで日本政府との間にエリアゼロ発生原因の特定に際しての相互協力関係を結ぶためのものであり、アメリカ側が手を出して良い理由はない。
自衛隊によってエリアゼロとの行き来にある程度の安全性が実証されたことを受けて彼らはまだ見ぬ異世界の利権を目当てに近づいてきたことが明らかであった。
「あれも自衛隊の戦力か?」
「実に頼もしい」
アメリカの存在を知らされていない手前、機体に描かれた日の丸とは異なる識別を目にしても使節団の面々は興味深げに眺めている。
既にUS-2と2機のF-15の周囲は6機のF-18により取り囲まれており、背後に展開している機体はいつでも日本側の機体を撃墜できる位置に陣取っていた。
「あれが日本の同盟国ね」
「ああ、70年以上前に起きた戦争の勝者で世界の警察を自負している国さ」
レジーナもアメリカのことに関しては守や雪風から一通りのことは教えられている。 その力関係がかつてのビエント王国と帝国との同盟関係に似ていることも。
「取り囲んで脅しを効かせるなんて...随分と礼儀をわきまえない国だこと」
「仕方ないさ、彼らの軍事力は世界一だから」
「力による屈服...この世界にも帝国と同じような事をしている国があるってことね」
洋上に視線を移すと、これみよがしに存在感をアピールするアメリカ合衆国海軍の力の象徴である原子力空母「ジョージ・ワシントン」の姿が見え、東京タワーと長さが匹敵する広大な飛行甲板には使節団に見せつけるかのように広げられた巨大な星条旗があった。
「随分と興味を抱いてくれてるわね」
過去の世界情勢を鑑みても、アメリカやロシア、中国といった自国の利益に貪欲な国家が連合王国の前に現れればどうなるかは目に見えている。
どの大国も自分勝手な過去の戦争の正義や自己主張を振りかざすだけでその国の事情を考えることもせず、取り返しのつかない事態にした挙句に復興資金と称して日本に金を出させる行為は戦後70年以上経っても変わらない。
「折角一つにまとまりかけてるのに奴らが来れば滅茶苦茶にされるよ」
「そうね、私達は自分達の力で独立を維持しなければならないわ」
これまでの経緯を踏まえ、今回の交渉にあたってレジーナは女王としてあることを決意していた。 そのためにはこの強大な国家が保有する戦力を一遍たりともエリアゼロをくぐらせてはならない。
新たなる決意を胸に彼女はじっと洋上を漂う空母を睨みつけていた。
「ミスター松坂、分かってると思うが我々は70年近く同盟国として世界平和に貢献してきた。 今回の件に関しても君達は取り返しのつかない状態にまで追い詰められているようだね」
「お察しのとおりです」
「ならば何故今まで隠してきたんだ? 日本には我が軍の基地もあるから安全保障上、支障が出ると思うが」
いつもながらの高慢な態度をとるアメリカ合衆国大統領を前にして松坂は表情を変えることなく言葉を続ける。
「お気持ちには感謝いたしますが、今回の事態は正直言って見通しが全く立ちません。 そんな中で貴国に助けを求めようなどすればご迷惑をおかけすると判断しました」
「君の気持ちは分かるけど私は別に構わないよ? 我々は同盟国である以上に良き友人なんだからね」
「いえ、今回の事態はあくまで領海上で起きたことなので私どもでまず対応すべきです。 かつて貴国は同盟国であっても領海上で起きた事態には国際的な判断に委ねるよう訴えておりましたし」
「それとこれとは話が違うと思うけどなあ」
「尖閣事変のおり、恐れ多くも我が国は貴国が後ろ盾になってくれることを期待しておりましたが平和を願うあなたがたは武力での解決は望まぬと言っておりました。 私は今もその判断を支持するとともに、自国の騒動に他国を巻き添えにするつもりはありません、ということをご了承下さい」
「......」
のらりくらりと言葉を躱して分け前をよこそうとしない松坂の態度に大統領は言葉を失ってしまう。 アフガンやイラク戦争によって莫大な国債と多くの犠牲が国民生活を圧迫した手前、今の米国は同盟国などの財産を奪い取ることによって国家を維持している。
日本は隣国との領土やエネルギー問題を抱えている手前、松坂の前政権は国民の生活を逼迫させてまで米国に多くの財産を与えてその見返りに安全保障を求めたものの、有事が起きた際には何も助けてくれなかった過去があった。
「以前と同様に合衆国の良心的な判断を期待しております」
「あ、ああ、善処しよう」
思わぬ反論を受けて大統領は表情を濁らせつつも最後は笑顔で言葉を交わす。
非公式会談が終わるとともにホットラインの回線が切断され、暗くなった室内で松坂は表情を崩さずに小さなため息をつく。
(過去の栄光にすがるハイエナめ)
松坂の脳裏に数年前に生起した尖閣事案が思い起こされる。 あの時を契機に多くの日本国民が米国を見限り、自主防衛の必要性を痛感させられたものだ。
その余波で米国との仲の良さをアピールしていた前政権が倒れ、それまで日の目を見なかった松坂が政権を握るようになったものの所詮は前政権の尻拭いという立場に近く、当の本人も長期政権になるとは考えてはいない。
そんな中で起きた今回の事態。 戦後最大規模の重大な局面を前にして総理大臣である松坂は口には出していないものの、内心ではどう対処して良いのか分からず参っていた。
米国に協力を申し出たところで、彼らは異世界に行った途端にその利権を目当てに居座ることが目に見えている。 当初はお互いのためにとっとと送り返して何もなかったことにしようと考えていたものの、日数を重ねるごとに事態は悪化しており何の解決策も見い出せていない。
(今更ながら菅原の気持ちを痛感させられるな)
松坂は東日本大震災時代の総理大臣の名前を思い起こす。 戦後最大規模の震災によって生起した原発事故によってあの時の日本は国家存亡の危機に追い込まれていた。
チェルノブイリ以来の原発事故を重く見た米国側は自国の戦力を投入しての処理案を申し出たものの、菅原総理は国家の主権侵害を恐れてその申し出を断ったとされている。 その対応をめぐって当時の政権は今もなお多くの人々に非難されているが、米国に主導権を引き渡すという最悪の事態を回避できたのがある意味で奇跡であったと言える。
(今回の会談で道筋が見えればいいがな)
世間では尻拭い政権のトップと渾名されているものの、彼は誰にも負けぬ日本存亡への道を模索する決意を抱いていた。




